第六章 第一話
「あっちいなぁ」
チャック・イェーガー アメリカ陸軍少尉がタイ中部にあるタークリー航空基地へ直後の感想は、これだった。C-47輸送機から地面へ降ろされているタラップに出た時点で、既に汗が吹き出ている。
暑いにも程があるだろう。
ただ、彼の認識には間違いがある。彼の故郷であるウェストバージニアの夏と比較して、2月のタイはそこまで気温が高いわけではない。ただ、湿度が高い。
そのため、体感温度が高く、ひどく不快なのだ。
もっとも、タイの2月は「乾季」であり、気温も湿度も最も低い時期だったりするのだが。
タイは前年、1943年の終わりから連合国軍に参加していた。
タイ政府の本音としては、連合国軍と枢軸国軍の対立にはあまり首を突っ込みたくなかった。だが、タイの国民は連合国への参加を叫んでいた。
枢軸国軍がマレー半島防衛のためにタイ領へ侵攻した現実が、タイ国民のナショナリズムに火をつけていたのだ。
日米両国は、このタイ国内の動きを見逃さなかった。
日米は国内に扇動的なマスコミを多く抱えており、世論の制御に酷く苦労していたが、同時にそう言ったマスコミの利用方法も熟知していた。
彼等はタイの新聞紙、特に下世話なそれらを中心に金を流し、連合国参加への空気をタイ国内で作り上げたのだ。
結果、タイ国政府は国民の声に背中を押される形で連合国へ参加することになる。
タイはビルマにしろインド方面にしろ、侵攻時には拠点となる重要な地域だ。日米はタイの連合国への参加を切望していたのだ。
タークリー航空基地は、タイが前年終わりに連合国に参加してから設営された航空基地だった。
建設にあたったのは、主に日本軍とアメリカ軍。
物資輸送にはタイ軍も関わっていたが、輸送効率のあまりの悪さに日米はその改善に乗り出す羽目になっていた。具体的に言うなら、200キロ近い道路の整備や河川船舶の船着場の改修工事などだ。
タイの交通路が未整備であることは、日米にとっては多少計算違いな事実だった。タイは日本を中心に多数の航空機を購入していたし、日本にとっては小型バイクや小型自動車の大きな輸出先の一つだった。
錫やタングステンの輸出国でもあり、自動車道路の整備は進んでいるもの、と彼等は思い込んでいたのだ。
ただ、タイの道路インフラは基本的に鉱山と最寄り港湾との間に集中していた。そのため、錫鉱山の少ないタイ中部は、バンコク周辺を除くと道路インフラはさほど整備されていなかったのだ。
タイで日本製の小型バイクや小型自動車が人気だったのは、軽量さと小型さ故に、悪路でも走破可能なその特性のためだった。
タークリー基地周辺の交通インフラは、実質的にチャオプラヤ河水系の水運に頼っている。
ただ、その水運インフラも日米の基準からするならあまりにも非効率だった。積み下ろしは完全に人力であったし、河川港湾の能力も低い。そのため日米は、まず河川港湾の整備から始める必要があったのだ。
幸いなことに、河川港湾の整備は日本陸軍の工兵にとっては得意な工事の一つだった。
当時の日本は内海水運と河川水運を多用している国だ。政府の方針により鉄道と高速道路の整備は戦時下の今でも、延々と続けられていたが、それでも輸送の主力は、この時点では水運だ。
日本陸軍工兵には、娑婆では建築会社に在籍していた者が多く存在していた。彼等は日本国内の交通事情から、河川港湾整備の経験者が存外多かったのだ。
イェーガーが着任したころには、既にバンコクとタークリー基地を結ぶ道路も部分開通していたが、所詮は部分開通であったし、舗装もされていない。
今は乾季だから、問題は少なかったが、雨季ともなれば各所で冠水が起こるだろうし、道路は泥濘になる。それまでに日米両軍の首脳部は、道路の整備を完成させてしまおうと思っていたが、それには短く見積もっても数ヶ月程度の時間は掛かりそうだった。
現在、連合国軍はこのタークリー基地に大量の航空機を集中させ始めていた。
日米両軍のみならず、オーストラリア軍やカナダ軍すらもここに航空機を集めている。
英領ビルマへの侵攻のためだ。
タークリー基地を根拠地とした場合、連合国軍の重爆はビルマ南部から中部を爆撃範囲に収めることが出来た。また、航続距離の長い戦闘機を利用するなら、護衛もつける事ができる。
ビルマ侵攻においては、重要な拠点だった。
日米両軍は、既にマレー半島とニューギニア島、ボルネオ島を完全に制圧下においており、またジャワ島とスマトラ島に対しても侵攻を開始していた。
ジャワとスマトラの枢軸軍の防御は、連合国軍が想定していたものより緩く、スケジュールは順調に進捗している。
東南アジアからの枢軸国の圧力は、大きく減衰していた。日米とオーストラリアの交易ラインは、これまでと比較するなら、はるかに容易に接続が可能となっている。もちろん、枢軸国の潜水艦による襲撃は未だにあったが、その頻度は下がっていた。
そのためタークリー基地には、オーストラリア軍が参加可能となっていたのだ。
イェーガーは送迎用に回されてきた、トラックに乗り込み周囲を見回す。日本やアメリカの戦闘機の他に、オーストラリアの国籍表示が描かれた、P-40が並んでいた。
「オージーはあんなのまだ、使ってるんだなぁ」
「ウチの軍でも未だ使ってるぜ? 結構人気あるらしい」
イェーガーの独言に、隣の同期が言った。
そんなもんなのか、とイェーガーは思う。
アメリカ軍ではP-40は二線級の部隊に配備されており、前線部隊にはあまり配備されていない。イェーガー自身、戦闘機隊に配属された初めの頃に、訓練で使用したっきりだ。そのため、イェーガーはアメリカ軍では既にP-40は退役したもの、と思い込んでいた。
P-40の性能は平凡であり、戦闘機としては特筆すべき点は少ない。
ただ、可動率が非常に高く頑丈で操縦もしやすい点は、大きな評価に値した。練度の低いパイロットの多い、連合国各国の空軍でもそれなりの戦力になるからだ。頑丈さ故に、新米が生き残りやすいという点も大きかった。また、生産数も多い。
そのため、P-40はレンドリース用として連合国各国に大量供給されていた。
特性をよく理解した熟練のパイロットが乗れば、Bf-109相手でも十分に戦えたから、アメリカ軍にもP-40を好んでいる兵士は多い。
また、工業基盤に乏しく、整備能力に難のあるオーストラリアやカナダ、タイなどの連合国各国の空軍においては、かなり人気のある戦闘機だった。整備が容易な上に、可動率が高いからだ。
ただ、アメリカ軍では新型への更新が進んでいたが。
そのため、P-40は日米以外の連合国空軍では数的な主力機の座にありながら、アメリカ軍では珍しい戦闘機になりつつあった。
現在、アメリカ軍のP-40は、比較的安全な地域での対地攻撃や輸送機への攻撃に使われており、第一線での任務にはあまり就いていない。
生産ラインもより高性能で安価なP-51か、頑丈かつ大火力で生存性と汎用性が高いP-47への切り替えが進んでいた。
これらの機体は、航続距離も長く護衛任務にも適している。そのためタークリー基地のアメリカ陸軍航空隊戦闘機隊は、このいずれかが配備されていた。
イェーガーが配属されている第363戦闘飛行隊の装備機も、P-51だ。運動性と高々度性能に優れ、高速なこの機体を、イェーガーは愛していた。
ノース・アメリカン社の冒険的逆提案によって、極短期間で開発されたこの戦闘機は、その開発期間からは考えられないほどに高性能だった。開発期間の短さ故に、ブラッシュアップが足りない部分は多かったが、それでも優秀な機体だ。
P-51は1940年に初飛行した試作機の時点で優秀な性能を示したため、即座にアメリカ陸軍から量産の指示が出ていた。その時期のアメリカはドイツの戦闘機が非常な高性能である、との情報を得ていた。そのため、アメリカ軍はドイツの戦闘機、例えばBf-109やFw-190などに対抗出来る戦闘機を、心底から欲していたのだ。
P-51はその筆頭候補だった。
アメリカ陸軍は、P-51の完成のためには手段を選ばなかった。日本やカナダ、亡命イギリス人などからも協力を得ることにしたのだ。
特に、日本からはかなりの技術協力を得ている。
この時期の日本は、飛燕や雷電などの新世代の戦闘機の試作、あるいは量産を開始していた。日本は、それらに利用されていた要素技術を提供したのだ。
もちろん、日本はその代償として四発重爆の製造技術や大量生産のマネジメント技術、大馬力エンジン技術など、自分たちが遅れている面の技術をしっかりと確保していったのだけれども。
その結果、P-51はアメリカ陸軍の予想より、半年以上早く量産が始まっている。
初期のP-51は、搭載していたアリソンエンジンの性能的限界故に、高々度性能には問題があった。だが、エンジンを日本の昭和発動機製液冷エンジンをライセンス生産したものに変更したP-51Bになってからは、高々度においても高性能を発揮し、アメリカ陸軍航空隊の主力戦闘機の一つとなっていた。
エンジンが本当の意味での国産ではない点で、この機体に対して否定的な意見を持っている高官がいる、という噂をイェーガーは聞いたことがあった。
愚かなことだ、と思う。
P-51は間違いなく良い戦闘機だ。しかも、飛行機としても、機械としても優れている。
現状のP-51は改良が進んでおり、D型と呼ばれる機体になっている。旧型と比較すると、12.7ミリ機銃が4丁から6丁となっており、キャノピーの形状も日本空軍の戦闘機「雷電」に習って、涙滴型のものに更新されていた。つまり火力が強化され、視界も広くなっているわけだ。
護衛戦闘機としての機能を優先されたP-51は、火力をそれほど重視されてはいなかったが、流石に12.7ミリ機銃4丁では火力が低すぎるという判断がされていた。また、キャストバックのキャノピーは後方視界の悪さ故に、不評だったのだ。
「しかし、こんなにたくさんの飛行機集めて、なにするんだろうな。こんな、クソ暑いところに」
イェーガーは愚痴るように言った。
彼は特段無知な人間ではなかったが、一般的なアメリカ人らしく、アジア情勢には疎い。
チャイナのマンチュリアとかいうところに、自国の陸軍が少数展開しており、オランダ領インドシナとか言うところで、友軍が戦闘している。
友軍には日本というアジアの国がある。
その程度だ。
「ビルマを攻撃するのどうの、って聞いたがなぁ」
「ビルマってどこだよ。地の果てか?」
「俺も知らねぇよ」
同期は投げやりに、そう言う。彼等の認識では、アジアはその程度の扱いだった。
「まったく、俺らはそのビルマとか言うところで、何をするのかねぇ」
イェーガーはそう呟くと、空を見上げる。暑くてたまらなかった。
空に上がれば、きっと涼しいだろう。
空を飛びたかった。




