第五章 第七話
闇夜の向こうから、曳光弾が自分たち目掛けて飛んできていた。頭の上を、弾丸がピュンピュンと飛んでゆくのは、心臓に悪いことこの上がない。
笠森が率いる小隊は、敵軍の抵抗にぶち当たっていた。抵抗と言っても、軽機関銃数丁と1個小隊程度の歩兵部隊が居るだけだ。
だが、迅速な移動のために色んな物をかなぐり捨ててきた笠森達にとっては、厄介な相手なのだ。
望月軍曹が気づいたことだが、敵機関銃は数十秒に一度程度の頻度で一丁が射撃を停止している。ただ、その隙は短い。弾倉交換式なのだろう。
また、その短い隙は、周囲の機関銃や小銃が連携をし、カバーしていた。
練度の高い部隊と言える。
また、機関銃の大威力も厄介だった。
敵の軽機関銃は、笠森達が足にしていた一式半装軌式装甲兵車1両を撃破していた。
一式半装軌式装甲兵車は、最厚部で15ミリ、薄い部分で6ミリ程度の装甲を持っている。一般的な機銃弾や砲弾の破片であれば、十分に防ぐことができる厚さだ。
だが、敵の軽機関銃弾は近距離、側面からの奇襲とは言えその装甲を抜いた。笠森はドイツ軍とかち合ったのだろう、と思っていた。
ドイツ軍が制式採用している7.92ミリ弾は、徹甲弾を使用すれば100メートルの距離からでも、10ミリ程度の装甲は貫通できる。
敵の軽機関銃は箱型弾倉を使用しているらしく、給弾の間隔が短い反面、弾倉交換に要する時間も短い。小銃も半自動式で発射速度が大きく、面倒だった。
その上、相手は土嚢を積み上げた、簡易的な陣地にこもっても居る。その陣地は道の両側一箇所づつ、門番のように築きあげられ、十字砲火を浴びせてきている。
なかなか、やっかいな状況だった。
この時期、ドイツは自国陸軍の歩兵装備に大きな改変を加えていた。
小銃はボルトアクション式のKar98Kから、半自動式のGew43へ、分隊配備の軽機関銃はMG26へ、中隊配下の重火器小隊の機関銃はMG34乃至はMG42へ変更されている。
特に小銃の更新と軽機関銃の導入が大きな変更点だった。
Gew43は20発または30発入りの着脱式弾倉を利用する、半自動小銃だ。チェコのZH-29や欧州戦中にアメリカからイギリスへの援助物資として送られた、M1ガーランドを解析して設計されている。
設計はワルサー社であったが、生産にはモーゼル社やチェコのスコダ社、ブルノ兵器廠なども参加していた。
42年から生産が行われており、既に40万丁以上が生産され、一線級部隊を中心に配備が進んでいる。
軽機関銃のMG26は、元々はチェコのブルノ兵器廠が1920年代に設計、生産した軽機関銃ZB26を改良した上で、ドイツ陸軍が制式に採用した機関銃だった。
ZB26は信頼性が高く、比較的軽量で、威力の強い銃弾を使用していたことから、各国に輸出された傑作だ。
ポーランド侵攻後のドイツ陸軍は、自国製機関銃であるMG34や42に一つの問題を感じていた。
重すぎるのだ。
MG34や42は、一丁辺り重量が11キロ以上もある。
ドラムマガジンを使用することで、軽機関銃的な任務もこなせたが、あまりにも重いのだ。発射速度も高く、弾薬消費が激しいから、弾薬運搬も考えると、1人での運用は難しかった。
対して、ZB26は9キログラムを切る軽量さであり、箱型弾倉は1人でも多数運べたし。また、弾倉交換も楽だ。
軽機関銃として純粋にZB26とMG34、MG42を比較した場合、ZB26のほうが、優秀だった。勿論、重機関銃としてはMG36やMG42のほうが遥かに優秀では有るのだが。
また、この時期MG34とMG42の生産量はドイツ軍の規模の肥大化速度に付いて行けておらず、一部部隊では旧式化した航空機用機銃を転用したMG15が用いられていた位だ。
MG26はチェコの施設がそのまま使え、生産能力も高かった。ラインさえ動かせば、ドイツ陸軍に優秀な軽機関銃を大量に配備可能だったのだ。
結果、ドイツ陸軍はZB26に生産省力化や省資源化等の改良を加えたものを、MG26として制式採用している。
MG26は、Gew43と同一の弾倉を利用していたから、断薬の融通も効いた。そのため、兵士の評判も良かった。
MG26はチェコやユーゴスラビア、フランス等ZB26をライセンス生産していた工場が、元からある地域は勿論、ポーランドやドイツ本国にも新規に工場が立てられ、膨大な量が生産されている。
これによりMG34とMG42は中隊配下に配備される、「軽機関銃としても使える重機関銃」となることになる。
現在、笠森達に射撃を加えているのは、状況から考えるとMG26を主火力に据えた、ドイツ陸軍歩兵小隊だろう。MG34やMG42がいないのは幸いと言えたが、それでも不利なのは変わりがない。
第18師団は枢軸国軍を補足するため、重火力の多くを後方に残置してきており、笠森の小隊は支援を望めない状況にいるのだ。
「9ム砲でふっ飛ばしますか?」
望月軍曹が提案した。
笠森はしばしの間考える。
「・・・・・・いや、それだけだと不安だ。9ム砲と擲弾筒、両方の一斉射撃をやろう。それが一番いい、と思う」
笠森は少し弱気になりながら言った。だが、望月は特に反論を言わなかった。ただ、わかりました、と言っただけだ。それなりに妥当だと判断したのだろう。
9ム砲は構造上、発射時に猛烈に目立つ。バックブラストの爆風が吹き出すからだ。
この弾幕だと、全ての機関銃を同時に倒さない限り、射撃後の9ム砲には射撃が集中するだろう。
今の笠森の小隊にとって、9ム砲の火力は貴重だ。
これを失った状態で装甲目標にぶち当たると、なす術がない。そういうレベルでの貴重さだ。
ただ、この陣地をぼやっと見ているだけというわけにも行かない。
今の日本軍にとって、時間は酷く貴重なのだ。
そのため、笠森はこの門番のような陣地に、擲弾筒と9ム砲の一斉射撃という、歩兵小隊の実質的な最大火力投下によって対応しようとしていた。
現在、近衛師団が立て篭もる陣地は、敵軍の激しい攻撃にさらされている。彼等はよく持ちこたえていたが、その粘りが何時までも続くとは思えない。
実際問題、第25軍本部から第18師団へは、矢の催促が来ているという。
第18師団の司令部からも、敵輸送部隊への攻撃を急ぐように命令が出ていた。笠森のような末端にまで、上層部の直接命令が届くということは、上層部が相当に焦っているということだ。
笠森はこれと同じ状態を、商社時代に経験していた。
あれは、アメリカの穀物メジャーとの取引がこじれた時だったなぁ。
そんなことを思い出す。あの時の上層部の焦り様は酷いものだった。営業部の朝の訓示に社長が顔を出したぐらいだ。
そんな、くだらないことを思い出し、笠森はニヤける。こんな状況でも、意外と余裕のある自分が面白かった。
笠森の所属する第18師団は、第25軍主力から分離して行動していた。枢軸軍主力の後方へ回りこむためだ。
第18師団はクアラルンプール西方のクランから、舟艇により出撃し、北上している。
クランの港はクアラルンプール陥落の翌日に、第18師団により確保されていた。抵抗はほぼなく、容易に制圧されている。
彼等はその翌日から、舟艇による機動を開始していた。
日本軍は大発や小発を分解して、あるいはそのままトラックに乗せてクランまで運び、組立て、海上を機動したのだ。
勿論、貿易港であるクランで徴発した船舶も大いに利用していたが。
日本軍は、それらの舟艇、船舶により100キロほど北上、海岸線からペラ川をさかのぼり、マレー西部の都市、テロックインタンを確保した。
テロックインタンには、守備隊はさほど残されておらず、また戦意も低かったため、すぐに降伏。第18師団はあまり手間取らずに港湾設備と市街の制圧に成功している。
第18師団はテロックインタンの港湾施設を活用して、必要な部隊と物資の短時間で揚陸。
そして、彼等は即日で行動を起こしていた。
テロックインタンから幹線道路へと部隊を急進させ、一気に枢軸軍の後を追い始めたのだ。
彼等は100キロほどの距離を、僅か24時間で駆け抜けていた。
高度に機械化された第18師団ではあったが、この急進撃のために、いろんなものを捨てていた。
例えば重量があり、やや機動性に難のある野戦重砲連隊はクアラルンプールに残置されていた。
また、捜索連隊の中戦車や砲戦車連隊も後方に置き去りにされ、装甲車ばかりが前面に出ている。最前線の歩兵部隊が救援を期待できる装甲車両は、実質的に捜索連隊の装甲車だけだった。
だがその装甲車も、先ほどイギリス軍のものと思しき装甲車両との戦闘に入る、との通信が着ている。救援は期待できない。
笠森の小隊は事実上、第18師団の先頭だった。
他の部隊は敵の装甲車部隊や、歩兵部隊に捕まっている。笠森達が進まねば、作戦目標を撃破出来ない。
「『アオイ1番』より、前分隊へ。軽機と小銃で牽制して、9ム砲と擲弾筒を打ち込む。砲撃の合図はこちらが支持する。『アオイ1番』と『アオイ2番』は右。『アオイ3番』は左。『アオイ4番』は左を優先に火力を左右に分けろ。右に1発、左に2発だ」
笠森はハンディトーキーで配下の全員に命令を下す。各分隊長から、了解の応答が帰ってきた。
笠森は直率する分隊に対し、小銃と軽機の射撃準備と、9ム砲の砲撃準備を命じる。望月が補佐をし、9ム砲の砲手は伏射の体制を取った。砲身に対して体を10度ほど開く、少し変わった伏射姿勢だ。
無反動砲は構造上、後方に火薬ガスを吹き出す。そのガスを避けるために体をずらすのだ。
望月は兵士達に9ム砲の後方に入らないよう、厳重に注意を出していた。9ム砲の火薬ガス、バックブラストは人間を容易に焦がす事ができるのだ。近距離であれば、吹き飛ばすことすら出来る。
「こちら『アオイ2番』。射撃、砲撃準備よし」
「こちら『アオイ3番』。こちらも射撃、砲撃準備よし」
「こちら『アオイ4番』。擲弾筒準備よし」
「うちの分隊も準備出来ました」
望月が匍匐前進で近づいて来て言った。
準備は出来たようだった。
「全隊小銃、軽機、射撃始め!」
笠森の号令とともに、小銃と軽機関銃から射撃が開始される。
口径が小さい分、やや日本側の軽機関銃は威力が劣るが、自動小銃の存在がその問題を補っていた。
日本軍の九七式自動小銃は、短時間ならば軽機関銃のように全自動射撃が出来る。
一発辺りの破壊力の低さを、弾数で覆い隠したのだ。
瞬間的に膨大な量の弾丸を打ち込まれた、ドイツ軍陣地は一瞬、沈黙する。
笠森の小隊の瞬間火力が、ドイツ軍をして射撃体勢を取ることを躊躇させたのだ。
「9ム砲、擲弾筒、射撃用意」
笠森がハンディトーキーに叫ぶ。
砲手達が、敵陣地に狙いをつけた。照準良しの報告が、ハンディトーキーから入る。
「テッ」
笠森の号令から極わずかな間を置いて、轟音が響き渡る。
9ム砲も擲弾筒も、発射音は非常に大きい。知らない者が聞けば、野砲の射撃音と誤解しかねない程の音だ。
そして、その大音響とほぼ同時に、敵の陣地が吹き飛ぶ。
小銃弾を防ぐ程度の備えしかしていない土嚢陣地は、90ミリと50ミリの砲弾、複数発の爆発は防げなかったのだ。
敵の陣地は完全に沈黙した。
望月が手配した数名の兵士が、それぞれの陣地に確認に向かう。
数分して、数名が負傷して生き残っているとの報告が入ってきた。
「どうします?」
「置いていくしかないよ」
見張りは何人か残していくし、武装は取り上げるけどね。
望月の質問に、笠森はため息をつきながら言った。
今の笠森達には、捕虜を取る余裕はない。
後続は近づいているだろうが、それを待つ時間的な余裕も笠森の小隊にはなかった。
第18師団の作戦目標は、枢軸軍主力の輸送部隊だった。
この輸送部隊は、枢軸軍の作戦行動の全てを支えていると言っても、過言ではない存在だ。
これを撃破すれば、枢軸軍主力は継戦能力を失う。そこらの装甲車や陣地などより、よほどに価値のある相手だった。
笠森は、数名程度の兵士を敵負傷兵の監視に残し、生き残った一式半装軌式装甲兵車で先を急ぐ。
先ほどの敵陣地は、コマンド部隊や現地人のゲリラ部隊の襲撃から、輸送部隊を守るための監視陣地のはずだ。
敵の輸送部隊はそれほど遠くないはずだった。
5分程走ると、トラックの尻が見えて来る。周辺には敵兵が居たが、装甲兵車の12.7ミリ重機関銃による掃射で、簡単に逃げ出した。制服から見るに、イギリス軍のようだったが、随分と戦意が低いようだ。
もしかしたら、イギリス・インド軍だったのかもな。
笠森はぼんやりとそんなことを思う。
士官の間では、イギリス・インド軍や現地人の兵隊の士気が酷く低い、という噂が流れていた。
クアンタンの防衛についていたイギリス・インド軍が、あっさりと降伏したことから出た噂だ。
所詮は噂だ。
鵜呑みには出来ない。
だが、笠森はそれなりに信ぴょう性のある話だ、と思っている。彼は商社時代にインド方面の情報収集も担当したことが有る。そのため、インドでは独立闘争が発生している上に、海外にも多数のインド人独立家がいることを知っていた。
その上、イギリスは第1次世界大戦後にインドへ自治を与える、という約束を反故にしている。インド人の戦意が高いと考えるほうが可怪しいのだ。
笠森たちは、トラックに接近する。周囲には敵兵はいなかった。既に逃げ散っていたのだ。
「始めよう。誘爆に気をつけて」
笠森が兵士たちに命じる。
彼等は散開すると、それぞれトラックの運転席や荷台に、サイダー瓶を叩きつける。
サイダー瓶は割れると同時に、その内容物を撒き散らしながら引火した。
火炎瓶だ。
今回使用された火炎瓶は簡易的なもので、工兵、あるいは歩兵たちによる手作りの品だった。
敵がトラックであることを知った兵士が、手榴弾や9ム砲では弾が足りないと判断し、勝手に作成したのだ。フィンランド軍直伝の火炎瓶には、発火剤を仕込んであったから、ボロ布に点火する手間もない。
なかなか便利だ。
中身については、テロックインタン市内で軍票により購入したり、ガソリンエンジンの舟艇の燃料をちょろまかしていた。
日本陸軍は規則の上では、火炎瓶は自爆の危険が非常に高いため、作ることを容認してはいない。
だが、この辺の「兵士の自主性」に関しては、日本陸軍は黙認する傾向が強い組織でもあった。笠森も役に立ちそうだから、という理由で黙認している。
燃料でも積んでいたのだろう。一台のトラックが爆発的に燃焼する。周囲には派手に火の粉が舞い散り、火傷しそうな程の熱線が笠森のところまで届いていた、
兵士たちは、それを尻目に次々とトラックへ火炎瓶を投げつけていた。
ちょっともったいない気もする。
だが、別にこれらの物資がなくても、日本軍は戦えるのだ。
あれば便利ではある。だが、その程度の存在だった。
この夜、笠森の小隊の戦果だけで50台以上のトラックとその積荷が焼却された。
第18師団に同行していたアメリカ人記者により、「クアラルンプールのバーベキュー」と名付けられた、この攻撃により枢軸軍主力3個師団は、戦闘継続能力を喪失。
第25軍へと降伏することになる。
笠森の小隊は、敵輸送部隊への先陣を切ったとして、山下中将より部隊感状と、煙草の特配が出ることになる。
ただ、それは先の話だ。
笠森はそんな未来のことはわからないし、どうでもよいのだ。
今の笠森には、髪の毛に燃え移った火の粉をどうするかの方が重要な問題だった。




