第五章 第二話
大発からは、海岸で煌めく光が見えた。
コタバルの街の灯ではない。コタバル市街はここからは10キロは離れている。
その光は炎の煌めきだった。
戦艦や巡洋艦、駆逐艦による砲撃の結果、吹き飛んだトーチカ群の残り火だ。
日本海軍の戦艦『土佐』『相模』と巡洋戦艦『乗鞍』『白馬』の4隻を主体とする砲撃部隊が実施した、夕刻からの4時間にわたる事前砲撃の成果だった。
この8月1日、日本軍はコタバルへの上陸作戦を敢行していた。
日本軍上陸部隊の主力は第18師団。通称『菊』師団。
日本陸軍最強を自負する師団だ。
大発は波浪を乗り越えて、海岸へ向かってゆく。
炎の明かりで、海岸線の惨状が見て取れた。大小様々なクレーターが口を開いている。ベトン製と思しきトーチカは見える限り大半が崩れ落ちていた。残っているものといえば、砂浜の向こうに見える、いくらかの林といくつかの岩ぐらいだ。
こんな有様で、生き残っている奴なんて居るんだろうか?
笠森千太陸軍少尉はそんなことを考える。
彼は、3ヶ月前まで東京の商社で会社員をしていた、23歳の若者だ。あまり数の多くない大卒社員であったから、それなりにいい給料をもらっていた。
出身大学は九州帝大。法文学部卒で、成績は良好だった。
ただ、彼には普通の大卒者とは違いがあった。
大学時代に、陸軍予備士官訓練過程を教習していたのだ。
陸軍予備士官訓練過程は、大学の学費全額、あるいは一部と幾らかの奨学金を支給することを条件に、授業の合間に士官としての軍事教育を課すシステムだ。卒業後は3年以上の軍隊勤務か、あるいは10年以上の予備役勤務が義務付けられている。
戦争時の下級士官不足を見越し、高等教育を受けた士官を確保するためのシステムだった。
笠森は予備役を選択して、大学卒業後は民間で働いていた。
笠森は福岡市の、工場労働者の家庭出身だ。長男だった。家計はお世辞にも裕福とは言えない。
そんな彼にとって只で大学へいけた上、奨学金までついてくる予備士官訓練過程は魅力的だったのだ。
現在、陸軍は戦争の勃発に伴う部隊規模の急拡大に対応するため、大量の下級士官を欲していた。
そんな陸軍にとって、大学在学中に最新の軍事教育を受けた、若い予備士官訓練過程通過者は魅力的な人材だった。短期間の再教育で、即座に部隊に配属することが可能であったからだ。
年を食った予備士官は、長い再教育期間がどうしても必要であり、投入まで時間がかかる。また、体力も落ちている場合が多い。
故に笠森は、最優先で招集され3ヶ月の再教育を受け、少尉として今日、戦線に投入された。
笠森が陸軍の過程を選んだ理由は消去法だった。
笠森の父は若いころ海軍に、下士官として勤務していた経験がある。笠森は父から海軍の軍艦で行われている、過酷な体罰の話を聞いていたのだ。
笠森本人は海軍士官というものに、ある種のスマートさを感じてはいた。だが、父から生々し体験談を聞いていた彼には、そのイメージがどうにも表面的なもの、早い話が嘘、に思えたのだ。
それ故、彼は海軍を志願先から除外した。
また、空軍が求める数学的な才能を笠森は持っていなかった。そのため空軍も除外される。
結果、彼は陸軍予備士官教育課程に志願することになる。
両親は、長男が帝大に受かる程の学力を示したことを、素直に喜んでいた。
だがその一方で、予備士官教育課程に志願したことに対しては微かに、ではあるが不安も口にしていた。
満州ではソ連が国境侵犯を繰り返していたし、中国では内戦が激化していた時期だ。
それらの事件が、大規模な戦争になる可能性を、両親は危惧していた。
ただ、結果として両親の危惧は半分外れていた。
戦争は起こった。だがその戦争は、ソ連や中国相手ではなく、欧州が相手だったからだ。
ただ、笠森自身は、今の境遇をそれ程悪いとは思っていない。
普通に徴兵されるよりは、よほどマシだからだ。
日本の徴兵システムは、融通が効かない、と言われるレベルで厳格だった。例え帝大卒でも学歴を自己申告し、臨時士官の教育を受けない限り、一兵卒として徴兵されることになる。
そして、臨時士官は給与や昇進速度では、予備士官教育制度履修者と比べて純然たる格差が存在していた。また、臨時士官は少尉に任官するまでに、見習尉官を経験する必要があった。
見習尉官の間、俸給は新任下士官と大して変わらない。だが、仕事と責任は少尉に相当するものが求められる。
そんなのは笠森は嫌だった。
この待遇は、海軍や空軍でも差はそれ程存在しない。国防省が定めているためだった。
笠森は歩兵科少尉として任官していた。
彼は数学が得意ではなかったから、砲兵科には最初に弾かれた。潰しが効く輜重科も同様の理由ではねられている。数学が苦手、とあっては、機甲科も取りたがらなかった。
結果として彼は、歩兵科将校としての教育を受けることになる。歩兵科にも数学の知識は必要だったが、他の兵科ほどには重視されなかったのだ。
一応、憲兵という道も考えないでもなかった。だが、笠森はどうにも威張り散らす自分が想像できなかったから、辞退している。
彼は社会に出てからの2年間で、自動車免許を取得していた。
営業の外回りで車を使用する必要があったからだ。会社から免許取得の補助金が出たし、免許取得の費用もこの頃は大きく下がっていたから、流石にやる気になった。
この自動車免許も、今回の招集で吉と出ていた。
戦争の勃発により、歩兵部隊でも大量の自動車が使用されていた。
自動車の運転ができない場合、彼は自動車化が遅れている丙師団に回されていた可能性がある。最悪の場合、彼は徒歩で移動することになっていただろう。
丙師団は、甲師団と比較するなら、様々な面で劣っていた。砲兵は野砲ではなく、軽便ではあっても射程で劣る山砲装備であったし、兵員や士官の充足率も低めだ。歩兵部隊は良くてトラック移動であり、最悪の場合は徒歩移動になる。つまり、装甲はないし火力もないし、仕事も多い。
甲師団である第18師団は、準機甲師団と言ってもいいぐらいに機械化されている。少なくとも長距離移動を、徒歩で行うことはない。
丙師団は建前上、警備勤務が主体ということになっている。だが、実際は日本陸軍は兵員数の不足から、丙師団も防衛任務に付けざるをえない状態だった。
事実、仏印とビルマの国境地帯に張り付いている日本陸軍部隊は大部分が丙師団だ。
甲師団は装備が良い分、激戦地に回される傾向にあった。だが、装備の差を考えるなら任務危険度に、それほどの違いは無いと言える。
それなら、薄いとはいえ装甲に守られ、何よりも歩く必要が少ない甲師団のほうが笠森的にはマシだったのだ。
現在、笠森は小隊を指揮して、コタバルから10キロほど離れた海岸線への揚陸作戦を敢行している最中だった。
コタバルはイギリス領マレー東岸北部にある都市だ。コタバル周辺の海岸は、断崖が多いマレー半島東岸では、数少ない揚陸作戦を実施可能な地形である。
日本陸軍はコタバルを占領し、そこを拠点としてマレー半島を南進する予定だった。
マレー半島東岸は、あまり道路整備が進んでおらずシンガポールに直結した幹線道路は存在しない。そのため、コタバル占領後はクアンタンまで南進し、その後西進。クアラルンプールを制圧して更に南進と、かなり遠回りをする計画だった。
あるいはタイが連合国に参加していたなら、タイ領からマレー半島西岸を進撃する、という選択肢もあったかもしれない。マレー半島西部は揚陸作戦に適した海岸線も多いし、幹線道路も通っている。
だが、日本とアメリカの外交官は、現在になってもタイの連合国参加を取り付けることが出来てはいない。
笠森が指揮する小隊は、大発一隻に全員が搭乗していた。
大発は、迅速な揚陸戦を行うことを目的に、陸軍主導で開発された小型船だった。30トン程度の物資を10ノット程度で輸送可能な、いわゆる揚陸艇だ。
大発は重武装化が進んだこの時代の歩兵であっても、歩兵一個小隊の兵員と車輌以外の武装を一隻で運ぶ事が可能だった。
ただし、船内は座るスペースがないほどに混雑していたし、車輌は別途運ぶ必要がある。
ただ、火力に関しては海上からの援護が期待できたから、司令部はそれ程問題とは認識していなかった。
「酷いなぁ」
笠森は海岸線の惨状を眺め、ポツリとつぶやいた。
月面さながらの海岸線に何らかの脅威が残っているとは、彼には思えなかったのだ。
「小隊長殿。気を締めてください、絶対に生き残ってる連中がおります。砲撃でも存外、生き残れるもんなんです」
小隊軍曹である望月が静かな声で言った。笠森はその声に、確信が篭っているように感じた。
「あの有様で?」
笠森は海岸線に視線をやり、言った。
笠森は望月軍曹を信頼している。
この望月軍曹は、20年近くも軍隊で飯を喰い、ノモンハンでも実戦経験も積んでいる。戦場の現実については、この船に乗っている誰よりも通じているだろう。
そもそも、望月と笠森は兄弟どころか、叔父と甥と言っても通りそうなぐらいに年が離れているのだ。その年齢差からくる経験の違いだけで、信頼に値する。
とは言え、にわかには信じがたい話だった。
笠森の目に見えている海岸線の光景は惨憺たる有様であり、人間どころかカニ、エビのたぐいであっても死に絶えていそうに思えたのだ。
「賭けてもいいです。ノモンハンでもそうでした」
「そうか、じゃあ、気をつける。軍曹が掛けるなら確実だ。軍曹は飲んだり買ったりはするけど、打たないからね」
「そんなことで信頼されても、困るんですがねぇ」
望月軍曹が苦笑する。後ろのほうで、何人かの兵が吹き出していた。
大発の中でブザーが短く2回鳴る。
着岸間近の合図だ。
「戦闘準備」
笠森は部下に命じた。狭い船上だから、命令はすぐに伝播する。
小隊の兵士たちは、小銃の安全装置を確認してから弾倉を装填した。
船上のそこら中で、カチャカチャという金属音が響く。
再度、ブザーが鳴った。今度は長く鳴り続ける。着岸の合図だった。
大発の艦種が倒れ、ランプとなる。
「進め!」
先頭の分隊の分隊長が命じた。
ランプをわたって、兵士達が波打ち際に走りだす。
直後だった。
何処からともなく、照明弾が打ち上げられる。まばゆい光が周囲を照らしだした。
照明弾の直後、砂浜の向こう側、椰子の木と灌木からなる林の奥から、曳光弾が飛んでくる。機関銃による射撃だった。薙ぎ払われるようにして、先頭の兵士数名が倒れる。
持続的な射撃であるところから、重機関銃のようだった。林の中に隠れた陣地がまだ残っていたのだろう。
3丁の機関銃の火箭が、笠森からは確認できた。それらは巧妙に隠蔽されているのだろう。笠森たちからは明確な位置の特定ができなかった。また。それらは相互に支援しつつ、十字砲火を形成している。
笠森の部隊の現状は厳しいものだった。
身を隠すものが何もない状態で、しかも大発から降りた先は波打ち際だ。大きめの波がくれば、膝まで海水に浸かるような状態であったから、地面に伏せることすら出来ない。
照明弾は定期的に打ち上げられていたから、夜闇に期待することも難しかった。
揚陸部隊が最も弱いタイミングをねらった銃撃だ。
敵の機関銃は海岸に降り立った直後の兵士を目標に、銃撃を仕掛けてくる。兵士達は次々と飛び出すが、その何割かは機関銃の射線に捕まり、地面や海面に倒れ伏して動かなくなった。
そしてこれは、この海岸線全体で発生していることでもあった。
実際のところ、笠森の部隊はマシな方だった。第18師団と同時に揚陸を開始した海軍の横須賀第1特別陸戦隊などは、迫撃砲と対戦車砲を含んだ陣地の前面に上陸を仕掛ける羽目になっていたから、その被害は酷いものになっている。
笠森はこの作戦の全体を俯瞰する位置にはいなかった。だが、自分たちは進むべきだ、と直感的に思った。
今の我々に何が必要か?
簡単だった。機関銃からの目隠しだ。
「煙幕! 撃て! 急げ!」
笠森は大発の操舵室の窓を殴りつけ、怒鳴る。
この時期の大発には、発煙弾発射機が搭載されていた。それは例えば、敵の魚雷艇や航空機に狙われた場合のお守りみたいなものだ。
その発煙弾発射機は、装甲車や戦車用の外付け型発射機を流用したもので、前方から上方にかけて角度がついた、合計8発の発煙弾を一斉に発射するだけの簡易なものだった。
だが、現状はそれで十分なのだ。
笠森の形相に慌てたのか、艇長はすぐに発煙弾の発射ボタンを押す。
シャンパンの栓を抜くような、少し間の抜けた音が響き、8発の発煙弾が発射された。
8発の発煙弾のうち、4発は取り付け角度の問題から、前方へ向けて発射されることになる。発煙弾発射機は100メートルほどの投射能力があった。そのため、前方へ向けて放たれた4発の発煙弾は砂浜に着弾し、白煙を上げ始める。
「前進! 急げ、止まるな!」
望月軍曹は、その時を見逃さなかった。
「砂浜まで走れ! 乾いたとこまで行ったら、伏せろ! 固まるな! 散開しろ!」
望月軍曹の声に反応して、ランプ付近にいた兵士達は即座に全力疾走を開始する。
煙幕の効果で、敵の射撃は盲目射撃状態だった。つまり、ほとんど当てずっぽうだ。
勿論、機関銃弾に当たって倒れる兵はいた。だが、その数は許容出来る範囲に収まっている。
笠森と望月も煙幕が晴れる前に大発から飛び出し、砂浜で匍匐していた。
笠森は腰のケースからハンディトーキーを取り出す。
この小型軽量の無線装置は、通話距離こそ短いが簡単に通話でき非常に便利なのだ。合衆国で開発されたこの無線装置は、日本でも松下電器や日本電気でライセンス生産されている。ハンディトーキーは日米合わせて膨大な量の生産が行われており、連合国各国へもレンドリースで支給されていた。日米両軍では分隊長レベルにまで普及している。
笠森はチャンネルを擲弾筒分隊に合わせてから、送信のボタンを押す。上陸後は常にハンディトーキーは受信待機状態に置くことを、彼は部下たちに命じていた。勿論、彼自身のアイディアではなく望月からの進言を全面的に取り入れた結果なのだけれども。
「こちら『アオイ1番』。『アオイ4番』聞こえるか?」
少しの間を置いて、返答が帰ってきた。『アオイ4番』は小隊内の擲弾筒分隊、その分隊長の呼び出し名だ。
「こちら『アオイ4番』。小隊長殿、聞こえております」
「機銃の射撃点に擲弾筒を撃ちこめ」
「敵がよく見えませんので、当てずっぽうになります」
「それでもいい。とにかく、敵の射撃を邪魔しろ。『アオイ2番』『アオイ3番』聞こえているか? 軽機と小銃で援護しろ。僕らが匍匐で接近して敵の機銃を制圧する」
それは、笠森が学生時代に教わった敵機銃制圧方法の一つだった。
擲弾筒から、軽機から、小銃から、可能な限りの火力で敵を牽制して接近、制圧するのだ。
「少隊長殿。自分が前に出ます」
望月はそう言うと、匍匐前進を開始した。彼は周辺の兵士数人に声を掛け、突撃班を臨時で作り上げる。9ム砲を持った人間を含めているのは、敵がトーチカ等に篭っている場合を想定しているのだろう。
笠森は一瞬止めようか、とも思った。だが、既に望月は動き始めている。それに、昨今の戦術では指揮官陣頭は流行らない。
特に、ハンディトーキーのような小型無線機器が普及したここ数年は、小隊長が先頭に立ち、突撃方向を支持する必要もなかった。無線機で指示が出来るからだ。
そのため、日本陸軍の装備から軍刀は姿を消していた。元々軍刀は近接戦闘用の装備としてよりも、兵隊に突撃方向を支持する、指揮杖としての性格が強い。
携帯無線機で即座に指示出しが可能となった現状では、特に必要がない装備だったのだ。勿論、正装の付属品としては残っていたけどれも。
笠森も軍刀は持っていなかった。彼は他の一般的な小隊指揮官たちと同様に、九七式自動騎銃を装備している。
九七式自動騎銃は兵士たちが持っている、九七式自動小銃を短銃身化し、銃床を折りたたみ式に変更したものだ。原型の九七式自動小銃より幾分軽量であり、スペースを取らなかったから、戦車兵や将校、下士官を中心に配備がなされている。
「頼む」
笠森は望月の背中にそう、声を掛ける。
「望月軍曹が突貫する。援護しろ!」
彼はハンディトーキーと周辺の兵士にそう叫ぶと、九七式自動騎銃を敵の機関銃陣地の方を向け撃ちかけた。
周辺の兵士達も彼に続いた。九七式自動小銃と九六式軽機関銃、そして八九式重擲弾筒の発射音が連続する。
林の向こうで擲弾が立て続けに炸裂した。断続的に爆発光が閃く。
しばらくすると、擲弾筒の当たり場所が良かったのだろう、1丁の敵機関銃が沈黙した。相互支援の一角が崩れる。
望月はこの好機を見逃さなかった。彼は中腰になると、兵士たちを指揮しつつ生き残った機関銃のうち、一つに向かう。その機関銃は先ほど沈黙した機関銃からの支援を受けていた機関銃だった。
そのため、その機関銃には死角が存在していた。
望月はその死角を付いて接近してゆく。
すぐに、彼らの姿は見えなくなった。
その間、笠森は射撃を望月が向かったのとは、別の機関銃に集中させた。
望月たちへの攻撃を阻害するためだ。その機関銃は射界的には、望月たちを捉えることが可能だった。また、望月たちへの誤射を防ぐためでもある。
その機関銃は、笠森達の射撃により、注意をこちらに向けたようだった。
笠森の周囲にも弾着が続く。笠森は頭を下げたまま、機関銃の方へ射撃を続けた。
それは望月への援護のためであったし、同時に恐怖を誤魔化すためでもあった。
射撃を続けている限り、自分には弾が当たらないような気がしたのだ。
勿論、そんなのは錯覚だと彼は気づいている。
だが、失禁しそうなほどの恐怖を誤魔化すには、彼には銃を撃つしかなかった。
彼の周囲では、兵に被害が続出している。
笠森の隣の兵が、絶叫を上げて動かなくなった。後ろの兵が肩口を抑え、悲鳴を上げながら転げまわる。
次々と兵に死傷者が発生していた。
笠森はジリジリとした焦燥を覚えていた。
このままだと、戦力が低下して戦闘が継続できない。また、何よりも怖すぎた。
頭の横を銃弾が通り過ぎる環境は、あまりにも胃と心臓に悪すぎたのだ。
まだか? 持たないぞ。
笠森がそんなことを考えた直後だった。
轟音と閃光が響き、直後爆発の衝撃波が笠森を叩く。
そして、機関銃が1丁沈黙した。
「こちら望月。少隊長殿、1丁仕留めました。残り1丁も見えます。そちらから2時方向。距離、200」
ハンディトーキーから、望月の声が流れてきた。彼は小隊軍曹であったから、その権限は分隊長に準ずる。そのため、ハンディトーキーを支給されていた。
「そちらから狙えないか?」
「すみません。敵歩兵に見つかりました。小銃での射撃を受けてます。突破はできますが、時間がかかります」
仕方ないか。笠森はそう思う。
望月に全てやらせるのも、微妙に抵抗があったから、調度良いとも言えた。
「了解した。望月軍曹、機関銃はこちらで片付ける。そちらは損害を抑えてくれ」
「了解しました。ご武運を」
「ありがとう。そちらも武運を」
そう言うと、笠森はハンディトーキーのチャンネルを切り替えた。小隊の各分隊に命令を出す。
「総員着剣」
笠森は騎銃へ銃剣を着剣する。三八式小銃用の銃剣とは違い、九七式自動小銃や騎銃用の九七式銃剣は短い。まるで、短刀のような作りだ。ただ、切れ味はいいし肉厚で丈夫だ。短刀やナタの代わりとして非常に便利だった。
笠森の周囲で小銃へ銃剣をつける、小さな金属音がなる。波音、エンジン音、銃声、砲声、悲鳴に絶叫。
あらゆる雑音が鳴り響く海岸だったが、その小さな音は、妙に笠森の耳に残った。
「『アオイ2番』着剣完了」
「『アオイ3番』着剣完了」
「『アオイ4番』着剣完了」
「了解した。『アオイ4番』。発煙弾用意」
「『アオイ4番』了解。装填良し。いつでも撃てます」
「了解。号令とともに撃て」
笠森は大きく深呼吸をする。心臓がばくばくとなっていた。
怖くてたまらなかった。
だが、自分が逃げるわけにはいかない。
自分には、責任があるのだ。
それに見合う俸給をもらっている以上、彼は責任を果たすことから逃げる事はできなかった。両親や弟妹どもに顔向けが出来なくなってしまう。
笠森は覚悟を決めた。
「『アオイ1番』より『アオイ4番』。2時方向。距離200。発煙、撃て」
「了解」
擲弾筒の発射音が響く。わずかに間を置いて、機関銃のある方向で白煙があがった。
これまで至近距離に着弾していた、機関銃の射撃が急激に甘くなる。
「『アオイ1番』より、総員、突撃準備」
笠森の命令に、各分隊長から了解の返答が返ってくる。
笠森は大きく息を吸い込み、腹の底から命令を叫ぶ
「総員、突撃に、前へ!」
笠森は号令とともに立ち上がり、走りだした。周囲の兵員も彼に従う。
彼の小隊は一体となって、敵の最後の機関銃陣地へと向かう。
笠森の小隊が、敵の重機関銃陣地と歩兵を完全に撃破して、担当の海岸線を確保するのは、この突撃から15分後の事だった。




