第三章 第三話
イギリス東洋艦隊司令官である、トーマス・フィリップス大将の手に、連絡兵から一枚の紙が届けられた。
本国よりの命令電文である。
内容は簡単だった。要約すると、こうだ。
「フランス東洋艦隊と協力して、フランス領インドシナ沖合で活動している日本海軍の艦隊を撃滅しろ。その後、ニューギニアのドイツ軍を援護しろ」
命令電文を読み終えてから、フィリップは大きくため息を付く。
「つまり、フランスのカタツムリ喰い共は、自前では艦艇整備も植民地防衛もできん、ということか」
呆れるほど有能な味方だ。まったく、敵なら良かったのに。
フランス植民地軍はフランス領インドシナにおいて、日本陸軍の攻勢に晒されていた。フランス植民地軍は各地で抵抗を続けているようではあったが、日本陸軍に押し込まれている。
日本海軍の洋上からの航空機と艦砲による支援と、仏印中部への日本空軍の進出により、航空優勢すら奪取されているようだった。
フランス植民地軍は、新編成した第二機甲師団を投入しての戦線突破も測ったようだったが、それも日本陸軍によって食い止められている。
そこでフランスが頼ったのが、イギリス海軍だった。イギリス海軍東洋艦隊とフランス海軍東洋艦隊を合わせれば、日本海軍が仏印沖合いに展開している艦隊戦力には、十分に対抗できるからだ。
フランス東洋艦隊は現在、定期補修のためにシンガポールに停泊している。補修が完了したのは数日前。そのため、日本陸軍の侵攻には出動が間に合わなかったのだ。
シンガポールのセレター軍港には、現在、多数の艦艇が入港していた。。
全体の6割程度はイギリス海軍の艦艇だ。
だが、4割は違った。
1割弱が補給のために入港しているドイツ海軍の潜水艦。そして残りは定期整備のために入港したフランス海軍の艦艇だ。
フランス海軍は連合国と欧州枢軸の関係が悪化すると、仏印の防衛のために海軍艦艇を派遣していた。ダンケルク級戦艦2隻に空母ベアルンを基幹とした、かなり大規模な艦隊だ。
日本程度の国が相手ならば、相当な抑止効果が期待できる。
フランス人はそう考えていた。
だが、彼らの艦隊には大きな問題があった。
仏印には戦艦や空母などの大型艦艇を整備するだけの、補修設備がなかったのだ。もともとフランス東洋艦隊は、軽巡洋艦や通報艦によって構成されていた艦隊だ。整備施設もそれ相応のものしかない。
元よりそれは、フランス海軍も承知していたことだった。彼らははじめからセレター軍港の設備を利用するつもりだったのだ。
欧州枢軸各国の間で結ばれている軍事同盟には、各国が持つ軍事設備の相互利用についての条項が存在した。それは元々ドイツ海軍が潜水艦の進出に、イギリスの海外根拠地を利用するための条項だったのだが、今回はフランスがセレター軍港の設備を利用する根拠となっていた。
お陰でセレター軍港は手狭となっている。イギリス東洋艦隊の主力艦の整備スケジュールにも遅れが出ていた。
イギリス東洋艦隊もアジア情勢の悪化を受けて、当然のように戦力を強化していたから、整備スケジュールに遅れが出るのは歓迎できることではない。
イギリス海軍は急遽、セイロン島のトリンコマリー基地から5万トン級の浮きドックを1基回航して、とりあえずの補いをつけた。だが、トリンコマリーもインド洋の重要拠点であったから、その補修能力を減少させるこの措置も、歓迎できるものではなかった。
イギリスは本国で新規に浮きドックを建造して、トリンコマリーへと回航することにしている。だが、イギリスとしては費用の一部をフランスに負担させようとしていた。
だがフランスは領土の北半分がドイツの占領下に置かれた結果、経済規模が縮小しており予算の捻出が難しい状態にある。フランスは資金捻出に難色を示しており、そのために浮きドックの建造は遅延していた。
イギリスは本国の補修設備をやりくりして、なんとか3万トン級の浮きドックをトリンコマリーに回航していたが、トリンコマリーの補修能力が大きく低下したのは疑いのない事実だった。
まったく、あいつらは面倒事しか持ち込まん。
本国の日本艦隊の実力に対する、楽観的な見方も気に入らなかったが、身近に居る分、彼はフランス人の方が嫌いだった。
本来、イギリス東洋艦隊はオランダ東洋艦隊と協調してニューギニアに展開しているアメリカ軍を叩く役目を負っていた。これによりニューギニアでの枢軸側の基盤を確保する予定だったのだ。
だが、フランス人達のお陰でその予定も狂っていた。
ニューギニア島と園周辺では、駐留ドイツ軍が粘り強い抵抗を続けている。
ドイツ海軍は潜水艦によるアメリカ軍輸送船の襲撃を繰り返していたし、ドイツ空軍も開戦直前に本国から最新型の戦闘機と爆撃機を多数派遣して、米軍航空隊相手に互角の戦いを続けていた。
ドイツ陸軍など、Ⅲ号突撃砲やマルダー対戦車自走砲の待ちぶせ攻撃で、アメリカ陸軍の戦車一個連隊を壊滅させたほどだ。この戦果はアメリカ陸軍首脳部をして、自国兵の資質に疑問を抱かせるほどのものだった。
そんなドイツ軍の支援のため、イギリス東洋艦隊は投入される予定だったのだ。
だが、フランス人のお陰でその予定は狂った。
日本人たちは海軍は一流(ロイヤルネイビーの弟子なのだから、当然だ!)だが、陸軍は二流であるとフィリップスは理解している。そんな二流に押し込まれるとは、フランス人どもは、いくら植民地軍とは言え不甲斐ないにも程がある。
ニューギニアのドイツ軍は、ブルネイ島やパレンバンからの燃料・物資の輸送が続くなら、しばらくは防衛を続けることが可能とのことだった。これらの物資輸送にはオランダ東洋艦隊が当たっていたし、連合国側の潜水艦の展開は、オランダ領インドネシア近辺にまでにはまだ及んでいなかったから、ドイツ軍の緊急度はフランス人たちよりは確かに低い。
だが、フランス人によって様々な面で予定を狂わされたフィリップスが不愉快なことは、変わらなかった。
「通信兵! 蛙喰いどもに連絡を入れろ。共同作戦を実施するから、作戦会議を開く、とな」
せめて、指揮権ぐらいは確保せねば話にならんな。
指揮権を確保しなければ、統一的な艦隊行動はできない。日本海軍の後にアメリカ海軍をも相手にする必要のあるフィリップスにとって、指揮権確保は絶対的に必要なものだった。
彼はフランス海軍の艦隊運用能力を信じていないからだ。
フィリップスは何が何でも作戦指揮権を入手することを、決心していた。
英仏合同艦隊の出撃情報は、呂号潜水艦により発見され、数時間の内に日米両海軍の上層部にまで到達していた。
東南アジアにおける枢軸海軍の最重要根拠地であるシンガポールは、日米の潜水艦により常時監視されており、その情報は共有されていたからだ。シンガポールの監視のためだけに、日本海軍は伊号潜水艦を最低6隻と呂号潜水艦8隻程度を常時張り付けていた程だ。
呂号潜水艦は本来、海上護衛総隊に所属して通商破壊に従事することを目的に建造された、排水量1000トン前後の中型潜水艦だ。
海上護衛を受け持つのだから、商船襲撃もできるだろう、というかなりいい加減な論理展開による配備であった。だが、彼らは「自分がやられて嫌なことをやろう」をモットーに開戦後の僅かな期間で、明確に戦果を上げている。
呂号潜水艦は、艦隊決戦時の主力艦攻撃や長距離哨戒能力を主任務としている伊号潜水艦とは、明らかに性格の異なる潜水艦だった。
所属も違うのだから、本来、同一の任務に就くことなどなずないはずなのだ。
ただ、今回は事情が違った。
現在のシンガポールには英仏合わせて戦艦と巡洋戦艦が6隻に空母が5隻も停泊しているのだ。
日本が仏印沖合に展開している戦力が、戦艦2隻に巡洋戦艦2隻、そして空母は8隻だから、戦艦戦力に於いては劣っていることになる。
神経を尖らせるのも当然だった。
海上護衛総隊としても戦略上、シンガポールの英仏合同艦隊の動向が重要であることは理解していたから、10隻程度の潜水艦を派遣することには異存はなかった。
何しろ海上護衛総隊の呂号潜水艦は、わずか2年の間に80隻以上もの数が建造されている。その程度の数なら、通商破壊のローテーションにもあまり影響はなかったからだ。
呂一〇〇型と呼ばれる、その量産型潜水艦は電気溶接とブロック工法を全面的に取り入れていた。乗員の確保は艦内装備の省力化に力を入れ、1隻辺りの人員を減らすことで補いをつけている。
「戦艦4、巡洋戦艦2、空母5、巡洋艦が少なくとも6隻、駆逐艦多数か。大兵力だな。ほとんど全力出撃じゃないか」
潜水艦からの報告を読みながら、南遣艦隊司令官の小沢治三郎中将はつぶやいた。南遣艦隊旗艦『長門』の会議室には、南遣艦隊の参謀たちが全員揃っており、最新の資料を手元に置いて小沢を見つめていた。
複数の潜水艦の偵察情報を総合し、分析すると、英仏の合同艦隊はシンガポールを殆ど空にする勢いで出撃していることになる。
英仏合同艦隊の概ねの戦力分析も済んでおり、大型艦は艦級の識別までできていた。
小沢の指揮する南遣艦隊は、仏印の上陸部隊を援護することを目的とした艦隊だ。戦力は戦艦2隻と巡洋戦艦2隻、空母6隻を主力としている。仏印の陸軍部隊に航空支援を実施するため、空母が多めの編成だった。
「さて、どうするか、だ」
「撃退するしかありませんな」
参謀長の澤田虎男少将は、迷いなく言い切る。
3月の終わり頃、陸軍はフランス植民地軍の隠し球とも言えるフランス第二機甲師団を、予備戦力の独立重戦車連隊と独立歩兵連隊2個を投入することで撃退していた。
これが一週間ほど前の話だ。
陸軍側の推測では、これでフランス植民地軍の主要な戦力の殆どに、大きな打撃を与えたことになっている。
このまま何事も無ければ、仏印は日本側の手に落ちるだろう。
だが、このタイミングで仏印沖合の海上優勢が怪しくなるなら話は違った。
本土から離れた地域で作戦行動をしている日本陸軍の生命線は、海上からの輸送だ。これが途切れたなら仏印に展開している陸軍の戦闘能力は短期間で無力化されるだろう。
「陸軍への航空支援に問題は?」
「空軍がダナンに航空基地設営を概ね終えていますし、野戦飛行場もいくつかできています。戦闘機と襲撃機の飛行隊の進出も完了した、とのことです。海上護衛総隊の護衛空母もいますから、当面は任せて問題ないかと。戦闘機も噴進弾を詰めますから、地上支援はできますし」
航空参謀は、手元の資料を見ながら言った。
現状、海上護衛総隊は6隻の護衛空母をこの海域に展開している。主任務は敵潜水艦の警戒だが、護衛空母にも戦闘機は搭載されているから、空軍の補助と割り切るなら、問題は少ないだろう。
「問題は敵艦隊の戦力ですな」
澤田は顎を撫でながら、渋い顔で言った。
「戦艦が6隻というのはいかにも多い。フランス海軍の『ダンケルク』級は『剣』と『立山』で対応出来ると思いますが、イギリスの『レナウン』級の2隻と新型『キングジョージ五世』級の2隻は、いくら『長門』と『陸奥』の2隻でも、同時に相手取るのは厳しいかもしれません。相討ちになる可能性も高いかと」
「本土からの応援は出せないのでしょうか?」
「難しいだろうな。『剣』型の『乗鞍』と『黒姫』は訓練の途上。『土佐』型は2隻が定期補修でドック入りしているはずだ。残り2隻の『土佐』型は改装後の訓練が未了。さすがに本土からは動かせんだろう。出せるとすると、『大和』と『武蔵』だが、そもそも本土からでは時間的に間に合わん。呼ぶとしても後詰だな。もう、敵はすでに出撃しているのだから。アメさんも無理だろう」
別の参謀からの提案に、小沢はそう答えた。戦力的には厳しいと言えた。事前の準備不足が此処で祟っていたのだ。日本海軍は開戦は数カ月先と読んでおり、戦艦の大部分に改装や補修を施していた。
読みが当たっていたなら、開戦劈頭に全戦艦戦力の投入もできただろう。だが、読みが外れた今となっては、大いに裏目に出ている状態だ。
現状、本土からも同盟国からも、援軍は期待できなかった。アメリカ海軍はラバウルを根拠地としてニューギニアのアメリカ陸軍に支援を行なっている。距離的に間に合わない。
正直、小沢はイギリス艦隊はニューギニアのアメリカ艦隊を狙うものと思っていた。ニューギニアのアメリカ軍は、なれない密林での戦闘に悪戦苦闘し損害を積み重ねながらも、じわじわとドイツ軍主体の防衛軍を押し込んでいる。
ドイツ軍から。援護要請が行っている確率は高かった。
だが、その予想は外れ、イギリス艦隊はフランス艦隊と合同でこちらに向かって来ている。対策を立てる必要があった。
小沢は現状の問題点を考える。簡単に言えば戦艦戦力でこちらが劣ることが問題なのだ。
いや、本当にそうなのか?
本当に戦艦が問題なのだろうか?
「なんだ、簡単なことではないか」
小沢はポツリと呟く。
呟いてから、ふと我に帰ると、周囲の視線が全て自分に集まっていた。
「あー、航空参謀。敵の空母はどのような編成かな?」
「フランス空母は『ベアルン』。イギリスの方は『アークロイヤル』と『イラストリアス』級3隻です。情報によると、おそらくは『イラストリアス』、『ヴィクトリアス』、『インドミタブル』の3隻と思われます」
「予想される搭載機数は?」
「最大の見積もりで『ベアルン』が40、『アークロイヤル』が60、『イラストリアス』と『ヴィクトリアス』が40、『インドミタブル』が60程度と思われます。露天係止も考えますと、おそらく総数で270機程度かと」
「ならば、問題ないな」
小沢は大きく頷くと、周囲を見回す。
「どういうことでしょうか?」
澤田が怪訝そうな顔で聞いた。軽く参謀たちの顔を見ると、だれもが表情に疑問符を浮かべている。
「簡単なことだ。我々は戦艦勢力で劣勢だ。だが、航空機戦力では優越している。我々の目的は何か? 仏印と本土の間の補給線の防衛だ」
小沢は努めて平静な声で言った。
小沢の南遣艦隊には空母『蒼龍』『飛龍』『瑞鶴』『翔鶴』『千鶴』『飛鶴』の6隻の正規空母が存在し、搭載機数は400機に達する。
仏印での地上支援で多少は損耗したが、後方からの補充により現時点では定数を満たしていた。
「ならば、敵の空母さえ沈めてしまえば、我々は勝ったも同然ではないのか?」
後に、公刊戦史に「インドシナ沖海戦」と記される海戦はこの時、その流れが決定したのだった。