第五章 第三話
一両の二式重戦車が、爆炎を上げて停車した。
上空を2機の戦闘機が飛び去っていく。主翼の下に長い砲身が見えた。おそらくはイギリス空軍のハリケーンの襲撃機型だろう。その程度の知識であれば、妹尾誠大尉は持っていた。
生き残った乗員3人が、這い出すようにして脱出する。
二式重戦車の乗員は5人だ。2人は駄目だった、ということだ。
一両を攻撃したハリケーンは、そのまま低空を這うように飛び、離脱する。
必要以上に攻撃を継続しないのが、最近の枢軸国空軍の流儀だった。
「頭下げて、後方に退避しろ!」
妹尾はハッチから首を出して、生き残りの乗員達に向けて叫ぶ。このままここにいては、敵の機関銃や砲撃の餌食になってしまうからだ。
彼らは手を大きく回し、了解の意を伝えてきた。
後方には味方の歩兵部隊がいる。歩兵部隊の装甲兵車か、それが無理でもくろがね四輪辺りに乗せてもらえれば、それだけで生き残れる可能性が高くなだろう。
戦車乗りは特技兵だ。価値が高い。味方にとっても、敵にとっても。
彼らは頭を下げ、中腰で後方へ退散してゆく。幸運にも敵の追撃はなかった。
「くそったれ、空軍は何をしてやがる!」
装填手が吐き出すように言った。味方に対して言う言葉ではない。だが、妹尾も装填手の気持ちは理解できた。
現在、彼の中隊はクアンタン攻略の最前線に立っていた。
クアンタンは、マレー半島東岸の要衝だ。コタバルからは南に300キロほどの地点になる。
枢軸軍は、この街の北方10キロほどの地点に防衛線を引いていた。
塹壕線と機関銃と対戦車砲を収めた少数の急増トーチカ。それと、その後方に配された迫撃砲と野砲の陣地からなる防衛線だ。
当初クアンタンの攻略には、第18師団を主力とした部隊が当たる予定だった。
だが、第18師団はコタバル上陸時に受けた打撃故に、再編の途上だ。
これは、マレー方面軍司令部にとっては予想外のことだった。日本軍はコタバル上陸作戦で、そこまでの打撃を受けるとは考えていなかったのだ。
コタバルの攻略自体は1日で完了していた。
とある小隊が突貫を仕掛けて確保した海岸線を中心に、戦力を展開。戦車と装甲車両の揚陸に成功した第18師団は、そのまま海岸線後方のコタバルの飛行場の制圧に成功した。
飛行場の制圧により、コタバル海岸線の部隊は孤立の危機に陥り、後退していた。コタバルの戦いは事実上、飛行場制圧の時点で終決したのだ。
だが、コタバル海岸線での枢軸軍の抵抗は熾烈だった。
海軍の横須賀第1特別陸戦隊など、もっとも堅固な防御陣地の眼前へ上陸してしまい、陸戦隊全体の2割にも達する大損害を受けている。
第18師団も歩兵を中心に1割近い損耗を受けていた。戦車や装甲車両にも無視できない損害が出ている。
そのため、第18師団は本土から補充を受ける必要があったし、第1特別陸戦隊に至っては、本土まで後退していた。
これほどの打撃を受けた理由は、戦艦砲撃に対する過信と、上陸時の兵員の無防備さに対する認識の甘さだ。
今回の戦闘では戦訓調査委員会の開催が決定されており、おそらくその辺りのことは指摘がされるだろう。
目敏い企業、例えばアメリカのフード・マシーナリー社や昭和重工などはすでに水陸両用装甲車両の売り込みを仕掛けている。昭和重工など、既に勝手に試作車両を開発し、試験を始めている有様だ。
そのため、今回のクアンタンの攻略部隊は、予定を変更して第5師団と第1独立重戦車連隊を主力とすることになっていた。
クアンタン近郊まで敵の抵抗は散発的だった。ゲリラ的に街道の脇に隠れた機関銃が射撃をしてきたり、小口径の対戦車砲が装甲車両を狙ってきたことが、何度かあった程度だ。
だが、それらの攻撃は装甲兵車を完全充足した第5師団の歩兵部隊や、分厚い装甲を持つ二式重戦車にとっては、それ程の脅威ではなかった。
つまり、日本軍の進撃速度はさほど鈍らなかったのだ。
そのため、枢軸軍はコタバルからの後退時に多数の装備を放棄している。彼らには燃料が切れた車輌を破壊する時間すらなかったし、重量のある対戦車砲を後退させる時間もなかった。
ただ、出来る範囲での進軍妨害は行われている。
街道の橋がほとんど落とされていたのだ。
仏印のように障害物の設置や罠の設置は、日本軍の追撃速度もありほとんどなされていなかった。それらの設置にはやはり時間が必要だからだ。
だが、橋は橋脚に爆薬をしかければ、簡単に落とせる。
マレーの河川に架かっている橋は、余程の大河出ない限り、大抵が木製だ。鉱山用爆薬でも吹き飛ばせる。
だが、この単純な妨害工作がマレーの枢軸軍に、クアンタンでの防衛線構築の時間を与えることになった。
機械化された日本陸軍部隊は、渡河のためには橋が必要だったのだ。
浅い川であれば大した問題ではない。
だが、水深が深い河となると話は別だ。
二式重戦車は潜行しての渡河能力を持っている。だが、それは水深3メートル前後までが限界だったし、装甲兵車や砲には渡河能力はない。
兵員だけであれば、組み立て式の動力艇を使用したり、周辺住民の舟を徴発することで向こう岸に送ることは可能だ。
だが、それではあまりにも戦闘力が低下しすぎるのだ。
日本陸軍には橋が必要だった。
マレー攻略を担当する第25軍の首脳部は、この事態を予測しており、第5師団と第1独立重戦車連隊には第4と第15、2つの独立工兵連隊を同行させていた。
この2つの独立工兵連隊は多数の渡河器材を有していたから、短期間で戦闘部隊の臨時架橋や渡河を成功させている。
だが、それでも時間は浪費された。
第5師団と第1独立重戦車連隊はコタバル陥落7日後には、クアンタン近郊へ到着していた。そして、その7日間で枢軸軍はクアンタン近郊での防衛線構築を完了していたのだ。
その防衛線は、基本的には只の塹壕だった。
周辺住民を強制的に動員し、急遽構築された3重の塹壕線だ。それ程の防御力は期待できない。
この時点で日本軍は、既にコタバル飛行場への空軍機の展開を完了しており、偵察機によるクアンタン防衛線の撮影に成功していた。
このため、第25軍司令部はクアンタン防衛線の防衛力は低いもの、と判断していた。
事実、只の塹壕戦でしかないこの防衛線の防御力は低い。
第5師団と第1独立重戦車連隊の戦力であれば、さほど問題なく突破できる。そう判断したのだ。
だが、それは少し甘い判断だった。
防衛線への攻撃開始とほぼ同時に、何処からともなくハリケーン戦闘機とFw-190が飛来。彼等による地上攻撃が開始されたのだ。彼らは主翼や胴体の下から多数の爆弾、ロケット弾を投下し、また、主翼に装備された大口径の機銃で戦車や装甲車両を狙ってきていた。
特にハリケーンは脅威だった。
ハリケーンはビッカース社製の40ミリ機関砲を主翼に装備しており、それで戦車の上面を狙ってくるのだ。
重装甲で鳴らす二式重戦車であっても、上面装甲は薄い。40ミリもの大口径砲で狙われれば、エンジンルームや、場合によっては砲塔を貫通される。
枢軸空軍の攻撃に対し、日本空軍の対処は出遅れていた。
日本空軍はコタバル上陸作戦開始までに実施されていた、敵航空基地への航空撃滅戦で、マレー半島北部の枢軸軍航空兵力の大半を撃破出来たと考えていたのだ。
だが、その観測は甘い物だった。
枢軸軍はクアンタンヌ近くの密林の中に、事前に複数の小規模飛行場を建設し、そこに機体を分散させたのだ。
枢軸軍の重機はこれらの飛行場の建設のために動員され、そのため、クアンタンの防衛線構築は人力に頼ることになっていた。
それらの飛行場は急造故に双発機以上の大型機や、スピットファイア、Bf-109のような「華奢」な機体の運用にはあまり適さない。だが、ハリケーンやFw-190のような「タフな」機体であれば、問題は少なかった。
燃料や弾薬に関しては、事前の備蓄と夜間のトラック輸送で対応している。正確に言うなら、その程度の補給体制で対応可能な機数しか、一つの飛行場には存在しないのだ。
この攻撃に対し、日本空軍は後手に回っていた。
可搬式対空電探は、その大部分がコタバル周辺の監視任務についていた。数の不足も理由であったが、それ以上に敵空軍による散発的な夜間爆撃が続いていた。マレー攻略の橋頭堡であるコタバルは、巨大な物資集積場となっている。
場所によっては、可燃物や爆発物が山と積まれている状態だ。
少なくとも市街地と港湾地帯への敵機侵入は、絶対に阻止する必要があった。全域に緊密な監視体制を敷くとなると、前線に回せる可搬式電探の数は極限られたものになる。
現状空軍は、クアンタン攻略部隊に対して、完全な電探の傘をかぶせるは出来ていない。
そのため、日本空軍は可能な限り攻略部隊上空に戦闘機を張り付けている。だが、戦闘機は航続距離に限界があり、交代の必要があった。
敵は日本空軍の戦闘機隊を監視しているのだろう。交代のタイミングに襲いかかってくるのだ。
枢軸空軍はクアンタン近辺に飛行場を建築していたから、航続距離の短さはさほどネックにはならない。戦場への到達時間も枢軸空軍の方が速い。
日本側も交代により上空へ張り付く戦闘機がいなくなるタイミングを、可能な限り減らしていたが、それでも一撃加えて逃げる程度のタイムラグは出来てしまっていた。
このため攻略部隊は事実上、自前での防空のみで強力な敵地上攻撃機の襲撃に耐えなければならない。
基本的に枢軸側は、日本空軍機のいないタイミングを狙っての一撃離脱を繰り返す形で攻撃を加えていた。
一回一回での損害は、それほどのものではない。だが、その累積となるとたまらない物がある。
日本陸軍は一式半装軌装甲兵車の荷台に、九八式二〇粍高射機関砲を四連装砲架で搭載したものを、一式自走式高射機関砲として採用していた。
だが、第5師団に配備されている自走式高射機関砲は、数が少なく効果的な防空兵器とはなっていない。
結果、攻略部隊では被害が累積してゆく。
そして、敵の空襲によって生じる損害のフラストレーションは、空軍に向けられていた。
こっちは頑張っているのに、連中は何をしているんだ、という心理だ。
妹尾はその心理が八つ当たりに近いものであることを、理解していた。
だが、同時にその彼らの心情も理解できたのだ。
故に、彼は空軍に対する兵士たちの罵声を止めはしなかった。だが、同時に自分では決して口にしないように心がけてもいた。
妹尾の中隊は、現在稼動戦車数が10両にまで低下していた。中隊の定数は14両であるから、戦力3割減だ。
連隊を構成する他の中隊も似たようなものだった。流石に連隊本部直轄の中隊は、予備戦力として後方に据え置かれていたから損害はない。
だが、それを計算に入れたとしても、連隊全体で2割強もの損失が生じていた。戦力維持的には辛いものがある。
後方の支援部隊、補給部隊に損害が少ないから、まだ戦えているのだ。
装甲が厚く、大口径機関砲の直撃か爆弾の至近弾を受けない限り、戦闘能力を失わない重戦車でこれだ。敵が目立つ戦車や装甲車両ばかりを目標とせずに、トラックを狙っていたら、クアンタンの攻略作戦は中止になっていたかもしれない。
「弾種、榴弾。信管遅動。2時方向。トーチカ。狙え」
妹尾は右前方に発見したトーチカを狙うよう、砲手に命令を下す。
そのトーチカは簡易的なものであり、榴弾の至近炸裂があれば容易に撃破出来そうだった。
クアンタンの防衛線は、基本的には脆弱なものだった。縦深が足りないのだ。
3重程度の塹壕による防御線は、昨今では堅いとは言わない。
この防御線の防御力の多くは、ゲリラ的に襲来する航空機の攻撃に頼っていた。
砲塔が旋回し、照準を合わせる。
照準良しの報告とほぼ同時に、妹尾は発射の号令を下した。
榴弾は直撃し、榴弾は遅延信管の影響により内部で炸裂する。上方へ向けて、木材と土嚢、そして対戦車砲と人体が吹き飛んだ。
対戦車砲のサイズが小さい。
おそらく、4センチ級の対戦車砲だろう。二式重戦車に取っては後を取られない限りはそれほどの脅威ではない。だが、歩兵師団の装甲兵車や九七式中戦車改、最近配備されたばかりの二式砲戦車であれば、至近距離なら正面装甲でも貫通可能だ。
潰しておくに越したことはない。
ハッチから頭を出し、周辺を見回す。既に塹壕の多くには味方歩兵が突入しており、制圧も間近だろう。
敵の歩兵が装備しているのは、一般的な小銃のようだった。イギリスのリー・エンフィールド小銃も、ドイツのモーゼル小銃も、どちらも優れた小銃だ。だが、近距離では九七式自動小銃には敵わない。
歩兵たちが装備している九七式自動小銃は、フルオートでの射撃も可能だから、近接戦闘においてサブマシンガンに劣らない効果を発揮する。また、これまでの小銃と比べるなら、圧倒的にコンパクトでもあった。塹壕で引っかかるようなことも少ないだろう。
妹尾は周辺の敵の武装を見渡して、少し疑問を感じた。
どうにも装備が古臭くはないだろうか?
イギリスはともかく、ドイツの陸軍は、半自動式小銃の大量配備を進めていたはずだ。少なくとも一線級部隊には既に行き渡ったと聞いている。
また、対戦車砲も既に7センチ半のものが主流のはずだった。であるのに、このクアンタン周辺の部隊は小銃はボルトアクション式だし、対戦車砲も最大で5センチ級。大部分は4センチ級だ。
当然だった。
このクアンタン周辺に居る兵士は、二線級部隊ばかりだからだ。彼等は元々、マレーの治安維持についていた部隊だった。まともな対戦車兵器すらなかった彼等に、イギリス本国やドイツ本国で余剰となった2ポンド対戦車砲や37ミリ対戦車砲を与え、一応の対戦車能力をもたせただけの部隊なのだ。
これは枢軸国首脳部の、戦略的判断ミスが原因だった。
枢軸軍上層部は、日本軍がタイ領から侵攻を仕掛けてくるものだと判断していたのだ。
その方が軍事的に有利であるから、ドイツ軍的には当然の判断だったし、イギリス軍もそれなりの妥当性があると思っていた。
マレー半島の主要な幹線道路は、西岸に集中している。急速な進軍を望むなら、西岸を攻撃するのが当然だ。だが、西岸への攻撃を仕掛けるには、連合国はタイ領を通過するしか無い。
タイは連合国寄りの中立国であったし、日本の外相やアメリカの国務長官が度々タイを訪問し、長時間の会談を繰り返していた。
枢軸国はこの動きを、日米によるタイの連合国参加要請だと考えていたのだ。
だが、それは会談目的の1割程度でしかなかった。
確かに日米は出来ればタイに連合国に参加してほしい、と考えていた。
だが、日米はそれを無理強いする気もなかったのだ。タイの連合国参加以上に、タイからの亜鉛や錫の輸入のほうが日米には重要な問題だった。
特に錫は世界最大の産出地であるマレーが枢軸側である以上、輸入は継続しなければならなかった。
連合国加盟を無理強いして、錫の輸出を停止されては、溜まったものではない。
タイと日米の外相会談の殆どが、経済上の問題を解決するための会談だった。
だが、枢軸国は遠からず、タイは同盟国に参加すると誤解していた。
そのため、枢軸軍は主戦力のほとんどをタイとの国境付近の、ジットラに集結させている。
一部部隊にいたっては、タイ領に侵攻を行い、タイ領内部に防御陣地を作っていたほどだ。これは後にタイの連合国加盟を後押しすることになる。
だが現時点では、タイは中立国だった。
流石に枢軸国も、コタバルには一線級部隊を配備していた。だが、そのコタバルも戦艦その他艦艇の支援を受けた日本軍により、一日で陥落してしまう。
ジットラから取って返すにしても、マレー半島の中央部分は山岳地帯であり、西から東へ直通している道路には、軍の通行に適したものは存在していない。
彼等は一旦、クアラルンプールまで戻り、そこからクアンタンまで東進する必要があった。その距離は軽く500キロを超える。
あるいは船舶が使えれば、もっと短期間で住むかもしれない。
だが、枢軸国は艀や舟艇をあまり用意してはいなかったし、シンガポールは連合国の爆撃により、大きな被害を受けている。
特にセレター軍港には数十発、あるいは百発の単位に達するかもしれない数の機雷が散布されていた。その掃海作業は、日本空軍の連続的爆撃と機雷散布により遅々として進んでいない。
これらの機雷と爆撃の結果、シンガポールの港湾機能は麻痺していた。マレー防衛の切り札とされていた、6隻の旧式戦艦は出撃する以前に損傷を受け、トリンコマリーまで後退していた。
そのため、護衛艦艇も商船も、その多くがシンガポールから別方面へ後退していたのだ。
また、マレー半島東側は、現在では日本海軍潜水艦のテリトリーでもある。
船舶での移動は事実上、不可能だった。
また、陸路での移動にも邪魔が入る。
日本空軍の双発攻撃機、一式陸攻がマレー西岸の幹線道路にかかる大小の橋を、一つ一つ破壊していたのだ。
イギリス陸軍もドイツ陸軍も、日本陸軍ほどには入念な準備をしてはいなかったから、架橋の速度は遅くなる。この場合、架橋速度とは進軍速度とイコールだ。
枢軸軍の工兵は必死になって架橋し、少数の部隊を渡し終えたところで折角作った臨時橋を日本軍機に破壊される、という光景を繰り返していた。
そのため、マレーの英独軍主力はマレー半島北西部に、足止めされたままだ。
ただ、何事にも例外というものは存在するのだが。
簡易トーチカを吹き飛ばした直後、妹尾の中隊は、2本めの塹壕線を超えた。
地雷はこれまで殆ど無かった。妹尾の中隊には、地雷を踏んだ戦車は存在しない。連隊でも、凄まじく運の悪い2両が踏んだだけだ。その2両も、修理可能な程度の損害しか受けていない。
薄い地雷原は第5師団の砲兵連隊と独立重砲兵連隊が実施した2時間の事前砲撃で大部分が吹き飛んでいた。
105ミリと155ミリの榴弾砲と加農砲、そして203ミリの榴弾砲による砲撃は、数百メートルの縦深しか無い地雷原をほぼ無力化していたのだ。
「中隊全車前進する」
妹尾は命令を下す。
最後の塹壕線を超えれば、敵の野砲陣地まですぐだ。敵の野砲陣地は塹壕線よりはマシな作りであったらしく、まだ何割かの砲は生き残っていた。
それらは頻繁に陣地転換を繰り返し、砲撃を続けている。その砲撃は、戦車部隊や装甲車輌に乗った状態の歩兵部隊にとっては、さほどの脅威ではなかった。
投射される鉄量が少なく、精度も低く、継続時間も短いからだ。
ただ、降車戦闘中の歩兵や、戦車を破壊されて無防備な戦車兵、あるいは弾薬輸送のために走り回っているくろがね四輪などには脅威だった。
最近のくろがね四輪は、純粋に人員輸送に特化していた最初期の頃とは異なり、生産性の向上とともに、物資輸送が可能なよう設計が刷新されていた。
もっとも、運送できる貨物の重量は少なく、500キログラムに満たない程度だ。
だが、前線の歩兵小隊が必要とする弾薬や医薬品を運ぶには、十分な性能だった。そのため、前線近くでも多数のくろがね四輪が走り回っている。
彼等の安全が確保出来れば、それだけで歩兵部隊の戦闘力は上がるのだ。また、塹壕線と砲兵陣地を突破すれば、敵の前線司令部を狙うことも可能だった。
そうすれば敵の前線部隊は、指揮を受けることが出来ず、戦闘を継続できなくなる。
妹尾は配下の10両を率い、敵の最後の塹壕線を目指す。
敵の対戦車砲弾が、二式重戦車の装甲を幾度か叩いた。だが、4センチ級の対戦車砲では二式重戦車の相手をするのは、明らかに力不足だ。
二式重戦車は側面装甲であっても、80ミリに達する装甲を持っている。これを40ミリや37ミリの対戦車砲で貫通するためには、高速徹甲弾を使用しても100メートル以内に接近する必要があった。
妹尾たちは、発見するたびに対戦車砲と機関銃の陣地を潰してゆく。今回は陣地攻略ということも有り、榴弾を多めに積んでいたから、まだ弾数には余裕があった。
敵の塹壕線はジグザグの構造と連絡路による二次元の構造を持っていたから、塹壕一本だけとは言え、多少の縦深はあった。
だが、その縦深も尽きそうだった。
そろそろ向こうは限界かな。
妹尾はそう思った。
上空には、やっとやって来た空軍の一式戦「雷電」が舞っていた。これで、敵戦闘機による襲撃は怖くない。
緩やかな逆ガルを描く主翼と、太い胴体が特徴的なこの戦闘機は、8000メートル前後までの高度においては、無類の強さを誇っていた。
武装も強力であり、搭載力も高い。現に何機かは、翼下に噴進弾発射機を懸吊しているようであり、トーチカに向けて噴進弾を放っていた。
そろそろ夕方だったから、敵機の襲撃はもう考えにくいだろう。
となれば、後方に温存していた連隊直轄の中隊や、第5師団の予備戦力を投入しない理由はなかった。
ただ、妹尾はひとつ見落としをしている。
現状は、敵も予備戦力を投入しない理由がなくなっているのだ。
厳密に言うなら、敵は予備戦力を投入「せざるを得ない」のだが。
「こちら4号車。中隊長殿、前方に敵戦車。かなり大き・・・・・」
四号車からの通信が途絶えると同時に、四号車がいたはずの右方向から爆発音が響いた。
妹尾はキューポラから、そちらの方向を確認する。背の低い丘を、敵戦車が乗り越えてくるところが見えた。
でかい。
その戦車に対する、妹尾の第一印象はただ一言、それだった。
二式重戦車も相当なサイズなのだが、その敵戦車は二式重戦車と比較しても背が高く、幅も広かった。
ちょっとした家が移動しているようですらある。
噂のドイツ軍重戦車か。
妹尾はそう思った。情報部からの報告で、ドイツ軍が重戦車を開発していることは知っていたのだ。
それは、ドイツ軍の最新鋭重戦車、六号戦車ティーガーだった。
ルノーB1重戦車やマチルダⅡ歩兵戦車に対向するために開発された重戦車であり、貫通力に優れた88ミリ砲と最大で100ミリに及ぶ装甲を持っている。
機械的な問題はまだ残されていたが、ティーガー戦車はこの時期における、世界最強戦車の一角であることは間違いなかった。
このティーガー戦車は第501重戦車大隊に所属していた。
彼等は重戦車を集中的に配備された、軍団直轄の独立部隊だ。多くの場合、攻勢時の先頭や防衛時の火消し役として使用される。
第501重戦車大隊は当初、ジットラ防衛に送られる予定だった。だが、彼等はその装備の重量故に持て余さえることになる。
マレー半島の鉄道は軌間が狭軌であり、ティーガーは鉄道での運搬ができなかったのだ。
かと言って、自走させるわけにも行かなかった。この時期のティーガーは走るどころか、2、3日置いておくだけも壊れるぐらいに繊細だったのだ。
そのためティーガーはコタバルへ船舶で送られることになった。だが、同時期にマレー半島の東側海域での、日本海軍の潜水艦の跳梁が始まる。
そのため、第501重戦車大隊を積載した輸送船団は、コタバルへは到着できず、クアンタンへ入港することになった。
彼等はそこから自走で、コタバルへ向かう予定だった。自走はあまり取りたい手段ではなかったが、仕方がなかったのだ。彼等はクアンタンで入念な整備を繰り返し、コタバルへの自走に備えていた。船旅で8両のティーガーに故障が発生していたからだ。
だが彼等は、クアンタンでコタバル陥落の報を聞くことになった。そして、そのままクアンタン防衛任務に就くことになる。
妹尾の眼前にいるのは、その第501重戦車大隊のうちの一個中隊だった。
妹尾はティーガーの数を数える。
合計12両。
妹尾は小さく舌打ちをした。数が多すぎる。
妹尾は自分が乗っている二式重戦車の性能は、ティーガーに負けないと思っていた。
事実、二式重戦車はティーガーと比較した場合、火力と機動性ではほぼ互角であり、装甲では優っている。
だが、それは9対12の数の差を埋めきれるものではない。
妹尾はティーガーの性能の詳細までは知らなかった。だが、油断していい相手でないことは直感で理解していた。
せめて、同数。
妹尾はティーガーと戦うにはその程度が必要だと考えていた。
「周辺に、友軍はいないか? 対戦車能力の有るやつだ」
妹尾は通信手に確認する。通信手は部隊の通信を常時モニターしている。ある程度は周辺の状況を把握しているはずだった。
「後方200メーターのところに、第5師団の砲戦車がいるはずです」
「連中に連絡を入れろ。目の前まで引っ張っていくから、脇腹を狙ってくれ、とな」
「了解」
通信手はそう返答すると、すぐに無線機にかじりつく。
「12時方向。敵先頭車に照準。弾種徹甲。操縦、微速後退」
妹尾は1000メートルほど離れたティーガーを狙うよう、砲手に命じた。
命令の直後、ティーガーは車体を斜めに傾けて停止した。敵に対して装甲を斜めにすることで装甲に角度を持たせ、見かけ上の装甲厚を上げるためだ。ドイツ陸軍の教範で言うところの「昼飯の角度」というやつだった。
ティーガーが主砲を発砲する。その砲弾は、まっすぐ妹尾の車輌に命中する。
被弾箇所は二式重戦車の砲塔正面だった。砲塔内が轟音で満たされる。激しい振動で車内が揺さぶられた。
妹尾は内部の器材に額をぶつけ、軽く出血する。血が目に入るのが、うっとおしかった。
だが、二式重戦車自体には問題はない。二式重戦車の傾斜した128ミリの装甲は、ドイツ製被帽付徹甲弾に耐えたのだ。
「装填良し!」
装填手空の報告が入る。妹尾は相手の注意を引くためにも反撃はするべきだと判断した。
「停車!」
「照準良し!」
「テッ」
再び動き出していたティーガー先頭車に、妹尾の二式重戦車の砲弾を送りこむ。
だが、外れた。
もともと、移動目標に対する砲弾の命中率はさほど高くない。砲手の腕前や照準装置、砲の性能、それと偶然の要素もかなり入る。
とは言え、敵の砲弾はこちらに当たり、こちらの砲弾が当たっていない現実は、妹尾にとって、やや悔しいものがあった。
「中隊長殿。砲戦車の連中に連絡がつきました。一個中隊がやってくれるそうです」
「よし、ゆっくり後退するぞ。連中を、砲戦車の前に引きずり出す」
妹尾の中隊は、ゆっくりと後退した。
二式重戦車の後退より、ティーガーの前進速度の方が当然早い。だが、妹尾の中隊は交互に停止し、砲撃を加えることでティーガーの前進速度を抑制した。
そのため、両者の距離は、概ね1000メートルで固定されていた。この距離であれば、二式重戦車はティーガーの徹甲弾に耐えたからだ。
あるいはティーガーが高速徹甲弾を使用していれば、話は別だったかもしれない。
だが、本国から遠く離れた、第501重戦車大隊には高速徹甲弾が支給されていなかった。
高速徹甲弾に使用されるタングステンは、欧州においては貴重品だった。中国、あるいはソ連からしか入手ができない。
中国からの輸入は現行、ビルマ公路を利用したバーター貿易のみであったから限界があった。ソ連からの供給を受けるには貴重な工作機械などを提供する必要があり、貿易量は少なめだ。
結果、ドイツ陸軍では、高速徹甲弾の供給量は少なかった。アジアにおいて、それは顕著だ。特に破壊力の高い、88ミリ砲を装備したティーガー戦車向けには、ほとんど支給されていない。88ミリ砲の威力なら高速徹甲弾は必要ないと判断されていたからだ。
そのため、ティーガーは1000メートルの距離でも、二式重戦車を撃破出来なかった。
だが、二式重戦車の方もティーガーを撃破出来ない。
ティーガー側が巧みな操縦により、常に「昼飯の角度」を維持していたためと、二式重戦車側が腰が引けており、砲弾の命中率が低かったのが大きな理由だ。
「ここです」
「全車停車! 攻撃開始」
通信員からの報告を聞いた直後、妹尾は中隊全車に停車を命じた。反撃のタイミングが来たからだ。
「テッ」
妹尾の二式重戦車から一式徹甲弾が発射される。その砲弾は吸い込まれるように「昼飯の角度」を取ったティーガーの車体側面へ命中した。
「昼飯の角度」を取ったティーガーであっても、側面であれば二式重戦車の一式徹甲弾は貫通出来たのだ。
この一瞬で、二式重戦車は2両のティーガー戦車を撃破していた。
だが、ティーガーも直後に反撃を開始する。生き残りの10両がそれぞれ停車し、二式重戦車へ砲撃を加えた。
この攻撃で、二式重戦車も2両が撃破される。1両は履帯を破壊され、1両は正面装甲で最も薄い、銃眼へ徹甲弾が直撃していた。
不運な被害ではある。だが、妹尾に取っては計算内の損害でも合った。
すぐに取り返しはつくのだから。
直後、轟音が響いた。ティーガー周辺に砲弾が落下し、爆風と破片が吹き荒れる。
砲弾の炸裂と時間差なく、ティーガー3両が煙を上げて行脚を止め、2両が爆発する。
側面で待ち伏せをしていた、二式砲戦車による砲撃の戦果だった。
二式砲戦車は、九七式中戦車の車台へ短二〇糎砲を、固定式に搭載した車輌だった。密閉式の戦闘室を備えており、正面装甲は80ミリに及ぶ。
二式砲戦車は歩兵部隊とともに前線に出て、敵トーチカなどへ直接照準による火力支援を行うことを目的とした車輌だ。
搭載されている短二〇糎砲は、元々は日本海軍で対潜迫撃砲として開発されていたものである。ただ、対潜迫撃砲としての短二〇糎砲の開発は、ヘッジホッグの改良版である、多連装対潜噴進砲の実戦配備により停止されていた。
本来ならそのまま、歴史の影に埋もれていくはずだった短二〇糎砲は、陸軍の手によって陽の目を見ることになる。
当時、軽量で大威力な歩兵直協火砲を探していた陸軍にとって、僅か12口径の砲身長しか持たず、砲身重量も控えめな短二〇糎砲は理想的な砲だったのだ。口径が口径だから、流石に人力での砲の運搬は難しかったが、自走砲にすればなんとでもなった。
直接照準であるから射程はさほど必要ないし、基本的には榴弾で停止目標を狙うから、初速もそれほど速いものは要らない。
二式砲戦車は師団隷下に、独立砲戦車連隊として配備され始めていた。必要に応じて歩兵への支援を提供するためだ。
今回、二式砲戦車は穿孔榴弾を使用して、ティーガー戦車の側面を狙っていた。二式砲戦車の穿孔榴弾は、距離に関係なく270ミリもの貫通力を発揮する。そんなものの直撃を側面に受けては、さしものティーガーとて、ひとたまりもなかった。
ただ、二式砲戦車の主砲の初速は、秒速400メートルにも届かない。また、発射速度はどれだけ頑張っても毎分2発程度だ。毎分3発以上で撃てる車輌は、それだけで練度が高いと言えるぐらいだ。
そのため、二式砲戦車は実質的に一撃しか出来なかった。また、初速の遅さ故に命中率も低い。一撃しか出来ない砲撃でティーガーに大きな被害を与えるためには、相手が停止している必要があった。
そのために、妹尾達の中隊は囮となったのだ。
「全車、突撃。敵重戦車を仕留めろ」
妹尾は部下たちに突撃を命じる。
数的な優位は確保していた。妹尾は部下たちは、たとえ相手がドイツの新鋭重戦車であっても五角以上の勝負ができると信じていた。
今は数的な優位が確保できているのだ。絶対に勝てる。
ティーガーは不利を悟り、後退してゆく。
だが、妹尾は彼等を逃がすつもりはなかった。妹尾の中隊は突撃の勢いそのままに、追撃を仕掛ける。
この日、妹尾の中隊は合計4両のティーガーを仕留めた。二式砲戦車の戦果と合わせるなら、合計9両もの大戦果だ。
第501重戦車大隊は枢軸国のクアンタン防衛隊にとって、最後の予備戦力だった。
第501重戦車大隊は第1独立重戦車連隊と第5師団の戦車部隊に、全体で3割近い損傷を与えることに成功していた。
反面、自らも5割近い損害を受けることになる。
第501重戦車大隊の戦闘は、日本軍戦車部隊に大きな打撃を与えることに成功していた。日本軍は戦車部隊の再編のため、一時的にクアンタン攻略の速度を鈍らせることになる。
だが、日本陸軍はクアンタン攻略の手は止める気は全くなかった。歩兵や砲兵にはさほどの損害はなかったからだ。
第501重戦車大隊は、日本のクアンタンヌ攻略部隊全体の攻撃意欲を削ぐことには失敗していた。
日本陸軍は、クアンタンヌ防衛陣地に対して夜襲を敢行。翌日未明には防衛陣地の攻略を完了した。
その日の早朝、枢軸国のクアンタン防衛隊は、クアラルンプールへ向けて後退を開始している。第501重戦車大隊の残存兵も彼等に同行していた。
クアンタンはその日、陥落したのだった




