第三章 第九話
「『剣』は運の太い艦だねぇ」
田中頼三少将は、少し呆然とした声で言った。
全く、同意見だと光善寺も思う。
『剣』は敵艦、おそらくは『ダンケルク』級の1隻に命中弾を与えるまでに、3発の被弾を受けていた。だが、どの砲弾も『剣』の戦闘力には影響を与えていない。
1発目は第三主砲塔近辺のヴァイタルパートに着弾した。この砲弾は、この近距離では珍しいことに甲板へと着弾している。
『ダンケルク』の主砲は2万メートル台から、舷側に命中する可能性が高い弾道を描く砲だ。1万メートル台ともなると、甲板へ命中する確率はほとんど奇跡に近い。
その奇跡が起きた理由は、『剣』の動揺だった。着弾時に『剣』が横に動揺していたがため、砲弾は甲板へ命中したのだ。
『剣』型巡洋戦艦の甲板装甲は、170ミリもの厚さになる。この厚い装甲に、浅い角度で着弾した『ダンケルク』の33センチ砲弾は、この甲板装甲を貫通することが出来ずその表面で信管を作動させた。
この炸裂で『剣』は戊式4連装40ミリ機銃を2基と、恵式20ミリ単装機銃数門が吹き飛ばされてる。
2発目は第一主砲塔の防盾へと直撃した。
『ダンケルク』の33センチ砲弾は、1万8000メートルの距離で400ミリ近い装甲を貫通する能力が有る。これは、改装前の『長門』型の主砲防盾ですら十分に貫通可能な数値だ。
だが、『剣』型の主砲防盾の装甲厚は実に410ミリにもなる。『ダンケルク』の33センチ砲弾は『剣』の主砲防盾を貫通できず、主砲塔上部へと跳弾したところで炸裂。
多数の破片を撒き散らし、通信装置のアンテナに被害を与え、一時艦隊内通信を不可能としていた。
3発目は『剣』の艦首非防御区画へ命中。錨鎖庫にて炸裂し、一時火災を発生させた。だがそれは応急班らによって、すでに鎮火の目処が立っている。
つまり『剣』は、3発の砲弾直撃を凌いだということだ。
『剣』型は一般的な巡洋戦艦とは異なる発想のもとに建造されていた。
一般的に巡洋戦艦という艦種は、高速を確保するため装甲が薄い。
だが、『剣』型の速度については日本の機関技術と船舶設計技術の進歩により、30ノット以上の速度確保は設計初期段階で目処が立っていた。
機関のサイズと重量も、それまでの日本製大型船舶用機関と比較するなら、非常に小さかった。このため、『剣』型には重量面でもスペース面でも高い自由度を確保出来ていたのだ。
これまでの日本海軍だったならば、迷うことなく主砲口径を拡大しただろう。
だが、これまでとは異なる発想を始めた1930年代の日本海軍は、主砲口径よりも装甲とダメージコントロール設備、そして通信設備の増強を選択することになる。
あくまでも『金剛』型の後継と考えるなら、『剣』型の予定性能は妥当であったし、火力に関しては、新設計の36センチ砲が高い発射速度を確保出来る目処があった。
また、『剣』型に続く新戦艦、後の『土佐』型戦艦、には41センチ以上の大口径砲が搭載される予定であったから、海軍内部の反発は比較的容易に抑えられた。
これにより、『剣』型は30ノットを超える高速を持ちながら、下手な戦艦より強固な装甲を持つ巡洋戦艦として誕生することになる。
結果として『剣』型は、第一次世界大戦時のドイツ海軍の巡洋戦艦に似た性格の艦となっていた。
とは言え、この近距離で3発の33センチ砲弾を受けて戦闘能力が低下していない理由を、装甲防御のみに求めるにはいささか無理があった。
特に、初弾は神がかってすらいる。
そういう意味で田中の感想は、『剣』の総意といっても良い。
『剣』の砲弾が『ダンケルク』を捉えたのは、第3斉射だった。
命中弾は一発。
命中箇所は『ダンケルク』の後部両用砲塔下部だった。命中した三六糎九一式徹甲弾は、舷側装甲を貫通してから炸裂。後部に3基搭載された、4連装両用砲塔の内2基を使用不能とし、火災を発生させる。
この火災は後部両用砲弾薬庫近辺で発生した上、火勢が強く消火に手こずることになった。そのため、『ダンケルク』艦長は後部両用砲弾薬庫への注水を余儀なくされる。
これで、『ダンケルク』の後部甲板の12門の13センチ両用砲は、全てが使用不能となった。
注水による重量増加で、『ダンケルク』はわずかに速度を落とす。だが、艦内で発生している『ダンケルク』の火災は、『剣』からは小規模に見え、さほどの損害は与えていないと判断されていた。
「さすがに、一発では無理か」
「フランス戦艦は、存外と防御が強いと聞きます。下手をするならイギリス戦艦より優秀だとか」
田中のつぶやきに、光善寺は答えた。
光善寺の友人の一人に、造船士官がいる。彼はフランスとアメリカへの留学経験があり、両国の艦艇防御設計を絶賛していた。
「ま、『剣』も負けてはおりませんが」
そう言うと、光善寺は不敵に笑う。確かに、『剣』型は日本最初の本格的ポスト・ユトランド戦艦であり、集中防御方式を主軸とした新しい装甲配置と防御システムを構築していた。
『剣』型の防御方式は、細部の改善を行いながらも、ほぼそのままの形で後続の新戦艦に採用されている。『剣』型の防御力は、それまでの日本海軍戦艦とは一線を画していると言えた。
「そいつを聞いて安心したよ」
そう言うと、田中はにっこりと微笑む。ここが戦場であることを忘れそうなほど、柔らかな笑みだった。
『剣』が次弾を装填するまでの数十秒の間に、『ダンケルク』の砲弾が飛来する。
波の動揺とは明らかに異なる、腹と耳に響く衝撃が『剣』の戦闘指揮所を襲った。
被弾だ。
「被害報告!」
光善寺が叫んだ。艦内各部から報告が上がる。
命中したのは、船尾付近の艦載機搭載区画だった。本来、搭載している水上偵察機は先の巡洋艦との戦闘で破損しており、機体そのものは投棄されている。だが、燃料のガソリンはまだ残っており、それに引火して火災が発生していた。
すでに応急班が消火作業を行なっている、という報告だったが、鎮火には時間がかかりそうとのことだ。比較的後部主砲弾薬庫に近い位置での火災であり、万が一延焼すると危険だった。
「応急増やせ。早めに消すんだ!」
『剣』の副長が応急班の増員を命じていた。光善寺もほぼ同等の意見だ。この火災は早めに消した方がよい。艦載機搭載区画と言うことは、外から見ると火炎は目立つはずだ。戦術的にもリスクが高い。
艦内では応急班が、大忙しで走り回っているだろう。
その間に『剣』も砲撃を行う。
『剣』の現状における限界発砲速度は、毎分3発程度だった。それを、10分弱は維持可能だ。
光善寺は、その発射速度を維持するつもりだった。
『ダンケルク』は主砲口径こそ『剣』に劣るが、決して格下ではない。兵員練度も高い。三射目で夾叉を得、四射目で直撃弾を出した技量はまぐれではないだろう。
光善寺はそう判断していた。
そして、すでに彼我の距離は多少の装甲厚の差など、問題にならないほどに接近している。これまで『剣』が大きなダメージを受けていないのは、田中の言うとおり、純粋に運だ。
仮に主砲弾薬庫に直撃すれば、次の瞬間に轟沈してもおかしくはない。それが『剣』の現状だ。
だが、それは『ダンケルク』にも同じことが言えた。それ故、手数重要になる。多数の砲弾を当てれば、それだけ敵に致命傷を与える可能性が高くなるからだ。
20秒ごとに『剣』の主砲から砲弾が吐き出される。斉射ごとに1、2発の命中弾を得るのだが、それでも『ダンケルク』の主砲が止まることはなかった。そして、彼らも斉射ごとに『剣』に命中弾を得ていた。
「頑丈だなぁ、おい」
光善寺は『ダンケルク』の頑丈さに、半ばあきれながら言った。
『剣』は、少なくとも7、8発の直撃弾を『ダンケルク』に与えている。この近距離でこれだけの命中弾を与えてもなお、戦闘能力を維持するフランス海軍の造船技術に、光善寺は驚嘆の念を抱かずにはいられなかった。
だが、それはフランス側からも同じ事だ。
『剣』もすでに6発の直撃弾を受けている。
1万8000メートル弱という近距離で、6発もの33センチ砲弾の直撃に耐える「巡洋戦艦」など、前代未聞だ。
日仏両海軍は、相互に防御能力に感嘆しつつ、斉射を応酬する。
すでに『剣』は、左舷の高角砲と機銃群が全滅していた。火災こそ消し止めていたが、前部艦橋中部にも一発の直撃弾を受け、多数の乗員が死傷していた。
主砲こそ無事であったし、辛うじて主測距儀も生きていたが、電探に関しては搭載されているもののほとんどが、アンテナの破損や被弾の衝撃による故障で使い物にならない状態だ。
光学照準に切り替えて、砲撃はまだ続いている。
電探照準から光学照準への切替時に、いきなり命中弾を出せたのは、奇跡だと、光善寺は思っていた。
『剣』から見る限り、『ダンケルク』も相当に傷ついている。
甲板後部、かつて4連装両用砲塔3基があった辺りでは、徐々に延焼した火災が『剣』から見てもわかるほど、大規模なものになっていたし、少なくとも右舷の両用砲は全滅している。おそらく機銃も両用砲と同じだろう。
『剣』と『ダンケルク』の砲戦は、地道にボディーブローを叩きつけ合う拳闘の試合に似ていた。互いに決定的な打撃を与える事はできず、だがダメージは蓄積してゆく。そんな試合だ。
だが、そういう試合に限って均衡状態が崩れるのは一瞬だ。
『剣』と『ダンケルク』の戦いもそうだった。
それは、『剣』が11斉射目を発射した直後に発生した。
『ダンケルク』からの砲弾が『剣』に命中し、これまでの被弾の衝撃とは明らかに異なる、異様な振動で『剣』の全体を揺さぶったのだ。
「被害報告、急げ!」
光善寺は、被害の報告を急がせる。
自分の艦に、何かしら重大な損傷が発生した。そんな予感が、彼にはあったのだ。
「第一主砲塔大破! 全砲使用不能。第三主砲塔、2番砲破損! 使用不能」
この時、『剣』の第一主砲塔は主砲防盾を貫通され、砲弾の内部炸裂によって、吹き飛んでいた。『ダンケルク』の主砲弾が、ついに『剣』最厚の装甲を貫通したのだ。
また、第三主砲塔の防盾にも砲弾が命中。角度の関係により貫通こそ免れたが、炸裂により生じた破片により2番砲が使用不可能な程に破損してた。
ひどい状態だった。一気に『剣』の火力が4割以上も失われたのだ。
このままだと、押し切られるな。
光善寺の背筋に冷たいものが流れる。原状でも拮抗しているのだ。すでに装甲厚がさほどの意味を成さない原状、火力が低下すると、坂道を転がり落ちるように敗北へ向かう可能性があった。
だが、やはり『剣』は運の太い艦だった。
『剣』の11斉射目は、3発が『ダンケルク』に命中していたのだ。
1発目は『ダンケルク』の第2主砲塔のターレット部を貫通し、砲弾の揚弾路直近にて炸裂した。爆風は揚弾路を破壊したほか、第2砲塔の旋回に必要とされる電路を、正副全て破壊。また、爆風は補機室にまで侵入し、3基のディーゼル発電機全てを破壊した。
これにより、第2主砲塔を完全に使用不能となる。
2発目は戦闘艦橋の根元付近へ命中し、炸裂。爆風は多数の乗組員を殺傷するとともに周辺を荒れ狂った。これにより、『ダンケルク』のすべての電探が破壊された上に、10.5メートル主測距儀には無視できないレベルの狂いが生じることになる。
そして、『ダンケルク』の戦艦としての生命に、事実上の終止符を打ったのは、3発目の砲弾だった。
3発目は、『ダンケルク』の艦橋後方舷側に命中。合計で240ミリ近い装甲の全てを貫通し、艦内奥深くで炸裂した。
炸裂した場所は、『ダンケルク』の機関室だった。この炸裂は、4軸ある機関のうち2つを破壊。これにより、『ダンケルク』の速力は21ノットにまで低下している。
だが、この砲弾は機関2つの破壊以上に、大きな損害を『ダンケルク』にあたえていた。機関と同時に発電設備と第一主砲塔までの送電設備の殆どを破壊してしまっていたのだ。
フランス戦艦は、伝統的に主砲塔の動力に電動を利用している。『ダンケルク』級戦艦もその例に漏れない。
勿論、予備動力もある。だが、それまでの砲戦は第1、第2両主砲塔の予備動力を、ともに破壊していた。
この結果、『ダンケルク』は全主砲が使用不能となってしまったのだ。
「敵艦、沈黙」
見張り員からの報告に、光善寺は内心、胸を撫で下ろす。
正直、ギリギリの勝利だった。
この『剣』は、明らかに大破に分類される規模の損害を受けている。この作戦が終わったなら、数ヶ月は戦線に復帰できないだろう。
だが敵艦にも、主砲のすべてが沈黙するほどの損害を与えている。これほどの損害なのだ、修理には長い時間が、下手をすれば年単位のそれがかかるだろう。
アクリル板を確認すると、第21駆逐隊に『伊吹』『生駒』をつけた臨時戦隊は、敵駆逐艦部隊を痛打しているようだ。すでに、敵軽巡は表示から姿を消しており、敵駆逐艦も3隻にまで数を減らしていた。
あとは敵2番艦だけだ。光善寺は敵2番艦に主砲を向けるよう、指示を出そうとする。その瞬間、地震にも似た強烈な衝撃が、『剣』全体を揺さぶった。
「敵2番艦、轟沈」
その衝撃に僅かに遅れて、報告が届く。
敵2番艦『ストラスブール』は『立山』の主砲弾に、主砲弾薬庫を直撃され、砲弾の誘爆により轟沈したのだ。
もっとも、『立山』も相応の損害を支払っている。『立山』の10発近い直撃弾を受け、主砲塔は3基の内2基が大破しており、使用可能な状態で残っているのは1基のみであったし、機関部にも損害を受け、速度は20ノット程度にまで低下していた。
こちらも大破だ。
だが、『剣』も『立山』は浮いていたし、戦闘能力は残っている。
「勝ったね」
「ええ、勝ちました」
田中の声に光善寺は答えた。
「敵一番艦、離脱を開始する模様」
「敵駆逐艦部隊も、離脱の模様」
敵艦隊は戦闘能力を喪失したらしく、離脱を開始する。勝利は確定だった。戦闘指揮所には勝利の余韻とも言える、弛緩した空気が流れる。
これでやっと、安心して休める。そんな空気だ。
みな、初の実戦だ。緊張していだ。当然といえば当然だった。
「みな、よくやってくれた」
そんな中で、田中が優しく微笑みながら言った。
「第21駆逐隊と重巡の状態はどうか?」
「『伊吹』が主砲塔1基が破損しています。『生駒』は高角砲が2基破損しておりますが、他は問題ありません。『最上』は主砲塔2基と魚雷発射管の一部に破損。駆逐艦は『荒潮』と『朝雲』が大破、他は『大潮』と『満潮』は問題ありません」
「うん、それはよかった」
田中は頷く。
光善寺は田中が、単純に味方の被害が少ないことを喜んでいるのだ、と思っていた。
味方には沈没した艦はなく、敵の戦力は全て削り切ったのだ。後は敵の後退にあわせて、こちらも引くものだと思っていた。
「では、もう一仕事だ」
だが、田中は違った。
「『生駒』、『最上』、『大潮』、『満潮』は後退する敵戦艦に雷撃を実施せよ」
光善寺は、ゾッとした。田中は冷たい声で、表情を一切動かすことなく、そう言い切ったのだ。
周囲の反応も同じようなものだった。皆、田中を凝視している。
何もそこまで・・・・・・。
誰かが、ポツリと言った。
その声が聞こえたのだろう。田中は眉を顰め、そして言った。
「君等は何か、勘違いをしているね」
それは、親が子に諭すような声だった。
「欧州枢軸の国力は、日本とアメリカそれを足したものに匹敵するんだよ? 今夜、僕らはこの海戦に勝利した。だが、次の戦いでも同じとは限らないんだ。今追撃しないのは、武士の情けじゃない。勝者の奢りだ。さあ、命令伝達を」
田中の命令が彼の指揮下の全艦艇に伝達される。彼らにも多少の戸惑いがあったのだろう、多少の間をおいて「了解」の回答があった。
『生駒』以下4隻が速度を上げて、後退した敵の戦艦を追撃する。敵艦の速度は落ちていたから、簡単に追いつけるし武装も殆どが破損しているから雷撃も容易なはずだった。
「さて、残った僕らも仕事がある」
戦闘指揮所の全員が、黙りこんで身構えた。どんな恐ろしい命令を出すのだろう。そんなことを誰もが思っていた。
「生き残っている投光器で海面を照らし、溺者を救助しよう」
田中は優しく微笑むと、そう言った。
この夜、夜戦に参加したフランス海軍東洋艦隊の戦艦部隊は、駆逐艦3隻を残して壊滅した。生き残った駆逐艦も、全てが中破以上の損害を負っており、この後に戦線に復帰することはなかった。
この海戦に参加したフランス海軍軍人の生存者は1198名。
生き残った3隻のフランス駆逐艦乗組員と、彼らが辛うじて救助可能だった『ダンケルク』の生存者978人以外は、全て日本海軍が救助した者達だった。