表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

act.5 慟哭

第五章・慟哭


1


‥‥それは一本の電話から始まった。


その日、俺は何もする事が無かった。

庭の芝刈りもリムジンの整備も、前日までに済ませてしまった。買い出しに出る用事も特に無い。

考え事をしながら仕事を片付けていただけなのだが‥‥結論が出る前に用事が無くなってしまった。

案件は勿論トーヤ女史の事だ。

女史のメールは、あまりにもタイミングが良過ぎた。まるで俺たちを監視しているようだ。

だがその方法が分からない。

更に分からないのは、何故接触を拒むのかだ。

女史だって逃亡の身の上だ。なら、こちらと行動を共にした方が安全なはずだ。

さっぱり分からん。

まあ相手は世界最高の頭脳だ。俺なんかじゃ考えるだけ無駄なのだろう。

で、結局俺はキッチンでテレビを見て過ごした。

時間の無駄もいいところだ。

ニュースでは、先日破壊された石油コンビナートが商業施設として再開発されると報じていた。

まあ、悪い話ではないわな。

それともう一つ‥‥保険金を支払った外資系企業が資金繰りの悪化で資産を売却、この国からの撤退を決めたとか。

こちらはご愁傷様だ。

‥‥そうこうしているうちにスコールが降り始めた。

もうそんな時間か?

俺は気を取り直して、ティータイムの準備に取り掛かった。

だがその日はクレープの焼き上がりがイマイチだった。何度焼いても若干焦げる。

生地の水加減を間違えたようだ。

まあ、今更しょうがない。焦げはチョコレートクリームを塗ってごまかす事にした。

クレープは四つに畳んで、生クリームとバナナを添えた。

俺はクレープとティーポットをリビングに運んだ。

先に席に着いていたルージュは、何故か携帯を持ったまま首を傾げていた。

ルージュ探偵事務所の携帯電話だ。

「どうした、ルージュ?」

ルージュが眉間にシワを寄せて答えた。

「依頼‥‥なんだろうなあ‥‥?」

何故語尾にクエッションマークが付く?

「名乗りもせずに一言だけで切れたんだ‥‥私にだって分からない」

「何て言ってたんだ?」

「〝私を探して〟‥‥だそうだ」

「はあ?」

俺は携帯の着信履歴を確かめた‥‥だが記録は〝unknown〟だった。

これでは誰を探すのかさえ分からない。無茶振りもいいとこだ。

‥‥何を考えてるんだ、あの人は?

「る‥‥ルージュ‥‥電話の相手はどんな感じだった?」

「女だ」

「声の雰囲気は?」

「そんなの、どう表現するんだ?」

「知的な感じとか、クールとか‥‥年齢的にはどうだ?」

突然ルージュは声を荒げた。

「ただのオバサンだ!」

‥‥しまった、気付かれたらしい。

「見え見えだ!‥‥何だこの依頼は? トーヤは心の病なのか?」

おいおい!

「大体お前は、トーヤの事になると何故むきになる?!」

‥‥むきになってるのは貴女の方です。

「そ‥‥そうかな?‥‥でも、トーヤ女史と決まった訳じゃないし‥‥」

「そう思っているんだろう?」

‥‥はい、思ってます。

「私の補助脳にオーディオデータが残っている。再生して確認しろ」

「‥‥どうやって?」

「知るかっ!」

ルージュはそれっきり口を利かなくなった。

め‥‥めんどいヤツだ。

ルージュにはシリコンチップの補助脳が装備されている。しかし接続端子の類は一切ない。

本人以外はデータの閲覧は不可能だ。

「‥‥あっ!」

いや、一つだけ方法があった。ルージュの脳をハッキングすればいいのだ!

ルージュの補助脳は軍のGCCSに直結出来る。回線が存在するなら侵入する事は可能だ。

恐らくトーヤ女史は、ルージュの補助脳に侵入している。

だから俺たちの行動をリアルタイムで知る事が出来たのだ。

女史はルージュ開発の総責任者‥‥そのくらいの事は出来るに決まってる。出来ないはずがない。

やっと謎が解けた!

知恵の輪が外れた時みたいな爽快感だ!

‥‥が、ルージュは逆にイライラを増したようだ。

「‥‥つまり、トーヤは今も私の頭の中を覗いているわけだな?」

‥‥表現にトゲがあるなあ。

「トーヤは心の病な上に変態なのか?」

‥‥その台詞、そのまま女史に筒抜けなんですけど。

と、ルージュがティーカップを置いて立ち上がった。

「‥‥この依頼、受けた」

「へ?」

「トーヤの自分探しに付き合ってやる‥‥その代わり、全ての過去を暴き立ててやるからそう思え!」

‥‥これではまるで宣戦布告布告だ。

「やられた事はやり返す!‥‥それに、お前だってトーヤの過去に興味があるだろう?」

ど‥‥どう返事すればいいんだ?!

そしてルージュは冷ややかに笑った。

「トーヤがお前の思っているような人間かどうか‥‥楽しみだなあ!」

‥‥俺は久しぶりにルージュが怖くなった。


2


俺がトーヤ女史について知っているニ、三の事柄。

紅茶が好きである。

ボールペンの端を噛む癖がある。

三歳になる息子がいるが、離婚時に養育権を失った。

‥‥考えてみたら、正確な年齢さえ知らなかった。

「‥‥役に立たないヤツだ」

ルージュは蔑むような目で俺を見た。

詳しく知ってたら怒るくせに。

女史と俺の関係なんて、上司と部下にオプションが付いた程度のものだ。

で、そのオプションってのは‥‥昼食とティータイムを一緒してたってだけ。

それだって話の流れだ。


‥‥ある日俺は暇つぶしに、ネット上でナンプレをしていた。その問題は難易度が高かったらしく、俺は紅茶のリーフセットをGETした。

俺はそれをトーヤ女史におすそ分けした。女史が紅茶が好きと聞いたからだ。

ランチタイム、俺は食堂で茶葉の缶を手渡した。

女史は一瞬キョトンとした後、微笑んで言った。

「良かったらティータイムに入れて来て貰えるかしら?」

この一言で、俺は女史専属お茶係りになった。

‥‥今気付いたが、これって誰かに似てないか?

で、いつの間にか昼食も一緒に取るようになってた。

それだけだ。

俺と女史の事は一部で噂になっていたようだが、それも一週間程で消えた。

理由は‥‥俺と女史の間には、会話が一切無かったからだ。

俺はただ女史の前に座ってただけだ。

女史はいつも考え事をしていたし、俺には話題が無かった。

それ以前は、女史は一人で食事をしていた。俺は賑やかしみたいなものだった。

正直言えば、はじめは多少期待してたさ。

だが、やはり美人は距離をとって見ているだけに限る。下手に踏み込むと、振り回されたひどい目に遭うのがオチだ。

‥‥今現在がまさにそれだ。


「‥‥お前は腰抜けか?」

リムジンの後部座席で、ルージュが呆れ返って呟いた。

自覚はあるが、面と向かって言われたのは初めてだ。

バックミラーを覗くと、ルージュはガッカリした顔で窓の外を見ていた。

この態度には、さすがに俺も傷ついたぞ。

‥‥翌日未明、俺たちは例の湖畔にたどり着いた。

リップが沈んでいる湖だ。

本当は二時間程で来れる距離なのだが、ネタの仕込みに時間を食った。

圧搾空気でゴムボートを膨らまし、俺たちは湖の中央まで漕ぎ進んだ。

「Wake up Lip! I'm here!」

‥‥湖底から巨大な影が浮かんで来るのが見えた。

そしてリップの手が、俺たちをコクピットまで運んだ。


さて、ここでクエッション‥‥ルージュはリップまで起動して、一体何をしようとしているのでしょう?

答え‥‥ハッキングでした!

ルージュはトーヤ女史の個人情報を盗み出すために、リップの電子兵装を使う気なのだ!

馬鹿馬鹿しいの一言に尽きる。

だが不用意にネットワークを使えば、この湖の位置がバレてしまう。

それを防ぐため、俺たちは五カ所に転送用タブレットPCを設置した。

こいつの仕込みに一晩掛かった訳だ。

さて、ここでまたまたクエッション‥‥俺たちは何処にPCを設置したのでしょう?

答え‥‥清掃車の中でした!

どんなに転送を繰り返しても、必ずネットワークプロトコルから足が付く。だから俺たちは、タブレットPCを架空名義で契約した。

だがこれだけでは、使用したホットスポットの情報から位置が明らかになってしまう。

経由するPCには、移動し続けて貰う必要がある。

だから清掃車なのだ。

清掃車は午前七時から正午まで、街中をせっせと走り回る。しかも使用済みの物的証拠を、ゴミと一緒に焼却場に放り込んでくれるのだ。

これが州をまたいで五台の清掃車に紛れ込ませてある‥‥位置の特定は絶対に不可能である。

恐らくトーヤ女史も、この手でメールを送って来たのだろう。


ルージュは操縦席に滑り込むと、電子兵装のチェックに入った。

作戦開始まで、まだ三時間ある‥‥ここから先は門外漢なので、俺はルージュの脚元で眠る事にした。

ちょっとウトウトっとしたと思ったら、ルージュの足が俺の尻を突ついた。

「クリス、時間だ!」

もうか? 疲れているのか、時間の感覚が無いな。

フローティングウインドの中で、五つの点が動き始めた‥‥作戦開始だ!

「さて何処に行く?」

「まあ、GEIの人事部のファイルだろうなあ」

「了解!」

‥‥ちょっと待て、これじゃあ俺が指示してるみたいじゃないか!

「入ったぞ」

「じゃあ後は適当にやれよ」

こちらの会話は女史にまる聞こえなんだ、うかつな助言はしないに限る。

「‥‥? クリス、おかしいぞ!」

「何が?」

「一部のデータが名前だけで空だ‥‥現職者以外のデータが消えてる」

「え?」

俺はタッチパネルを操作して、自分のデータを閲覧した‥‥確かにファイル名だけで、中のデータは消滅している。

トーヤ女史のものも同様だった。

「と言うかクリス、ここには二週間以前のデータが存在しないんだ」

ルージュの言う通り、全ての部署でそれ以前の記録が消滅していた。

メインコンピュータがダウンしたのか?

二週間前といえば、トーヤ女史が追われる身になった頃だ。

「データが無くてはどうにもならないな‥‥次は何処を当たる?」

「後は戸籍の類だが‥‥」

しかし俺は、女史が生まれた州さえ知らなかった。

闇雲に当たったのでは、幾らルージュでも時間内では済まない。

「‥‥そうだルージュ、裁判記録だ!」

「?」

トーヤ女史は一年前に、離婚裁判を起こしている。その前後の記録なら、探す範囲は限定される。

「連邦裁判所か?」

「州の上位裁判所だろう」

数分後、ルージュは裁判記録の中にトーヤ女史の名前を見つけた。

「元旦那はグレッグ・パーマー、息子はジュリアンというそうだ‥‥元旦那の経歴を見るか?」

「‥‥興味ない」

ってかお前、今すごく嫌なヤツになってるぞ。

この情報を足掛かりに、後は戸籍でも調べりゃいいさ。気の済むようにやってくれ!

「‥‥随分簡単な裁判だったんだな」

「え?」

「第一回審議の後は審議延期、審議延期‥‥で、次で結審してるぞ」

‥‥その話は多少知っていた。

離婚裁判の争点はただ一つ、息子の養育権だった。

だがその審議に、女史は時間を割けなかった。

もちろんルージュ開発のためだ。

それを相手方の弁護士に突かれた‥‥裁判に時間を割けないなら、養育にも時間を割けないという論理だ。

結果、女史は息子の養育権を失ったのだ。

「‥‥一つ聞きたい事がある」

ルージュがいかにも不機嫌そうに言った。

「お前、トーヤと会話は無かったと言ったな‥‥何故そんな話を知っている?」

「それはその‥‥」

あれは単なる偶然だった。

俺はティータイムに、女史の電話を立ち聞きしてしまったのだ。

俺も黙って引き上げればよかったのだが、つい慰めの言葉を掛けてしまった。

女史は俺の前で、声を上げて泣いた。

‥‥本当の事を言うと、昼食を一緒に取るようになったのはその翌日からだった。

トーヤ女史は辛かったのだと思う。

一人でいたくなかったのだ。

だから、たまたま事情を知った俺と食事をするようになった。

「本当にそれだけなんだよ」

‥‥と、ルージュが呆れ果てた顔で聞いた。

「本気で言っているのか?」

「‥‥ああ」

「たった今分かった‥‥お前はデラックスにバカだ!」

な‥‥何だ、それ?!

「お前は女心が分かってない!」

そう言うとルージュは、リップの動力に点火した。

「おい、何する気だ?!」

「息子と元旦那に会いに行く!」

「はあ?! そんなの聞いてないぞ!」

「私がハッキングのためだけにリップを起動したと思うのか?」

次の瞬間、俺の体はGで床に押し付けられた。

肺が押し潰され、俺は何も言えなくなった。

‥‥クソッ!


3


十数分後、俺たちはテキサスの低湿地帯に立っていた。

通常飛行だったので、俺は何とか無事だった。

衛星軌道まで上がっていたら、圧死していたところだ。

しかし、真昼間にリップを飛ばすとは思わなかったぞ。

いくらステルス塗装だからって、無頓着過ぎるだろ!

近くの街までは、装備品のミニバイクで移動した。

こいつに二人乗りしている姿は、かなーり情けなかった(俺が後ろだったし)

誰も見てなくてよかった。

で、街でレンタカーを手配したのだが‥‥俺は仕返しに、日本製の軽を借りてやった。

エレガントには程遠いファミリーカーだ!

だがルージュは顔色一つ変えず、後部座席のドアの前に立った。

「クリス!」

ドアを開けろってか?!

言う通りにしてやると、ルージュは悠然と後部座席に乗り込んだ。

‥‥こいつの美学はある意味筋金入りだな。


ヒューストンに着いたのは昼過ぎだった。

元旦那は宇宙センター勤務で、家もその近くにあった。

俺はセンターが見えたところで最終確認をした。

「ルージュ、本当に会うのか?」

「今更何だ?」

「普通に考えて、監視が付いてるんじゃないか?」

「それがどうした?」

‥‥言う事はそれだけか?

「そんな危険を犯して何を知りたいんだ? 俺には意味が分からない!」

「‥‥そうだな」

ルージュはしばらく考え込み、つぶやくように答えた。

「トーヤの子供を見てみたい‥‥理由は多分‥‥羨ましいんだ」

「え?」

「私には子供は産めないから‥‥」

ルージュはそれっきり黙ってしまった。

その時俺はふと思った‥‥トーヤ女史はルージュに何を見せたいのだろう?

女史は考え無しに行動するタイプではない。あの依頼には何か意味があるはずだ。

だがその意図がつかめない。

‥‥黙り込んだまま、車は元旦那の家に差し掛かった。

小さい、ごく一般的な戸建て住宅だった。

俺はスピードを落として家の前を通過した。

と、庭でベビーシッターらしき女性と遊んでいる子供が見えた。

プラチナブロンドの、目の大きい男の子だった。

年齢からしても間違い無い、この子がジュリアンだ。

俺はルージュがどんな顔でジュリアンを見ているのか振り返りたかった。

だがその余裕は無かった‥‥駐車していた車が一台、俺たちに気付いてエンジンを掛けたからだ。

「ルージュ、監視の車だ」

「このまま通過しろ、ジュリアンを巻き込みたくない」

「市外まで出るぞ」

俺は出来るだけ自然に車を転進させた。

監視の車は、二ブロックの距離をキープして尾行を続けた。

仕掛けて来る気は無さそうだ。

‥‥やはりトーヤ女史狙いだ。

「無人地帯まで引っ張って殲滅する」

「絶対に殺すなよ!」

「うるさい、分かってる!」

だが戦闘行為は結局無かった。

市内の信号待ちで、赤いカマロが隣に止まった。

派手な車だとは思ったが、別段気にも留めなかった‥‥が、降車した女性を見て、俺は唖然とした。

「ど‥‥どうして?」

女性はこちらの助手席に乗り込んで来ると、口元だけ微笑んで言った。

「久しぶり、クリス君」

そして女性は後席のルージュを振り返った。

「初めましてになるのかしら?‥‥トーヤ・スミス、貴女の設計者よ」

「‥‥」

さすがのルージュも、これには驚いたらしい。

と、後ろの車がクラクションを鳴らした。

いつの間にか信号が変わっていた。

「いけない、忘れてた」

そう言うと女史は、バッグからリモコンを取り出した。

スイッチを押すと、カマロから白煙が吹き出し、サイレンが鳴った。

トーヤ女史は窓を開けて叫んだ。

「爆発するわよ! 逃げて!」

ドライバーたちは一斉に逃げ出した。

「私たちも行きましょう」

「は‥‥はい!」

俺は慌てて車を出した。

二十mも離れたところで、カマロが大爆発を起こした。

破片と炎が対向車線まで及び、完全に道を塞いだ。

「これで追って来れないわ」

女史は微笑んだ。

「クリス君、顔が引き攣ってるわよ」

そりゃ引き攣りますって!

だが女史は、全くお構い無しだった。

「ごめん、少し寝るわ‥‥ずっと眠ってなかったから‥‥」

そう言うと女史は、小さな寝息を立て始めた。

その横顔を見ながら俺は思った‥‥誰かに似ている。


4


俺とトーヤ女史の間には会話らしい会話は無かった。

だからフランクに喋る女史を見るのはこれが初めてだ。

‥‥人間なんて、ちゃんと話してみないと分からないものだ。

「コクピットは初めて‥‥結構狭いのね」

リップに乗り込んだ女史は操縦席に座り込み、勝手に電子機器を操作し始めた。

「あちこち触れないで貰いたい」

だがトーヤ女史は聞いちゃいなかった。

「このコンソールの穴は何なの?」

女史が指したのは、武器の選択スイッチだ。

リムジンの非合法装備と同じ。

ルージュによると、使用する武器によって差し込む口紅の色も決まっているのだそうだ。

ダークレッド→クリムゾン・リッパー。

パールピンク→パールスプラッシュ。

という具合。

「クリス君が改造したの?」

こんな阿呆な事を考えるのはルージュだけです!俺は言われた通りに改造しただけ。

と、女史はルージュを見て言った。

「貴女の趣味、面白いわね」

「‥‥」

ルージュは目に見えてイラ立っていた。

テリトリー内に突然ソックリさんが現れたのだからしょうがない。

勿論ルージュの容姿は女史をモデルに造られた。外見が似ているのは当然なのだが‥‥どうやら性格まで似ている臭い。

トーヤ女史の物腰は丁寧だし、すぐに切れたりもしない‥‥だが言葉に奥にある押しの強さがそのままだ。


屋敷に着くと、女史は俺を訝しげに見た。

「こんな豪邸、どうしたの?」

女史は、俺がルージュに拉致られた事を忘れているのだろうか?

「キャッシュで買ったんですよ、ルージュが!」

「そんなお金、どこにあったの?」

「‥‥」

ルージュは無視してソファーに座った。

だが女史も引く気はない。対面に座ると、ジッとルージュを見つめた。

‥‥三分後、信じられない事にルージュがギブアップした。

「私のパスコードは軍の全ての情報を閲覧できる‥‥その中に二十七件の架空口座を見つけたた‥‥」

「お前、まさか‥‥」

「ああ、全額引き出した」

こいつ、そんな事したんかいっ!

俺、呆然。

女史、大笑い!

「貴女、メビウスの資金を盗んだのよ」

「メビウスとは何だ?」

一瞬トーヤ女史の表情が曇った。

だがそれは俺も聞きたかった事だ。

女史は数泊おいて、淡々と語り始めた。

「クラスター政権を裏で操る大企業のユニオン‥‥二十年前の軍事クーデターも、メビウスの支持があったから成功したのよ」

メビウスは元々、兵器開発に携わる企業の連絡会だったそうだ。それが他業種も含めて巨大なユニオンとなり、今ではこの国の財界のほとんどがメビウスの傘下にあるという。

「‥‥本当にそんなものがあるんですか?」

「あるわ‥‥例の破壊されたコンビナート、あの石油会社もメビウスの傘下よ」

「え?」

「あのコンビナートは設備の老朽化で解体が決まっていたの‥‥それに、撤退した外資の資産を買収したのもメビウス傘下の企業よ」

あ‥‥あの事件の裏にそんなカラクリがあったのか?!

「‥‥それじゃあ、もしやGEIも?」

「そう、メビウスの傘下よ」

って事は、GA開発はメビウスの主導だったって事か?!

「正解よ‥‥そしてメビウスはGAを量産化して、植民地の拡大を目指しているの」

「え?」

「この国の経済は飽和し掛かってるわ。だから新たなる権益と市場を確保したいのよ」

えー、何かサラッと話してますけど、それって戦争が始まるって事ですよねえ?

「ええ‥‥だから私は〝ルージュ計画〟の全てのデータを破壊して逃げて来たのよ」

そして女史は、真剣な顔でルージュを見た。

「忘れないで‥‥メビウスを敵に回したって事は、この国の全てを敵に回したって事よ」


5


翌朝、起き抜けから俺は信じられないものを見た。

キッチンに行くと、トーヤ女史が朝食を作っていたのだ。

「一応、元主婦なんだけど」

女史はスクランブルエッグを盛り付けながら苦笑した。

「あ、ルージュの食事は‥‥」

「分かってる、甘い物以外は食べないんでしょう?‥‥テーブルに貴方のレシピノートがあったわよ」

さすがに目ざとい!

「でも、食べてくれる人がいるっていいわね。他人に食事を作るなんて久しぶりだわ」

女史は本当に楽しそうだった。


だが、女史のそんな思いも届かないヤツには届かない。

ルージュは料理一瞥するなり顔をしかめた。

「これは誰が作った?」

見ただけで違いが分かるのか?

「盛り付けが綺麗だ。クリスのセンスじゃない」

‥‥ドサクサに紛れて馬鹿にされてるし。

「私よ‥‥レシピ通りに作ったから、味は同じだと思うけど」

女史の返事を聞くなり、ルージュは紅茶に砂糖をありったけ流し込んだ。

で、一気に飲み干すと、力任せにドアを閉めて部屋を出てしまった。

「‥‥」

呆気に取られた後に、怒りがこみ上げて来た。

何じゃ、その態度?!

しかしトーヤ女史はクスクス笑っていた。

「悪い事しちゃったわね」

「後で言って聞かせます」

「止めなさい、可哀想よ」

‥‥可哀想?

理解できないでいる俺に、女史が解説を付けてくれた。

「ルージュはね、ヤキモチを焼いているのよ」

‥‥はい?

ヤキモチ?

嫉妬?

恋愛感情?

ルージュにはそんな高次な感情まであるのか?

「彼女の脳は人間と同じ‥‥あって当然よ」

確かに可能性はある。

‥‥じゃあ、いつからだ?

俺は記憶をたどってみた。

言われてみれば恋愛感情と取れる行動は多々あった。

だがいつ始まったのかが分からない。

「これは仮説だけど‥‥生体部品の遺伝子提供者の感情が、そのままルージュの脳に転写されたのかもしれないわ」

なるほど!

という事は、遺伝子提供者が俺の事を‥‥って話になるのだが‥‥問題はその提供者が‥‥。

「ええ、私よ」




‥‥はい?




それってどういう事でしょうか?

「ヒトクローンは人類初の試みよ。転写の原因まで分からないわ」

‥‥申し訳ありませんが、質問のベクトルが違います。

そう言えばルージュは目覚めた時、俺を見て『見つけた』と言った‥‥ルージュが初めから俺を知っていたのは確かだ。

‥‥いやいや、問題はそこじゃない!

そこじゃないのだが‥‥。

情けない事に、俺は自分史上MAXに狼狽していた。

それに対してトーヤ女史のシレッとしている事!

度胸と言うか、格が違い過ぎる。

俺は自己嫌悪に押し潰されそうになった。

その時バキッという音と共にドアが開いた。

‥‥バキッて何だ?

「クリス、ドアが壊れた!」

振り返ると、ドアノブを持ったままルージュが歩いて来た。

コイツ、蝶番ごとドアを外しちまった!

「直せ」

ルージュは俺にドアを押し付けた。

樫の木の一枚板だから重いのなんの! 今度は物理的に潰れそうだ。

圧死寸前の俺を尻目に、ルージュはトーヤ女史を睨みつけた。

「何?」

女史は優しく微笑み返した。

「ルージュ、止めろって」

だがルージュは、俺の言葉を無視してトーヤ女史に歩み寄った。

‥‥遂に俺は切れた。

「いい加減にしろ!」

ルージュが足を止めた。

「クリス君、大声を出さないで」

「しかし‥‥」

と、ルージュは踵を返して出口に向かった。

すれ違いざま俺を見たルージュの目は‥‥何処となく悲しそうだった。


6


大汗をかいてドアを直すと、俺はすぐにルージュを探した。

あちこち探し回ったがルージュの姿はどこにも無かった。

この屋敷は無駄に広すぎる!

リムジンはそのままなので、外には出ていないはずだが‥‥。

散々走り回った挙句、俺はガーデンルームのテラスでルージュを見つけた。

俺はホッとしたが、すぐには声を掛けられなかった。

‥‥ルージュの後ろ姿が寂しそうだったからだ。

何と言って話し掛けようか悩んでいたら、俺より先に近づく足音がした。

トーヤ女史だ。

女史はルージュの隣に座ると、何事も無かったかのように話し掛けた。

「ねえルージュ、貴女の中のGCCSルーターは外した方がいいと思うわ」

「‥‥」

「アクセスコードは私しか知らないけど、いずれメビウスも解析するわ」

「‥‥どうやって外す?」

「小さなユニットだから簡単よ、ただし人口皮膚に傷がつくけど」

「構わない、やってくれ」

女史はルージュの髪をたくし上げると、左後頭部にメスを入れた。

「‥‥そうだルージュ、貴女にお礼を言わなきゃ」

「何の話だ?」

「貴女のおかげでジュリアンを見る事ができたわ‥‥監視が厳しくて近づけなかったのよ」

「私の視覚情報を覗いたのか?」

「直接会いたかったけど‥‥しょうがないわね、自分が犯した過ちだから」

「?」

「私はね、研究のために全てを失ったの‥‥この手で生命を創り出す、そんな妄想に取り付かれてた」

「‥‥」

「でもその結果、私は子供も家庭も無くしたわ‥‥馬鹿よね、女が命を生み出すなんて、ごく自然な事なのに」

‥‥女史はピンセットで、小さなユニットをルージュから取り出した。

「終わったわ‥‥これで貴女は自由よ」

「‥‥」

そして女史は、ルージュの頬に触れて言った。

「貴女は私の半身‥‥貴女だけは幸せになってね」


その後、昼食にもティータイムにもルージュは姿を見せなかった。

「ルージュ、来ないのね」

「そ‥‥そうですね」

困った事に会話が続かない。

何を話せばいいんだ?

せめてルージュがいれば‥‥と言っても、ルージュとの間にだって会話があった訳ではない。

黙っていた時間の方が圧倒的に多い。

要するに俺は口下手なのだ。

ああもう、誰でもいいからこの気まずい雰囲気を何とかしてくれ!

「‥‥クリス君」

「はい!」

「今晩、ここを出ようと思うの」

‥‥はい?

「今晩‥‥ですか?」

「ええ。街まで送って貰えるかしら?」

全く藪から棒な話だ。

「どちらへ?」

「北かな? それくらいしか決めてないけど」

この期に及んでNo planかい?!

どう考えても、ここにいた方が安全だろうに!

「前から決めてたのよ‥‥一人になって静かに考えたいからかな?」

当然俺は反対した。

「危険ですよ!」

だが女史は、微笑むだけで取り合わなかった。

「大丈夫、国境を超えるつもりだから」

そう言って女史は席を立った。

会話打は打ち切られた。

‥‥口下手は、こういう時に説得さえ出来やしない。


ルージュは女史が出て行く事をどう思うのだろう?

まあ、どちらかと言えば喜ぶだろうな。

だが、ルージュが反対すれば、女史も翻意しそうな気がする。

俺はティーセットを片手に、ルージュの部屋をノックした。

「ルージュ、寝てるのか?」

‥‥返事は無かった。

ドアにも鍵が掛かっている。

「紅茶とクッキー、持って来たぞ」

部屋の中からは、コトリとも音はしなかった。

「トーヤ女史、今晩発つそうだ」

‥‥やはり反応は無かった。

俺はティーセットを床に置いた。

「クッキー食べろよ。血糖値が下がり過ぎると脳に悪いぞ」

助け舟は期待出来そうになかった。


その間に女史は、ネットで国際線のチケットを押さえていた。

「トロント行きの最終が取れたわ。明日の朝にはカナダね」

女史は遠い目で窓の外を見た。


7


日没近く、俺はリムジンを用意した。

玄関まで車を回したが、待っていたのはトーヤ女史だけだった。

ルージュは見送らないつもりなのか?

「おい、ルージュ!」

俺は二階の窓に叫んだ。

だがルージュは顔も見せなかった。

「‥‥行きましょう」

俺と女史はリムジンに乗り込んだ。

と、後部座席に乗り込んだ女史が言った。

「これ何かしら?」

見ると、座席の足下にアタッシュケースが隠してあった。

中には現金と、ブランド物のスーツが詰め込めるだけ詰め込んであった。

ルージュの餞別だ。

「大事に着なくちゃね」

トーヤ女史が嬉しそうに笑った。

きっとルージュは俺たちが出発した後、窓辺でそっと見送るのだろう。

‥‥しょうがないか。

俺はリムジンのキーを回した。


夕日が荒野を赤く染め上げていた。

運転しながら俺は、どうトーヤ女史を説得するか考え込んでいた。

だがその最初の言葉が見つからなかった。

時間だけが無意味に過ぎていった。

フリーウエイに乗ったところで、逆に女史が切り出した。

「本当は私‥‥ルージュを壊そうと思ってたのよ」

「え?」

「幾らデータを消しても、完成品が残ってたら意味がないわ‥‥でも出来なかった」

女史は笑いながら続けた。

「あの子の頭の中を覗いていたら可愛くなっちゃった‥‥知ってる? ルージュはいつも貴方を目で追ってるのよ」

「‥‥」

「視覚領域に入り込むとね、十秒に一回クリス君が写るの‥‥貴方の鈍感だから気付いてないでしょう?」

「‥‥先日、ルージュにも言われましたよ、女心が分かってないって」

女史は声を上げて笑った。

‥‥思い返すと、俺はGEIでこんなトーヤ女史を見た事がなかった。

俺は女史の事を何も知らなかったのだ。

俺はこのまま女史を見送るのが嫌だった。

「‥‥トーヤ女史‥‥やっぱり止めませんか?」

「?」

「一人になるのは危険です! どうしてもと言うなら、俺たちも一緒に行きます!」

「‥‥ルージュが同意するとは思えないけど」

長い沈黙の中、ロードノイズだけが俺と女史を包んでいた。

そして女史は言った。

「朴念仁もここまで来ると犯罪的ね‥‥でも貴方のそういう所、嫌いじゃなかったわよ」

女史の口調はこれ以上の説得を拒否していた。

俺は引くしか無かった。

‥‥その時女史が声を上げた。

「クリス君、変よ! 私たち以外の車が走ってないわ!」

「えっ?!」

周囲を見渡すと、俺たちの前後に車両は一台も無かった。

今がやっと日没、この時間にそんな事はあり得ない!

そして轟音と共に、巨大な影が上空に現れた。

「リッパーⅡ‥‥」

それは白いGAだった。


8


白いGAは通常飛行のまま、ゆっくりと高度を下げて来た。

俺はポケットから口紅を取り出し、スイッチを入れた。

オレンジは、ルージュへの緊急救命ホットラインだ。

リムジンの装備でGAに対抗出来るはずがない。

ハッキリ言うが、時間稼ぎさえ不可能だ。

とにかくリップが到着するまでの数分、ひたすら逃げ回るしか無い。

俺はフリーウエイを外れ、国立公園の林にリムジンを突っ込ませた。

「トーヤ女史、降りて!」

リムジンはそこで捨てた。

GAは対地対空兵器としては無敵だが、対人兵装に関しては無いに等しいからだ。

俺はトーヤ女史の手を取り、林の中を走った。

と、地鳴りと共に木々がなぎ倒された。

ほんの十数m先にGAが着地した様だった。

俺たちは窪地に身を隠した。

「静かに! 音を立てないで」

既に日は落ちている。

下手に動かず、このままルージュを待った方が賢明だ。

俺は三十八口径を手に、耳に全神経を集中させた。

俺の肩に触れたトーヤ女史の手が微かに震えていた。

‥‥突然真上で音がした。

俺はリボルバーを頭上に向けたが、引き金を引く前に叩き落された。

「ぐっ!」

衝撃で右腕が折れた。

「邪魔をするな!」

それは白いマントをまとった女だった。

「トーヤ女史、逃げて!」

俺は女と女史の間に割って入った。

だが次の瞬間、俺は地面に倒れ込んだ。

電撃だった。

「‥‥えっ?」

女はマントの間から左腕をのばした。

‥‥掌底から銃身が現れ、火を吹いた。

‥‥何発もの弾丸が、トーヤ女史の胸を貫いた。

‥‥女史は弓反りに弾き飛ばされ、ゆっくりと地面に落ちた。

「‥‥」

気が付くと、女の姿はどこにも無かった。

代わりにタービン音と共に白いGAが上昇して行くのが見えた。

その時上空に光の帯が走った。

『やったなーっ!』

ルージュの絶叫と同時に、鋼鉄と鋼鉄がぶつかり合う音が響いた。

リップだ!

赤と白のGAは、月明かりの中でドッグファイトを演じた。

二台は互いにクリムゾン・リッパーを展開した。

巨大な貴婦人たちは、舞うように切り結んだ。

そしてリップがパール・スプラッシュを放った。

白いGAは急上昇を掛けた。

遥か高空で爆発の連鎖が起こったが‥‥それっ切りだった。

‥‥俺は這ってトーヤ女史に近付いた。

女史は、焦点の定まらない目で夜空を見つめていた。

視線の先には、リップが下降して来る姿があった。

「‥‥トーヤ女史‥‥しっかりして下さい‥‥」

女史の口が微かに動いた‥‥だが声にはならなかった。

「何です?! 何が言いたいんですか?!」

「‥‥」

女史は最後に微笑んで‥‥力尽きた。

俺は女史の亡骸を抱きしめる事しか出来なかった。

‥‥見上げると、リップのコクピットからルージュが見下ろしていた。

月を背負ったルージュの影は、人形の様に動かなかった。

‥‥やがてルージュの口から、低い唸り声が漏れた。

唸りは嗚咽となり、慟哭となった。


俺は初めてルージュの悲しみを見た。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ