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日米亜欧州戦争記  作者: √2
第三章 仏印攻略戦
12/50

第三章 第五話

 塩川保名しおかわ やすなは緊張していた。

  彼は海軍少尉であり、二式艦上爆撃機「彗星」の操縦士だ。彼は海軍兵学校を昨年卒業したばかりで、今回の作戦が初陣だった。

  呼吸が早くなっているのが、自分でもよく分かる。

「さすがに緊張するなぁ。兵曹」

「まあ、初陣なんてそんなもんです。自分もノモンハンの時はションベンチビリましたわ」

 緊張を解すための雑談に、後席の航法士は冗談で返してくれた。

  塩川とペアを組んでいるのは、佐藤右京さとう うきょう飛行兵曹だ。ノモンハン事変の末期に、九六式艦爆による地上攻撃で実戦経験がある。

「実戦なんぞ訓練より楽なもんです。多聞丸みたいなおっかない人も、実戦の空にゃおらんですし。それに対空の鉄砲玉なんぞ、船の上から撃ってもそうそう当たりゃせんですよ。砲術の知り合いが言っとりましたが、なんでも、1000発撃って当たるかどうか、だそうですわ。足の早い機体は更にきついとか。彗星の足の速さは折り紙つきですわ。大丈夫です」

 彗星艦爆は確かに高速の機体だった。

  要求仕様で最高速度280ノット(519キロ)が要求されていたのに、試作機の時点でそれを軽く凌駕する速度性能を有しているあたり、ある意味頭のおかしい機体なのだ。

  元々彗星艦爆は一三試艦上爆撃機として昭和13年に競争試作命令が出された機体だった。

  試作機を提出したのは空技廠と愛知航空機。

  空技廠のそれは昭和発動機製の1350馬力液冷エンジンを搭載し、数々の新機軸を組み込んだ、いかにもスマートな機体だった。

  対して愛知のそれは三菱製の火星エンジンを使用し、ずんぐりとした巨大な機体であり、とても高速が出そうには見えなかった。

  初見では、だれもが空技廠の機体が採用される、と思ったほどだ。

  だが、最終的に採用されたのは愛知航空機製の機体だった。

  一見、ずんぐりとした機体はエンジン後方で絞りこまれた形状になっており、主翼も層流翼的な形状が採用されていたため、空気力学的には非常に洗練されていたのだ。

  機首は太かったが、愛知が採用した火星エンジンは試作時点で燃料品質の改善などから1600馬力を発揮可能となっていた。そのため、多少の空気抵抗の増加などは十分に吸収できたのだ。

  また、空技廠の試作機は可能な限りの軽量化のため、主翼の折り畳み機を省略し、脚の出し入れなどの可動部分を全電動化していた。日本の蓄電池や電装品の品質は向上しており、試作機の時点でも部品の信頼性や調達には問題がなかった。だが、空技廠が設計した電動機構はあまりにも複雑であり、生産性や整備性に大きな問題を残していたのだ。

  対して愛知の機体は主翼に折り畳み機構を採用し、折り畳み時の全幅では空技廠の機体を大きく下回っている。これは空母への搭載機数の増加を意味していた。

  また、巨体であったが故に燃料搭載量は多く、燃費面で不利な空冷エンジンでも航続距離は要求仕様をクリアしていた。

  電動化部分も必要部分のみに使用して構造も簡素なものとし、多くの部分で旧来の油圧駆動式を維持している。油漏れ等はシール材の改良と品質管理の導入で解決されていた。機体構造も頑丈で爆弾倉も大型であり、最大で800キロの爆弾を搭載しての爆撃が可能であったし、防弾装備も完備されている。

 もちろん重量は増加していた。だが、馬力が全てを解決していたのだ。

  更に空技廠の機体には悪いことが重なった。

  空技廠の機体に採用されていた液冷エンジンは、同型のエンジンが空軍の次期主力戦闘機への採用が決定されたため、空軍への優先供給契約が先に結ばれてしまっていたのだ。

  対して火星エンジンは満州やアメリカとの交易の活発化により輸送・旅客機需要の増大を当て込んだ三菱が、かなり大きな設備投資をしており、供給能力には余裕があった。この面でも愛知の機体は有利だった。

  速度面では空技廠の機体の方が15キロほど優速だったが、他のほぼ全ての面で愛知の機体は優れていたのだ。

  そして、空技廠側の優位だった速度も100オクタンガソリンの供給開始と三菱の改良により、火星エンジンの出力が1850馬力となった時点で消滅した。

  現行の量産型である彗星二二型の最大速度は時速577キロ。

  アメリカ海軍の最新鋭艦上爆撃機SB2Cヘルダイバーと比較して、100キロ近くも高速だ。

  彗星が重量と空気抵抗の軽減のために後部旋回機銃を廃止しているのに対し、ヘルダイバーはそれを維持している上、搭載武装そのものが強力であったり、機体構造が彗星よりも更に頑丈であったり、爆弾搭載量が100キロ以上多かったりとヘルダイバーの方が優れている面は多い。だが、それでも彗星が驚異的な性能の艦爆であることは確かだった。

  事実、ヘルダイバーの開発の遅れや急降下時の振動の発生による安定性の低さ等の問題故に、アメリカ海軍の一部では彗星の導入が検討されたほどだ。もっとも、この話はアメリカ海軍作戦部長のアーネスト・キング大将の感情的かつ猛烈な反対により流れていた。

  もしも、キングがもう少し親日的、というか人間的に大人、だったならアメリカ海軍でも彗星は採用されていたかもしれない。

「まあ、確かにそうだわな。下手すりゃ零戦より速いんだし」

「そうですよ。それに、少尉は80番組やないですか。腕がいい証拠ですわ」

 今回の攻撃隊は艦戦48機、艦爆64機、艦攻64機の総計176機によって編成されている。

  艦爆隊は3種の装備をしていた。

  12機が爆弾倉に250キロ爆弾一発と翼下に一式八〇粍二〇連装噴進弾発射機2基を装備した25番組。

  32機が500キロ爆弾を装備した50番組。

  そして、20機が800キロ爆弾を装備した80番組である。

  25番組は駆逐艦や巡洋艦を、50番組は戦艦や『イラストリアス』級以外の空母を目標としていた。そして、80番組の目標は『イラストリアス』級だ。

  彗星艦爆は800キロ爆弾による急降下爆撃が可能であったが、800キロ爆弾搭載時には、爆弾倉の扉を閉じることが出来ないという問題があった。このため、800キロ爆弾を搭載した状態の彗星は空気抵抗の増加と機体表面の気流の変化により、稀に異常振動を起こすことがある。また、急降下時の角度には厳しい制限があった。

  そのため、80番組は「腕がいい」と評価された搭乗員のみで構成されている。塩川は80番組の中では最も若輩だったが、選ばれた時点で一級の艦爆乗りであることは証明されていると言えた。

「おだてないでくれよ」

「いやいや、本音ですわ」

 雑談を続けながら、塩川の機体は飛行を続ける。彗星には簡単な自動操縦装置が装備されていたから、直進をする分には操縦にさほど気を使う必要がなかった。

  とはいえ、二人はただ雑談をしていたわけではない。周囲を見回し敵機に奇襲されないよう、注意を続けていたのだ。

「少尉。2時上方、敵機です」

 佐藤の声に引かれるようにして、右前方上空を確認する。数十機の小さな機影が見えた。こちらに機首を向けている。どの機体も液冷エンジン搭載機なのだろう機首が尖っていた。日本海軍には液冷エンジンの機体は存在しない。間違いなく敵だ。

 塩川は自動操縦装置を解除し、スロットルに指をかけた。

  彗星に後部旋回機銃は存在しない。空気抵抗と重量を軽減するために廃止されているからだ。爆弾以外の武装は機首に2丁装備された、12,7ミリ機銃だけだった。

  故に、敵戦闘機に襲われた時に彗星が頼れるものは、その速度と頑丈さだけだ。増速のタイミングは、生死を分けると言っても過言ではない。

「『芙蓉1番』より『芙蓉』全機へ。2時上方の敵機は戦闘機隊が対応する。速度を上げるぞ 25番組は攻撃準備」

 艦爆隊の隊長機から連絡が入る。塩川はスロットルを開いた。加速が始まり速度計が急速に上昇を始める。

  彼らが増速を開始した直後に戦闘機隊は増槽を捨て、機首を上方に向けて加速を開始した。上昇しているというのに、塩川達をあっさり置き去りにしていく。

  さすがは新型機だな。

  塩川は素直にそう思う。

  48機の戦闘機隊は、全てが最新の艦上戦闘機である三式艦上戦闘機「紫電二一型」によって編成されていた。

  今年制式化されたばかりである低翼単葉のこの機体は、プラット・アンド・ホイットニー社との技術交流を行った、昭和発動機により開発された新型の18気筒発動機「ハ-44」を搭載していた。

  「ハ-44」は火星エンジンとさほど変わらない直径の大型エンジンではあったが、出力は実に2100馬力にもなる。日本が手にした、初めての実用的な2000馬力級エンジンだった。技術的にはプラット・アンド・ホイットニーの2000馬力級エンジン、R-2800の兄弟的なエンジンと言える。

  紫電は自由イギリスや日本軍による諜報活動で入手された、Fw-190やスピットファイアの技術情報を参考に設計されており、最高で時速640キロを超える速度を発揮可能だった。

  これは米海軍の新鋭艦戦F6Fヘルキャットをしのぎ、F4Uコルセアにやや劣る程度の速度だ。武装は高初速でベルト給弾式の新型機銃、一式二〇粍機銃を翼内に4門装備している。運動性も低くはなく、特に時速500キロを超えた領域での運動性は零戦を凌駕していた。

  ただ、元々が川西航空機と昭和航空機が、共同ベンチャーで開発していた陸上機を艦載機化した戦闘機だ。

  そのため着艦速度が速いなど、艦載機としての癖は強かった。「癖がない」と評される零戦やF6Fと比較するなら、万人向けの艦上戦闘機とは言えない。もしも三菱の新型艦戦の開発遅延がなかったならば、採用されていなかっただろう機体だ。

  だが、紫電は採用され、戦場に投入されていた。

  癖は訓練で解決できる程度の問題であったし、新型艦戦の投入は、シーファイアなどの新型の敵艦戦の登場により急務となっていたからだ。

 紫電隊と敵の戦闘機隊は、空戦を開始する。数的にはやや敵の方が多いようではあったが、押しているのは紫電隊のようだ。こちらには敵機がやってはこない。

  この時期のイギリス海軍艦上戦闘機の数的主力は、シーハリケーンだった。シーファイアはこの時期やっと生産が始まったばかりで、イギリス東洋艦隊全体でも30機程度しか存在していない。

  また、シーファイアは着艦試験の際に脚を折る事故を起こしており、艦上での運用に不安が持たれていた。そのため、一部のベテラン以外には支給されていないのが現状だ。

  その点、シーハリケーンは堅牢であり着艦事故は少なく、安定した性能を示していた。そこが評価され、主力艦戦となっていたのだ。

  ただ、シーハリケーンでは紫電の相手をするには力不足だった。速度でも火力でも運動性でも、シーハリケーンは紫電に劣っていたのだ。

  その上、イギリス海軍の搭乗員達は、紫電に格闘戦を挑んでしまった。

  彼らにとってそれは、バトル・オブ・ブリテン以来の常套戦術である。バトル・オブ・ブリテンにおいて、彼らはドイツ戦闘機に格闘戦を挑むことで戦果を上げてきたのだから。

  だが、今回の相手は日本海軍機だった。

  日本海軍の戦闘機乗りにとって、格闘戦は得意中の得意戦術だ。しかも、紫電の運動性能はシーハリケーンどころか、条件によってはシーファイアにすら優っている。

  最初の数分間で、初め56機いた英海軍戦闘機隊は45機にまで数を減らしていた。彼らは戦術ミスを悟り、一撃離脱に戦法を変えようとする。

  だが、急降下性能や上昇性能においても紫電はシーハリケーンに劣っていなかった。昭和航空機の伝統である「とにかく頑丈に」「とにかく大出力で」の精神が、この機体にも連綿と受け継がれていたからだ。

  また、この時期の日本海軍は、ノモンハンの戦訓から集団戦法をすでに取り入れており、戦術面でもイギリス海軍戦闘機隊は優位性を確保できなかった。

  そのため、シーハリケーンは更に数を減らしてゆく。

  紫電に性能面で対抗可能なシーファイアは、元々数が少ない上にシーハリケーンの撃墜により数的優位を完全に喪失し複数の紫電により、各個に撃破されることになる。

  もちろん、奮戦するシーハリケーンやシーファイアは存在し、紫電にも撃墜される機体は発生した。だが、それは性能の劣勢と序盤で発生した数の不利を挽回するほどのものではなかった。

  数の優位性を失った時点でイギリス海軍戦闘機隊の戦闘能力は、すでに崩壊が始まっていたのだ。

  結果、イギリス海軍戦闘機隊は敵攻撃隊の阻止という本来の任務を全く遂行できないまま、大打撃を受けることになった。

  戦闘機隊の奮戦に助けられ、日本海軍の艦爆隊と艦攻隊は敵機の妨害に出会うことなく敵艦隊へと接触する。

「こちら『芙蓉』1番。25番組、攻撃を開始」

 25番組に割り振られた、12機の彗星が高度を落とした。彼らは電波高度計を頼りに、可能な限りに低い高度を時速500キロを超える速度で飛行する。

  彼らの周囲に次々と煙が舞う。敵艦隊外縁部の駆逐艦と軽巡洋艦から発射された高角砲の砲弾が炸裂しているのだ。

  だが、それらの砲弾はそのほとんどが彗星の後方で炸裂していた。

  彗星の速度に、高射指揮装置の修正が間に合っていないからだ。

  この時期の枢軸国艦艇に搭載されていた高射指揮装置は、そのほとんどが低空高速の目標への対処を不得手としていた。これは日米両海軍にも言えることではあったが、枢軸国のそれは更に顕著だったのだ。

  また、時限信管の調整がほぼ手動であり、高速目標に対する場合はどうしても砲弾の炸裂位置に誤差が生じる問題もある。

  小型軽量な対空射撃管制用レーダーである、285型レーダーの開発とレーダーからの情報を、高射指揮装置に直接入力が可能とする改良が行われてからは、この問題はかなりの改善を見せることになる。

  だが、それでも低空目標に対する砲撃精度は依然として低かったし、時限信管の問題は、時限信管自動調整装置が搭載されるまでは、運用によってしか解決されなかった。

  そもそも285型レーダーは、1942年末から生産が開始されたレーダーだ。そのため、このイギリス東洋艦隊には装備している艦艇は存在しない。

  25番組は2機のペアに分かれて、それぞれの目標に向かう。

  彼らが目標として定めたのは、艦隊外縁部の駆逐艦だ。

  英仏合同艦隊は、輪形陣を組んでいた。外縁部に駆逐艦や軽巡洋艦を円形に配置し、中心部に戦艦や空母を置く対空・対潜向けの陣形だ。

  25番組が近づくにつれて、高射砲だけではなく機銃による射撃も開始される。ただ、それは日本海軍が想定していた密度より随分と薄いものだった。多少の被弾はあるのかも知れないが、25番組は一機も欠けることなく、英仏合同艦隊に近づいてゆく。

  日本海軍はイギリス海軍の対空戦闘能力を高く評価していた。

  イギリス海軍は世界初の防空巡洋艦を開発し、航空母艦も世界最初期に建造している。また、空軍の話ではあるがバトル・オブ・ブリテンでは電探誘導による効率的な防空戦を実施していたから、この経験は海軍にフィードバックされているものと思われていた。

  25番組の任務は駆逐艦や軽巡を削ることで、敵海軍の対空戦力を減少させることだ。

  イギリス海軍では巡洋艦のみならず駆逐艦にも、ポンポン砲、ボフォース社製40ミリ機関砲、ラインメタル社製37ミリ機関砲のいずれかが搭載されていた。また、L型以降のイギリス海軍駆逐艦は主砲が両用砲となっていたから、駆逐艦の防空火力も侮れないものだと判断していたのだ。

  だが 実際は、ポンポン砲は故障が多い上に搭載量が少なく性能も低かった。ボフォース40ミリ機関砲とラインメタル37ミリ機関砲は採用数が少ない。また、駆逐艦の両用砲もどちらかというなら「対空射撃ができる平射砲」でしかなかった。

 だが、日本海軍はそこまでは知らなかった。

  カタログの上では、それらの装備は優秀な数値を示していたからだ。

  日本海軍はイギリス軍の兵器選定は、企業からの利益供与を受けた軍高官による、恣意的な選定がまかり通っていることを知らなかった。

  ボフォース40ミリ機関砲の採用数が少ないのは、ボフォース社がイギリス軍高官への利益供与に不熱心だったためだ。

  日米陸海軍では防空用機関砲として、40年から膨大な数のボフォース40ミリ機関砲がライセンス生産されていた。そのためボフォース社には巨額のパテント料が入り込んでいる。

  また、日本陸軍の主力野戦榴弾砲はボフォース社と昭和特殊鋼の共同開発品だ。そのルートでも利益が流れ込んでいる。

  イギリス海軍がボフォース社に、40ミリ機関砲の採用に関して交渉を持ったのは、日米と欧州枢軸の関係悪化が始まった直後だった。

 それはつまり、欧州枢軸の高射機関砲のスタンダードが、ラインメタル社製の20ミリ機関砲と37ミリ機関砲に固まりそうな時期だったということだ。

  だから、ボフォース社としては採用数が限られるイギリス海軍へ大きな利益供与をしても、販路の拡大はあまり望めなかった。

  そのぐらいならイギリス軍高官への利益供与を抑え、日米への政治的配慮を見せたほうが効率が良かったのだ。また、それは婉曲的なドイツへの「貴国の販売網を犯しません」というメッセージにもなっていた。

  そのためボフォース40ミリ機関砲は、ごく一部の艦艇にスウェーデンから直接購入した分が搭載されていたにすぎない状態だった。

  また、このゴタゴタでラインメタル社製37ミリ機関砲も、導入が遅れることになる。

  結果、この時期のイギリス海軍艦艇の防空能力は日本海軍の予想に反して、非常に低かった。

 その点では、小口径とはいえ高角砲を装備している駆逐艦が多いフランス海軍の方が脅威だったのかもしれない。

  25番組が目標に定めたのはフランス海軍の「モガドール」「ル・マルス」、イギリス海軍の「ケリー」「カンダハール」「エレクトラ」「エクスプレス」の駆逐艦6隻だった。

  25番隊は急速に敵艦に接近し、約1500メートルの距離で翼下の噴進弾を発射する。

  一式噴進弾は直径80ミリのロケット弾だ。榴弾と穿孔榴弾のいずれかの弾頭が搭載され、最大射程は2000メートルほどになる。

  今回の彗星には、その両方の弾頭が混載されていた。

  この噴進弾はもともとは対地攻撃用として開発されたものだったが、対艦艇用としても一定の効果があったため、海軍でも使用されていたのだ。

  今回、25番組は20連装の多連装発射機を2基、主翼下に搭載していた。一式噴進弾は飛翔速度が比較的遅く、横風の影響を受けやすいため、命中精度は低い。

  だが、駆逐艦1隻につき2機合計で80発もの噴進弾が発射されていたし、発射機はある程度の散布界を得るように発射角度の調整が行われている。

  駆逐艦サイズの目標に対する噴進弾の命中率は30%程度だったから、平均で25発程度が駆逐艦1隻に命中することになる。もちろん平均値であるし、駆逐艦のどこに当たるのかは運任せだ。

  だが、この時期の駆逐艦の装甲は、どこの国のものも無いに等しい状態だった。25発の80ミリ砲の直撃を受けて、戦闘能力を維持できる駆逐艦はほとんど存在しない。

  「モガドール」「カンダハール」「エレクトラ」には、諸説あるが15から30発の噴進弾が命中した。被害は艦首から艦尾までの上部構造物全体に及んでおり、主砲と機銃のほとんどが爆風と破片で沈黙。また、噴進弾の推進剤の残りによる広範囲の火災が発生し、以後の戦闘は不可能となった。

  事実上の大破である。

  「ル・マルス」と「ケリー」「エクスプレス」はもっと悲惨だった。

  「ル・マルス」と「ケリー」は魚雷発射管に、「エクスプレス」は機雷投射機に噴進弾が直撃し、誘爆したのだ。

  「ル・マルス」は上部構造物のほとんどが吹き飛び、被害は機関部にまで及んだ。「ル・マルス」は4時間ほど漂流したのち、沈没。生存者は34名だった。

  「ケリー」と「エクスプレス」は魚雷、または機雷への誘爆とほぼ同時に轟沈。生存者はいない。

  「エクスプレス」の被害は、日本海軍潜水艦の度々の接触を受けた英仏合同艦隊が、即応のために爆雷を投射機に装填していた結果生じたものだった。

  この攻撃の結果、英仏合同艦隊の輪形陣には大きな穴が生じることになった。この穴から日本海軍の攻撃隊は25番組も含め、輪形陣内部に侵入する。25番組はこの後他の目標を狙うことになっていた。

  塩川達80番組も侵入。塩川たちは高度2500メートルを飛行しながら、周囲を見回し、目標を探した。

「十時方向、空母4隻!」

 佐藤が、空母群発見の報告をする。それは無線で攻撃隊全体に順次通達された。

  4隻の空母群は『イラストリアス』級と『アークロイヤル』の混成のようだった。4隻全ての艦影が似通っている。

  彼らが目標とする『イラストリアス』級の艦影は、『アークロイヤル』と似ていた。『イラストリアス』級はもともと、『アークロイヤル』の防御力強化型として設計されたていたから、当然といえば当然なのだが、80番組にとっては迷惑な話だった。

  4隻の空母は単縦陣を組み、航行していた。塩川は数秒間、艦影を確認する。後方3隻が先頭の1隻よりやや全長が短く、武装搭載用スポンソンの数が少ない『イラストリアス』級の特徴に合致していた。

「『芙蓉801番』より『芙蓉80』全機へ。敵2番艦から4番艦を『イラストリアス』級と確認。『芙蓉801』隊は2番艦。『芙蓉805』隊と『芙蓉809』隊は3番艦。残りは4番艦を攻撃しろ」

 80番組の隊長機からの連絡が入る。塩川達の機体符丁は「芙蓉8020」だ。つまり、最後尾の空母を攻撃しろ、ということだった。

  塩川は小隊の僚機に従って、急降下を開始する。

  この頃の日本海軍は旧来の各機が順次爆撃する手法を捨てて、編隊単位での爆撃を採用していた。日米レベルの対空火力を持つ艦艇に旧来の方法で爆撃を行った場合、被害が無視できないとの結果がオペレーションリサーチで出ていたからだ。

  また、新型の二式射爆照準器の採用により、急降下爆撃の平均的な命中率が向上し、前機の投弾結果を見て投弾修正を加える必要性が薄れたという理由もある。

「1500、1400、1300」

 後部座席で佐藤が高度を読み上げる。敵の対空砲火はこちらに向かっているはずなのだが、射爆照準器越しの世界を見ている塩川は、不思議と恐怖を覚えなかった。

「・・・・・・900」

「投下!」

 スウィングアームによって800キロ徹甲爆弾が、プロペラの回転圏外へと放り出される。塩川は機体を引き起こし、離脱を開始した。

  さて、当たったかどうか。

  塩川にはいささか自身がなかった。

  急降下爆撃は低高度の方が命中率は向上する。ただ、低すぎると引き起こしが出来ず海面に激突するため、600メートルから800メートルの間で投弾するのが一般的だ。昔は高度400メートルとか300メートルとか、信じられない低高度で投弾するお化けも居たというが、今はそんな人間はほとんどいない。

  そもそも800キロ爆弾搭載時には、高度900メートル以下での投弾は原則として禁止されていた。

  急激な重量と空気抵抗の変化で、引き起こしが難しいからだ。

  その分、命中率は落ちる。

  それに、実戦での投下は初めてなのだ。ベテランが言う「手応」のようなものを感じる領域には、彼は達していなかった。

「命中ですよ! 少尉」

 そんな彼の不安を吹き飛ばすように、佐藤は陽気な声で言った。チラリと後ろを見ると彼らが標的としていた『イラストリアス』級3隻全てが煙を上げている。

  やった。塩川は小さく心の中で叫ぶ。

  彼の投弾であるという確証はなかったが、少なくとも小隊4機のうち、一発は命中しているのは確実だった。

  800キロ爆弾は、もともと戦艦を撃沈するために製造された爆弾だ。急降下爆撃で弾着速度が低下しているとはいえ、重防御で有名な『イラストリアス』級にも打撃を与えたことだろう。

  塩川達の小隊は、速度をあまり落とさない程度に高度を稼ぎながら離脱を始めた。

  すでに、爆弾倉の扉は閉じられている。彗星本来の速度を発揮できる状態だ。

  周囲を見回すと、そこかしこで黒煙が上がっていた。味方の攻撃は成功したようだ。

  塩川は離脱に関しては楽観していた。すでに敵の空母主力には大打撃を与えているはずだし、護衛艦艇も相応の打撃を受けているだろう。戦闘機も対空砲火もそれ程、脅威ではないのだ。

「『芙蓉8017』より小隊全機。12時方向より接近する機体あり。機数4。注意」

 しかし、塩川の考えは甘かった。前方ほぼ同高度にケシ粒の様な、小さな機影が4機、確かに見える。

  それは、敵艦隊に突入する前に見かけた液冷エンジン搭載の機体ではなかった。

  ビア樽に翼をつけたような、太い胴体が印象的な機体だ。主翼は中翼配置であり、機首は空冷エンジンを搭載しているらしく切り立っている。

  アメリカの艦上戦闘機「F4Fワイルドキャット」とよく似ているな。塩川はそう思った。

  似ているのも当然だ。なにせ、もとは同じ機体なのだから。

  それは「イホンデルbis」と呼ばれるフランス海軍の艦上戦闘機だった。

  この機体はもともとは、イギリス海軍の旧式化も甚だしい艦上戦闘機を交換するために、欧州戦争中にアメリカから購入していたF4Fだ。

  欧州戦争後、そのF4F「マートレット」は部品供給の停止や弾薬の互換性の無さ、シーハリケーンやシーファイアの実用化に伴い、使い道をなくしていた。そのため、イギリスはフランス海軍にこの機体を売り払ったのだ。

  フランス海軍は、空母「ベアルン」において使用するための艦上戦闘機を求めていた。もともとフランス海軍が発注したF4Fがフランスの降伏に間に合わず、イギリスに運ばれた経緯を考えるなら、皮肉な導入経緯と言える。

  フランス海軍はF4Fを「イホンデル」と名づけ配備すると同時に技術を解析し、次の空母で使用する艦上機の研究を進めていた。

  しかし、1942年にもなると元のままのF4Fでは、フランス海軍的にも性能に物足りない部分が出てきた。

  そのため、フランス独自の改修がF4Fに加えられることとなる。その改修型が「イホンデルbis」だった。

  消耗の速いエンジンは、フランス製の1300馬力のノーム・ローン14N-50空冷エンジンヘと更新されている。これはオリジナルのプラットアンドホイットニーR-1830よりも高出力で軽量なエンジンだった。

  また、武装はブローニングM2 12.7ミリ機銃6門から、より軽量小型のドイツ製MG131のライセンス生産品であるMAC1941 13ミリ機銃4門へ変更されている。

  エンジンと武装の変更とそれに伴う軽量化の結果、このイホンデルbisは低高度での運動性と加速においては、零戦ですら凌駕しうる機体に仕上がっていた。

  イホンデルbisは、塩川達の彗星と正対する。

  それは明確に敵対行動だった。

「『芙蓉8017』より小隊全機。機銃を撃ちながらすれ違うぞ。その後、帰艦する」

  塩川は機銃の銃把に手をかける。機体の外見から小隊長は、敵機の最高速度は早くないと考えたのだろう。下手に機動を取ってこちらが速度を落とすより、一航過の方がリスクが低いと踏んだのだ。相対速度が高く投影面積が少ない正面からのすれ違いは、機銃の命中率が低い。

  小隊長機が速度を上げ、機銃の発砲を開始した。塩川もそれに続く。

 敵機の主翼付け根が光った。向こうも発砲を始めたのだ。

  彗星とイホンデルbisは、そのまま直進を続け、すれ違う。

  相対速度は時速1000キロを超えていた。つまり、弾丸の威力もそれだけ向上するということだ。例え頑丈な機体構造と防弾装備を持った彗星艦爆でも、一発の銃弾で撃墜されることがありえるほどに。

「少尉。8019がやられました」

 塩川は小隊の機数を確認する。

  3機しかいなかった。

「くそっ。なんてことだ」

 8019番機は彼らの僚機だった。操縦士は兵学校の一期先輩で、面倒見のいい男だった。塩川も彼には世話になったことがある。

  操縦の技量も自分より上の先輩だった。俺より先に死ぬはずがない。そう思っていた。

「しゃあありません。これも運ですわ」

 佐藤の言葉が、塩川の耳に儚く響いた。

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