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act.3 罠

第三章・罠


1


俺はもう料理はしない!!!

いや、調理を全面拒否するつもりはない。そんな事をしたら誰かさんは、即日飢え死にするだろう。

そこまでする気はないが、さすがの俺も今回ばかりは腹が立った!

昨晩の事だ。

俺はいつものように夕食を用意して、八時きっかりにルージュを呼んだ。

メニューは、鯛のソテーにコンソメスープ、フルーツミックスのヨーグルト掛けだった。

鯛はDHAを多く含み脳の働きを助ける。スープはオニオンの甘みを生かし、形がなくなるまで煮込んであるから消化にもいい。フルーツは角切りにして砂糖漬けにしたものだ。

これでたんぱく質からビタミンまで、まんべん無く、美味しく補給できる‥‥はずだった。

ルージュはフルーツを一口食べて顔をしかめた。

「甘くないな」

そんなわけない!

が、話を聞いたらヨーグルトが無糖だったのがお気に召さなかったようだ。

その辺は好みなので、俺はキッチンに粉砂糖を取りに行った。

まあそれでフルーツは黙って食べたさ。

だがルージュは、パンにまで粉砂糖を掛けようとした。いや、変ではないが、どうせ掛けるならメイプルシロップかハチミツだろう!

俺は再びキチンに行き、ハチミツを取って来た。

戻った俺は信じられないものを見た‥‥ルージュはコンソメスープに粉砂糖を入れていたのだ!

食えなかないが、それは変だろう!

「ありがとう」

そう言うとルージュは、持って来たハチミツを鯛のソテーに掛けた。

そういう食べ方もあるかもしれんが、俺はそいうつもりで作ったわけではない。

‥‥キッチンで食べ残しを見ながら、俺は虚しさを噛みしめていた。

俺は何のために前日からメニューを考え、下ごしらえしたのだろうか?

そして俺は思い至った‥‥料理するから腹が立つのだ、だったら料理しなければいい!

というわけで俺は、料理ではなくてスイーツを作ると考える事にした。

本日のメニューは、

スイートポテトのメイプルシロップ掛け。

スイートコーンの甘味増量冷製スープ。

激甘パンケーキの練乳掛け。

ヨーグルトムース&マンゴーソース。

頭痛がするほど甘いアップルパイ。

ギッシギシのカボチャプリン。

食事とデザートの中間を行く完璧なメニューだ!

ところがルージュは、朝の冷製スープを飲みながら気まぐれに言った。

「アイスクリームが食べたいな」

‥‥メニュー変更である。


というわけで、俺はアイスを買いに出るハメになった。

買い出しなんて初めてだ!

普段食材は、ネット注文で配送されている。

こちらは指名手配中なのだ。その方が人目に付くリスクが少ない。

ってか、タキシードにサングラスの男がリムジンでアイスの買い出し?!‥‥周りがどう思うかは想像したくないな。

そこで俺は考えた。アイスを買うよりアイスクリームメーカーを買う方が少しはマシなんじゃないか?

‥‥少しは。

その方がアイスにバリエーションもつけられるしな。

俺はダウンタウンのショッピングセンターを目指した。

ダウンタウンの目抜き通りは、ストリートチルドレンの仕事場になっていた。

信号待ちで止まろうもんなら、即刻子供がたかって窓を拭き始める。

非合法装備・その三の電撃で追い払う事もできたが、俺は黙って一ドルずつ渡してやった。

優しさを知る前に生きる術を学んだようなガキ共だ。今更人の悪意を教えてやる必要はないと思った。


家電のブースはショッピングセンターの二階にあった。

調理器具のコーナーには、システムキッチンまで置いてあって驚かされた。

‥‥二万ドルか、安いな。

いやいや、待て!

相場より安くても高い買い物には違いない。ルージュのでかい買い物のせいで、最近俺まで金銭感覚が麻痺してきた。

アイスクリームメーカーはホットプレートの隣にあった。それもワッフルプレートのすぐ横だ‥‥商売が上手いな!

俺は台車のようなカートにアイスクリームメーカーとワッフルプレートを乗せてレジに並んだ。

‥‥並んでいる間に、自分で自分が嫌になった。

一人暮らしの間、俺はまともに料理をした事がなかった。

食事の八割は、外食、テイクアウト、デリバリー。それ以外は冷凍食品をチンするだけだった。

それが今では飯炊き係りだ!

タキシードよりもコックコートを着た方がいいんじゃないか?

しかし料理をしなくなると、それはそれで暇をもてあます事になる。一日の大半をネットとテレビで浪費しそうだ。

‥‥そのネットとテレビも、最近は料理記事しか見ていない気がする。

考えるな、考えるな!

俺は囚われの身で、その上指名手配中なのだ!

捕まれば第一級スパイ容疑で銃殺刑だ!

‥‥身に覚えはないが。

溜め息を五回もついたところで、レジの順番が回ってきた。

商品の梱包を待ちながら、俺はふとAVコーナーのテレビに目をやった。

‥‥俺は凍りついた。

展示された数十台のテレビに、俺の手配写真がズラリと映し出されていたのだ。

続けてキャスターが伝えた。

『第一級スパイ容疑で指名手配のクリストファー・アンダーソンが昨日身柄を拘束されました。数日中にも公開処刑される見通しです』

‥‥誰が拘束されたって?

‥‥公開処刑って、何の話だ?

俺はつい、サングラスを外してモニターをガン見した。

「あら、貴方にそっくりね」

後ろに並んでいた白髪のの女性が話しかけて来た。

「そ‥‥そうですね」

そっくりも何も、本人です!

更にニュースは、拘束された男の動画も流した。

猿轡に拘束服の男は、暴れながら護送車に押し込まれていた。

‥‥こいつ、俺の手配写真には似てるが、俺には似てなくないか?!

俺はこんなに下品な目をしてないぞ!

俺は商品を受け取り、足早にその場を去った。


2


リビングでアイスクリームメーカーを回しながら、俺とルージュはニュースチャンネルを見ていた。

ニュースはしばらく国際情勢や新政策について報道し、俺を思いっきりイラつかせてくれた。

イラついてる間に、限界ギリギリまで甘いアイスができ上がったぞ!

散々時間と気力を削り取った後、やっとお目当てのトピックが始まった。

「そっくりだな」

マンゴーアイスを食べながら、ルージュがサラッと俺の神経を逆撫でした。

今回の報道では公開処刑の場所と日時まで案内してくれた。全くご丁寧な話だ。

「随分大掛かりな罠だな」

誰が見ても百%掛け値なしの罠だ。

だが、それにしては少々ずさんな気がする。

罠には餌が必要だが、この餌はあまりにも貧弱過ぎる。俺とあの男は、似てる似てない以前に赤の他人だ。

軍関係者の猿芝居という可能性だってある。

これでノコノコ助けに行くヤツがいるか? 俺はそれほど馬鹿だと思われてるのだろうか?

‥‥いや、隣に座ってる砂糖中毒患者なら行くかもしれないな。

もう厄介事は御免だ! そんな素振りを見せたら、調理をストライキしてでも止めてやる!

‥‥だがルージュは、

「まあ良かったじゃないか」

と、空になったアイスクリームグラスを突き出して言った‥‥何のこっちゃ?

「クリストファー・アンダーソンは逮捕されたんだ。これでお前は無罪放免‥‥そうだろう? 」

「そりゃそうだが‥‥」

そしてルージュは、二杯目のアイスを食べながら言った。

「明日は、そのショッピングセンターに行ってみよう」

「何しに?」

「システムキッチン、欲しいんだろう?」

‥‥ねだったつもりはないんですけど。

「二人で大手を振って街を歩けるとは思わなかったな」

ルージュが珍しく満面の笑みをうかべた。

その笑顔に俺はつい、コイツも逃亡生活が辛かったんだなと思ってしまった。

だったら少しぐらいつき合ってやってもいいか!

‥‥結論から言うと、俺はまんまとルージュに騙されたわけだ。


3


翌日。

ダウンタウンに入ったところで、突然ルージュは車を止めさせた。

ここからショッピングセンターまで歩くのだという。

俺は空いているパーキングエリアにリムジンをねじ込んだ。

俺たちが戻るまでに、一体何人のストリートチルドレンが電撃の犠牲になるのだろう?‥‥窓拭きはそれなりに労働だが、車上荒らしは犯罪なので自業自得だけどな。

先に行ったルージュを追うと、ヤツは振り返りもせずに、

「少し離れてついて来てくれ」

と言った。

‥‥何だそりゃ?

グレーを基調とした街の中、真紅のスーツを着たルージュは弥が上にも目立っていた。

長時間歩いているところを観察した事は無かったが、モデルみたいな歩き方をするんだな、コイツ。

‥‥おいおい、一分に一回ナンパされてるぞ!

そこから十分ほど歩いたところにショッピングセンターはあるのだが‥‥ルージュはセンターを素通りして更に歩き続けた。

システムキッチンはどうなったんだ?!(き‥‥期待してたわけじゃないぞ!)

‥‥相変わらず何を考えているのか分からないヤツだ。

ルージュはそのままメインストリートを外れ、あまり治安のよろしくない界隈へ足を踏み入れた。

‥‥???

げっ! 早速柄の悪い男たちが寄って来たじゃないか!

「こんな所で何してるんだぁ?」

よせばいいのに三人のチンピラがルージュを囲んだ。

「人を捜している」

「何てやつだ?」

男の一人がバタフライナイフをチラつかせながら聞いた‥‥先に言っとくぞ、ご愁傷さま!

「名前は知らない‥‥だが、多分お前らの知り合いだ!」

言うなりルージュはナイフを持った腕を掴み、体重を掛けて地面に引き倒した。

関節の外れる嫌な音がした。

同時に背面の男を後ろ蹴りで倒し、軸足一本の力で無理矢理態勢を戻しながら、最後の男に拳を放った。

‥‥が、ルージュは拳を男の鼻先で止めた。

「情報屋を探している‥‥案内しろ」

ルージュが人差し指で男の鼻を弾いた。

「うっ!」

男は鼻を押さえてうずくまった。鼻の軟骨が折れたのだろう。

「誰でもいいわけではないぞ、私は一流にしか興味がない!」

ルージュはチンピラを見下して笑った。


4


風俗街の一角に店はあった。

日本料理・彩‥‥ここのマダム揚がダウンタウン一の情報屋だという。

華僑が何故日本料理かは不明だ。

ルージュは店の扉を開けると、チンピラを蹴り込んでから叫んだ。

「マダム揚はいるか?!」

‥‥コイツはどうしてこう喧嘩の仕方を心得ているんだか?

「何の騒ぎだい?!」

似たり寄ったりのドスの効いた声が返って来た。

‥‥あ~、嫌だ嫌だ。

店の奥から目の座った中年の女性が現れた。

「あんたが情報屋か?」

「ツラつかまえて聞かれたのは初めてだね」

揚は和服に白羽扇という間違った組み合わせで、足を組んでカウンターに座った。

女将も胡散臭けりゃ、店の内装も限りなく胡散臭かった。

「クリス、財布を出せ」

俺は言われるまま、ルージュに財布を渡した。

‥‥ら、コイツは財布ごとカウンターに叩きつけちまいやがった!

二万ドルだぞ! システムキッチンが買える金額だぞ! いいのか?!

さすがのマダム揚も財布の中を見て驚いたようだ。

「で、何が聞きたいんだい?」

ルージュが俺を顎で釈った。

「こいつにそっくりな男について聞きたい」

‥‥だから似てないって言ってるだろう!

「あんたが本物のクリストファー・アンダーソンかい?」

「‥‥そうです」

俺のフニャフニャな返事に、揚は蔑んだ笑みを見せた‥‥この女将、絶対ルージュと同類だ!

「あれはシドってケチなコソ泥さ。元はストリートチルドレンでね‥‥後はここにいるナンシーってのに聞きな。やつの女さ」

揚は走り書きしたメモをルージュに渡した。

「‥‥まさかあんた、こんなチンケな情報にあんな大金払うわけじゃないだろうね?」

揚の言葉に、ルージュがニヤリと笑った。

「治安警察が血眼になって追っているのは誰だ?」

「‥‥」

「私たちを餌にしてでも押さえたいんだ、よほどの大物なのだろう?」

揚はやっと合点がいったという顔で、もう一度財布の中身を見た。

そして金だけ抜くと、空の財布ぃを俺に返して言った。

「トーヤ・スミス‥‥後はあんたの方が詳しいだろう?」


5


今回の件、トーヤ女史が狙いというなら全て納得がいく。

女史は、俺とルージュが一緒である事は察してるはずだ‥‥そして追われているとなれば必ずルージュに接触して来る。

コイツ以上に頼りになるボディーガードはいないからな!

今回の報道を見た女史は、必ず何らかの動きを見せるだろう。

‥‥しかし、何故トーヤ女史が追われているのだろうか?

マダム揚も、そこまでの情報は持っていなかった。

とりあえず俺たちは、揚のメモを元にナンシーを尋ねた。

捕まっているシドという男について知る必要があった。

シドが治安警察の手先か否かで、俺たちの出方も変わるからだ。


教えられたアパートは、信じられないほどの安普請だった。

エントランスは怒声、赤ん坊の泣き声、トイレの水音、音楽で溢れ返っていた‥‥いったいどのぐらい壁が薄いんだ?

俺たちは階段で四階に上がり、呼び鈴を鳴らした。

安っぽいブザーの音に、部屋の奥から足音が近づいて来た。

住人が覗き穴から俺を見た。

数秒の沈黙の後、

「うわああああっ!」

奇声を上げた女の子が部屋から飛び出し、いきなり俺に抱きついて来た。

「シド! 帰って来れたんだね!」

‥‥そんなに似てるのだろうか?

ってか、無駄にデカイ胸が当たって困るんですけど。

と、ルージュが近くにあったアルミのバケツを力任せに蹴り倒した!

「離れろ!‥‥そいつはシドじゃない」

「えっ?」

女の子は俺の顔をマジマジと見て、真っ赤になって飛び退った。

「貴女がナンシーさん?」

女の子は上目遣いでうなずいた。


部屋の中は驚くほど何も無かった。

傾いだベッドに毛布、テーブル、食器が数脚‥‥それだけだった。

日々の糧を得るだけで精一杯、そんな部屋だった。

「アタイが路に立たないですんだのはシドのおかげ‥‥屋根にベッドがあるだけで十分幸せだよ」

ナンシーもまた、シドと同じくストリートチルドレンだった。

ストリートチルドレンを救済する制度も組織もある。だが施設への収容を拒否すれば、あとはお定まりの道しか残されていない。

シドは空き巣や置き引きで食いつないでいた。

しかし、そんな事は長くは続かない。現場を押さえられたシドは相手二人を射殺‥‥判決は電気椅子だった。

それが俺に似てたがために、公開の銃殺刑に変更になったのだ。

「弾みだったんだよ! シドは気が小っちゃいんだ!‥‥銃さえ持っていなければ‥‥」

運が悪かったのかもしれない‥‥だが被害者にしてみればそんな理屈は関係ない。

「シドは臆病で、優しくて‥‥だけど私の事だけはいつも必死で守ってくれた‥‥年下なのに‥‥」

‥‥ん? 今、何て言った?

「アタイ? 二十八だよ」

俺より年上かいっ?! どうみても十七、ハにしか見えないぞ!

「ねえっ! あんたらシドを助けとくれよ! スパイの手伝いでも何でもやるからさあっ!」

「待ってくれ、俺たちはスパイなんかじゃない!」

「そう、探偵だ!」

‥‥それも違うと思うぞ。

「だったら私が依頼人になるよ、シドを助けとくれ!」

そう来たか!

「報酬は高いぞ」

「スリでもかっぱらいでも何でもやるよ!」

それは犯罪だ!

と、ルージュがナンシーのネックレスに目をとめた。

「‥‥素敵なロザリオだな」

「こ‥‥これだけはダメだよ、シドがくれたたった一つのプレゼントなんだから!」

ナンシーは、ルージュの視線からロザリオを隠した。

‥‥その時、窓ガラスを破って何かが部屋へ飛び込んで来た!

「伏せろ!」

ルージュがテーブルを蹴倒して壁をつくった。

スタングレネードだった。

閃光と大音響で、俺とナンシーは前後不覚に陥った。

同時にドアの蝶番が爆破され、サブマシンガンで武装した兵士がなだれ込んで来た。

ヘルメットにはMPの表記があった。

軍警察‥‥遂に正規軍のお出ましだ!

「ちっ!」

ルージュは両肩に俺とナンシーを担ぎ、窓を突き破って飛び降りた。

背中にガラスの破片が刺さったぞ!

地上には、自動小銃で武装した兵士八名が配置されていた。

「一個小隊規模か、舐められたものだな!」

俺たちはその内の一人の頭上に落下した。

ルージュは潰れた兵士からライフルを奪い取り、フルオートで全弾バラ撒いた。

‥‥地面に硬質ゴムの破片が散らばった。

ゴム弾だ!

武器にならんじゃないか!

「それなら!」

ルージュはライフルのストックを地面に叩きつけた。

プラスチック製の肩当てが鋭角に割れた。

ルージュはこいつを槍のごとく振り回し、七人の利き腕を切り裂いた。腱が切れると結構大きな音がするものだ。

「実弾の使用を許可する! 目標以外は殺しても構わん!」

小隊長らしき女の声が響いた。

‥‥何て乱暴なやつだ?!

「目標以外って、アタイらの事?!」

「他に誰がいるんだよ?!」

ナンシーは涙目だった。

‥‥ってか俺、危険不感症になってない?

狙撃兵の発砲をかい潜りながら、俺たちはその場を脱出した。

とにかくリムジンまでたどり着かなくては!

しかし建物の周囲は完全に固められ、部隊は俺たちに集中しつつあった。

狭い路地で退路が見つからない。

そして俺たちは、アパートの裏手で挟撃される形になった。

だがルージュは動こうとせず、腕を組んで兵士たちと対峙していた。

「な‥‥何とかしとくれよー!」

ホント、どうすんだよ?!

やがて兵は膨れ上がり、一個小隊五十名が俺たちを取り囲んだ。

「観念したようだな」

声と共に部隊が割れ、赤毛の下級将校が姿を見せた。

さっきの女小隊長か?

「まさかこれほどの運動能力とは思わなかったぞ」

「‥‥」

ルージュは腕を組んだままだった。

「‥‥おい、ルージュ」

鋼鉄の女神はニヤリと笑って囁いた。

「スーツの下に手を入れてみろ」

はあ?

俺は言われるままに、ルージュの服の中に手を入れた。

‥‥スカートのベルトには、円筒形の鉄の塊がぶら下がっていた。

コイツ、戦闘のドサクサにこんな物をパクっていたのか?!

「二本、面倒みろよ」

そう言うとルージュは、腋の下に隠していたスタングレネードを前方の部隊に放った。

となれば俺は後方担当だ。

「ナンシー、耳を塞げ!」

「へっ?」

俺は投擲すると同時にナンシーに覆い被さって伏せた。

百八十dB×四の爆音が周囲の全てを揺らした!

体が弱けりゃ心臓が止る音圧だ、耳を塞いでいても頭蓋に響く!

一個小隊の大半が、生理反応でショック状態に陥った。

無事だったのは、事前に耳栓をしていた突入班だけだった。

ルージュはその八名の中央に飛び込み、一瞬で三人をなぎ倒した。

が、そこでルージュのヒールが折れた!

‥‥残った兵士は地獄だった。

「ヒールが折れたじゃないか!」

もはや八つ当たりだ。

四人は格闘技で言う反則技のオンパレードで、戦闘不能を超えて再起不能にされた。

そして最後の一人が目潰し攻撃の上に腕をへし折られた時‥‥。

突然、銃声が響いた。

ルージュの背中に六.八mm弾がフルオートで撃ち込まれた!

「‥‥」

気絶した兵士を放すと、ルージュはゆっくりと振り返った。

ライフルを杖にフラフラと立ち上がる影があった。

赤毛の女小隊長だ。

ルージュがニヤリと笑った。

「見上げた根性だな」

「家名に泥を塗るわけにはいかないのでな」

赤毛がサバイバルナイフを抜いた。

だが、これは明らかに時間稼ぎだ。相手をしていたら他の兵士が正気を取り戻す!

「ルージュ、引け!」

俺はナンシーの手をつかんで走った。

しかし倒れた兵隊をまたいで渡ったとき、目覚めた一人がナンシーの足をつかんだ。

「キャーッ!」

「!」

「何処を見てるっ!」

一瞬の隙を赤毛は見逃さなかった。

が、ルージュはナイフをのけ反ってかわし、赤毛の腹に膝蹴りを入れた。

「ぐっ!」

スレッジハンマーで腹を殴られたようなものだ。赤毛の目は焦点を失い、たまらずナイフを落とした。

「ハッ!」

ルージュが落ちたナイフを踵で蹴った‥‥ナイフは吸い込まれるように、ナンシーをつかんだ兵士の手に刺さった。

俺たちはその場から遁走した。

走りながら見ると、ルージュの頬に切り傷ができていた。

‥‥今は黙っておこう。

教えたらルージュは、あの場に戻って赤毛を八つ裂きにするだろう。

これ以上コイツの乱闘騒ぎに付き合うのはゴメンだ!


5


リムジンの中で、ナンシーははしゃぎ倒していた。

「アンタ強いねー!」

助手席のルージュの首に、ナンシーが後ろから抱きついた。

足をバタバタさせているが、こいつの精神年齢は幾つぐらいなのだろうか?(見た目と同じぐらいか?)

「アンタなら勝てるよ! 絶対シドを助けられる!」

‥‥その話かい。

ナンシーはルージュを甘く見ている。

ハッキリ言うが、こいつは疫病神だ!

ルージュが動けば、必ず周りが巻き込まれる。お前だって無事でいられる保証はないんだぞ!

「そこを右に曲がれ」

エレガントな災厄は、無表情に進路を指示した。

‥‥これ、高速に乗る道と違わないか?

言われた通りハンドルを切っていると、車は貨物列車の操車場にさし掛かった。

「ここでいい」

‥‥?

俺はリムジンを止めた。

こんな人気のない場所でどういうつもりだ?

「ナンシー」

「何?」

と、ルージュは身を乗り出したナンシーの首からロザリオを引きちぎった。

「な‥‥何すんだよ、返せっ!」

「返すさ、だが‥‥」

ルージュはロザリオを裏返した。

十字架は中空になっていて、裏蓋を開けると中から発信器が転がり出た。

「こいつは貰っておくぞ」

「あーっ!」

‥‥どういう事だ?

「マダム揚の差し金さ。さすが一流、食えない女だ」

揚は軍に通報して賞金の一万ドルをせしめた。そして軍が取り逃がした時のためにナンシーを張りつかせ、俺たちのアジトを探ろうとしたのだ。

‥‥って事は、今までのナンシーの行動は全て演技だったのか?

「クリス、外に出ていろ」

「はあ?」

「揚がこんな分かりやすい所に発信器を隠させるか?‥‥こいつは囮だ」

言うや否や、ルージュはシートを越えて後部座席に踊り込んだ。

俺は慌てて車を降りた。

揚にしてもナンシーにしても‥‥当然ルージュにしても‥‥俺の周りの女は、どうしてこう食えないヤツばかりなのだろうか? こういう運命なのか?

女性不信になりそうだ(もうなってるか?)

リムジンの中では相当ナンシーが抵抗しているらしく、車体がギシギシ揺れていた。

しばらくして揺れが止まると、ナンシーが半裸で飛び出して来た。

ナンシーは泣きながら走って行き、コンテナの影で大声で泣いた。

‥‥何だかなー。

降車して来たルージュの手には、発信器が九つも乗っていた。

「こんなに? 何処に隠してたんだ?」

「聞きたいか?」

‥‥遠慮します。

ルージュは発信器を踏み砕いた。

「さあナンシー、八つ裂きにされる前に答えろ! マダム揚に幾ら貰った?!」

ルージュは冷たい目でナンシーに歩み寄った。

「金なんて貰わないよ! あんたを軍に渡せばシドが助かるって言うから!」

「そんなにシドを助けたいか?!」

「助けたいに決まってるだろ! アタイを殺していいから、シドを助けとくれよ!」

ナンシーは泣きながら叫んだ。

「‥‥どうする、クリス?」

どうするも何も、答えはもう決まってるんだろう?

「お前の好きにしろよ」

ルージュの口元が笑った。

「よし、ナンシー! シドを助けてやる!‥‥ただし報酬は高いぞ!」

「な‥‥何でもするよ! スリでもかっぱらいでも‥‥」

だからそれは犯罪だってーの!

「この依頼、受けた!」

ルージュが高らかに宣言した。

‥‥まあいい、今回はトーヤ女史が絡んでるんだ‥‥俺も覚悟を決めるさ。


そして俺たちは、シド奪還の準備に入った。


6


シド(ってか俺の?)処刑場所は、市北東部の国立公園の一角だった。

作戦的には移送中を襲うのが一番楽だが、それではトーヤ女史を探す機会を得られない。

処刑場で女史と接触し、シド共々救出する、これが今回のミッションのゴールである。

問題はどうやってトーヤ女史を探し出すかだ。


作戦会議の間、ルージュはひどく不機嫌だった。

理由は当然、顔の傷である。

屋敷に帰り着いて鏡を見せると、ルージュは約十秒間、完全に反応しなくなった。

よっぽど頭にきたのだろう。

背中の銃槍だけでもイラついているだろうに、場所が場所だからな‥‥。

だからルージュは俺たちの話も聞かず、窓の向こうの雲を睨みつけていた。

頭の中は、赤毛へどうやって仕返しするかでいっぱいに違いない。

本当は放っておくのがベストなのだが、刑の執行が今晩だったのでそうもいかない。

「ルージュ、意見を出してくれよ」

「‥‥何の話だ?」

‥‥やっぱり聞いてねえ!

「トーヤ女史を探すにはどうすればいい?」

するとルージュは、

「犯人を探すには、犯人の気持ちになる事だ」

と、いかにも受け売りくさい事を言った。何処で覚えて来たんだ?

まあ理にはかなってはいるので、トーヤ女史の考えをシュミレーションしてみるとしよう。

先ずトーヤ女史の戦闘力はほぼ0である。では戦力のない女史はどうやって俺を救出するするつもりなのか?

「傭兵を雇ったら?」

これはナンシーの意見だが、処刑の報道から執行まで二日では準備できないだろう。

「私なら救出は諦めるな」

ルージュさん、それだと接触そのものが不可能なんですけど‥‥。

「それともトーヤとお前は、命懸けで救出するような仲なのか?」

ルージュが凄い目で俺を睨みつけた。

‥‥何だよ?!

「お前を救出しないでも接触はできる。トーヤが用があるのは私だからな」

そこまでハッキリ言われると悲しくなるな。

「私は必ずお前を助ける。トーヤはそれを待っていればいい」

フォローのつもりか?

ってか、合理的過ぎる発言は人を傷つける事を学習してくれ。

「だったらアタイも高みの見物かなー」

こいつも無神経なやつだな!

もういい!

‥‥となると、処刑場でルージュをうろつかせて女史の接触を待つ以外に無いか。

「ギャラリーがどれだけ集まるかは知らんが、私一人では出会えない可能性もあるぞ」

「確かにあれだけ報道していると、人が集まるかもしれないな」

悪趣味な話だ。

が、ルージュは別の方向でそれ以上に悪趣味だった!

「大勢集まってしまえば、あとは単純に確率論だ。確率を上げるにはどうすればいい?」

「???」

学校に行っていないナンシーにはチンプンカンプンだが、こんな問題は小学生でも分かる。

「私のコピーが、あと二人くらい必要だとは思わないか?」

ルージュは意地の悪い笑みを浮かべて俺とナンシーを見た。


7


処刑時刻は二十一時丁度。

国立公園付近は、日没には軽く渋滞していた。

俺たちはナンシーがパクった赤いセダンで乗り込んだ。

車は現地に乗り捨てるつもりなので、リムジンでは足がつくからだ。

「何で赤じゃなきゃいけないわけ?」

ナンシーの疑問はもっともだが、ルージュが赤と言ったら赤なのだ。

ルージュから半径五十m以内ではルージュが法律だ。

‥‥理不尽極まりないな。

処刑場に着くと、スタジアム程の面積が有刺鉄線で区切られていた。その中央にはブロックが積まれ、前に人の背丈ぐらいの杭が立っている。

そこに自分が縛られたところを想像してゾッとした。

「これならリップを降ろすスペースはあるな」

ルージュがローズピンクの口紅を塗りながら言った‥‥戦いの前の儀式だ。

「お前も塗るか?」

‥‥いや、もう勘弁してくれ。

「アタイも塗りたーい!」

ナンシーは喜んでいるが‥‥お前はいいさ、女なんだからな!

「で、トーヤってのはどんな人なんだい?」

「ルージュをショートカットにして、アラフォーになったところを想像しろ」

と、ルージュがムッとして言った。

「私は歳なんかとらないぞ」

‥‥そう言う話をしてるんじゃないんですけど。

「アタイも歳取らないねってよく言われるー!」

お前ら、未来永劫そのナリでいろよ!

「よし、作戦開始だ!」

俺たちは車を降りた。

傍からは、三人のプラチナブロンド・赤いスーツの女が降車したように見えるのだろうが‥‥その内の一人は俺だ!

俺たちはルージュと同じ格好で辺りをうろつき、トーヤ女史が接触してくるのを待つ作戦なのだ!

‥‥ボンテージスーツじゃなくてよかった。

見物客は更に増え、執行十五分前には千人近くに膨れ上がった。

皆んな、どうかしてる。

とにかく俺たちは、この中からトーヤ女史を見つけ出さなければならない。

女史を保護した後は、シドが連行されて来るのを待って発煙筒で群衆を散らす。

最後はリップを召喚してシド、トーヤ女史と共に離脱と言う寸法だ。

「‥‥あと十五分か」

しかし周囲はラッシュ時の駅並みの混雑だった。

こんな格好はしてみたものの、接触できるかはかなり怪しい。

だがトーヤ女史はおそらく変装しているだろう、こちらから見つけられるとは思えない。

あとは見つけてもらえる事を祈るばかりだ。

‥‥時だけが刻々と過ぎていった。

俺はポケットからパープルの口紅を取り出した。勿論中身は通信機だ。

俺はナンシーに連絡を取った。

「それらしい人はいたか?」

『駄目、分かんないよー!』

「MPにだけは気をつけろよ、ルージュと間違われると射殺されるぞ」

『えーッ!』

ナンシーはそこまで考えていなかったようだ。どうりでお気楽だったわけだ。

『冗談じゃないよ! アタイ降りた! 脱ぐ!』

「馬鹿! それを脱いだらトーヤ女史は‥‥」

そこまで言って俺ははじめて気がついた‥‥トーヤ女史は、ルージュが赤いスーツがお気に入りなんて知っているはずがない!

女史が知っているルージュは、完成前の眠っている姿だけだ!

ルージュに乗せられた!

そうだ、アイツは変な所で間抜けなんだ!

‥‥俺は女装しただけか?

俺は激しい目眩に襲われたが、今はそれどころじゃない!

「トーヤ女史! トーヤ女史!」

俺はなり振り構わず叫んだ。

もう他に方法は無い!

‥‥その時、群衆がどよめいた。

軍の輸送車が到着したのだ。

そして拘束服に頭から袋を被せられたシドが車から引きずり下ろされた。

「俺はクリスじゃない! 違うんだー!」

シドは激しく暴れていた。

‥‥時間切れだ!

『発煙筒を用意しろ』

通信機からルージュの声がした。

俺はベルトのホルダーから発煙筒を取り出した。

だが、

『待っとくれ! あれはシドじゃないよ!』

ナンシーの声に、俺はピンを抜く手を止めた。

「どういう事だ?!」

『声が違うんだよ! あれはシドの声じゃない!』

別人?

頭から袋を被せられているため、ここからでは確認の仕様が無い。

「どうするルージュ?!」

『‥‥待機だ』

ルージュも迷っているようだった。

そうしているうちにもシドは連行され、中央の杭に縛りつけられた。

「俺はクリスじゃないんだ、違うんだー!」

護送係の兵士がシドを殴りつけ、シドはうなだれ、沈黙した。

ライフルを持った兵士がシドの前に並んだ。

偽者の猿芝居ならいいが、もし本物なら取り返しがつかない。

『‥‥』

ルージュもナンシーも黙ったままだった。

‥‥砲声が響いた。

銃弾に痙攣しながら絶命する罪人を前に、群衆は言葉を失った。

静寂はやがてざわめきへと変わった。

引いて行く人波の中、俺はただ立ち尽くした。

シドの亡骸は杭から外され、担架に乗せられた‥‥そこへ駆け寄る女の子がいた。

ナンシーだ。

ナンシーは罪人の顔から布の袋を外し、叫んだ。

「シドー!」

最悪だ。

作戦は完全に失敗した。

しかも遺体に取りすがったナンシーまでが、兵士たちに連行されようとしていた。

‥‥こうなったらナンシーだけでも助けなければならない。

俺はホルスターから三十八口径を抜いた。

が、俺は次の展開に驚いて足を止めた。

‥‥シドの死体が起き上がったのだ!

「これだけの大芝居を打って、掛かったのは雑魚一匹とはな!」

死体は顔からテクスチャーを剥がし、かつらを地面に叩きつけた。

‥‥赤毛の女小隊長だった。

「シドは?! シドはどうしたの?!」

泣き叫ぶナンシーを蔑むように赤毛は笑った。

「あの蛆虫か? やつは昨日のうちに電気椅子さ!‥‥見苦しい最期だったぞ」

「‥‥そんな‥‥」

ナンシーは力無くへたり込んだ。

「お‥‥鬼ーっ! 悪魔ーっ!」

ナンシーは知っているありとあらゆる言葉で赤毛をなじった。

取り乱すのは当然だ。彼女にしてみれば、先刻まで絶対に助けられると思っていたのだ。それがとっくに処刑されていたとは‥‥。

が、それに対する赤毛の反応は常軌を逸していた。

赤毛はみるみる色をなし、ナンシーを蹴り、顔を踏みつけた。

「私は名門スペンサー家の嫡子だ! 数々の元帥を排出した誇り高き血統だぞ! 虫けらの分際でその名を侮辱するか?!」

赤毛は何度も何度もナンシーの頭を踏みつけた。

俺は鉄条網越しに銃を構えた。

しかしリボルバーの弾倉が回転しかけたところで、何かが赤毛をかすめて地面に突き刺さった!

「?!」

鉄パイプだった。

有刺鉄線を張っていたパイプが空から降って来たのだ。

「名門かどうかは知らんが‥‥」

当然、投げたのはコイツしかいない!

「私にはお前の方が虫けらに見えるぞ」

ルージュは有刺鉄線を鞭のように捌きながら現れた。

「やっと御出ましか!」

御出ましはルージュだけではなかった。

閃光とともに空が割れ、大地が揺れた。

突風で俺は立っているのがやっとだった。

目を開けると、鉄の貴婦人が月明かりを遮っていた。

「ナンシー、逃げるぞ!」

「‥‥」

ナンシーは初めて見るリップに、只々唖然としていた。

「クソッ!」

俺はナンシーを抱え上げ‥‥ようとして腰を痛めた。

「何やってんだよ!」

俺はナンシーに肩を借りて走った。

‥‥情けない。

振り返ると、ルージュは赤毛と向かい合ったままだった。

「鉄パイプを取れ‥‥顔の傷の礼をしてやる」

「決闘か、面白い」

赤毛が鉄パイプを取った。

「名を聞こう」

「シーラ・スペンサーだ!」

赤毛が仕掛けた!

俺とナンシーは、リップの手の中で見守るしかなかった。

赤毛は鉄パイプを、武器ではなく盾の代わりに使っていた。

重い鉄パイプを振り回せば、扱い切れずに隙を作るだけだ。

ルージュの鞭(というよりは分銅鎖)は、ことごとく鉄パイプに防がれていた。

が、遂に鞭が鉄パイプを絡め取った。

ルージュは有刺鉄線を引き、鉄パイプを奪い取った。

「貰った!」

‥‥その時、ルージュの上半身に隙ができた。

「こっちの台詞だ!」

赤毛がルージュの髪をつかみ、引き倒した。

「!」

ルージュは倒れると見せかけ、宙返りの要領でボディープレスを掛けた。

百九十二kgのボディープレスだ!

だが赤毛は髪を放してこれを逃れた。

そして着地し損ねたルージュに襲いかかり、再び髪をつかんだ。

「私の髪に触るな!」

「こんな格好で決闘とは笑止!」

互いに武器を失った決闘は、泥試合と化していた。

「ルージュが負けてる‥‥」

‥‥ナンシーが俺の腕にすがりついてきた。

まずいな、

非常にまずい!

このままではあの赤毛、本当に殺されるぞ!

‥‥案の定、ルージュの我慢が限界に達した。

「いい加減にしろっ!」

ルージュが赤毛の腕をつかんだ。

バチっという音と同時に赤毛が崩れ落ちた。

「な‥‥何だ今のは‥‥」

スタンガン‥‥ルージュが遂に内蔵武器を使ったのだ。

敵地でリップが大破した場合に備え、ルージュの身体にはいくつかの武器が装備されている。

だがルージュは、よほどの事がないと内蔵武器を使わない‥‥使用すれば人工皮膚に傷がつくからだ。

赤毛は完全にルージュを切れさせたのだ!

そしてスーツが裂け、ルージュの左腕から高振動ブレードが現れた。

「!」

赤毛は刃を避けるので必死だった!

「こんな話、聞いてないぞ!」

「喧嘩売るなら‥‥」

ルージュが蹴りと同時に電撃を放った。

「スペックぐらい調べて来い!」

ルージュの蹴りが赤毛の腹にヒットした。

赤毛は十mも飛ばされ、意識を失った。

だがブチ切れたルージュはそれだけでは気が済まなかったらしい、赤毛に向かって右腕を伸ばすと、スーツの袖をまくり上げた。

‥‥それはやり過ぎだろう!

ルージュの肘から先が三つに裂け、中から三門の砲身が現れた。

五.五mmガトリング砲だ。

「殺すなーっ!」

俺の叫びに、ルージュは反射的に照準をずらした。

六十発の弾丸が、赤毛のすぐ脇の地面を抉った。

「ちっ!」

ルージュは舌打ちをしながらリップの手に乗った。

そして俺たちは処刑場から離脱した。


結局俺たちは、シドを助ける事も、トーヤ女史を探し出す事もできなかった。

リップのコクピットの中、ナンシーはずっと声を殺して泣いていた。

ルージュは黙ったまま、俺と目を合わせようともしない。

よほど怒っているのだろう。

コクピットの空気は重く、ほんの数分が長く感じた。

やがてモニターに湖が映った‥‥リップの隠し場所の湖だ。

そこまできて、やっとルージュが口を開いた。

「何故止めた?」

‥‥そうだよな。

俺はナンシーを見た。

こいつの気持ちを考えると、止めるべきじゃなかったのかもしれない。

でもなルージュ、赤毛がどうのじゃなくて、俺はあの場で思ったんだ。

「‥‥人が死ぬのを見て喜ぶ奴の気が知れない‥‥俺はそうはなりたくない」

「‥‥そうか」

ルージュもそれ以上は聞かなかった。


8


ナンシーを送り届けると、ダウンタウンは夜明けを迎えていた。

朝日に染まった街並みは、湿度の関係なのか一面が金色だった。

俺たちは目を細め、しばらく光の奇跡を見つめていた。

「‥‥そうだ、ルージュ!」

ナンシーは首からロザリオを外し、ルージュに渡した。

「報酬‥‥ってか、アタイの気持ち!‥‥ありがとう」

「‥‥いいのか?」

ナンシーは寂しそうに笑って答えた。

「うん! 一番大切なロザリオは、アタイの胸の中にあるからさ」

そしてナンシーは自分の頬を叩き、空を見上げて言った。

「アタイ、頑張るよ! 独りぼっちでも生きてかなきゃだからね!」

「スリでもかっぱらいでも、何でもやってか?」

「そういう事!」

ナンシーは光の中に駆け出した。

金色に溶けてゆくナンシーを、俺とルージュは並んで見送った。

‥‥ふとルージュが呟いた。

「‥‥私も‥‥いつかは独りぼっちになるのだな‥‥」


その後、ナンシーは修道院に入ったと噂で聞いた。

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