第五章 第十六話
「あの丘陵か」
妹尾は二式重戦車の車内から、砲兵鏡を覗き込みながら言った。
彼等は近衛師団からの支援要請により、出撃している。妹尾が見ている丘には、近衛師団の戦車部隊では対応できない敵が立て篭っているからだ。
妹尾が見ている丘は、ブキッ・ティマ地区と呼ばれる地域にある。
ブキッ・ティマ地区はシンガポール島南部にあり、シンガポール島最高地点が存在する地域だ。この地域は住宅地や競馬場もあるが、原生林が生い茂る丘陵地帯も存在する。
妹尾が見ている丘陵も、そういう場所の一つだった。
シンガポールを防衛するイギリス軍は、このブキッ・ティマ地区をモズレー歩兵戦車を中心とした部隊と、歩兵部隊による機関銃陣地により、厳重に防御されていた。
モズレー歩兵戦車は鈍足ではあったが、装甲が厚く不整地での機動性が高い。この手の入り組んだ地域での待ちぶせには適していた。
妹尾が見ている丘陵にはモズレー歩兵戦車の新型、MkⅥが中隊規模で配備されていた。このモズレーMkⅥはドイツの48口径75ミリ戦車砲のライセンス生産版を装備しており、これまでのイギリス戦車と比較するなら、格段に高い対戦車能力と対歩兵火力を持っている。
近衛師団の戦車部隊には優先的に三式中戦車が配備されていたが、三式中戦車は未だ少数であり、数的には九七式中戦車改が圧倒的に多い。
近衛師団はこの丘陵の攻略のために3度攻撃を仕掛け、3度撃退されている。損害は累積しており、既に1個大隊分の歩兵と1個中隊分の戦車が損耗していた。
大損害だ。
さりとて、日本陸軍はこの丘陵を迂回するわけにはいかなかった。ブキッ・ティマ地区への砲撃観測点として重要な地点だったからだ。この丘を抑えれば、ブキッ・ティマ地区で戦っている他の部隊が圧倒的に楽になる。
また、ブキッ・ティマ地区を諦めるという選択肢もない。
このブキッ・ティマ地区は、日本陸軍シンガポール攻略部隊にとって、最重要攻略目標だったからだ。
ブキッ・ティマ地域には、シンガポールの弾薬庫や燃料庫が集中している。この地域を落とせば、それだけでシンガポールに篭る枢軸軍の戦力は劇的に低下するのだ。
また、ブキッ・ティマ地区はシンガポール島の水源地でもある。ココを抑えれば、市街地や東部の要塞地帯に篭る枢軸軍は水不足に悩まされることになるだろう。
シンガポールは熱帯であり、降水量は比較的多い。11月の今は、丁度雨季でありスコールの頻度も非常に多かった。だが、雨水をそのまま飲むわけにもゆかないのだ。雨水は汚染されている事が多いし、ドロなどが混入すれば、赤痢などの伝染病の原因になる。かと言って、煮沸消毒のための燃料や、消毒剤が足りている状況でもない。
海上優勢をほぼ日本軍に取られている現状では、水源の確保は枢軸軍にとってシンガポール島の死命を分けるほど意味があったのだ。
妹尾は見える範囲でざっと、その丘を見回す。深い植生の森は、敵の姿をカーテンのように覆い隠しており、何もつかめなかった。地形から、ある程度は戦力配置の予想はついたが、それだけだ。
出たとこ勝負になるな。
妹尾は顔をしかめる。
二式重戦車は重装甲で大火力な、ごく普通の重戦車だ。対戦車戦闘を主眼に開発されてはいたが、大口径砲を搭載しているため、対歩兵戦闘でも高い能力を示す。
だが、戦車であるため視界は悪い。そのため、このような入り組んだ地形では、敵の接近を許しやすいのだ。近距離であれば、側面や後背は敵の戦車砲でも貫通可能だ。また、歩兵の肉薄攻撃も脅威だった。
敵歩兵の肉薄攻撃に関しては、近衛師団から歩兵大隊が援護に就いてくれることにはなっている。近衛師団は装備が良く、訓練も行き届いている精鋭部隊だ。
地方の師団からは「見目のいい兵隊ばかりを集めている、儀典要部隊だ。実戦では俺達のほうが強い」と、ヤッカミを込めて陰口を叩かれているが、各地から素性の良い優秀な兵員を選抜して編成されているだけ有り、能力は高かった。
それに彼等はエリートとして選抜されている。他の部隊から侮られないためにも、彼等は過酷な任務に好んで志願する携傾向にある。
そのため、妹尾は近衛師団の能力に関しては不安を抱いてはいなかった。
問題は第一独立重戦車連隊が、近衛師団と共同訓練をしたことがない、という点だ。
互いに互いの特性をよく知らないため、緊密な連携は難しくなる。
できることなら、簡単にでも訓練をしておくべきなのだが、そんな時間はなかった。
「大尉。そろそろ時間だ」
無線機から声が聞こえた。歩兵大隊の隊長からだった。
チラリと腕時計を見る。確かに、攻撃開始の時間だ。
「了解しました。援護をお願いします」
妹尾はそう答えると、部下たちに前進の命令を下す。14両の二式重戦車が、黒い煙を上げながら前進する。その後方を歩兵たちが追跡していた。
その多くは一式半装軌式装甲兵車に搭乗していたが、幾らかくろがね四輪に乗っている連中もいる。おそらくは装甲兵車が撃破されてしまったのだろう。
装甲兵車は戦車と比較すると装甲が薄く、対戦車ライフルなどでも撃破されることが有る。また、大量に採用されているため損耗数は他の装甲車両と比較して高い。
最も、生産は順調であったから、この戦闘が終われば新車が補充されることになるだろうけども。
妹尾の中隊は、丘の間を縫うようにして作られている道をゆっくりと前進する。交互に砲塔を左右に分け、奇襲に備えながら前進を続ける。
この丘陵地帯に存在する道は、この道しかない。左右には原生林が生い茂り、道を外れて機動するには土地勘が必要だった。
視界が悪い一本道。待ち伏せしてくれ、と言わんばかりの状況だ。
できることなら砲兵か爆撃機で、地ならししてから進みたい道なのだ。
だが、現状ではどちらも期待できない。
現在、日本陸軍の砲兵は、そのほとんどが他の方面に出払っていた。
シンガポール島各地で歩兵を中心とした部隊が抵抗を続けていたから、砲兵は引く手数多だ。
そもそも、師団砲兵以外の砲兵は、そのほとんどが水道を渡れてはいない。水道を渡れた師団砲兵も、まだ砲列を敷いている途中の部隊が大部分だった。
一部の部隊と、自走砲や砲戦車を装備した部隊のみが砲撃による支援を提供していたが、その程度では全く手が足りないのだ。
そもそも、戦車の数すら不足気味だった。
枢軸軍は日本軍の予想より多くの戦車を、シンガポール島に配備しており、戦車部隊はその対処に走り回っている状態だ。
また、航空支援も低調だった。
スマトラ島東岸の、ブカンバルやテンビラハン、パレンバンなどから多数の戦闘機が襲来していたからだ。
Fw-190やスピットファイア、G.60エクレウスを主力としたそれらの戦闘機達は、数こそ多くはなかったし戦闘の持続時間も日本空軍機ほどには長くなかったが、矢継ぎ早にやってきては日本空軍の爆撃機に襲撃を繰り返していた。
それらの戦闘機は全て、20ミリ機関砲を装備しており、火力に優れている。防弾に随分気を使っている日本の爆撃機であっても、撃墜されうるだけの火力を持っていた。
そのため、日本空軍は爆撃機の多くをスマトラ島各地に分散した飛行場に振り分けざるを得なくなっている。
敵戦闘機の密度は目に見えて薄くなっているから、そう時間はかからずに航空優勢も確保できるだろう。だが、現状では航空支援は期待できなかった。
だが、それらの準備が整うのを待つ時間もない。
敵もブキッ・ティマ地区が重要拠点であることはわかっているのだ。現状、枢軸軍は日本軍の多方面からの攻撃に対して後手に回っている。だが、時間を与え建てなおされると、ブキッ・ティマ地区に戦力が集中されるかもしれない。その場合、攻略は難しくなる。
ブキッ・ティマ地区は事実上、シンガポール島の所有権を左右する場所だ。
自軍の質はともかく、層の厚さには自身のない日本軍としては、ブキッ・ティマ地区は可及的速やかに確保する必要があった。損害を避けたいからだ。
そのためにマレー攻略軍でも虎の子の第一独立重戦車連隊から、妹尾の中隊が派遣されていた。装甲と火力のゴリ押しで、この丘陵を確保するために。
面倒なことだ。
妹尾はそう思う。
だが、その面倒を買うのが、第一独立重戦車連隊の仕事だった。仕方の無いことだ。
しばらく進むと、道は丘の頂上へ向かう坂道となっていた。道は舗装されていなかったし、数時間前のスコールのせいでぬかるんでいる。装輪式の車両であったら、スタックしていたかもしれない。
妹尾が背後を確認すると、歩兵達の一式半装軌式装甲兵車は路面の悪さに難儀しているようだった。スタックする車両はいなかったが、前輪が滑るのか方向転換に時間がかかっている車両が何台かいるようなのだ。
また、くろがね四輪の連中はもっと苦労している。彼等もスタックはしていないが、速度は大幅に落としている。
「中隊全車、速度を落とせ。周辺警戒を厳にしろ」
歩兵たちの歩調に合わせるため、妹尾は中隊の速度を落とした。
歩兵との連携が取れない場合、例え重装甲の二式重戦車であっても対戦車砲の待ちぶせや歩兵の肉薄攻撃で撃破される危険性が高い。この丘陵はそういう危険が高い地形であったし、枢軸国は最近、歩兵用の携帯対戦車擲弾筒を大量に投入し始めているという情報もあった。
注意はするべきだった。
妹尾は砲兵鏡で外を確認しながら、指示を出す。砲兵鏡は最近になって、戦車部隊に正式に導入され始めた装備だった。俗にカニ眼鏡などと呼ばれものだ。
砲兵向けの一般的な品とは細部が異なり、戦車兵用のものは二脚が取り外されており、測距機能はレティクルによる簡易なものに置き換えられている。軽量化と車内での取り回しの向上のためだ。
この砲兵鏡が戦車隊に配備されたのは、車内からでも比較的広い視界を確保できるためだった。
日本軍の戦車には、九七式中戦車の頃からペリスコープがついていたが、どうしても視界が狭い。砲兵鏡はハッチから潜望鏡のようにつきだし、車外を観察できたし、比較的視界も広かった。
これが配備されるまで、戦車長たちは警戒時は車外に頭をつきだして確認していたのだが、機関銃や狙撃兵による射撃で死傷者が多数出ていた。当初は作戦行動上に必要な損害と考えられていたが、流石に死者が100を超えると、日本陸軍的には考え直す必要に駆られたのだ。
戦車兵は特技兵であり、価値が高かったし、車長は更に高価な存在だ。死傷者は少ないに越したことはなかった。
妹尾の中隊と歩兵達はゆっくりと丘を登る。丘を登ると、多少植生は薄くなり、灌木が目立つようになった。整備された後、しばらく放置されたような、そんな地面だった。あるいは公園かゴルフ場だったのかもしれない。
妹尾は後方の歩兵たちを確認する。送れずについてきているようだった。
もう少し、速度を上げてもいいかもしれない。
妹尾はそう思った。この地形はあまり楽しくない。こちらは灌木やちらほらと見える林により視界を遮られているが、灌木や林の影からはこちらは丸見えだからだ。速度を上げて通り過ぎたかった。
直後だった。先頭車両の砲塔で閃光が光る。砲弾の炸裂だ。
待ちぶせだった。
煙や車内からの爆炎は無いから、車両や兵士は無事だろう。砲塔を左右に向けていたため、着弾角度が浅くなったのかもしれない。
妹尾はすぐに周囲に視線を走らせ、数秒で敵を発見する。
左前方、800メートルほど離れた灌木の影。
隠れてはいるが、重厚なシルエットが目に入る。
モズレー歩兵戦車だ。妹尾はこれまで数回、モズレー歩兵戦車と戦っていたが、この車両は今まで見てきたモズレー歩兵戦車よりも主砲が長い。
噂の新型だろう。
新型の長砲身75ミリ砲は、それまでのモズレー歩兵戦車の主砲である、5センチ砲よりも貫通力が高い。
この距離ならば高速徹甲弾を使用された場合、二式重戦車でも角度によっては正面を抜かれる可能性があるはずだ。危険な相手だった。
敵戦車は各所に木の枝や草を貼り付け、カモフラージュしていた。だが、砲撃の衝撃波により灌木が左右に大きく振れているのを、妹尾は見逃さなかったのだ。
「11時方向。敵戦車。偶数番車、各個に狙え」
妹尾の号令とともに、左方向に砲塔を向けていた偶数番の車両、7両が砲撃を開始する。
妹尾の戦車は隊長車であり、奇数番であったから砲撃はしない。右方向の警戒があるからだ。
7両の集中砲火を受けたモズレー歩兵戦車は、爆炎を上げる。
ただ、油断はできない。
おそらくこの車両の攻撃は、勇み足だ。
この道路の左右には、多数の戦車や対戦車砲が配備されているはずだった。
妹尾はハッチから上半身を出し、周囲を見回す。
砲兵鏡の視界でも間に合わないと判断したからだ。
コンマ一秒でも早く周囲の様子を観察し、敵の潜伏位置を確認、最低でも予測する必要があった。
「全車散開。奇数は右、偶数は左へ。1時から2時方向に少なくとも戦車6、11時から9時半の方向に、少なくとも戦車5が潜むものと思われる。灌木の影には注意しろ。敵はおそらく重戦車」
妹尾の中隊が分散すると同時に、敵のモズレー歩兵戦車(日本陸軍は一般的に重戦車と呼称)も動き始める。
のろいな。
妹尾がモズレー歩兵戦車の機動に関して抱いた感想は、それだった。
妹尾の中隊は、斜面を登る形の不利な状況での戦闘を強いられていたが、それでも優位に戦闘を進めつつある。路外の機動性と速度ににおいて二式重戦車モズレー歩兵戦車に勝っており、比較的早期に有利な位置への移動に成功していたからだ。
モズレー歩兵戦車の機動力は、お世辞にも高くない。低速での悪路走破性には目を見張るものがあったけれど、この丘には簡易トーチカと塹壕こそ存在したが対戦車壕もなければ、高い堤もない。
地面はぬかるんでいたが、二式重戦車は幅広の履帯を装備しており、泥濘には強かったしエンジン馬力も高かった。悪路走破性は二式重戦車も相応に高いのだ。
それに、二式重戦車の重量あたりの馬力はモズレー歩兵戦車よりはるかに高く、四号戦車と大差ないレベルにある。
そもそも、二式重戦車は機動性以外の多くの面において、モズレー歩兵戦車より優位にある。
位置関係さえ有利に出来れば、奇襲以外では恐ろしい相手ではないのだ。
そして、初期の奇襲は装甲の厚さと相手のミス、そして幸運の結果、こちらは無傷で乗り切っている。
こちらの優位は、ほぼ確定的だったのだ。
ペリスコープの中で、一両のモズレー歩兵戦車が煙を吹き出して停車した。彼我の距離は600メートルを切っている。この距離はさすがに二式重戦車でも危険な距離だったが、同時にあらゆる角度でモズレー歩兵戦車を撃破可能な距離でもあった。
機動性で優位に立っている二式重戦車は、モズレー歩兵戦車を翻弄していた。数的優位も妹尾達の側にある。
勝ったな。
妹尾はそう判断した。
既に半数のモズレー歩兵戦車が撃破されており、残りも妹尾の中隊に包囲されつつある。こちらも1両が撃破されていたが、十分に許容範囲内だ。
周囲の簡易トーチカも近衛師団の歩兵大隊が展開し、装甲兵車に装備された重機関銃の支援を受けながら、9ム砲の直射により破壊を行なっていた。大部分のトーチカからは煙が出ており、こちらも掃除が終わりそうな状況だった。
流石に練度が高い。
歩兵たちは無駄のない動きで、トーチカを破壊している。対戦車分隊と思われる連中は、妹尾たちのバックアップが可能な位置に常に存在していた。
共同訓練が足りない、という不安は杞憂だったのかもしれない。
このまま行けば、こちらの勝利は揺るがない。
「5号車より、中隊全車に緊急。9時方向より敵戦車の増援。数は12。距離4000」
妹尾は内心で舌打ちする。自分への叱責だ。
楽観が過ぎたか。情報を頭から信じすぎていた。もう少し、疑うべきだったな。
比較的遠距離で見つけられたのは、幸運だった。この辺りは植生が薄くなっており見晴らしが良いし、高台でもあるからだろう。敵が来るまで10分程度は時間が有るということだ。
「敵はクルセイダーの模様」
5号車から追加の連絡が入る。
妹尾は少しだけ安心した。
クルセイダーは巡航戦車だ。
日本軍で言うところの中戦車と軽戦車の中間的な性格を持った戦車である。火力は5センチ砲を装備しており、侮ることは出来ないが、装甲はモズレー歩兵戦車と比べるなら遥かに薄い。
性能的にライバルと言えるのは、九七式中戦車改辺りが該当するだろう。
機動性はともかく、火力と装甲では二式重戦車が圧倒的に優っている。12両程度が相手なら、妹尾の中隊は余程にヘマをしない限り、損害なしで撃破出来る。
その程度の自信はあった。
ただ、現状で妹尾の中隊を全部動かすわけには行かなかった。モズレー歩兵戦車が未だ6両生き残っていたからだ。
この6両を撃破するまで、中隊全車をクルセイダー巡航戦車に向ける訳にはいかない。
だが、同時にクルセイダー巡航戦車を放置することも出来なかった。
クルセイダーの主砲である60口径5センチ砲は、側面からであれば二式重戦車を十分に撃破可能だ。モズレー歩兵戦車に集中してしまうと、側面や後背から攻撃を受け、損害が多くなるだろう。
それ以上に問題になるのは、クルセイダー巡航戦車が歩兵達の攻撃に向かった場合だ。歩兵たちは9ム砲やロタ砲を装備していたから、一定の対戦車能力は持っている。だが、歩兵単体で敵戦車と戦わせるのは、流石に酷だった。被害が無視できないものになってしまう。
妹尾は数瞬、迷った後決断する。歩兵大隊の隊長に連絡を入れることにしたのだ。戦車単体でも、歩兵単体でもイレギュラーであるクルセイダー巡航戦車に対抗するのは無理がある。
なら、双方が共同すればいい。
連携については多少の不安がある。だが、単純な戦術であれば可能なはずだった。
近衛の歩兵の練度は、彼の目から見ても非常に高い。
問題はないだろう。
「大尉殿。敵戦車の増援が近づいています。援護を頂きたい」
「君等だけでは対応は無理なのか?」
「我々だけでは、手が足りません。敵重戦車も残っています。どうしても漏れが出ます」
「了解した。対戦車分隊を全部回す。ただ、展開には時間がかかる。時間を稼いでくれ」
「ありがとう御座います」
これでいい、と妹尾は思った。対戦車分隊が展開するまで、我々は時間を稼ぐだけでいい。
「1号車から4号車はクルセイダーを食い止める。残りはモズレーに止めを刺せ。指揮は5号車に委任する」
妹尾は、自らクルセイダー巡航戦車の撃破に向かうことにした。
モズレー歩兵戦車は、このまま行けば封殺できる。余程どでかいヘマをしなければ、ではあるが。
5号車の車長、つまり第二小隊の隊長はそんなヘマをする人間ではないと妹尾は確信していた。数的に有利であるし、まず、間違いはない。
対して、クルセイダー巡航戦車の相手は、数的に不利な状況で足止めを行う必要があった。また、妹尾の部隊は近衛との連携訓練をしていなかったから、その分のマージンを取る必要もある。
そんな状況では、自分が責任を持つ必要があった。
だから、妹尾は直率する第一小隊での迎撃を決断したのだ。
妹尾は小隊の4両を率いてゆっくりと後退し、物陰に入ったところで方向転換。そのまま、クルセイダー巡航戦車の予測進路上へ向かう。
妹尾は待ち伏せを行うつもりだった。
二式重戦車の数的不利を、少しでも補うためだ。
接近戦に持ち込まれたなら、二式重戦車は不利だった。
妹尾は急いで4両の配置を決める。彼は二式重戦車を丘の影に隠れるように配置した。
主砲に俯角をかけ、砲塔のみを出して敵を狙う。
稜線射撃というやつだ。
二式重戦車は中戦車より、やや車高が高い。その分、主砲の俯角が大きくとれる。稜線射撃には向いた車両だった。
「敵戦車、距離2000」
「ギリギリだったな」
妹尾は安堵の声を漏らす。クルセイダー巡航戦車は、泥濘に足を取られたのか、予想よりは接近は遅かった。
幸運だった。
これなら、接近されるまでに確実に数を減らす事ができる。
敵戦車は丘の下を走行していた。視界は開けており、非常に狙いやすい状態だ。
「一号車より全車へ。距離1500で射撃を開始する。外すなよ」
妹尾の命令に、部下たちから了解の声が帰ってきた。1500メートルでの射撃は、高初速をもってならす、二式重戦車の主砲でも命中に難がある距離だ。
動いている戦車に砲弾を当てるには熟練を要求されるし、しかも相手は比較的高速な巡航戦車だ。本来ならば、もう少し近距離で射撃をスべきなのかもしれない。
だが、妹尾は命中弾を出せると確信していた。二式重戦車はその重量から砲撃時の安定性が高く、また二式重戦車の光学照準装置はそれが可能な性能を持っている。
そして何より、妹尾は部下たちを信じていた。
彼の部下は、本土で教官が務まるような連中ばかりだ。少しぐらい目標の速度があろうとも、少しぐらい距離が離れていようとも、当ててくれるはずだ。
「距離1500」
「てっ」
4発の90ミリ砲弾が、クルセイダー巡航戦車に向けて発射される。
まっすぐと進んだその砲弾は、3発がクルセイダーに命中した。一式徹甲弾は100ミリを超える貫通力を持っている。
クルセイダー巡航戦車の装甲厚は最大で50ミリ程度だ。余程浅い角度で当たらない限り、二式重戦車の砲弾は貫通する。
敵戦車に命中した3発は全てが貫通した。
砲弾が命中した3両のうち一両は爆発し、残りは黒煙を履きあげて停車する。
生き残ったクルセイダーは、戸惑ったようだった。
彼等にとって、妹尾の小隊の攻撃は完全な奇襲だったからだ。彼等にとって、1500メートルのからの砲撃は想定外だった。
彼らが今まで戦ってきた九七式中戦車改は、クルセイダーより性能で優っていたが、そんな長距離からは砲撃して来なかったからだ。
彼等は重戦車が居る、という話は聞いていた。しかし、彼等は彼等の常識に従い、それほどの長距離からの砲撃を想定していなかった。
好機だった。
「弾種、徹甲。再装填急げ」
妹尾はもう少し数を減らしておきたい、と考える。上手く行けば、敵を撃滅出来るかもしれない。そうすれば、歩兵たちに苦労をかけずに済む。歩兵による対戦車戦闘とは、非常な危険を伴う作業なのだ。しなくてよいなら、それに越したことはない。
「装填完了」
「てっ」
装填手の報告と同時に、妹尾は砲撃の命令を出す。
今回は1発が命中し、1両のクルセイダーが動きを止める。
さすがに2射目を受けた時点で、敵は妹尾達に気づいたようだった。こちらに向けて、進みはじめる。
残った9両のクルセイダーは、蛇行を繰り返しこちらに接近していた。
予想以上に速度が早い。
妹尾はクルセイダーの速度に驚愕した。
クルセイダーは巡航戦車だ。装甲よりも速度を重視して設計される事が多い戦車である。
一般的にクルセイダーは、路上で時速50キロ程度の最高速度を出せる。路外機動性にやや難があったり、エンジン周りの信頼性には問題はあったが、他国の同規模の戦車よりは高速だった。もちろん、装甲は相応に薄いが。
この時期、イギリス軍戦車部隊では、クルセイダー巡航戦車に改造を施すことが流行していた。車両の調速機を取り外して、最高速度を上げる改造だ。
もちろん訓示により、この手の改造は禁止されている。信頼性が大きく低下するためだ。
だが、イギリス軍の前線部隊の多くはこの訓示を無視していた。
装甲が薄く、火力も平凡なクルセイダー巡航戦車が、前線で戦果を上げつつ生き残るには、敵戦車からの砲弾を回避し、接近するしかないからだ。
調速機を取り外したクルセイダーは、最大で時速60キロにも達する速度を発揮可能となっていた。これは下手な軽戦車よりも早い速度だ。驚異的と言ってもいい。
クルセイダーが機動しているのは不整地だ。流石に最大速度は出せない。だが、時速40キロ程度は出せている。
この速度で蛇行されると、流石に命中弾を出すことは難しかった。
妹尾は第3射目の射撃を命じる。
だが、小隊の砲弾は1発も命中しなかった。
流石に限界か。
妹尾はそう感じる。
既にクルセイダーと二式重戦車の距離は、1000メートルを切っていた。
敵はこちらの側面に回りこもうとしている。
そろそろ移動すべきだった。
枢軸軍には、最近、高速徹甲弾が配備され始めていた。
ソ連から少量ではあったが、タングステンの安定供給を受けられる様になったからだ。
ソ連はノモンハン事変と冬戦争により、自軍の装備の旧式化を痛いほど思い知っており、装備更新のための工作機械を欲していた。ソ連は枢軸国にその工作機械を求めたのだ。
この時期、ドイツとイギリスは主力戦車を新型に更新し始めていた。そのため、旧生産ラインで使用されていた、旧式の工作機械が余剰となり始めており、それらがソ連に売却されていたのだ。
戦車生産ラインの切り替えにより、ドイツやイギリスの戦車生産量はこの時期、やや落ち込んでいる。だが、日米の新戦車に対応するために必要な措置だった。
そのため、生産ラインの切り替えは一部の前線指揮官の反対を押し切って強硬されていた。そして、そのライン切り替えにより発生した余剰工作機械はソ連に輸出され、枢軸国にとって貴重な各種資源と交換されていたのだ。
そのため、最近では前線でも枢軸国は高速徹甲弾を運用し始めていた。
絶対数は少なく、切り札としての運用されることがほとんどであったが、連合国の戦車にとって十分な脅威となっていたのだ。
そのため、妹尾はクルセイダーの接近を許すわけにはいかなかった。正面装甲はまだしも、側面であれば貫通される可能性が高い。機動性においては、改造を施されたクルセイダーは二式重戦車を大きく上回っている。
妹尾は小隊をゆっくりと後退させ始めた。二両づつ交互に砲撃をしながらの後退である。
砲撃により、クルセイダーを牽制し、その間に後退するのだ。クルセイダーの主砲は距離的に、二式重戦車の致命傷とはならない。だが、二式重戦車の主砲はクルセイダーを容易に葬り去れる。
少なくとも火力において、二式重戦車がクルセイダーを大きく上回っていることは、イギリス兵の印象に染み付いていた。そのため、彼等の回避運動は大きくなる。反撃の砲撃も行うから、二式重戦車への接近速度は大きく鈍った。
その後は、ゆっくりとした追いかけっこだった。
妹尾達の射撃は牽制であるから、ほとんど当たらない。まぐれ当たりに近い形で一両を撃破したが、それだけだった。
対してクルセイダーの砲撃は、数が多いこともあり数発が命中する。しかし、高速徹甲弾は遠距離では貫通力が低く、効果的ではなかった。そのため、妹尾達には被害はない。
現実的に言うなら、この時点でイギリス戦車部隊の隊長は、後退をするべきだった。だが、この隊長はブキッ・ティマ地区の重要さを理解していた。何がなんでも防衛する必要があることを、痛いぐらいに理解していたのだ。
そのため、彼は攻撃を強硬した。
彼は日本軍がが重戦車を投入していることは理解していた。だが、高速徹甲弾がある。接近すればなんとかなる、と考えたのだ。
事実、敵の重戦車の速度は遅い。
牽制砲撃で足止めを食っているが、蛇行していることを計算に入れても、クルセイダーの方が早かった。そのため、彼は追いつけると考えたのだ。
その判断自体は間違っていない。
確かに、クルセイダーの足ならば、幾ら牽制を受けているとしても二式重戦車には追いつける。
ただ、イギリス戦車隊の隊長はひとつのミスを犯していた。
それは、日本陸軍が歩兵を展開している、という事実を軽視していた点だ。
そろそろか。
妹尾は考える。
出来るなら、歩兵の手は煩わせたくなかったんだがな。意外に、敵さんは粘る。仕方ないが、歩兵にも手伝ってもらうか。
妹尾のもとには先ほど、近衛の歩兵大隊から連絡が来ていた。対戦車分隊の展開が終わった、という連絡だ。予想よりも早い連絡だった。
日本陸軍は歩兵中隊の配下に対戦車分隊を配していた。対戦車分隊は二式対戦車噴進弾発射機、ロタ砲を装備し、対戦車戦闘を主任務とした部隊だ。1個分隊につき、ロタ砲4門が配備されており、対戦車火力は高い。
あくまでも、歩兵としては、だが。
近衛の歩兵大隊には、合計で4個分隊の対戦車分隊が存在し、計16門のロタ砲が存在していた。
妹尾は対戦車分隊が展開している位置へと、クルセイダーを誘い出していた。
数的に勝る相手との戦闘が多い彼等にとっては、既に常套戦術だ。
灌木の影で閃光が光って数瞬後、クルセイダーの側面に複数の爆発が発生する。
4両のクルセイダーが、爆風か黒煙を上げて停止する。
対戦車分隊は各分隊で一両の戦車を狙う戦術を多用している。ロタ砲は角度によっては戦車に致命傷を与えることが出来ない場合があるからだ。そのため、複数のロタ砲で敵戦車の側面や後背を狙うのが、この時期すでに常識となっていた。
クルセイダーは残り4両。既に当初の三分の一にまで戦力を落としていた。
彼等は後退を開始する。
流石にここまで戦力を削られては、衝力を維持できないからだ。あるいは、対戦車分隊が撃破した車両の中に、隊長車が含まれていたのかもしれない。
妹尾は彼らを追わなかった。
何よりもまず、この丘を占領し、ブキッ・ティマ地区の支配を確固たるものにすることが先決だったからだ。
それに、巡航戦車4両程度の戦力であれば、妹尾の中隊と近衛の歩兵大隊に取って致命的な損害を与えることは出来ない、という点もあった。
妹尾は小隊を率いて、陣地攻略に戻る。
陣地は夕方までには陥落した。
枢軸国シンガポール方面軍司令部が降伏を申し出るのは、その3日後ことだった。




