第三章 第十二話
戦艦『長門』は大きな打撃を受けていた。
4基ある主砲塔は、4番主砲塔が衝撃のために旋回機能に故障をきたし、事実上使用不可能であったし、電探類もほぼ壊滅していた。左舷側の高角砲と機銃は1基足りとも生き残っていない。
かつて高角砲が存在していた艦橋脇の高角砲ターレット部分では、未だに炎がくすぶっていた。高角砲の装薬に引火したため、消火に手間取っているのだ。
消火には一応の目処が立っていたから、高角砲弾薬庫への注水は見送られている。だが、万が一砲弾炸薬への引火が発生したら、即座に注水を開始する必要がある程度には、危険な状態だった。
贔屓見に見ても中破以上だろう。
主砲塔の故障具合によっては、大破に分類されるかもしれない。
だが、『長門』は被害と引き換えに、敵に対してそれ以上の打撃を与えている。
敵一番艦『プリンス・オブ・ウェールズ』は主砲塔2基が沈黙し、速度を大幅に落としていた。現在は、生き残った後部主砲塔の4門での反撃を続けていたが、命中頻度は大きく落ちている。
こちらも大破状態だろう。
ただ、後方の『レパルス』は無傷だ。
未だに6門の主砲を、『長門』に向けて打ちかけている。
「存外手間取りますね」
「仕方あるまい。敵は新鋭戦艦だ。装甲も厚いさ。それに、割と速い段階で電探が故障してしまったしな」
参謀長の澤田虎男少将の声に、小沢治三郎中将はそう答える。
『長門』の主砲射撃管制用電探は、敵に3発目の直撃弾を与えた段階で、『レパルス』からの砲弾の衝撃により、故障していた。
砲撃そのものは砲撃管制系を光学に切り替えることで、継続が出来ていたが、命中率が低下しており、『プリンス・オブ・ウェールズ』を相手に手間取ることになった。
とは言え、敵の新鋭艦である『プリンス・オブ・ウェールズ』の戦闘力は6割以上を奪っている。1対2の状況であることを考えれば、そう悪い戦果ではない。
それに、全体でみればこちらは押しているのだ。『陸奥』は敵の『キング・ジョージ五世』級の一隻、『デューク・オブ・ヨーク』に5発の直撃弾を与え、その主砲の全てを沈黙させていた。機関にも大きな打撃を受けた『デューク・オブ・ヨーク』は、既に微速でとろとろと後退を始めている。
ただの浮かぶ鉄塊と、大差ない有様だ。
現在『陸奥』は、『レナウン』との砲戦を始めていた。
火力差を持って、『陸奥』が有利に砲戦を進めてはいる。
だが、『レナウン』との砲撃戦を開始した時点で『陸奥』も主砲塔を1基破損していたから、必ずしも圧倒的に有利とは言えない状態だ。
『長門』の主砲6門の発砲衝撃が、小沢の全身を揺さぶる。直後に、返礼とばかりにイギリスの戦艦と巡洋戦艦からの砲撃が、『長門』に降り注いだ。
「3番砲塔に被弾。旋回不能」
まずいな。
内心で小沢は顔をしかめる。これで火力が半減してしまった。
現時点で、戦艦『長門』の装甲は、ヴァイタルパート内部での敵砲弾の炸裂を許していない。『長門』にとって有利な距離での砲戦だったからだ。
ただ、いかにヴァイタルパート内部への損害がないとは言え、それは無傷であることを意味しなかったし、衝撃まで防ぐことは不可能だ。
この時期の『長門』型の主砲塔旋回機構は、やや衝撃に対して貧弱な面があった。後に是正される欠陥だ。だが現在、それは、『長門』の砲戦能力の半減という形で現れている。
『長門』単体では押し負けるかもしれないな。
小沢の胸を焦燥感がよぎる。
その直後だった。
「敵1番艦左舷に水柱2本。被雷の模様」
「敵2番艦、右舷に水柱1本」
続けての報告に、艦内が湧き上がる。
当ててくれたか!
「見事だ!」
小沢は大きな笑みを浮かべ、自らの部下たちへの称賛の声を上げた。
『長門』の司令部は『妙高』以下巡洋艦4隻と、駆逐艦3隻が隠密雷撃を実施したとの報告を、10分ほど前に受けていた。
発射本数は合計で36本。
比較的、遠距離からの雷撃であり、雷撃の命中率から考えるなら、幾ら九七式変舵装置があるとはいえあまり期待出来ない状況だ。
それを、寄せ集めの戦隊で3本も当ててくれた。彼らは称賛されてしかるべきだ。
『キング・ジョージ五世』級は新戦艦の中でも、飛び抜けて水雷防御が薄い戦艦だった。
もともとイギリス海軍は艦艇の水雷防御については、軽視する傾向が強い。第一次世界大戦の時点で、複数本の被雷をしても生きて帰ってこれる戦艦を設計していたフランスとは、かなり違った発想だ。
だが、この設計思想のため、『プリンス・オブ・ウェールズ』は大きな被害を被ることになる。
『プリンス・オブ・ウェールズ』に命中した九七式長魚雷は2発。
1発は左舷艦体中央部分に命中。1500トンという、膨大な量の浸水を引き起こし、彼女の足を大いに鈍らせた。
だが、彼女に致命傷を与えたのは、もう1本の魚雷だった。
もう1本の魚雷は左舷艦体後部に命中。この炸裂により、『プリンス・オブ・ウェールズ』の4つ有る機関のうち、一つを破壊。もう一つに対して大きな浸水を引き起こしていた。
だが、この魚雷が上げた最大の戦果は、機関の破損ではない。
この魚雷の炸裂により、『プリンス・オブ・ウェールズ』の推進軸の一本がネジ曲がったのだ。
ネジ曲がった推進軸は、その回転力を破壊力へと転じて周辺の隔壁を破壊。艦尾から艦体中央部にまで及ぶ、広範囲かつ膨大な浸水を発生させるとともに、機関部全てと正副の発電機への浸水と故障をも引き起こしていた。
予備の電源は、『長門』との砲戦により破壊されていたから、『プリンス・オブ・ウェールズ』からは全ての電源が絶たれることになる。
これは、昼間に『デューク・オブ・ヨーク』に発生した損害が、更にスケールアップした形だ。
この結果、『プリンス・オブ・ウェールズ』は急速に沈み始める。
概ねの被害状況を把握した時点で『プリンス・オブ・ウェールズ』の副長は、ダメージコントロールによる復旧の可能性が皆無であると判断。早急な総員退艦を艦長に進言していた。
浸水量は『キングジョージ五世』級の予備浮力を、大きく超える量に達していたし、給排水ポンプの稼動に必要な電力や動力は、全てが停止している。
あるいは、ダメージコントロール班が、文字通り「必死」の努力をすれば、一時間程度は浮かんでいたかもしれない。
だが、彼らはダメージコントロールの専門家であるが故に、速い段階で『プリンス・オブ・ウェールズ』に復旧の目が無いことを悟っていたのだ。
そして、彼らは自らの艦よりも大切なものの保全ために、まるで敏いネズミのように、いち早く行動を起こしていた。
そのため、『プリンス・オブ・ウェールズ』は短時間で海面下へと沈むことになる。
『プリンス・オブ・ウェールズ』では、被雷後14分で総員退艦命令が出され、32分後には沈没した。生存者は、後に日本海軍に救助されることになる。だが、リーチ艦長と司令官であるフィリップス大将はその中にはいなかった。
『プリンス・オブ・ウェールズ』の命運は、2本の魚雷によって絶たれたのだ。
『レパルス』の被害も甚大だった。
右舷中央部に命中した魚雷による浸水は、『レパルス』の主砲弾薬庫と機関の一部にまで到達していた。これにより、『レパルス』の戦速は、最大で13ノットにまで低下し、砲戦能力も全てを喪失。結果、ただの巨大な船とさほど違いがない状態となった。
「敵全艦、後退を始めます」
まだ浮いている3隻のイギリス海軍の戦艦と巡洋戦艦は、煙幕を展開し後退を開始する。
最後尾の『レナウン』はまだ戦闘能力を維持していたが、『陸奥』の砲撃で既に主砲塔が1基破壊されていたし、被弾時の衝撃による隔壁の破損から、浸水量が増加していた。
これ以上の戦闘を継続しても意味は無い、と判断したのだろう。
「追撃を仕掛けますか?」
澤田の問いかけに、小沢は僅かに考えこむ。
払暁に航空攻撃を仕掛ければ、足の鈍った艦隊はほぼ仕留める事ができるだろう。だが、これには空母部隊へ損害が発生する可能性があったし、他にも問題がある。
「払暁の索敵で、発見できるでしょうか?」
航空参謀が言った。
そうなのだ。航空攻撃には索敵に失敗する可能性があるのだ。
航空機への電探の搭載で、索敵の範囲と効率は飛躍的に増した。
だが、海は広い。
少しばかり、索敵範囲が増えたとしても、見落とす可能性は常に存在した。
今回の海戦のように、両者が互いにその存在を把握し、ともに戦闘を覚悟している場合は発見率は上がる。だが、払暁の索敵は片方が完全に逃げに徹しているのだ。おそらく敵は分散して逃げるから、発見率は下がる。
敵陸上機の妨害も考えられた。
それでも小沢は、自らの指揮下の空母部隊の練度に、絶対の自信を抱いている。彼らなら、確実に敵艦隊を発見するだろう。
それでも、確実を期すならば、ここで追撃を仕掛けるべきだった。速度では優速であるし、損害もこちらの方が少ないのだから。だが、艦隊は夜戦で疲弊していた。これから追撃となれば、乗員たちに相当な無理を強いることになる。
作戦目的は既に達成されている。無理をする必要がないのも事実だった。
「相手の足も鈍っている。払暁索敵でも捕まえられるのでは?」
別の参謀が反論する。
それも事実だった。
だが、それも索敵に成功する確率が上がっているだけの話だ。確実ではない。
小沢は軽く考えてから口を開く。
「我らはこれより・・・・・・」
その時だった。
『長門』を足元からの、突き上げるような衝撃が襲う。それは、席に付いている者が転げ落ちるほどのものではなかったが、立っているものがバランスを崩し、たたらを踏む程度には強い振動だった。
「何があった?!」
艦長の怒鳴るような声が、戦闘指揮所に響く。
「右舷に被雷。数2」
「『陸奥』も左舷避雷。数1」
「潜水艦か」
舌打ちをしたい気分で小沢は言った。
この海域での潜水艦の出没情報は、事前に出ていた。だが、対潜警戒はおろそかになっていた。広域化した戦場に対応するため、艦隊を分散したのが裏目に出たのだ。
目の前の海戦に集中しすぎた、小沢の失策だった。
雷跡の報告がなかった辺り、おそらくはドイツ海軍の電池式魚雷なのだろう。
ドイツ海軍のG7e電池式魚雷は、排気が全くないため雷跡が残らない。威力、射程、速度、どれを取っても今ひとつの魚雷では有るのだが、隠密性が高く、潜水艦用として見るなら恐ろしい魚雷だった。
『長門』に命中した魚雷は、『長門』左舷バルジに破孔を作り、大量の浸水を発生させている。『長門』型は並の新戦艦よりも強力な水雷防御を持っている艦であった。そのため、それで沈むということはない。たが、最大戦速が16ノット程度にまで低下することになる。
『陸奥』も浸水により、最大18ノット前後にまで最大速度が低下していた。
「・・・・・追撃は無理だな」
小沢は大きくため息をついて言った。自分を殴りたい気分だった。
これが、インドシナ沖海戦第二夜戦の、事実上の終了宣言となる。
翌日、払暁より行われた航空索敵と航空攻撃は、案の定、敵陸上機の妨害により難航した。、
また、敵潜水艦が急激に艦隊への接触を増加させたため、投入戦力の徹底を欠くことになる。更に、敵艦隊は各艦を個別に分散させて後退させてもいた。
そのため、索敵も攻撃も、非常に非効率な物となった。
また、作戦目標を完遂している、という意識から、索敵と追撃にさほど熱意が注がれなかった、という点も否定出来ない。事実、海戦後の調査委員会では、その点が強く指摘されることになる。
結果、日本海軍の航空機による追撃は、それほど多くの戦果を得られないまま終決することになる。追撃隊が上げた目立つ戦果は、大破し、ほぼ漂流していた空母『アークロイヤル』の撃沈だけだった。
日本海軍は戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』『ダンケルク』『ストラスブール』、空母『アークロイアル』『イラストリアス』『ヴィクトリアス』『インドミタブル』『ベアルン』、重巡『ヨーク』、軽巡『デュゲイ・トルーアン』他多数を撃沈し、戦艦『デューク・オブ・ヨーク』、巡洋戦艦『レナウン』『レパルス』、他多くの艦艇に大損害を与えた。
その代償として日本海軍が支払ったのは駆逐艦『疾風』『峯雲』の沈没と、戦艦『長門』『陸奥』、巡洋戦艦『剣』『立山』、重巡『那智』、軽巡『三隈』、駆逐艦数隻の大破と、多数の艦艇の中小破、航空機42機の喪失。
そして、艦艇建造計画の大幅な狂いだった。
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