第五章 第六話
妹尾の乗車から発射された一式徹甲弾は、四号戦車の正面装甲を容易く貫通した。
四号戦車は最新のH型だろう。正面装甲が80ミリにまで強化され、主砲は48口径75ミリ砲に変更されている。マズルブレーキの形状がそれまでとは変わっているから、簡単に見分けがついた。
強力な戦車であり、九七式中戦車改でも正面からの対抗は危険な存在だ。
だが、三式中戦車なら性能面で優越している。
三式中戦車に装備されている、五六口径二式七五粍戦車砲の初速は高い。貫通力は一式徹甲弾(APCBC)であっても1000メートルの距離で130ミリを超える。四号戦車相手なら、例え2000メートル離れていてもよほど浅い角度で当たらない限り、撃破可能だ。
瞬く間に、6両の四号戦車が撃破された。
防衛線を突破した敵戦車は12両であったから、すでに半数が撃破されたことになる。
敵戦車は後退を開始した。
妹尾の中隊に対して数的に不利であったし、僅かに6両ではその後の衝撃力を維持できないからだ。
「こちらも引くぞ。燃料と弾薬を補給する」
後は歩兵と、師団付属の捜索連隊の九七式中戦車改で対応できるだろう。
妹尾はそう判断すると、中隊全車に後退を指示する。追撃をしない理由の一つは、こちらも追撃できるほどには燃料弾薬には余裕が無いという面もあった。
燃費の良いディーゼルエンジンでも、流石に朝から5時間以上も戦闘機動を続けていれば、燃料タンクは底をつきかけている。弾薬も、徹甲弾の残弾は両手で数えられるぐらいにまで減っていた。
クアラルンプール北部での戦闘は、激化の一途をたどっている。
日本軍は近衛師団と第1独立重戦車連隊を主体として、マレー北部からクアラルンプールへ通じる幹線道路を、封鎖する形で陣地を構築し、防衛していた。
マレー半島北西部から、クアラルンプールへ向かう枢軸軍をせき止めるためだ。
日本軍は数的に不利であったし、陣地構築の時間もあまり足りてはいない。日本軍はクアラルンプールに到着してから、一週間程度しか余裕がなかったのだ。
だが、日本軍はクアンタンやコタバル、クアラトレンガヌの港湾を利用し、大量の重機を陸揚げしていた。また、4個独立工兵連隊も追加で上陸している。
日本陸軍の工兵隊はその豊富な重機を利用して、陣地を構築していたのだ。日本軍が構築した陣地は、短期間に構築されたものとしては破格の堅固さを持っていた。
その陣地は、相互に支援しあう複数の対戦車砲と、それらを支援する形で配置された機関銃を有した円形陣地を多数作成し、塹壕でそれらの陣地を接続している。その陣地の基幹となる円形陣地の多くは、自然の丘を利用して作られていたから、高所の有利も確保していた。
簡単な構造だった。だが、効率的でも有る。
円形陣地が多数存在するから、戦車や機械化部隊で一つの陣地を迂回しても、他方向から対戦車砲の砲撃を受けるのだ。また、一つの円形陣地を攻略しても、円形陣地がは複数ある。周囲の円形陣地が戦車や歩兵に向けて,射撃を実施できた。
そして、その円形陣地群の後方には砲兵が展開していたから、敵軍は突撃前に砲撃にさらされることにもなる。
なかなかいやらしい作りだった。
円形陣地の数は、現時点ですでに20を超えている。戦線後方では、独立工兵連隊が未だに円形陣地を作り続けており、予備陣地も多数あった。そのため、兵員と装備の移動を成功させれば、予備陣地はすぐに戦闘力を発揮できる。
そのため、日本陸軍は陣地が危険だと判断すると、比較的早期に陣地を交代していた。
日本軍歩兵師団には対戦車砲を牽引するため、装甲牽引車両が多数装備されていた。また、これまでの戦闘で鹵獲したユニバーサル・キャリアやルノーUE牽引車、ドイツ製ハーフトラックなども多数保有している。
彼等はこれらの車輌を活用して、迅速な陣地転換を幾度も成功させていた。
陣地転換を実施した部隊は、対戦車砲や機関銃などの装備を据付け、抵抗を継続するのだ。
枢軸軍は、日本軍の3倍の戦力で攻撃を継続していたが、未だに日本軍の陣地を抜けてはいない。
縦深が深い上に、陣地の構造上、小規模な迂回は無意味であるからだ。
大規模、例えば数十キロ単位で迂回する場合は、マレー半島の地形と時間が問題となる。彼等が戦闘しているクアラルンプールの北は東部に山岳地帯、西部に平野部を備えていた。
東部は険しい山岳地帯であったから、迂回は困難だったし、西部は平野とは言え行軍に適した道路は存在しない。
また、この時期のマレー半島は雨季だった。幹線道路が存在しないと言うことは、つまり橋もない、ということだ。
西岸に迂回した場合、枢軸軍は大量の降水により増水した河川を、迅速に渡河する必要がある。迅速な渡河ができない場合、日本軍の予備部隊によって渡河中の部隊が攻撃されてしまうからだろう。そうなれば、多少の数の差など無いも同然だ。
だが、渡河能力に劣る枢軸軍にとって、迅速な渡河は難しいことだった。
しかも、枢軸軍には時間もない。
日本空軍はコタバル制圧以後、一式陸攻でマレー半島西海域での商船攻撃を行なっていた。そのため、枢軸軍は補給が難しい状態が続いている。
食料に関しては、現地で調達できた。マレー半島はニューギニア島とは異なり、人口が密集しており食料生産力も高い。
だが、燃料弾薬については別だった。
マレー半島は自動車化が進んでいない地域だ。自動車用燃料は軍事基地以外には、ほとんど備蓄がなかったし、弾薬は言うまでもない。
ジットラには弾薬と燃料の備蓄はあったが、陸路以外に枢軸軍は運ぶ手段がなかった。陸路は効率が悪かったし、日本空軍の襲撃によって妨害もされているのだ。
対して日本側は補給路として、陸路と同時に河川も利用していた。また、枢軸側の航空機による妨害も最低限まで抑えられている。
可搬式電探の大量運び入れが、間に合ったからだ。これは日本国内の電探網の一部を構成している可搬式電探を運び込んだため、可能となったことだった。
クアンタン攻略時に発生した、「奇襲的空襲」の問題を再発させないための臨時措置だ。
日本本土の防空能力はこの時期、大きく低下している。だが、マレーにおける日本軍の補給網はこの緊急措置により、防御が固められた形になった。
ただ、この陣地は堅い防衛線ではあるが、薄い部分が無いわけではない。
特に陣地交代時にはどうしても隙ができる。その穴を埋めるのが、第1独立重戦車連隊だった。
妹尾の中隊は、基本的に待ちぶせ戦闘を中心に投入されている。飛田大佐の指示だった。彼等は、移動可能な対戦車陣地として運用されているのだ。
ただ、その待ちぶせも、ここ2時間ばかりで急激にタイミングがシビアなものになってきている。
かなり、押されているのだ。
枢軸軍はこの主力が撃破されると、後は二線級の警備部隊ばかりになる。シンガポールには、まだ2個師団の戦力が篭ってはいる。ただ、彼等の主力はイギリス・インド軍とマレー人の部隊であり、士気は低い。
また、日本陸軍の奇襲上陸により、昨日、後方のテロックインタン市が制圧されたとの情報も入っていた。枢軸軍は、短期間でこの陣地を抜かない限り、そのまま枯死する運命に有る。
この陣地に攻撃を仕掛けている枢軸軍は、実質的に背水だ。気迫がちがった。
妹尾の中隊は細道を10キロほど後退したところで、トラックの集団とかち合った。
補給部隊だ。
30台を超えるトラックと燃料運搬車が、大量の弾薬と燃料を積載して、彼等を待っていた。
「お疲れ様です。どうぞ、水と塩です。温いですが」
妹尾が三式中戦車を降りると、まだ若い少尉が水筒と錠剤を差し出しながら言った。
年齢や軍服の着方(軍歴が長いと、怒られない程度の着崩し方を身につけるものだ)、言葉遣いから察するに、大学の予備士官訓練過程を経験していたか、大卒で臨時士官を志願したか、どちらかだろう。
最近の陸軍ではこういう若い士官が増えていた。特に、輜重科に多い。輜重科は事務仕事が多い裏方だ。大卒まで行った人間なら、どんな人間にでも使い道がある部署なのだ。この時期の日本の大学は「数学が苦手」な文系の人間であって、経理ぐらいはこなせるだけの学力を求めている。
輜重科は大量の人材を求めていた。彼等は戦争に伴う事務作業の激増により、書類に圧殺されそうな勢いだったからだ。
人事部門でも、よほど特定兵科から運動された人間以外は、基本的に輜重科に予備士官や臨時士官を回したぐらいだ。
つまり輜重科以外に配属される予備士官や臨時士官は、教官たちから何らかの才能を見込まれた存在だった。
最初、娑婆しか知らない士官というものに、いい顔をしない連中も少なくなかった。一部には、露骨に侮辱したり、喧嘩を仕掛けるものすら居た。
だが、その侮辱は一週間もしないうちに、ぱったりと止むことになる。
そういう行為をした人物がいる分隊や小隊で、露骨に飯がまずくなったからだ。
輜重科にどれだけクレームを入れても、「適正な量は送っています」の言葉しか帰ってこない。時間がたつと、今度は煙草までもが湿気る有様だ。
この現象は、部隊の指揮官か当事者が輜重科に直接出向いて、頭を下げるまで続いた。この現象が発生してからというもの、兵科だからと輜重科相手に威張る馬鹿はいなくなった。
自分の胃袋を握っているが誰なのかを、強制的に理解させられたからだ。
だから、妹尾はこの少尉に丁寧に接した。下手打って、飯の質が落ちたらたまらない。この地域はマラリアの汚染地域が近い。また、他の伝染病にかかる可能性は常に潜んでいる。その場合、モノを言うのは医薬品と栄養状態だ。
つまり、輜重科様の御心一つ。
妹尾は礼を言い、塩の錠剤と水筒を受け取ると、錠剤を噛み砕き、水をがぶ飲みする。
妹尾は全身に水が回るのを実感した。自分がどれだけ乾いていたのかが、嫌というほどにわかった。
妹尾が周囲を見回すと、補給部隊の兵士が戦車への燃料補給や弾薬を運び込みを行なっている傍らで、他の戦車兵達も妹尾と同じように水と塩を受け取っている。一部の兵士たちは地面にへたり込んですらいた。
彼らの大部分は装填手だ。
高温多湿の環境下、閉めきった戦車の中で重量物の運搬をする彼等の疲労は想像を絶する。腕の筋肉は熱を持ち、パンパンに張っているはずだ。
「少尉。申し訳ないが」
妹尾は努めて丁寧な言葉使いで言った。
「装填手達にもう少し水を分けてやってくれないか? 出来れば、連中の腕にかけてやりたい」
「ああ」
少尉は中隊の兵士を見て、納得したような顔をする。
「構いません。水なんて幾らでもあるんです」
少尉は微笑みながら言った。
防疫給水部ってとこで、新型の浄水器が開発されたんです。そいつを使えば、そこら辺の泥水でも清水になるんですよ。
彼はそんなことを言いながら、補給部隊の兵士に水の追加を命じた。
中隊の兵達の水筒に、新しい水が注がれる。装填手の中には、頭から水をかぶるものも居た。
これで少しはマシになるかな。
妹尾はそんな光景を眺めながら思う。ここ1時間ほどは装填速度の低下が著しかったのだ。装填手の疲労のためだった。
75ミリ砲弾は90ミリ砲弾よりは軽いが、それでもその重量は6キロを超える。
この時期、信頼性のある自動装填装置は未だ開発されていなかったから、装填は全てが人力だ。
装填手の疲労は装填速度の低下に直結していた。
これで、少しは装填速度も回復するだろう。根源的な原因除去、つまりは温かい食事と最低一日の休養、は行えないからその場しのぎだが、未だしばらくは持つはずだ。
不意に、妹尾の腹が鳴った。
急に空腹感を覚える。
考えて見れば、朝から何も食っていなかった。今はもう、15時を過ぎた時間だ。8時間程度は何も食っていないことになる。
腹に弾を食った時のことを考えるなら、飯を食うのは考えものだ。
飴でもいいから、甘いものはないだろうか?
そんな考えが頭をよぎる。士官学校時代にかじった栄養学では、疲労回復には糖分がいいと教えられていた。
だが、彼は飴玉もドロップも持っていない。
少尉に聞いてみるか?
そんなことを考えた時だった。
「中隊長殿。連隊本部から緊急です」
通信手の言葉に、妹尾は大きなため息を吐く。
今日の俺は飴も食えんらしい。
「少尉。補給は何分で終わるか?」
急に声をかけられた補給部隊の少尉は、アタフタと周囲の下士官に確認を取り、極わずかに考えた後に口を開いた。
「あと、10分です」
「悪いが、7分でやってくれ」
妹尾はそう言い残すと、自分の三式中戦車に飛び乗る。
連隊本部からの連絡は分かりきっていた。また、どこかで陣地転換が始まり、その時間稼ぎが必要なのだ。
妹尾は、今度は絶対にドロップを買って携帯しておこう。彼はそう心に決めて、無線機のスイッチを入れた。




