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日米亜欧州戦争記  作者: √2
第一章 ノモンハンの日
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第一章 第一話

 空気を割く、甲高い音を立てて砲弾が頭上を過ぎていった。

  僅かな間を置いて、ドロドロとした衝撃波が彼の腹を叩く。

  ついに始まったか。

  妹尾顕せのお あきら陸軍中尉は九七式中戦車のハッチから上半身を出し、敵陣のある丘を眺める。

  友軍の事前砲撃を受けている、敵軍、主としてソ連軍の陣地では砲撃により連続して土煙が上がり、そしてそれが収まる前に更なる砲撃が立て続けに加えられていた。

  予定ではこの砲撃は30分ほど続く予定だ。だが、所詮は予定だ。早まる可能性もある。何しろここ数日の砲撃戦の結果、目に見えてソ連軍の砲撃が弱まっていたからだ。

  全く、アメちゃんは恐ろしい。

  妹尾はつくづくそう思う。

  帝国陸軍では間違っても出来ないような砲兵と航空機の大規模投入を、在満米軍は本国から遠く離れた満州はノモンハンの地でやってのけたのだ。

  彼らはそのために大規模な道路の拡張工事と、飛行場の新規設営すらやってみせた。

  わずか、3週間で。

  もはや、呆れるしかなかった。何十台ものドーザーが地面をならし、何百台ものダンプカーが排土を運び、巨大な地均し機が地面を締め固める。

  圧巻だった。

  郷里の弟妹達に見せてやりたいぐらいだった。

  東北の田舎とは言え、今日日さすがに自動車が珍しいとか、土木機械を見たことがないとかそんなことは無いが、この規模の大規模工事というものは、さすがに早々には見ることが出来ない。

  その間に帝国陸軍も工兵と現地の土建会社を動員して、ハイラルからノモンハン近辺まで突貫での軽便鉄道の敷設が実行されてはいた。

  だが、それは総延長でわずか70キロと少しでしかない。

  工事の規模は米軍のそれに比べるなら数分の1であり、輸送量に関しても米軍のトラック輸送の補助的な役割しか果たせなかった。

  とは言え、ノモンハンに展開している関東軍からの派遣部隊は一個師団もいない。

  軽便鉄道を利用しつつ、米軍のトラックの脇をすり抜けるようにして自軍のトラックを走らせれば、砲兵連隊が米軍の持続砲撃に付き合える程度には砲弾の輸送をすることは可能であったから、大きな問題とはなっていないのだけれど。

  というか、まあ、満州全土を見回しても関東軍は2個師団半程度の規模しかないのだが。

  在満米軍と奉天軍は兵站面でソ連軍とモンゴル軍を圧倒することにより、戦局を挽回していた。

  砲兵も歩兵も十分な増援が投入されたし、牽引車両や兵員輸送用トラックは余るほどある。在満米軍航空隊も、戦闘機は日本の陸軍航空隊や海軍航空隊の主力戦闘機よりも重武装かつ優速なPー36ホークが主力だ。爆撃機だって航続距離はともかく、頑丈であったし爆弾搭載量も申し分ない。

  そして、それらの兵員や兵器には、過剰なほどに食料も燃料も弾薬も供給されていた。

 だが、彼らの戦力にも問題が無いわけではなかった。

  歩兵の装備は九七式自動小銃を主力小銃とし、分隊支援用として九六式軽機関銃を、小隊迫撃砲として八九式重擲弾筒を配備している帝国陸軍を基準とするなら、単体の部隊としての火力は劣っていた。

  最も、それは酷な評価なのかもしれない。

  九七式自動小銃は張鼓峰事件などの国境紛争時に鹵獲された帝政ロシア製の自動小銃である、フェデロフM1916の強い影響を受けて開発が開始されている。中距離での戦闘を強く意識した、全く新しいコンセプトの歩兵用小銃だ。

  ガス圧で動作し、フルオートとセミオートの切り替えが可能であり、中距離から近距離での制圧能力が旧来のボルトアクション式の小銃よりも劇的に上がっていた。この小銃に適合する新型弾薬として、三八式実包より弾頭重量が軽く、高初速で弾薬全体が短い新型の6.5ミリ弾、九六式実包が開発され、日本陸軍の歩兵の共通弾薬となっている。

  九六式軽機はアメリカのブローニングM1918BARやスイスのゾロターンMG30、チェコのZB26などの各国の軽機関銃を研究した上で開発された軽機だ。

  弾倉を使用して給弾を行い、ガス圧で動作する。弾倉は25発通常弾倉と50発、100発のドラム弾倉が用意され、弾薬は小銃の弾薬である九六式実包が使用されていた。銃身の交換が容易なよう設計されており、信頼性が高く比較的軽量で、非常に使い勝手の良い軽機関銃だった。また、25発の弾倉は九七式自動小銃と同一のもので、戦場での弾薬の融通も可能となっている。

  これらは歩兵火力の増強を目的とした、日本陸軍歩兵の新世代の装備であり、世界的に見ても一歩抜きん出た存在だった。

  ただ、米軍と奉天軍は装備以外にも兵員の練度も必ずしも優秀ではなかった。特に、奉天軍にその傾向は顕著だ。

  戦闘機搭乗員の平均的な練度も、似たようなものだという。

  だが、最大の問題は彼らの戦車だ。

  彼らの戦車部隊はM1戦闘車とM2軽戦車を主力に、他に少数のルノーFT戦車という構成だった。 ルノーFT以外はすべて最大火力が12.7ミリ重機関銃であり、ルノーFTも短砲身の57ミリ砲が主砲だ。

  正直、ソ連のBT戦車を相手にするには心許ない。

  ルノーFTは欧州大戦中の戦車であり、設計が20年前の旧式だったし、M1戦闘車もM2軽戦車も信頼性と機動性は高いが装甲は薄く、ソ連軍戦車の主砲や対戦車砲に対応するには不安があり過ぎた。

  結果として、我々が戦車戦の主力をやる羽目になっている。

  妹尾はその事実に多少の嫌気を感じていた。

  確かに、九七式中戦車はルノーやアメリカの国産戦車より火力でも、装甲でも上回っていた。主砲は24口径75ミリ砲であったし、正面装甲は50ミリほどある。

  大正の半ばから続いた好景気は、日本陸軍にこれほどの戦車を装備できる余裕を与えていた。

  関東軍は装備面で優先されていたから、戦車連隊は定数いっぱいを、この二年前に制式化された新鋭戦車で満たしている。

  頼りにされるのは悪い気分ではない。 だがそもそもの問題として、この戦争はうちの戦争じゃないんだがなぁ。

  それは関東軍全体に漂っている空気だった。

  この戦争、正確には事件、はもともと満州軍閥とモンゴルの間の国境紛争にアメリカとソ連がそれぞれ嘴を突っ込んだために発生し、拡大したものだからだ。

  日本は日露戦争における勝利の後、満州の市場をアメリカに開放していた。また、満州鉄道の株式の49パーセントを鉄道王ハリマンに売却するなど、満州利権に関してはかなりの譲歩をしている。

  これは奉天会戦において緊急輸入された砲弾の供給が間に合い、予想以上の戦果を陸軍が上げたことと、ポーツマス講和会議において昭和精機製の新型暗号機を利用した外務省が有利に交渉を進めた結果、日本が樺太全土を掌中に収めた影響だった。

  樺太は豊富な森林・水産資源と多くの炭鉱が存在し、開発すれば容易に雇用が生み出せる土地だった。当時の農村人口増加に苦慮していた日本政府にとっては開発優先度が非常に高い土地だったのだ。また、1910年代には北樺太各地で油田とガス田が発見され、その開発には加速がかかっている。

  当時、東北地方の開発も活性化していたから、金銭的にも人的にも日本には大陸まで手を広げる余裕がなかった。

  朝鮮半島すら、未だに保護国状態のままなのだ。

  開発もできない土地を抱えるぐらいなら、アメリカに分けて国債の返済について便宜を計ってもらったほうが得であった。日露戦争の戦費は膨大なものであったからだ。それに満州におけるアメリカの存在は、ロシアの南下に対する壁にも成り得た。

  また、アメリカから物資を運ぶ場合はどう考えても日本の租借地であ大連の港と満鉄を利用する必要があったから、日本が受け取る利益も大きい。

  当時の政府はそう判断し、アメリカに対して満州の市場を開放したのだ。

  アメリカは現在、内戦状態の中国において、満州の支配権を満州軍閥、いわゆる奉天軍、に認め彼らに軍事援助を行なっていた。また、自国の利権を守るために一個軍団に相当する陸軍部隊を満州に展開していた。

  いわゆる在満米軍である。

  日本も満鉄の警備のために関東軍を派遣していたが、在満米軍の規模に比べれば小さなものだった。

  今回の事件の発端は、5月末の奉天軍とモンゴル軍の国境をめぐる小競り合いだ。

  国境が確定していないハルハ河河畔で、奉天軍とモンゴル軍が小競り合いを行い、奉天軍が撃退された。

  それが引き金だった。

  6月半ばには頭に血が登った張学良率いる奉天軍の主力と、それに引きずられる形で参戦した在満米軍と更にそれに引きずられた関東軍の合計7個師団がノモンハンに到着。事変のエスカレートを予想して事前準備していたソ連軍とモンゴル軍の、合計6個師団と激突することになった。

  日本としては、アメリカも満州も、ともに大きな貿易取引相手である。

  また日本は、満州に鉱山や油田、炭田の採掘利権を持っていた。ちょうど大慶油田での採掘が昭和石油とスタンダード・オイルとの合弁会社により始まり、大連までのパイプライン敷設すら視野に入った途端の出来事でもあった。

  ただ、ハルハ河近辺には日本はさほど利権を持っていない。

  石油はアメリカからの輸入と、北樺太の尾羽油田、佐渡ヶ島近海の新潟沖油田から日本の消費を支える程度の量は十分に入手できている。だが入手先は多いに越したことはない。

  正直、満州とモンゴルの国境が何十キロか動いても、日本的にはどうでもいいことではあったのだ。だが、満州という土地を事実上支配しているアメリカの機嫌を損ねたり、アメリカの対日あるいは対満州投資が鈍るのは避けたかった。

  その兼ね合いから、お付き合い的に参加したのだ。

  事実、参加当初の妹尾達日本陸軍の仕事は、在満米軍と奉天軍の防御線後方で、緊急時のために待機することだった。

  戦力としてはそれほど期待されてはいなかった、ということだ。

  実際、在満米軍と奉天軍は事変当初、ソ連軍とモンゴル軍を押していた。

  張学良の発案のもと、在満米軍総司令官ダグラス・マッカーサー大将の許可を受けずに奉天軍は7月初旬にハルハ河渡河作戦を実施。マッカーサーは張学良の独断を苦々しく思いながらも、在満米軍砲兵に砲撃を命じ、奉天軍を支援した。

  砲撃支援のもと、渡河部隊は対岸のモンゴル軍騎兵第六師団をさしたる損害もなく撃破し、南下を開始。そのままモンゴル軍とソ連軍を包囲するかと思えた。

  しかし、攻勢もここまでだった。

  5月末の小競り合いからのエスカレートを予想していたソ連は、事前に大量の装甲車両を派遣していた。

  渡河部隊をBT-5及びBT-7を主力としたソ連軍装甲部隊が強襲。

  渡河部隊は重量のある戦車や対戦車火器を持ち込めていなかったため、効率的な対戦車戦闘ができず、大きな被害を出して後退した。

  渡河作戦は失敗に終わったのだ。

  渡河作戦失敗後の戦線はハルハ河東岸に移ることになった。状況は、互いに戦車部隊を繰り出しては撃退され、砲撃をしては砲弾が尽きる、ズルズルとした膠着状態へと陥る。

  在満米軍や関東軍は奉天軍に引きずられる形での参戦であったから事前の準備が不足していたし、有力な火砲の装備率も砲弾の補給能力も低かった。 もっとも、補給に関してはソ連側も似たようなものだったが。

  攻勢を主張する張学良を脇において、マッカーサーと関東軍司令官の今村均中将はまず何よりも補給線の確保をすることと、その間は徹底した防戦により持久することで意見が一致した。

  そしておよそ3週間の防衛の末、8月半ばのソ連軍の攻勢を弾き返し、猛烈な砲撃戦と航空戦の後、在満米軍と関東軍は逆襲に転じた。

  現在はその仕上げとなる、ハルハ側東岸最後のソ連軍陣地への攻撃を行なっているところだ。

  防戦の間、装甲車両を押し立ててくるソ連軍は、幾度か味方戦線の突破に成功していた。その時、火消し役として使われるのは、常に妹尾達戦車第4連隊だった。

  ソ連軍の戦車や装甲車は比較的装甲が薄く、対戦車砲あるいは野砲の直接射撃で撃破可能だったが、機動力を持った対戦車能力は妹尾達だけだったからだ。また、数年前から戦車大隊を組織し始めた日本陸軍は戦車連隊に170を超える、まとまった数の戦車を配備できていたからでもある。

  現在、第4戦車連隊の稼働戦車数は132輌。戦闘開始以前の8割弱にまで落ち込んでいた。この中には19輌の撃破後回収され、修理の上で復帰した車両が含まれている。これは補給線の整備が完了し、新京の工廠から予備部品が届いたから出来たことだった。

  補給線が整っていなかったなら、妹尾の部隊は事変前の7割以下にまで戦力が落ち込んでいたことになる。

  だが、それでも第4戦車連隊が最終攻撃の中核となるのは、上げた戦果が高いからだった。

  第4戦車連隊は38輌の損害に対して、敵戦車撃破数90輌以上を成し遂げていたのだ。期待するな、というのも無理な話だろう。

  気がつくと砲撃が下火になり始めていた。予定よりは幾分早い気もするが、敵側からの砲撃がさほどなかったことを考えると、司令部は作戦を早めるつもりのようだった。

  妹尾は喉頭マイクのスイッチを入れ、彼の指揮する戦車小隊4輌すべてに命令を伝える。

「各車準備しろ。そろそろ命令が来るぞ」

 部下たちから、了解の解答が帰って来た。声からするに、気負いは無いが手輝度に緊張しているようではある。悪くない状態だ。

  ふと、頭上からバタバタと空気を叩くような音がした。

  妹尾が空を見上げると、多数の航空機がソ連軍陣地に向けて飛行していた。ソ連側からも多くの航空機がこちらに向かってきていた。

  おそらく、双方の航空攻撃が鉢合わせしたのだ。

  飛行機雲が相互に螺旋を描き始める。

  航空戦の始まりだった。

「連隊各車に告げる」

 ヘッドフォンから微細なノイズ混じりに連隊長の声が聞こえた。

「我が連隊は空爆の後、敵陣地への攻撃を行う。歩兵との連携を緊密になせ。また、強力な敵重戦車が存在するとの情報もある。状況に応じて適宜、特別徹甲弾を使用せよ。これより攻撃開始地点へ向かう。戦車隊、前へ!」

「前へ」

 妹尾も喉頭マイクで小隊内の前車両へ、前進を命じた。200馬力の九五式12気筒ディーゼルエンジンが唸りを上げ、18トンを超える巨体を前進させる。

  ノモンハン事変における最後の戦闘が、今始まったのだった。

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