第三章 第十一話
『鶴見』は少し特殊な巡洋艦だった。
排水量は7200トンほどで、一般的な軽巡洋艦と同程度。武装も連装砲塔6基12門の主砲と4連装魚雷発射管2基が主兵装となっている。
ただ、この主砲が少し変わっていた。一般的な軽巡に搭載される6インチ級の砲ではなく、高角砲が搭載されていたからだ。
故に『鶴見』型巡洋艦は、「防空巡洋艦」という特殊な艦種ということになっている。『鶴見』型はイギリスの『ダイドー』級防空巡洋艦に影響を受けて建造された艦であり、人事等の扱い自体には軽巡との違いは存在しない。
だが、基本的には空母の直援を任務としていた。
航空脅威に晒された場合、最も脆弱なのは空母であったからだ。
そもそも『鶴見』型は、対艦戦闘任務が発生するとは、それ程想定していない艦なのだ。魚雷発射管は、単に保険としての意味が強い。万が一、空母に敵艦が肉薄した場合の。
『鶴見』に搭載されている高角砲は、新型の五〇口径九六式一二糎七高角砲ではあったが、6インチ級の主砲と比較すれば打撃力も射程も劣っていた。
そらぁ、先手とられるよなぁ。
『鶴見』艦長、久木初彦大佐は眼前の光景を見ながらそう思った。
現在、『鶴見』と同型艦の『狩野』は敵の軽巡洋艦、おそらくは『クランコロニー』級軽巡のいずれか、からの砲撃をほぼ一方的に受けている。
『クラウン・コロニー』級は日本海軍の最上型軽巡が嚆矢となる、俗に大型軽巡洋艦と呼ばれるタイプの艦だ。『クラウン・コロニー』級軽巡は、6インチの主砲を12門と、10.2センチ高角砲を8門搭載しており、対艦火力は優秀だった。
イギリス海軍の一般的な6インチ砲の射程は2万3000メートル程度。それに対して九六式12.7センチ高角砲の最大射程は1万9000メートル程度だ。
現在の彼我距離は2万メートル弱。
敵を右舷に見る同航砲戦状態で、完全にアウトレンジされた形だ。
最大射程に近い射撃であるから命中弾こそ出ていないが、心臓にいい状況ではない。
当初、この2隻の大型軽巡の相手は、重巡である『妙高』と『那智』及び大型軽巡の『三隈』が担当するはずだった。だが、『妙高』と『那智』、『三隈』は実際にはイギリス海軍の防空軽巡である『ダイドー』級の2隻と砲火を交わしている。
戦場では、よくある錯誤だ。
ただ、格下を相手にしている重巡2隻と『三隈』は良いが、久木の方はたまったものではなかった。
むこうとこちらは、ほぼ分断されており援護も期待できない。駆逐隊の連中は敵の駆逐艦と殴り合っているから、これも援護は期待できなかった。
「煙幕を張れ」
久木は命令により、『鶴見』の煙突から煙幕が展開される。煙突内に燃料の重油を噴射するだけの簡易的な煙幕装置だが、視界を塞ぐ、という機能は十分に果たせた。
「意味ありますかね?」
副長が、不安そうな小声で聞いた。この状況で不謹慎ではあるが、気持ちは理解できる。
電探射撃が実用化されている昨今、煙幕にどれほどの意味があるのか、ということだろう。
「敵さんだって、測角には光学を使っている。煙幕は無意味ではない。面舵だ。今のうちに距離を詰める」
久木はわざと力強く、周囲に聞こえるように言った。
実際のところ、久木自身も煙幕は半ば気休めだと思っている。だが、兵達を動搖させるわけには行かなかった。
それに何より、まず少なくとも5000は詰めんと話にもならんからな。
「面舵、進路045。最大戦速まで上げろ」
『鶴見』が傾き進路が変更される。限界まで出力を絞り出している機関の音は、悲鳴のようにも聞こえた。
『鶴見』型の最大速度は概ね33ノットだ。敵巡洋艦に対しておよそ45度の角度で近づいている現状、5000メートルの距離を縮めるには、10分弱の時間が必要だった。
その間にも敵の主砲は降り注ぐ。
さすがに夜間、遠距離ともなれば、早々には直撃弾は出ない。だが、着実に弾着は近くなっている。徐々に至近弾が増えており、このままであれば何時かは直撃がでるだろう。
「距離、160」
「右舷、砲雷撃戦用意!」
久木は命令を下す。
後数分あれば、目標距離に到達できる。
既に主砲には砲弾が、魚雷発射管には魚雷が装填されていた。最終的な安全装置が、この命令により解除される。『鶴見』はすぐにでも戦闘をは開始可能な状態だった。
あと少しだ。上手くいけば、至近弾のみで凌ぎ、無傷で攻撃可能距離に近接できる。
だが、現実は非常だった。
久木のそんな希望をあざ笑うかのように、敵弾はついに彼らを捉える。
『鶴見』の後方で爆発音と閃光が翻った。
「『狩野』に被弾!」
「損害は?」
久木は思わず口から漏れそうになる罵声を抑え、僚艦の損害程度の確認をさせる。
万が一にも『狩野』が脱落してしまうと、今後まともな戦闘が望めなくなってしまう。
「一番砲塔が大破、その他大きな損害なし」
艦隊内通信による確認で、報告が入る。6基ある主砲のうち、1基が破壊されてしまってはいたが、戦闘行動は可能なようだった。
久木は内心で胸を撫で下ろす。
これで、戦闘方針を変更せずに済む。勝利の可能性が残った。
「距離、150!」
「取舵、進路315」
久木の命令により、『鶴見』は進路を変える。『鶴見』に続いて『狩野』も進路を変えた。
進路の変更により、敵軽巡は砲撃用データの測定を再度やり直すはめになる。これまで至近弾を連発していた敵軽巡の砲撃は、途端に大きく逸れ始めた。
ちょうどいい。これで、安心して狙うことができる。
「目標、敵一番艦。雷撃始め」
「了解、雷撃始め」
『鶴見』と『狩野』の魚雷発射管から、それぞれ4発、計8発の魚雷が海面に放り出される。着水した魚雷は、機関に火を入れ、水面下数メートルを敵艦の未来予測位置に向けて疾走しはじめた。
雷跡は、存在しない。
『鶴見』型防空巡洋艦には53センチ4連装魚雷発射管が2基、装備されている。
この発射管は、「九七式長魚雷」と呼ばれる新型魚雷に対応した発射管だった。今回雷撃に使用された魚雷も、この魚雷だ。
この魚雷には酸化源に過酸化水素水を利用し、メタノールを燃料とした高熱タービン機関が採用されている。
この方式はいわゆる酸素魚雷とは異なり、高圧充填された酸素タンクを必要としない。そのため、駆逐艦への酸素発生装置を搭載する必要がないなど扱いが比較的楽だった。
その上、射程距離や雷速、弾頭重量は酸素魚雷にさほど劣らないし、排気は水蒸気と二酸化炭素のみだから、無航跡となる。
勿論、高濃度の過酸化水素水は、扱いを間違えると非常に危険な代物だ。
ステンレスやポリ塩化ビニール、アルミニウムなどの特殊な素材のタンクで保存する必要があったし、有機化合物に触れた瞬間に猛烈な反応、つまるところ爆発をする問題もある。
だがそれでも、管理に神経を使う危険な高圧酸素充填装備を駆逐艦や潜水艦のようなスペースの限られた艦に搭載する必要性がないのは、大きなメリットだった。メンテナンスするべき機材が大きく減り、使用出来るスペースが増えるからだ。
この方式が実用化された結果、日本海軍からは酸素魚雷搭載駆逐艦は急激に姿を消し始めていた。
九七式長魚雷の最大射程は46ノットで2万メートル。52ノットで1万5000メートル。弾頭重量は450キログラムにも達する。
射程も雷速も、他国の魚雷と比較するなら圧倒的だった。
この性能には日本嫌いで有名なアーネスト・キング大将アメリカ海軍作戦部長も黙らざるをえず、Mk16水上艦用魚雷としてライセンス生産していたほどだ。
61センチ九三式酸素魚雷と比較すれば射程は短いが、これはサイズの差によるものと考えるのが妥当だろう。
久木は私物の腕時計を見た。精工舎製の腕時計は薄暗い艦橋の中でも、針と文字盤に塗られた夜光塗料によって時間が確認できる。安価な割に頑丈で、自動巻き機能までついていたから、このモデルは海外でも人気があった。
魚雷の到達まで、およそ十分。その間、黙ってみているというのも芸がない。
久木は腕時計から目を離すと、命令を伝えた。
「目標、敵先頭艦。撃ち方始め」
「了解、撃ち方始め」
主砲が斉射を始める。『鶴見』の砲撃に続いて『狩野』も砲撃を開始した。『狩野』の目標は敵2番艦。
およそ40秒後、『鶴見』と『狩野』の目標艦前方に12本の水柱が立った。
距離は概ね正確だ。故に、想定内。
修正を加えたデータを元に、再度の砲撃を行う。今回の砲弾も敵艦前方へとずれたが、それは先程の砲撃とは異なり、至近弾と言っても良い程に近距離への弾着だ。
敵の砲撃は当然続いていた。
こちらの転舵の結果、観測データの取り直しになったのだろう。『狩野』への一発以外、命中弾は出ていない。
ただ、徐々に弾着が正確になってきている。出来る限り速い所、夾叉を得たいのが、久木の本音だった。
夾叉さえ出せれば、手数では確実に圧倒できるからだ。
『鶴見』の砲弾が敵艦『フィジー』を夾叉したのは、第四斉射での事だった。
そして、ほぼ同時に敵艦の砲撃も『鶴見』を夾叉する。
どのみち、この規模の軽巡洋艦には、それ程強固な装甲など存在しない。大型軽巡である『クラウン・コロニー』級であっても、舷側装甲は90ミリに満たない。砲塔の装甲も50ミリ程度。角度が良ければ、『鶴見』の主砲である12.7センチ高角砲の遅延信管砲弾で十分貫通が狙える厚さだ。
それにそもそも装甲されている部位も少ないから、榴弾での直撃があれば何かしらの損害を期待できる。
一発辺りの威力の少なさは、発射速度で十分に補いがつく、と久木は考えていた。
五〇口径九六式一二糎七高角砲は、最大で毎分19発。小型艦などの条件が悪い艦艇であっても、最低毎分12発は発射できる。
『鶴見』型は対空戦闘を目的に建造された巡洋艦であったから、主砲発射速度の持続には非常に神経が使われていた。砲員の疲労を加味しても、最低、15分は最大発射速度を発揮可能だったし、その後も毎分15発の発射速度が維持可能だった。
当然、久木は全力射撃を命じる。
4秒弱に一度のペースで12発の12.7センチ砲弾が、敵の大型軽巡に降り注ぐ。
「敵艦に命中弾多数」
「敵艦に火災発生」
『鶴見』の砲撃は、『フィジー』を確実に捉えていた。砲戦を開始してから僅か8分で、少なくとも7発の命中弾を与えている。
『フィジー』は艦の各所で火災が発生していた。少なくとも左舷側の高角砲は全滅したらしく、沈黙している。当初、12門あった主砲も主砲塔1基が沈黙しており、9門にまで火力が低下していた。上部構造物も多くが損壊しているのだろう。艦影が微妙に変化してすらいる。
ただ、こちら側の損害も小さなものではない。
『鶴見』は4発の被弾を受け、右舷側の戊式40ミリ機銃と恵式20ミリ機銃がほぼ吹き飛んでいた。また、主砲塔が一基破壊されていたし、右舷側魚雷発射管にも直撃弾が出ている。
魚雷が装填されたままだったら、と思うとゾッとする被害だった。
大量の炸薬と過酸化水素水を充填されている97式魚雷は、誘爆した場合、軽巡程度なら容易に大破させてしまう。
発射後で良かった、と久木は本気で安堵していた。
損害程度で言えば『狩野』も似たような状態だった。『狩野』は主砲塔が2基が破壊されて居る点が異なり、機銃類の損害はほぼ同様だ。違いと言えば、右舷魚雷発射管が損傷していないぐらい。
戦果については、『狩野』の目標艦『ケニア』の主砲は全門が生き残っている点が違いだったが、他は似たようなものだった。
「そろそろ、時間か」
久木は腕時計をちらりと見ながら言った。先ほどの雷撃から、およそ10分。
そろそろ雷撃の結果が出るタイミングだった。
1本当たれば、幸運ってとこだな。
久木はそう考えている。
雷撃の命中率は元々低いのだ。わずか8本の魚雷では、複数本の命中は期待できない。幾ら九七式長魚雷が新機構を備えているとはいえ、その事実にはさほど違いはないはずだ。
久木は敵の艦影を見据える。
だが、敵艦には一行に水柱が立つ気配はない。
こいつは外れたかな。
久木がそう思った直後だった。
『鶴見』の目標艦『フィジー』の「右舷」中央に水柱が立ち上がった。続いて、『狩野』目標艦の『ケニア』「左舷」中央に水柱が立つ。
「敵先頭艦及び2番艦に魚雷命中、各1」
思わず自分の目を疑った久木だが、見張り員の報告が彼の視覚を裏付ける。
おいおい、嘘だろ。8本中2本。2割5分だって? 運がいいにも程があるだろう。幾ら新機軸があるとはいえ、出来すぎだ。
九七式長魚雷にはその動力源以外にも、一つの新機軸が盛り込まれていた。
「九七式変舵装置」と呼ばれるものだ。
九七式変舵装置はドイツ海軍がFaT魚雷として実用化し、一部実戦投入している「平面模索魚雷」とほぼ同じものだった。
「平面模索魚雷」とは、一定の航送パターンを繰り返すようにプログラミングされた魚雷のことだ。この場合、プログラミングとは歯車やカムの組み合わせになる。
九七式変舵装置の場合は、一定距離を航送した後、左右どちらかへの転舵を行いその方向への「のの字」運動を繰り返すようにプログラミングされていた。
今回は半径300メートルほどの、「のの字」を描く様なパターンをプログラミングされていた。
これにより、魚雷の命中確率が向上する、というメリットが有る。敵艦の進路に対して複数回、雷跡が交差するからだ。
反面、雷速が足りなかったり、未来予測を誤れば全く魚雷は命中しないし、敵味方が入り交じる水面では同士討ちの危険性が強くなるデメリットもあった。また、機構がやや複雑であったから通常の魚雷よりはコストが高くなる。
ただ、この装置はオン・オフが簡単にできたし、航送パターンや航送距離や旋回半径などの数値も、比較的簡単に切り替える事ができた。
未来位置予測や雷速に関しては、従来型の魚雷でも左程変わらない。
コストに関しても、元々「魚雷一本、家一軒」と言われる程に高価なのだ。潜水艦用魚雷との部品の共通化によるコスト低下により、九七式変舵装置のコストは吸収されていた。
とは言え、8本発射で2本の命中はあまりにも幸運であった。
久木は水雷屋ではなく鉄砲屋だ。それ程雷撃に対してこだわりがある方ではない。
そうではあっても、これは笑いが抑えられない状態だった。
奇跡と言うよりは、これは喜劇の世界だ。
雷撃を受けた敵艦は、どちらも行脚を落とし、現在ではほぼ停止している。
この時、『フィジー』と『ケニア』は九七式長魚雷の直撃により、機関室と発電機が全滅していた。イギリス海軍の艦艇は雷撃に対する防御が甘い事が多く、『クラウン・コロニー』級軽巡洋艦も、その例に漏れない。
そもそも、トルペックス炸薬450キログラムの弾頭を持った魚雷の直撃を受けて、戦闘能力を維持可能な巡洋艦など、欧州どころか日米にもほとんど無いのだ。
この場合はむしろ、浮いていることを褒めるべきなのかもしれない。
久木は敵艦の戦闘能力は全て奪い去ったと判断し、周辺の艦艇の戦闘状況を確認する。
周囲では『鶴見』『狩野』『妙高』『那智』、第22駆逐隊の旗艦任務から外れた『三隈』らの巡洋艦の他に、第22駆逐隊と第23駆逐隊が戦っていた。
巡洋艦部隊も、駆逐隊も、有利に戦闘を進めたようであり、損害は被った艦は多いものの、沈んだ艦は『不知火』と『親潮』の2隻に抑えられている。
敵は『ダイドー』級2隻が大破し、後退。駆逐艦も1隻を撃沈し、残りも損害を与えて後退させていた。
「『妙高』より集合命令」
「了解」
通信兵からの連絡により、『鶴見』は進路を変える。おそらく『妙高』の艦長は巡洋艦と駆逐艦から被害の少ないものを選抜して、敵の戦艦と巡洋戦艦に対して雷撃をするつもりだ、と久木は読んでいた。
まだ、戦艦同士が巨砲で殴り合っているのだろう。極々僅かにではあるが、距離を隔てたこの位置でも衝撃が知覚できる。それに海軍兵学校で二期上だった『妙高』艦長は、闘志に溢れる男だ。後退するとは考えにくかった。
ただ、それは久木も同じ事だ。まだ、左舷側の魚雷発射管4門は生き残っているし、艦の機関も無傷だ。まだまだいける。
久木は不敵な微笑を浮かべながら、進路の変更を命じた。