プロローグ
その機内は暗かった。
明かりと呼べるものは電探の表示用ブラウン管ぐらいであり、隣の人間の顔の区別すら難しい有様だ。
最新式の機載対水上レーダーのPPIスコープ上には、複数の光点が入り混じって表示され、まるで雲のような画像になっている。
彼には何がなんだかよくわからない。だがそれは、見る人間が見ると敵の船団の電探画像なのだそうだ。
先ほど、彼はそう報告を受けた。
「敵さんまでの距離は?」
「はっ。おおよそ50海里ほどかと。この海にしては波が高いのか、今日はクラッターが強いため、正確な距離は難しいですが」
「だいたいでいい。距離と方向を先導に伝えてやれ。今日は森崎と末次のペアだ。見落としゃしねぇだろ」
「了解しました」
部下が味方爆撃先導機に音声通信を開始するのを確認すると。彼はチラリと外を見やる。外壁の小さな丸窓からは、分厚いアクリルガラスを通して、吸い込まれそうな夜空が見えた。
全く、信じられねぇよ。夜間雷撃なんざ。
部下達には悟られぬよう、彼は小さくため息をした。
陸上攻撃機隊による夜間航空雷撃。
雷撃に取り憑かれていた、と言ってもいい日本海軍においても検討されこそしたが、そのあまりの難易度ゆえに少なくとも部隊規模での実現は不可能だ、とされてきた戦術。
しかし、技術の進歩はこの難問を解決した。
索敵は?
電探を使え。故障してなきゃどんな闇夜でも見つけられる。
誘導は?
電波誘導装置を使え。使い方を忘れなきゃ、どんな下手くそでも帰ってこれる。
雷撃高度の維持は?
電波高度計を使え。誤差? ペラを海面に叩き付けるような真似をしないんなら、問題はない。
電波、電波、電波か。
ここ数年で飛躍的に進歩した電子技術。
その恩恵によって、日本空軍は、その祖先の一つである日本海軍航空隊が成し得なかった、夜間航空雷撃を「常用の」戦術として確立した。
もちろん、事故のリスクは高い。だが昼間の、戦闘機による濃厚な迎撃のリスクを考えるなら、昼間雷撃よりも生還率は高いと言えるだろう。
もちろん、空軍も海軍も必要とあれば枢軸軍の迎撃を突き破っての昼間攻撃に、躊躇なぞしなかったが。
まあ、陸攻での雷撃なら世界一の俺様が、突撃陣頭に立てなくなっちまったのは、痛し痒しだな。
現在、日本空軍において、航空隊の指揮官が直接攻撃隊に加わることは、原則として禁止されていた。そこそこの腕前の操縦手は(人口上の限界はあるが)いくらでも量産できるが、有能な指揮官はそうも行かないからだ。
もっとも、さすがに陸上から通信のみで現場の状況を管制するだけの能力は、電子技術において枢軸軍より優位に立っている連合国軍であっても保有していなかった。故に、戦場で指揮を執る事自体は認められていたが。
とは言え、それは古き指揮官先頭の伝統とは全く異なるものになっていた。
戦闘への直接参加を禁じられたからだ。
結果、今現在彼が搭乗しているのは、双発三座の一式陸上攻撃機ではなく、四発重爆である一式重爆撃機「泰山」を改造し、多数の電探と通信装備を載せた指揮管制機だ。
この機体は現設計はやや旧いが、その優秀な設計と度重なる改造により、高い防御力を持っていた。「空飛ぶ要塞」などと形容される、米軍のB-17にも劣らぬほどだあ。
そんな重防御のこの機体は指揮官である彼と、その直属の部下である管制官たちに高い生残率を与えている。
これは心強いことだった。指揮官が最後まで生き残り、通信を確保できるなら、有効な攻撃も、効果的な反撃も、最適なタイミングでの後退も、そのすべてが可能であるからだ。
ただその反面、「泰山」と比較するなら防御力に劣る一式陸攻で攻撃に向かっている部下たちに対して、彼はある種の後ろめたさを持っていた。
彼は侠客じみた演説による士気の鼓舞で有名な男だ。上層部はあまりいい顔をしないが、部下からの人気はある。それ故、自分が部下と同時に死地に赴け無いことが後ろめたいのだ。
映画の任侠のように部下と運命を共にしたい。
しかし、それは新時代の日本空軍の現場指揮官には許されないことだった。
それは、現実からの逃避にすぎないのだから。
「先導機、敵船団を目視!」
電探要員からの声で、彼は我に返る。
「敵船団、輸送船は40隻ほど。他に戦艦1。空母2。巡洋艦2。駆逐艦8」
この海域の枢軸軍としては、かなり重厚な護衛だ。
厄介だった。
空母から夜間戦闘機が出てくるならば、危険ですらある。護衛の味方夜間戦闘機はもちろん居るが、それでも危ないものは危ない。
「敵夜戦はいるか?」
「いえ、確認できません」
「そうか」
彼は対空電探の操作員からの報告に、内心で胸を撫で下ろす。これで作戦手順に変更は不要になった。効率的な攻撃が可能だ。
「全機に敵船団の位置と進路を伝えろ。すぐに攻撃開始位置に付かせろ」
了解の声の後に、管制官達が陸攻隊への情報の通達を開始する。
彼は対空電探の画面を見つめる。味方機を示す緑の光点が、急速に敵船団位置を包囲してゆく。
その速度は時速にして500kmを超えていた。
少し前の戦闘機並の速度。
こんな快速機であっても昼間じゃあ、安全とは言えないときた。全く、10年後の空はどうなってんだか、予想もつかねぇ。
「全機、攻撃開始位置につきました」
「おう」
管制官からの報告を受けると、彼は無線機のスイッチを入れた。これで、彼の声は飛行隊の全陸攻に放送されることになる。
彼はすぅ、と息を吸い込み、声を吐き出す。
「いいか、お前ら! 戦艦! 空母! 巡洋艦! そんな、小物は相手にするな! 一に輸送船! 二に輸送船! 三、四がなくて五に輸送船だ! 輸送船1隻仕留めれば、陸兵が1000人助かるんだ! 気合入れてかかれ! 一匹も逃がすな! 攻撃開始!」
彼の声と同時に、先導機は照明弾を投下。
各攻撃機は一気に敵船団を締め上げるように突撃を開始する。
多方向同時侵入攻撃。
もともと、さほど高くはない枢軸国護衛艦隊の対空能力は、これで完全に飽和するはずだった。
お前ら、気張れよ。先は長いんだ。ここでくたばるんじゃねぇ。
ブラウン管上、恐るべき速度で敵船団に接近する光点。
今はその光点としてしか確認できない、彼のかけがえのない部下達の姿を見つめながら、マルタ島に展開する第752航空隊隊長、野中五郎中佐は、祈らずにはいられなかった。