第五章 第五話
上空から見る限り、クアラルンプールの防衛ラインは有効に機能しているようだった。少なくとも、市街に敵の侵入を許してはいない。
こっちは大忙しだけどな。
高瀬は胸の中でそう愚痴ると、周囲を見回す。
視界の端に、小柄な双発機が引っかかった。エンジンの先端は尖っている。
液冷エンジン、双発、小型。
モスキート爆撃機だ。高速の機体であるから、早い段階で補足しなければならない。爆弾搭載量も多いし重武装だから、逃すと下の陸軍はひどいことになるだろう。
「『ツルギ1番』より『ツルギ2番』。2時半の方向。モスキート。急ぐぞ」
「『ツルギ2番』了解」
高瀬は飛燕のスロットルを開き、速度を上げた。徐々にに差が縮まってゆく。
この時、モスキートは1トンを超える爆弾を、その内部に抱えていた。いかに高速の爆撃機とはいえ、それほどの重量物を抱えていてはカタログ上の最高速度は出せない。
飛燕にとってやや苦手な低高度ではあったが、飛燕の「ハー52」はモスキートを追撃するに足る出力をたたき出していた。
接近して、一連射を加える。
ただ、その一撃だけでモスキートはバラバラになって地面へと落ちていった。
高瀬は少しだけ意外に思う。これまで彼が相手にしてきたモスキートは、もうちょっと頑丈だった記憶があるからだ。
彼の中のモスキートは快速と頑丈さを兼ね備えた、酷く面倒な敵なのだ。一瞬でバラバラになるなど、考えづらいことだった。
この時期、東南アジアに配備されたモスキートには、ひとつの問題が発生している。
それは木材接合に使用されている接着剤が高温多湿で劣化してしまい、機体強度が低下という問題だ。この問題は酢酸系接着剤が開発される、44年以降にならなければ解決しない問題だった。
この時期、東南アジアのモスキートは、早ければ配備後数日で機体強度が低下し、最悪の場合、空中分解することもあった。
高瀬が目標としたモスキートは空中分解するほどには強度低下していなかったが、20ミリ榴弾の炸裂の衝撃には耐える事ができなかったのだ。そのため、モスキートはすぐにバラバラになった。
モスキートがやたらあっさり落ちたことに、高瀬は多少の疑問を覚え、そして忘れることにした。
彼が落とさねばならない機体は、他にも山ほどいるのだから。
日本軍は現在、クアラルンプール北方のスランゴール近郊で、ジットラから南下してきた枢軸国軍主力と衝突している。
日本軍は枢軸軍主力よりも先に、クアラルンプールへ入城することに成功していた。枢軸軍に先立つこと、10日程度である。
日本軍は枢軸軍主力の南下に備え、クアラルンプール北方に陣地を構築。その陣地に対して枢軸軍が攻撃を仕掛ける形で、日本軍と枢軸軍の戦闘が始まった。
現在、陸上と空中で日本軍と枢軸軍は、壮絶な戦いを繰り広げていた。
日本軍は近衛師団と第1独立重戦車連隊を主体として、ドイツとイギリスの連合部隊、計3個師団を食い止めている。
日本空軍は可能な限りの戦闘機と襲撃機、そして双発爆撃機をクアラルンプール近郊に投入していた。その述べ総数は400機を超える。
日本陸軍は数的に不利であったから、それを補うためだ。
それに対向する形で枢軸国も、航空機を大量に投入していた。
そのため、クアラルンプール近郊の空は、敵味方が入り乱れる壮絶な航空戦の部隊となっていた。
高瀬が直率する小隊は、僚機を除いた2機が撃墜されていた。彼の指揮する中隊全体でも、連絡の付かない機体が4機も出ている。
これまでに経験したことがない規模の損害だった。
極狭い空間に、多数の敵味方が入り混じった結果、とてつもない混乱に陥っている。
ここまで混乱すると、編隊空戦技術もさほど意味を成さない。出来る事と言えば、分隊の僚機との連携ぐらいだ。
高瀬はかろうじて、僚機との無線連携だけは維持していた。それが途切れれば、すぐにでも地面へと落ちることになりかねない。
高瀬は軽くロールをうち、後を確認する。
僚機の背後に敵機が接近するのが見えた。楕円翼と蛇の目。スピットファイアだ。
「『ツルギ2番』へ。後につかれてるぞ」
「了解。回避運動を始めます」
僚機はS字の回避運動を始める。僚機に気を取られ、追跡を続ける敵機を、高瀬は狙った。「機織り」だ。これは既に彼等の常套戦術だった。
僚機を狙って直進を続けるスピットファイアに、高瀬は射撃を加える。
4条の光点が、スピットファイアに突き刺さった。20ミリは先程のモスキートで使い果たしていた。
12.7ミリ機銃弾が、スピットファイアの防弾されていない燃料タンクを破壊する。
このスピットファイアはイポー基地から、出撃してきたばかりの機体だった。イポー基地は彼等が戦っているクアラルンプール近郊とは、200キロも離れていない。
スピットファイアの燃料タンクには、まだたっぷりとガソリンが詰まっていた。そのガソリンに12.7ミリ曳光弾により火がつく。
スピットファイアは一瞬で炎に包まれ、落ちていった。
「『ツルギ1番』より『ツルギ2番』。落としたぞ」
「『ツルギ2番』より『ツルギ1番』。ありがとうございます」
お互い様だ。気にするな。
高瀬はそう応答すると、周囲を見回す。
そこかしこで空戦が発生していた。
火を吹いて落ちてゆくスピットファイア。
爆発し、四散するBf-109。
主翼を半ばからへし折られ、錐揉みしながら地面へダイブする飛燕。
キャノピーを砕かれ、ただ大地へ向けて突き進むFw-190。
エンジンを破壊され、滑空するように地面へ向かう雷電。
煙を吐く一式陸攻。
バラバラになるモスキート。
機首を半ば吹き飛ばされて、ゆっくり落ちてゆくJu-88。
あらゆる戦闘機が、爆撃機が、ありとあらゆる機体が、一秒ごとに落ちている。
「『カナタ』より全飛行隊へ。緊急。敵戦闘機に追われている。至急支援を乞う」
呼出符丁『カナタ』は飛行第16戦隊の符丁だ。
飛行第16戦隊は、一式陸攻を装備している飛行戦隊だった。
一式陸攻は海面高度ですら最高速度550キロを超える、高速の爆撃機だ。やや小柄な双発機であり、攻撃機型、襲撃機型、夜間戦闘機型、戦闘爆撃機型、高速爆撃機型と多数のバリエーションを生んでいる機体だった。
全金属製である点を除くなら、イギリスのモスキートと近しい性質の機体だ。
飛行第16戦隊が装備しているのは、三座の高速爆撃機型だった。
このタイプの一式陸攻には、高速化のため背面上部にしか旋回機銃が存在しない。
というか、一式陸攻の旋回機銃は背面上部のみか、存在しないかどちらかのタイプしか存在しない。
一式陸攻とは、そういう割り切りによって、高速と防弾性能を両立させた機体だった。
高速であるから、敵機の攻撃を受ける機会は少ないだろう。だが、放っておく事もできない。
敵の戦闘機のほうが一式陸攻よりは、高速であるからだ。
高瀬は部下たちに、『カナタ』たちの救援へ向かうことを告げ、残弾と残燃料、そして被弾状況のチェックを命じる。
返答が帰ってきたのは、6機だけだった。どの機体も、燃料と断薬は残っているとのことだ。
高瀬も自らの機体を確認する。
燃料は残っていた。後30分ほど戦闘機動を繰り返しても、クアンタンまでは余裕で戻れる量だ。
機銃弾も大丈夫だ。20ミリは使い切っていたが、12.7ミリは4割程度は残っている。
被弾は見えるだけで4箇所していた。だが、運がよいことに炸裂弾の被弾はない。どの被弾も、装甲板で止まるか、何もない場所を突き抜けていっただけだ。操縦系統や燃料系に問題を与える損害もなかった。
高瀬はチラリと地上を見る。
そこでは小さなケシ粒ほどにしか見えない、車輌や兵士たちが、蠢いていた。
何もかもが、秒単位で猫の目のように変わる空戦と比較して、随分とのんびりしているようにも思える。
何を愚かなことを考えているんだ。
高瀬は軽く頭を振って、その考えを頭の外に追い出す。
彼は飛燕の機首を『カナタ』の方へと向ける。『カナタ』にはあまり時間がないのだ。
高瀬は、生き残っていた部下たちを従え、『カナタ』の救援に向かった。




