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日米亜欧州戦争記  作者: √2
第三章 仏印攻略戦
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第三章 第六話

「何たることだ」

 英仏合同艦隊の旗艦『プリンス・オブ・ウェールズ』の艦橋で、トーマス・フィリップ大将は絶望を滲ませた声で言った。

  彼の手の中には、日本海軍の航空攻撃により、英仏合同艦隊が被った被害の総計が記されている。

  それは惨憺たるものだった。

  空母4、軽巡1、駆逐艦7が撃沈。

  空母1、重巡1、通報艦4が大破。

  巡洋戦艦2、戦艦1、重巡1、駆逐艦2が中破。

  重巡1が小破。

  たった一度の航空攻撃で、艦隊が半壊していた。

  原因の大半は、イギリス、フランス海軍間の連絡の不手際に起因する迎撃の失敗だ。イギリス海軍は駆逐艦からの連絡と同時に、戦闘機の発艦を実施し、迎撃へと向かわせた。

 ここで連絡の齟齬が生じた。

  駆逐艦はイギリス海軍内部用の艦隊内通信でしか、連絡を実施していなかったのだ。『プリンス・オブ・ウェールズ』からの迎撃命令は、フランス海軍に対しても行われていたが、フランス海軍側は艦隊内通信を傍受し発艦準備を進めていたイギリス空母とは異なり、発艦準備が全く出来ていなかった。

  また、カタパルトを装備したイギリス空母とは異なり、フランスの『ベアルン』にはカタパルトが存在せず、迅速な戦闘機発艦が物理的に無理、という現実も重なりフランス海軍戦闘機の発艦は更に遅れる。

  結果、迅速に発艦し迎撃に向かうイギリス海軍戦闘機と、準備が済んでおらず、発艦すらままならないフランス海軍戦闘機と言う図式になる。この時点で日本の攻撃隊はすでに艦隊至近にまで接近しており、フランス海軍の戦闘機を待っている余裕はなかった。

  そして、日本海軍の攻撃隊へイギリス海軍戦闘機は迎撃を仕掛け、日本海軍の護衛機に数の差(フィリップスの理解ではそうなっていた)により押し負け、艦隊は強力な敵の航空攻撃を直接受けることになる。

  この結果がこの甚大な損害だ。

  フランスの戦闘機は攻撃が開始された後に迎撃を実施し、「40機の敵機を撃墜」などと報告していたが、攻撃が終わった後の敵機を何機落としたところでさほどの意味は無かったし、どうにもイギリス海軍戦闘機隊がダシにされたような気分だった。そもそも、40機などという報告が自体が怪しいにもほどがある。

  迎撃の齟齬の大本の原因は、英仏間で艦隊内での通信手順を、事前に取り決めていなかった点にあることは、フィリップスにも分かっていた。だが、それでも彼のフランス海軍に対する心証は悪かった。

  沈んだ大型艦は『イラストリアス』級の3隻と『ベアルン』だ。大損害としか、言い様がない。

  だが、フィリップスの頭を悩ませていたのは、損傷艦の方だった。

  特に、空母『アークロイヤル』の大破と戦艦『デューク・オブ・ヨーク』、巡洋戦艦『レナウン』級2隻の中破が問題なのだ。

  『アークロイヤル』は爆弾3発と魚雷2発の直撃を受け、大規模な火災と浸水が発生。火災はかろうじて消火したが、飛行甲板は大きく破壊され発着艦は不可能となった。また浸水による速度低下は激しく、最大で10ノット程度しか出せない状態だ。

  これにより、英仏合同艦隊の航空戦力は事実上消滅した。

  『デューク・オブ・ヨーク』は魚雷2発の直撃を受け推進軸の一つを損傷。大規模な浸水を引き起こすと同時に舵の故障と発電機及び機関部の破損が発生し、一時航行不能にまで陥っていた。

  ダメージコントロールが奇跡的に機能した結果、『デューク・オブ・ヨーク』は航行能力を取り戻したが、速度は18ノットにまで低下している。

  『レナウン』も魚雷1発と爆弾4発の直撃を受け、浸水により最大速度は23ノット程度まで低下してた。また、発電機の破損も発生し、後部の高角砲が使用不能となっている。

  『レナウン』と比較してダメージコントロールに成功していた『レパルス』でも魚雷1発の被雷とそれに伴う浸水により、速度は26ノットまで低下していた。

 問題なのは、損傷艦の多くで浸水による速度低下が発生していることと、『デューク・オブ・ヨーク』の舵と機関の修理のために、4時間という時間が消費された事実だった。

  『アークロイヤル』を逃がすことが難しくなったのだ。

  現状の『アークロイヤル』の速度では、夜間に敵艦隊の主力に補足される可能性がある。

  仮に『アークロイヤル』を自沈させたとしても、艦隊が後退できるとは限らない。翌朝、再度航空攻撃を受ければ艦隊の戦力は事実上、失われるだろう。

  ならば、踏み込むべきだ。

  夜の間に敵艦隊を撃破し、巡洋艦にて敵空母を襲撃する。そうすれば、艦隊は安全に退避できるだろう。いや、そうしなければ艦隊は退避出来ないのだ。敵の空母艦載機の攻撃力は、驚異的なのだから。

  戦艦の数ではこちらが勝っている。敵には「ビッグセブン」の一角である『長門』型が存在するが、こちらの『キングジョージ五世』級は新型なのだ。『デューク・オブ・ヨーク』が傷ついているとはいえ、20年前の老嬢に劣るとも思えない。

  それに、ここで『レナウン』級と『キングジョージ五世』級が沈んでも、王立海軍にはまだまだ戦艦があったし、新鋭戦艦の建造も行われていた。

  トリンコマリーに居る旧式戦艦を回航すれば、十分シンガポールの防衛は可能だ。

  夕方近くに行った航空攻撃で、戦艦2隻と多数の駆逐艦に損傷を与えたとの報告もあった。

  第一、見敵必戦は王立海軍の原則である。

 フィリップスは覚悟を決めた。

  フランス海軍がゴネるかもしれないが、彼はフランス東洋艦隊のすべての艦艇を、自らの指揮下に完全に置くことを決心していた。そうでなければ、日本の艦隊を迎え撃てないからだ。

  日本海軍の巡洋艦と駆逐艦は強武装で有名だった。巡洋艦本来の任務にはほとんど向かない、愚かしい設計だと思っていたが、このような艦隊戦となるとなんとも面倒な相手だった。

  英仏東洋艦隊の総力を上げて迎え撃たねばならない相手だ。

「大破した艦には『エスキモー』と『マオリ』をつけて後退させろ。残りは日本の艦隊を迎え撃つ」

 フィリップスの断固とした声により、英仏合同艦隊は動き始めた。

 

 

 

 海戦も様変わりしたもんだ。

  巡洋戦艦『剣』の艦長、光善寺保善こうぜんじ やすよし大佐は思う。

 一昔前は演習においてすら、夜間の艦隊隊列維持は難しいものだった。

 だが、今はどうだ?

  電探の発達により、艦隊所属艦の位置把握は容易になった。そしてCIC、という発想の誕生により、司令官や艦長らは直感的に艦艇位置を把握可能となっている。

  これは指揮を行う上で画期的なことだった。

  直感的な情報把握ができるか否かは、指揮官や艦長の決断の正確さや必要時間に大きな影響を及ぼす。何時方向、何海里、なんて言われるよりも、目で見たほうが把握が早く正確なのだ。

  とある海軍少佐の思いつきにより、昭和15年から開発と利用が始まったCIC、戦闘指揮所は海戦においてある種の革命を起こしていた。

  艦及び艦隊の電探情報をかき集め、処理し、視覚的に表示するこのシステムは、戦闘指揮に劇的な効率化をもたらしたからだ。特に、不意の遭遇戦の多い夜戦や、決断時間が極端に短い航空戦において、その効果は顕著だった。

「やっぱり、便利なもんだねぇ、戦闘指揮所ってやつは」

 指揮官席に座る田中頼三少将も同じ感想のようだった。

  彼らの目の前には透明なアクリル板がある。

  そのアクリル板には放射状の黒線が描かれ、裏側から水性塗料で戦隊艦艇の現在位置が書かれていた。

  『剣』は南遣艦隊から分派された、先鋒部隊の旗艦だった。巡洋艦部隊とその配下の駆逐隊を指揮する、かつては主に軽巡洋艦や重巡洋艦が当てられていた任務だ。

  だが、10年ほど前から軽巡洋艦や重巡洋艦では通信能力と防御力の不足が指摘されるようになり、かつては『金剛』型高速戦艦が、現在は『剣』型巡洋戦艦が当てられるようになっている。

  『剣』型巡洋戦艦は『金剛』型の代艦として、1930年代半ばに建造された艦だった。主砲は九〇式五〇口径三六糎砲(実口径35.6センチ)が3連装砲塔で3基、合計9門搭載されている。かつては舷側に副砲として15.5センチ砲3連装砲塔が4基搭載されていたが、高角砲とボフォース式40ミリ機銃の増設のため全て撤去されていた。最大速度は『金剛』型を上回る最大31.3ノットが確保されている。

  『剣』型はあくまでも、夜戦艦隊旗艦としての『金剛』型代艦として計画、建造された艦だった。それ故に火力よりも通信機能と速度、そしてそれらの維持に重点が置かれ、火力は、少なくとも砲口径においては重視されていない。攻撃力と速度の充実を重視し続けて来た、それまでの日本海軍大型艦艇とは大きく異る思想の艦だと言えた。

  田中は『剣』『立山』を基幹とした、第三戦隊の司令官だった。

  本来、第三戦隊は『剣』型4隻で編成される戦隊だ。

  だが、『剣』型3、4番艦の『乗鞍』と『白馬』が改装後の訓練中であり、実戦に出すには不安があった。そのため、臨時で新鋭重巡『伊吹』型の『伊吹』と『生駒』が編入されている。

  田中は本来、水雷畑の人間であり水雷戦隊の指揮を取るのが適当な人物だ。だが、元々『剣』型は夜戦において水雷戦隊や駆逐隊の指揮を取るために建造された艦だった。そのため、第3戦隊の指揮官は水雷屋がやるべき、との意見がかねてから海軍内部にはあったのだ。

  今回、田中の指揮官就任で初めてその意見が通った形になった。

「見張り員は配置に付いているかな?」

 田中は光善寺にそう尋ねた。

「艦隊全艦に見張員を配置に付かせました」

 光善寺の解答に、田中は大きく頷く。

  田中は常々、ともすれば電探に寄りかっている昨今の日本海軍の風潮に疑問を示していた。勿論、彼も日本海軍の軍人であったから、電探の有効性と重要性に関しては理解している。

  だが、逆探知や妨害、故障のリスクのある電探のみに頼ることについても危険視していた。特に近距離小型目標の探知において、電探は未だ目視にはかなわないのだ。

「僕ぁ、臆病だから」

 見張り員の配置を命令した時、田中がそう言って笑ったことを、光善寺は覚えている。

  ともすれば、脳みそまで筋肉で出来ていそうなぐらいに豪胆な人間が多い水雷屋の中で、田中の性格は異彩を放っていた。

  彼は極めて慎重であり、艦隊の保全に取れる行動は全てと言っていいぐらいに取っている。

  電探技術の発達したイギリス海軍相手に、わざわざ砲の発射薬に消炎火薬を指定するほどだ。勿論、大部分の艦では言われるまでもなく、消炎火薬を使用するつもりではあったのだが。

  光善寺は田中の性格を、好ましく思っていた。

  指揮官が豪胆であることは必ずしも美徳ではない。ただ突撃するだけなら、莫迦にでもできる。

  指揮官陣頭や見敵必戦を日本海軍が掲げているのは、指揮官に決断力を求めてのことであり、決して向こう見ずな無謀さと表裏な豪胆さのみを求めてのことではないのだ。

  勿論、慎重も度が過ぎれば優柔不断となる。

  だが光善寺が見る限り、田中は決して優柔不断な人物ではない。

  必要とあれば、進んで突撃する程度の度胸は持っていると、光善寺は見ていた。

  現在の田中は第三戦隊の指揮官であると同時に、第三戦隊を主軸とした先鋒部隊の指揮官でも有る。

  近年、日本海軍では司令官の権限が強くなると同時に、その権限移譲の自由度も大きくなっていた。

  元々は我が強いにも程がある航空機搭乗員達を、「空を知らない」管制官が行う誘導管制に、無理やり従わせるための措置だ。だが、その副産物として、艦隊の細分化がスムーズに行えるという効果もあった。

  今回の田中も、先鋒部隊を指揮する権限を小沢中将から移譲されている形になる。

  現在、田中の指揮する先鋒部隊は、第3戦隊の他に軽巡『最上』を臨時の旗艦とした第21駆逐隊及び、『三隈』を臨時旗艦とする第22駆逐隊が所属している。艦種で言うなら軽巡2隻と駆逐艦12隻だ。

  この数は『長門』と『陸奥』が所属する主力艦隊よりも、多い数字だった。主力部隊には戦艦2隻のほかは、重巡2隻と駆逐艦4隻しか存在しない。

  夕方の航空攻撃により、日本海軍は駆逐艦『疾風』が撃沈され、『陽炎』、『白雪』、『山雲』が大破していた。また、戦艦『長門』と『陸奥』はどちらも数発の1000ポンド爆弾を被弾。高角砲と機銃、一部のアンテナに損害を受け、小破の判定を受けている。アンテナに関しては補修が終了し、電探と通信能力は維持できていた。

  この航空攻撃による駆逐艦の喪失と大破は戦艦戦力に劣る日本海軍にとっては痛いものだった。雷撃戦能力の低下とイコールだからだ。

  先鋒部隊の極端な戦力配置は、戦艦戦力で劣る日本側の危機感の現れだった。南遣艦隊の司令部は。まず先鋒部隊で敵が先鋒として出してくるであろう、巡洋艦部隊を叩けなければ話にならない、と考えていたからだ。

  敵巡洋艦部隊を蹴散らさない限り、駆逐艦の自由な行動は覚束ない。つまり、雷撃の実施事態が覚束ないということだ。

「見張り員より報告。11時方向に艦影を視認。距離は250。数10から15」

「水上見張り電探にも反応。11時方向に艦艇。距離250。数14」

 見張り員と電探からほぼ同時に報告が届く。日本光学製の大型双眼鏡は、伝統的に優秀な日本海軍の見張り員の能力を、新型の対水上見張り電探「三号二型」に匹敵するまでに底上げしていた。

  アクリル板には、赤い水性塗料で敵艦艇の動向が記載される。

  味方の艦列から2万5000メートルの距離をにいる、14隻の敵艦艇は、7隻づつ、2本の単縦陣を組んでいた。進路は明らかにこちらを目情としている。

「おそらく、先行しているのが巡洋艦戦隊でしょう」

 参謀長が言った。光善寺も同意権だ。

  敵はこちらも巡洋艦を出してくることを想定しているはずだった。この海域は島の様な障害物がほとんど存在しない。となれば、よほど上手く艦隊を動かすか、よほど酷く艦隊の動きをしくじるかしないかぎり、通常の砲雷撃戦になるはずだ。

  英仏は通常、駆逐隊の指揮には嚮導駆逐艦(大型の指揮用駆逐艦)を使用しているから、どちらかに巡洋艦を集中させている、と考えるのが普通だった。向こうもこちらが前衛の巡洋艦と駆逐艦を撃滅し、魚雷によって敵戦艦を痛打したい、と考えていることは読んでいるだろう。常識的に考えるならば、その戦力は重巡を中心として軽巡や駆逐艦を配した部隊だ。

  ならば、先頭に駆逐艦を立ててくるとは考えにくかった。

「じゃあ、僕らは先頭の巡洋艦を相手しようか。後ろの方は、第21、22駆逐隊、それに『最上』と『三隈』にお願いしよう」

「数的にはやや、我らは不利になりますな」

「いいじゃないか。その分、駆逐隊の苦労は減るよ。それに『剣』と『立山』は重巡には負けないだろう?」

「当然です」

 光善寺は強く言い切った。

  『剣』型は水雷戦隊の指揮と同時に、対大型巡洋艦戦闘も視野に入れて設計されている。そのため、主砲関連のシステムは『金剛』型から一新されているのだ。

「私の『剣』は重巡ごときに負けはしません。夜戦であるなら、欧米の新型戦艦であっても食って見せます」

「じゃあ、問題はないね。始めようか」

 田中は微笑みながら、そう言った。

  先鋒部隊の全艦に、艦隊内通信にて方針が伝達される。

  先鋒艦隊は11時方向に舵を切った。

  第21駆逐隊と第22駆逐隊は第3戦隊よりも、わずかに浅く舵を切る。敵の駆逐隊へ向かうためだ。

  第3戦隊は、先頭に重巡『伊吹』を置き、『剣』『立山』『生駒』の順で並んでいた。指揮官陣頭の伝統からするなら、「腰が引けている」陣形だ。だが、『剣』型は少なくともこの戦闘の後に本隊同士の戦いにも参加する必要があるから、損傷のリスクが高い先頭艦に据えるのは難しいところがある。

  また、現代の無線通信による指揮を考えるなら、攻撃が集中しアンテナが吹き飛ばされる可能性が高い陣形先頭艦に、旗艦を据えるのはまずいのではないか、という意見も海軍内部にはあった。

  それに『伊吹』型はこれまでの日本重巡とは違い、装甲も重視されている。重巡以下が相手なら、そう簡単には沈まないと判断されていた。

「どの程度の距離で発砲しましょうか?」

 参謀長が田中に確認する。

  夜戦であり、すでに敵の艦隊は2万4000まで接近していた。昼間砲戦であったなら、すでに砲撃が始まっている距離だ。

  『伊吹』型は三年式三号二〇糎砲を主砲としている。55口径の長砲身20.3センチ砲であるこの砲は、152キログラムの徹甲弾を27500メートルまで投射できた。『伊吹』型はこれを3連装砲塔におさめ、砲塔3基合計9門を装備している。

 また、この時期の日本海軍の主要な艦艇には対水上射撃用電探である「四号二型」が搭載されており、電探照準による砲戦が可能だった。

  「四号二型」電探はマイクロ波を使用する比較的小型軽量な電探で生産も順調であり、戦艦や巡洋艦のみならず一部の駆逐艦にも搭載されている。

  つまり、始めようと思えば、第3戦隊は砲撃を開始できる状態にあったのだ。

「もう少し近づいた方がいいと思うんだ」

 と田中は言った。

「無駄弾を撃って、時間を潰したくない。巡洋艦に手こずると、本隊の戦いに間に合わない可能性がある」

「150ではどうでしょうか?」

 光善寺は提案した。150とは1万5000メートルのことだ。至近距離と言えた。

「150からでしたら、夜戦でも十分な精度が出ます。例え電探がやられても、光学でやれる距離です」

「では、150まで接近後、左転舵としよう」

「つまり丁字戦法ですか?」

 田中はああ、と頷いた。

  丁字戦法は敵艦隊に対して単縦陣の側面を晒す戦法だ。艦隊全艦の主砲が使用可能であり、攻撃力に優れる。日本海軍が日露戦争の日本海海戦において実施した戦法でもあった。

「おそらく、敵艦隊も僕らの転舵に合わせて同航戦に持っていく、とは思うけれどもね。その後は、まあ殴りあいだろうね」

「望むところです」

 光善寺は獰猛な笑みを浮かべると、少し弾んだ声で言った。鉄砲屋としてキャリアを積み上げて来た彼にとっては、艦隊砲戦はある種の夢だ。

  望むところだった。

 双方の隊列は、猛烈な勢いで距離を縮め続ける。双方ともにほぼ最大戦速で接近していたから、その相対速度は60ノット、時速100キロ以上にもなっていた。

  10分も経ずに両者の距離は1万5000メートルとなる。

「取舵、進路270」

 艦隊内無線と発光信号により、進路変更の命令が第3戦隊に伝達された。艦がわずかに傾き、進路が変更される。

  第3戦隊の動きにわずかに遅れて、第21駆逐隊と第22駆逐隊も同様に進路を変えた。

  敵の先鋒部隊もそれに反応して進路を変える。彼らの部隊は右に舵を切り、先鋒部隊と同航戦の形になった。

「射撃開始せよ」

「了解。全艦右砲戦。目標敵2番艦。射撃開始」

 田中の命令により、第3戦隊の砲撃が開始される。すでに電探からのデータは射撃盤に入力済みだ。

  命令からわずかに時間をおいて、『剣』の主砲が斉射される。

 日本海軍はすでにこの時期、電探からのデータ、特に測距によるそれは光学装置によるデータより高い精度があると判断しており、初弾から斉射を行う射法を開発していた。

  『剣』の初弾は、敵2番艦からわずかに右に外れた。

  弾着の直後、敵艦に複数の光点が見える。向こうも砲撃を始めたのだ。

  弾着のズレは射撃盤のデータに反映され、修正された第2射が発射される。

「だんちゃーく。近、近、遠、近、遠、以下不明。夾叉!」

 よし!

  電探要員からの報告に、光善寺は内心で歓声を上げた。

 夾叉とは、砲弾の弾着が目標を前後に挟み込むことだ。これはつまり、砲撃の照準が正確になされており、このまま砲撃を続ければ直撃弾が出る、ということだった。

  夾叉を得ることはなかなかに難しい。訓練時ですら、10射程度が必要な場合が多々あるほどだ。

  いかに電探技術による底上げがなされていたとしても、第2射目でそれを成し遂げた『剣』の乗組員達を、光善寺は艦長として誇りに思った。

「装填急げ!」

 光善寺は命じた。夾叉を得た以上、『剣』型は本来の砲戦能力を発揮できるからだ。

  10秒と少しの間を置いて、第3射発射される。

  それは驚異的な発射速度だった。

 『剣』型巡洋戦艦は、砲口径においては火力の向上を実施していない。だが、別の面で火力の強化を実施していた。

  それは、発射速度の強化だ。

  『剣』型巡洋戦艦は最大で毎分3.5発の発射速度を発揮できた。

  そして、その状態を約10分間維持できる。その後は弾薬庫内の弾薬配置の問題上、揚弾速度が維持できず発射速度は低下するが、それでも毎分1.5から2発の発射速度を維持可能だ。

  10分間の投射弾重量ならば、『長門』型すら上回っている。『剣』型はそういう艦なのだ。

  『剣』が砲撃を行う間に、敵艦の砲撃が飛来する。ただ、敵艦は常識に従ってその多くが『伊吹』に砲撃を集中させているようだった。『剣』の周囲にも砲弾は飛来するが、さほど精度は高くなく全弾が遠弾となっている。水柱の高さからみて、その多くは15センチ級の砲のようだった。

  おそらく、敵戦隊は重巡2から3隻に軽巡洋艦を多く配した部隊なのだろう。

  『剣』が直撃弾を得たのは第4射目だった。

  敵2番艦はフランス海軍の重巡洋艦『トゥールビル』。

  『トゥールビル』は『デュケーヌ』級重巡洋艦の2番艦だ。1920年代に建造された重巡洋艦で、いわゆる条約型重巡と呼ばれるタイプの艦だった。

  この時期の巡洋艦としては優秀な設計の艦であり、艦船防御の発想に関しては高い先進性を持つフランス製の艦らしく、機関のシフト配置など、ダメージコントロール面にも配慮が見られる。

  ただ、それはあくまでも同時期に建造された他国の巡洋艦と比較した場合の話だった。

  『トゥールビル』は超音速で飛来する、724キログラムの砲弾なんてものは、想定していないのだ。

  『トゥールビル』に命中した砲弾は、2発だった。

  1発は艦中央部に命中し、75ミリ単装高角砲2基と水上機用のカタパルトをなぎ倒しながら炸裂した。この炸裂は煙突の一本を破壊している。もしも『トゥールビル』の機関が生きていたなら、機関部への煙の逆流による機関出力低下を招き、速度の低下を誘っていただろう。

  だが、より大きな効果を上げたのは、2発目だった。

  2発目の砲弾は、『トゥールビル』の第1主砲塔と第2主砲塔の間に命中した。

  1万5000メートルの距離から放たれた九〇式三六糎砲用零式通常弾は、信管の設定時間にもよるが、200ミリ程度の舷側装甲ならば貫通することができる。

  この時、零式通常弾の信管は0.3秒程度の遅動に設定されていた。条約型重巡の装甲板と艦体構造を貫通するには、十分な時間だ。

  『剣』の零式通常弾は、『トゥールビル』主砲弾薬庫周辺に貼られた30ミリの装甲板をやすやすと貫通し、弾薬庫内部で炸裂し周囲の砲弾を誘爆させた。

  結果として、『トゥールビル』は艦の前方3分の1を吹き飛ばされた上、機関と電源のすべてが停止することになる。あらゆる火器は使用不能となり、自力航行もできず、ただ浮かぶだけとなった『トゥールビル』は1時間後には沈没した。

「目標を敵1番艦に移す」

 『トゥールビル』の撃破を確認した光善寺は、砲撃目標の変更を支持する。

  敵の1番艦は重巡のようだった。『剣』が照準を変更する間にも、『伊吹』と敵1番艦の砲戦は続いている。

  『伊吹』の砲弾は敵1番艦を夾叉しているようだが、まだ命中弾は出ていない。

「照準よし」

「てっ!」

 『剣』の発砲とほぼ同時に、『伊吹』に光点が発生する。

「『伊吹』、被弾」

 伊吹に砲弾を命中させたのは、敵1番艦『ヨーク』だった。イギリス海軍最新の重巡洋艦『ヨーク』級の一番艦だ。

  もっとも、最新と言ってもイギリス海軍が軽巡を優先調達する方針を進めたため、1930年竣工最新鋭重巡だったが。

  『ヨーク』の8インチ砲弾は、『伊吹』の第一主砲塔に命中していた。

  『伊吹』型は元々は、イタリアの『ザラ』級重巡洋艦に対抗する形で建造された艦だ。日本は『ザラ』級が重防御の重巡であることを、情報収集の結果、知っていた。

  そのため、『伊吹』型はこれまでの日本海軍の重巡とは、明確に異なる思想のもと設計がなされている。

  それは、「防御力の重視」だ。

  『伊吹』型の砲塔とバーベットの装甲は、150ミリにも及ぶ。これは、重巡洋艦の装甲としては分厚い部類に入る厚さだ。

  『ヨーク』級の主砲である、MarkⅦ8インチ50口径砲は、1万5000メートルの距離で、160ミリ前後の舷側装甲を貫通できる。

  だが、今回の着弾は角度があった。そのため主砲塔の装甲を、英国製8インチ砲弾は貫通出来なかったのだ。

  だが、伊吹にも被害があった。

  主砲塔内部では砲弾炸裂の衝撃による、装甲剥離が発生し、主砲要員数名が重傷を負ったのだ。砲そのものは無事であったが、操作要員の負傷交代により、伊吹の第一主砲塔は5分間発砲不能となる。

  また、炸裂した砲弾の爆風と破片により、周辺に設置されていたエリコン20ミリ単装機銃が2基吹き飛ばされ、使い物と鳴らなくなっていた。

  だが、『伊吹』も『ヨーク』の砲撃を受ける前に、斉射を行なっていた。『伊吹』の斉射は『ヨーク』に1発の命中弾得ることになる。

  『伊吹』型の主砲から発射される徹甲弾は、1万5000メートルの距離を隔てていても、200ミリ程度の舷側装甲であれば貫通する能力を持っている。

  『伊吹』の徹甲弾は『ヨーク』の第一主砲塔のバーベット部に命中していた。『ヨーク』のバーベット部分の装甲はおよそ50ミリ。今回の着弾は角度があったが、それでも『伊吹』の徹甲弾は『ヨーク』のバーベット部を貫通し、揚弾路内部で爆発する。

  もしも、『ヨーク』が発砲直前で砲塔内や揚弾路内部に砲弾が残っていたなら、あるいは弾薬庫作業員が作業手順に従わず、揚弾後に防護扉を開けたままにしていたなら、『ヨーク』はそこで沈んでいたかもしれない。

  だが、そのいずれも発生してはいなかった。

  『ヨーク』は幸運だったと言える。もっとも、3基しか無い主砲塔は1基が根本から吹き飛ばされ、以後の使用は不可能となった。第一主砲塔周辺では付随的に小規模な火災も発生したが、これはすぐに消し止められている。

  また砲弾炸裂の衝撃により、主砲弾薬庫近くに設置されていた副砲弾薬庫の揚弾機に故障が発生。副砲の10.2センチ高角砲4門が使用不能となっている。

  『ヨーク』はこの一弾で火力の40%近くを喪失することになった。

  そして、更に『剣』の砲弾が『ヨーク』に降り注ぐ。

  『剣』は第1斉射にして、一発の命中弾を得ることに成功していた。

  快挙である。

  だが、それと同時に『剣』の砲術要員たちはひとつのミスも犯していた。彼らは砲弾の信管調整を遅動ではなく、触発に設定していたのだ。

  『剣』の砲弾は、『ヨーク』の三番砲塔に命中し、炸裂した。『ヨーク』級の砲塔装甲は薄い。

  700キログラムを超える大重量の直撃と炸薬の炸裂を受けた砲塔は、その重量と爆発による衝撃で、ハンマーによって叩き割られる様な形で破壊された。破壊より生じた破損部分から砲塔内には爆風が侵入し、装填されつつあった装薬を燃料に火災を発生させる。

  これで、『ヨーク』の第三砲塔は使用不能となり、『ヨーク』は砲戦能力の70%近くを喪失した。

  だが、これでも『ヨーク』は運がいい艦だった。

  この時『ヨーク』の後部弾薬庫は砲弾の揚弾準備作業中であり、誘爆しやすい要因が揃っていた。もしも『トゥールビル』の時と同様に信管が遅動へ設定されていたなら、『ヨーク』はこの一弾で轟沈していた可能性もあったのだ。

  『ヨーク』は残った2門の主砲で『伊吹』への反撃を試みる。しかし、すでに『ヨーク』の電探は砲弾の破片でアンテナが破損しており、砲撃に使用出来るレベルの情報確保は出来ない状態にあった。また、測器着も自身の火災による煙と夜闇のため、満足に運用できる状態にはなかった。

  『ヨーク』がなけなしの力を振り絞って発射した二発の砲弾は、『伊吹』から大きく逸れた場所に着弾する。

  その直後に、『ヨーク』へ『伊吹』からの止めが降り注いだ。

  今回、『ヨーク』に着弾した砲弾は4発だった。

  2発は兵員室や鎖錨庫などに着弾し、その周囲を破壊した。『ヨーク』の戦闘艦艇としての生命に止めをさしたのは、残りの2発だった。

  1発は艦橋に着弾し、炸裂した。これにより、電探と主測距儀が大破。砲撃に必要とされるデータの確保が完全に不可能となる。

  勿論、砲側には固有の測距儀があり、個別照準は可能だ。だが、所詮は予備の装置であり、その精度は主測距儀には著しく劣った。

  最後の1発は艦尾部分への直撃だった。

  艦尾部分に命中したこの砲弾は、『ヨーク』の動揺とちょうどタイミングがあっており、装甲に対してほぼ直角に命中していた。砲弾は、『ヨーク』の76ミリの舷側装甲と艦体構造物を貫通し、さらに機関部を覆う35ミリの装甲すらも貫通して、そこで炸裂した。

  これにより、『ヨーク』の機関4軸のうち2軸が停止。さらには発電機全てが破損することになる。

  この損害の結果、『ヨーク』は残った2門の主砲すら使用できずに、のろのろと走るだけしか出来ない、ただの船へと成り下がってしまった。

「撃ち方止め」

 光善寺は敵1番艦への砲撃を停止する。

  すでに敵艦は戦闘艦としての能力を完全に喪失していると判断下からだ。

  光善寺は改めて状況を確認する。

  すでに敵の1番艦は撃破。敵2番艦は撃沈。重巡と思われる敵3番艦も『立山』の砲撃により撃破されており、松明のように燃えていた。

  軽巡と思われる4番艦と5番艦も機関部に損害があるらしく、速度を大きく落としながら離脱行動へ移っている。同じく軽巡と思われる6番艦と7番艦も、すでに離脱行動に移っていた。

  数分おきに更新されるアクリル板上の情報では、第21駆逐隊と第22駆逐隊も敵を圧倒しているらしく、敵の駆逐隊は数を4隻にまで減らして撤退を開始している。

「参謀長。戦果は十分だと思うが、どうかな?」

 田中が少し考える様な顔で言った。

「自分も同意権です」

 参謀長はさほどの間を置かずに言った、光善寺も同意権だった。

  すでに敵は艦隊としての体をなしていない。損傷艦も多く、再編成するとしても少なくとも夜明けまでは脅威とは成り得ないはずだ。

  先鋒戦隊の任務は果たされていた。

「艦長。集合信号を出してくれ。追撃は無用だ」

「了解。通信兵。集合信号を出せ」

 この命令が、インドシナ沖海戦第一夜戦の、事実上の終結宣言だった。

 

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