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act.1 偽装

   序


 単一の理由で戦争など起きはしない。目に見えるもの見えないもの、様々な要因が重なって最悪の選択はなされる。

 目に見えるものだけを挙げるなら、地球環境の悪化、エネルギー問題における先進国と発展途上国の対立、世界通貨の複数化、経済摩擦に起因するナショナリズムの高揚、医療の普及による第三世界での人口爆発‥‥それは資源保有国の暴動の形で始まり、先進国の武器供与でやがて内戦へと発展した。

 利権を狙う国はこぞって最新兵器を供給し、代理戦争という病巣は世界各地に転移した。

そして最終的には大国の軍事介入。

 結果生まれた世界は新植民地時代‥‥搾取するものとされるものが再び明確化し、先進国がエネルギーの消費を独占する世界。

 文明崩壊への処方箋は既に無い。


 これは、そんな世界のお伽話。



   第一章・偽装


    1


 ロースト・ロイズの展示ブースは肌寒いほど空調が効いていた。

 おかげで真夏だというのにホットコーヒーが美味い。それは世界最高級車のディーラーの事だ、飲み物一つにもスペシャリストを起用しているせいもあるだろうが。

 テレビのモニターでは、クラスター軍事政権のムーアー総司令官が核廃絶協議に応じた事を伝えていた。

 キャスターはこれを恒久平和への第一歩とぶち上げているが‥‥脳天気な話だ。

 既存の切り札を捨てるという事は、新しい切り札があるという事。

 事実それは既に存在している。

 予算の関係で実戦配備が躊躇されているだけだ。

 しかしムーアーのオッサンも長期政権だよな。

 クラスターが権益の保全を旗印に軍事クーデターを起こしたのは二十年も前だ。四捨五入すればとっくに八十だろうに。

 それでも現政権は発足以来三十から四十パーセントの支持率は維持しているらしい。

 臨終間際の心電図みたいいな民主主義政権よりはマシなのだろうか?(まあ数字自体嘘っぱちかもしれんが)

 そうこうしていると、タキシードを着たゼネラルマネージャーが車のキーを持って現れた。

 俺は工場に向かい、特注リムジンの装備を確認した。

 合法・非合法含め、全てルージュの指示通りだった。ボディーカラーもルージュの希望通りワインレッド。

 支払いはマネージャー室。通常の三・五倍の価格を現金払いだ。

 高級リムジンにブランド物の衣料、家具、生活用品、果ては郊外の大豪邸‥‥俺はこの一ヶ月で二億ドル近い金を支払ったぞ!

 いや、俺は単なる使いッパで、実際に支払ったのはルージュだ。

 そんな金が何処から湧いて出るのかはサッパリ分からない‥‥が、知って共犯になるくらいなら、知らずに被害者のままでいる方がマシだ。


 ‥‥そう、俺は被害者なんだ!!!


 高速に乗り市街地を抜けた頃、突然スコールが降り始めた。

 バックミラーの中のビル街は、雨に打たれてうな垂れている様だった。

 かつてここは最も雨の少ない土地だったそうだ。

 そのため丘向こうでは映画産業が発達し、世界一の映画の都となった‥‥それが今では熱帯雨林気候だ。

 丘向こうは今でも映画の都だが、それは殆どがCG化してるからだ。オープンセットなんか二度と組めやしない。


 緑化計画で作られた人工の森を走って行くと、屋敷は視界を塞ぐように突然現れる。

何故そこだけ私有地なのかは不明。

 まあ合法的に買ったものだし、登記も出来たのだから問題無いのだろう。

 俺は屋敷の前でリムジンを止め、リモコンで門が開くのを待っていた。

 と、激しい雨音に混じって車外から声が聞こえた。

 「貴方がルージュさん?」

 俺は凍りついた。

 驚き過ぎて、危うく非合法装備・その一のスイッチを入れるところだったぞ!

 見ると七、八歳の女の子が、スコールの中を懇願する様な目で立っていた。

 「僕はクリストファー・アンダーソン。人違いですよ」

 俺は窓を少しだけ開けて答えた。

 「でも、この住所はここでしょ!」

 女の子は窓の隙間から携帯電話をねじ込んで来た。

 ‥‥その画面を見て、俺は激しい目眩に襲われた。


 女の子はエミリー・カーンと名乗った。

 しばらく雨に打たれていたのか、エミリーの手は冷たかった。

 俺は彼女を屋敷に招き入れると、先ずシャワー室に案内した。

 その間に濡れた服を乾燥機に掛けて、次は着替えの手配‥‥が、ルージュの服はサイズが違う上にドレスやブランド物のスーツばかり。

 役に立たない。

 仕方が無いので、俺が庭作業に使うTシャツとジャージを貸してやる事にした(洗った物がそれしか無かった)

 次はエミリーが濡らしたリムジンの後部座席を清掃。

 本革シートが変色すると、またルージュに文句を言われに違い無い。

 後はリムジン受け取りの報告だ。

 手ぶらで行ったら嫌な顔をされるので、俺はミルクティーを入れて行く事にした。

 ‥‥悲しい事に、俺も執事家業が板についてきた。

 始めはルージュに命令されて嫌々着ていたタキシードと蝶ネクタイも、最近はサマになってきた気がする‥‥いや、嬉しくは無いぞ!


 耳を澄ますと、応接室からクラッシック音楽が聞こえてきた。

 ルージュはそちらでおくつろぎの様だ。

俺はティーセットを持って、大きく一回深呼吸してからドアをノックした。

 真っ赤なドレスを着たルージュは、返事もせずにファッション雑誌に見入っていた。

 まだ何か買うつもりですか? まだ?

 俺はテーブルでロイヤルミルクティーを作り始めた。

 ダージリンティーは熱々だが生クリームはよく冷やしてある。ルージュは猫舌気味だからだ。

 と、ルージュが独り言を言うように話し掛けてきた。

 「頼んであったリムジンは?」

 「希望通りに仕上がってたよ」

 俺も手を休めずに答える‥‥傍から見ると倦怠期の夫婦みたいな会話だな。議案の周りをグルグル回って結局核心に触れない遣り取り。

 ‥‥当たり前だ! 下手に本題に入ればこっちだって怒鳴りたくなるし、ルージュが逆ギレしたら俺の命に関わる。

 「‥‥で、覗いている子供は何だ? 最近のカーディーラーは子供も販売するのか?」

 振り返ると、エミリーがドアの隙間から覗いていた。

 コラ、お行儀の悪い! 会話の段取りが狂うだろ!

 「その説明の前に‥‥ルージュ、これは何だ?」

 こうなりゃ出たとこ勝負だ!

 俺はエミリーの携帯をルージュの鼻先に突き出した。

 画面はいわゆるHPの類なのだが、その名称が『ルージュ探偵事務所』、所在地がこの屋敷なのだ!

 この屋敷の住人は二人だけ、俺でなければコイツしかいない。

頼む、これ以上騒ぎを起こさないでくれ!!!

 「何って、ただのHPだが?」

 厄介事の製造元は至ってシレっとしてやがる。

 「お前、軍に追われてる事分かってる?」

 「大丈夫だ、公的ドメインからはアクセス出来ない様に細工してある」

 一応コイツも自分がお尋ね者だという自覚はあるようだが‥‥自覚があるのにこの始末か? やっぱりどうかしてる。

 「とにかく、どんな切っ掛けで軍の目に入るか分からない。すぐにHPは削除し‥‥」

 「お願い! パパを助けて!」

 突然エミリーの叫び声が俺たちの会話を遮った。

 小さな天使は俺のTシャツとジャージを着て、祈るように胸の前で手を組んでいた。

 「で、この子供は何なんだ?」

 「‥‥HPを見て訪ねて来たんだ」

 俺は諦めて答えた。

 「多分、最初の依頼人だ」


    2


 「誘拐?!」

 「うん。昨日の夜、電話があったの」

小さな依頼人は、ぬるいロイヤルミルクティーを飲みながら話した。

 「治安警察は呼んだ?」

 「いっぱい来てるよ!‥‥でも、グンジキミツとかで、探すの難しいって」

 「ちょっと待ってエミリー、パパのお仕事って何なの?」

 エミリーは考え込んでたどたどしく答えた。

 「わかんないけど‥‥難しい研究してるって‥‥ギジュツショウコウ‥‥って言ってたかなぁ?」

 軍の技術士官にはパイプがある。そしてその中に心当たりの人物がいた。

 「エミリー、パパの名前は?」

 「デビットだよ」

 ‥‥陸軍参謀本部技術科のカーン大佐だ!

 「知っているのか?」

 ルージュが俺の表情から察したらしい。

変に目ざといヤツだ。


 カーン大佐は技術科の上級職で、前年導入された機動歩兵開発の総責任者だった。

 機動歩兵とは市街戦用の新装備で、馬というかダチョウに近い三足歩行の機動兵器だ。

入り組んだ地形や高低差のある、車両での進入が難しい場所の制圧に使用する。

 俺もデモンストレーションを見たが、姿勢制御に優れた汎用性の高い機体だった。

 小型なので路地裏にも難なく進入し、目標を確実に追い詰め、破壊していた。

 確かにこれで歩兵の生存率は飛躍的に上がるだろう。

 最近では治安警察にも配備されたと聞いた。


 エミリーの話をまとめるとこうなる。


 昨夜遅く、数名の警官がエミリーの家を訪れた。

 留守を守っていたエミリーの母に警官は、カーン大佐に殺人の嫌疑が掛かっていると話した。

 殺人現場にカーン大佐のIDが落ちていた事、使用された銃の線状痕が大佐の物と一致した事が証拠となった。

 だが一時間後、一本の電話で事態は一変する。

 電話はカーン大佐を誘拐したと告げ、身代金として百万ドルを要求した。

 状況から治安警察は、殺された男は誘拐犯の一味と断定。拉致の際、大佐の抵抗によるものとした。

 大佐の疑いは晴れ、捜査は誘拐事件に切り替わった。

 しかし大佐の身分から、事件を治安警察と軍警察のどちらが担当するかで紛糾しているらしい。

 きっとそれ以外にも情報部が影で動いてるのだろう。


 俺はエミリーに聞こえないようにルージュに耳打ちした。

 「ルージュ‥‥こんな事件に関わったらそれこそヤブヘビだぞ。いつ軍に見つかってもおかしくない」

 いや、見つかって俺を保護してくれるなら、それこそ願ったり叶ったりだ。だが軍の通常兵器がルージュに通用するとは思えない。

そうなれば無駄に人死にが出るだけだ。

 「‥‥エミリー!」

 初めてルージュがエミリーに話しかけた。

 「父親とはどういうものだ?」

 ‥‥マズイ、そこに興味を持ったのか?!

 「えーとねー‥‥大きくて、温かくって、でもギューってされるとちょっと痛いかなー」

 笑ながらエミリーが答える‥‥止めてくれ、ルージュがもっと興味を持つじゃないか!

 「ルージュ!」

 「‥‥」

 ルージュはジッと俺の目を見た。俺も負けじと睨み返す。

 視線を外したら負けだ。

 例えフィジカルでは勝てなくとも、気合いでこの暴走機関車を止めなくてはならない。それが出来るのは俺だけだ‥‥俺は自分に言い聞かせた。

 だが蛙が蛇と睨み合って勝てるわけが無い。

 俺の精神力が限界に達したと見るや、ルージュは不意に雑誌を閉じた。その音だけで、俺はあっさり視線を外した。

 ‥‥俺は負けた。

 ルージュの蔑んだ目を、俺は一生忘れないだろう。

 「エミリー、パパは私が助け出す」

 エミリーが喜んだのは言うまでもない。

 「この依頼、受けた!」

 ‥‥それはルージュの勝利宣言だった。


    3


 確かにHPには『報酬/応相談、危険手当/無し』と書いてある。

 しかしどう相談してみても、エミリーが報酬を支払えるとは思えない。

 報酬無しで調査をする探偵?‥‥そんなのただの野次馬だ!

 そして野次馬は現在、リムジンの後部座席からカーン大佐の私邸をうかがっている。

 「ほー、結構な豪邸だな」

 オペラグラスを覗いたルージュが自分の事を棚に上げた感想を独言した。

 まあ、うちの無駄な大豪邸に比べれば可愛いもんだが、周囲の二倍の敷地にプール付きだ、かなりの豪邸である。庭にはドーベルマンもいるなぁ。

 「エミリーのママは、何かお仕事してるの?」

 「してないよ。ずっと家にいる」

 幸せな有閑マダムの様だ。

 そんな会話をしながら、俺は小型の受信機で周囲に盗聴電波が無い事を確認した。

それらしき信号は無い。

 次はルージュの命令で作らされたお手製盗聴器の周波数を、マイクロドライバーで八十八KHに設定する。

 この盗聴器、ケースはルージュ御愛用の口紅だ。

 コイツは自分の名前を意識しているのか、やたらと口紅をコレクションしぃている。一体口が幾つあるんだか?

 「エミリー、これを持って家に戻ってくれるかい? 出来るだけママから離れないでね」

 母親は刑事とも話すし、脅迫電話の応対もする。しかもエミリーが張り付いていても全く不自然じゃない。

 「うん、わかった!」

 エミリーはリムジンを降りると、雨上がりの道を水溜りを飛び越えながら走って行った。

 家に入ったのを見計らってスイッチを入れると、受信機から母親らしき声が聞こえて来た。

 『エミリー! 何処へ行ってたの?!』

 いきなり怒られてる。

 『えっと‥‥公園‥‥行ってた‥‥』

 ちょっち苦しいかな。

 『雨には濡れなかったの?』

 『濡れたけど、すぐ乾いちゃったー!』

 いや、乾かないだろー!

 ‥‥いかん、すぐにもボロが出そうだ。

 と、男の声が割って入った。

 『奥さん、少しいいですか?』

 ナイス!‥‥ってか、今のは刑事か?

 『エミリー、あっちへ行ってなさい』

 『えー、でもー』

 頑張れエミリー!

 『もう一度伺いますが、殺害された男に見覚えは無いのですね?』

 『ええ』

 『この男、身元につながるような物を全く持っていないんですよ』

 『‥‥でも、誘拐犯の一味なら当然じゃないのですか?』

 『まあ、そうですね‥‥それと身代金の百万ドルですが、こちらで用意させましょうか?』

 『‥‥いえ、預金を全て降ろせばそのくらいになりますので‥‥エミリー、いらしゃい。着替えるわよ』

 『その前にトイレ!』

エミリーはトイレに盗聴器を隠したらしい。見つからなかった代わりに会話はそこで途切れた。

 「ここまでの様だな」

 俺が顔を上げると、ルージュは呑気に化粧をなおしていた‥‥依頼を受けたのはお前で、俺じゃないんだが。

 「‥‥ところでルージュ、真っ赤なリムジンって探偵には派手過ぎないか?」

 さっきから通り過ぎる人がジロジロ中を覗いて行ってるんですけど‥‥。

 「気にするな。どんな車に乗っても私は目立つ」

 そう言うとルージュは口紅を塗り、満足そうに呟いた。

 「んー、エレガント」

 ‥‥何がだよっ?!


    4


 街に出たついでに、遅めの昼食は外で済ませる事にした。

 高層ビルの谷間のオープンカフェがルージュのお気に召したようだ。

 近くのパーキングに車を預けたのだが、車体が大き過ぎるからと二台分支払うハメになった。マジでこの車は買い換えるべき! 内輪差がでかいから運転もめんどいし。

 ああ、ムカつくからとっとと食べてとっとと帰ろう!

 ルージュはフルーツサンドとシナモンティー、俺はアイスコーヒーを注文した。

 運ばれて来たサンドイッチを、ルージュは一切れの半分ほど食べて、後は俺が平らげた。

 コイツは俺たちの四分の一程度の食事しか必要としない。しかももっぱら糖類が中心‥‥脳細胞の維持にはブドウ糖が必須栄養素だからだそうだ。

 甘いものが苦手な俺としては迷惑な話しだが、上申しても却下されるだけなので黙っている。

 しかしルージュは本当に目立つんだな、さっきから周りの視線が痛いぞ。

 服装は地味に上下白のスーツなのだが、男も女もコイツの一挙手一投足に見とれている‥‥異質なものだけが放つ媚薬の様なオーラに皆が引き寄せられている。

 言っとくけど、コイツは食虫花だぞ!

 「意見を言え」

 シナモンスティックを回しながら、不意にルージュが所感を求めて来た。

 「‥‥」

 「何故黙っている?」

 エミリーの顔がチラついて言うに言えなかったが、俺は意を決して口を開いた。

 「金の動きがおかしい‥‥技術士官の給与では、あの豪邸も百万ドルの預金も在り得ない」

 「それで?」

 「株かギャンブルで稼いだのでないなら‥‥機密漏洩だ」

 「では殺された男は‥‥」

 「ああ、他国の諜報員だろうな」

 エミリー、ごめん。でもそう考えれば説明が付く。

 「スパイか‥‥」

 そう呟くと、何故かルージュはクスクス笑い出した。

 「な‥‥何だよ」

 「どいつもこいつもお前のお仲間かと思うと可笑しくてな」

 はあっ?

 と、ルージュは俺の後方上四十五度を指差した。

 それは、広告用のオーロラビジョンだった。

 オーロラビジョンに俺の写真が大きく映し出されていた。

 何故???

 WANTED? 情報提供$10,000?

 『政府広報です。

 本日、第一級スパイ容疑者が指名手配となりました。

 武装の危険がありますので、見かけた方は速やかに当局に通報して下さい。

 繰り返します‥‥』

 ‥‥俺は頭の中が真っ白になった。

何故こうなった?

 俺は被害者だぞ!

 いや、事の経緯は不明だが、

 原因をつくった張本人は、今俺の目の前にいる!!!

 「‥‥ルージュ~!」

 「取り乱すな。どうせ誰も気づかない」

 って、カフェの従業員が慌てて電話掛けてますけど!

 「世の中甘くはないものだな」

 そう言うとルージュはティースプーンを手に取った。

 次の瞬間、ルージュが店内を振り返ると同時に店の電話機が粉砕した。

 こいつが投げるとティースプーンも弾丸並みかい!

 「逃げるぞ!」

 言うが早いか、ルージュはテーブルを蹴倒し、俺を抱えて飛び上がった!

 Gで体が軋むっ! クソ、まるであの時と同じじゃないか!


 ‥‥あの日俺は、目覚めたばかりのルージュに拉致られたのだ。


    5


 一ヶ月前まで、俺はGEIの技師だった。

専門はハイブリッドマテリアル。

 通電させると離水して体積を変える素材‥‥人工筋肉みたいなものを研究していたと思ってくれ。

 それが二年前、極秘プロジェクトに参加する事になった。

 プロジェクト名は『ルージュ』‥‥主任技師のトーヤ・スミス女史を中心に五十名近い研究者が集められた。

 このトーヤ女史はAI研究の権威でありながら医学博士でもあるという才女。俺より一回りは上だがつい見入ってしまうような美しい女性だった。

 噂では×イチらしいが、これを口説ける男は余程の自信家か余程の馬鹿だろう。並みの男では、コンプレックスで自爆するのがオチだ。

 俺は身の程を知っているので、自己紹介する彼女を一番後ろの席から眺めるだけ。

 が、彼女の口から説明されたプロジェクトの全貌はとんでもないものだった。。

 ‥‥自律型(スタンド・アローン)ヒューマノイドの創造。

 二足歩行の ロボットは前世紀に既に実用化されている。そんな物は珍しくもない。

 だがこのプロジェクトが目指すヒューマノイドは、限りなく人に近く、人を超えた存在‥‥そのために新技術を用いるという。

 それが生体部品(バイオ・チップ)だった。

 生体部品と言えば聞こえはいいが、現実的にはヒトクローンから必要な部位を摘出して使用するのだ。

 ヒトクローン自体が倫理に反するのに、更にそれをパーツとするのだ‥‥その場にいた誰もが、軍主導の研究である事を察した。


 人間の体は微妙なバランスの上に成り立っている。脳を使用したくても、脳だけを摘出したらすぐに死んでしまう。脊椎と副交感神経の一部、化学プラントとしての肝臓・腎臓、血圧制御の為に心臓と副腎‥‥結局は人間をサイズダウンしていくしかない。

 一説によると、このプロジェクトのために二十体からのヒトクローンが培養され、そのほとんどが焼却処分されたらしい。

 まあ俺はそんな血生臭い話とは無縁に、出来上がて来た骨格フレームに人工筋肉を貼り付けて、応力メーター片手にバランスを取り続けていた。

 プロジェクトの全容さえ考えなければ、悪い仕事ではなかったと思う。潤沢な資金の上にあぐらをかき、気が済むまでトライ アンド エラーを繰り返えせた。

 ‥‥ただ、そんな無責任なスタンスの代償がこの様だったのかとは思う。


 ボディーが完成すると、俺のチームは一時的に暇になった。

 後はロールアウト後の最終調整とデータ収集だけだ。

 休暇を取ろうかとも思ったが、その条件として日に三回連絡を取り、所在を明らかにしろと言われて止めた。

 出勤して本でも読んでいた方が面倒が無い。

 読書三昧八日目、人工皮膚のチームにいた同期が呼びに来た。

 ルージュが完成したのだ。

 深夜、夜勤がそいつだけになるのを待って、俺はB棟に入った。

 人工皮膚を定着させるための薬液で満たされたガラスケースの中で、ルージュは静かに眠っていた。

 この時点で、ハード的にはルージュは完成していた。

 後は基本学習コードをシリコンチップの記憶回路にインストールして一応のロールアウト。

 だが生体部品はNO DATAなので、その後は人間同様の訓練期間を経て実戦投入される運びだった。

 初めて見たルージュはトーヤ女史に似ていた。二十歳前後の女史はこんな感じだったのだろうかと思いながら、俺はガラスケースを見上げていた。

 ‥‥その時、意識など無いはずのルージュが薄っすらと目を開けた。

 俺は音か何かで起こった生理反応だと思った。

 だがルージュは目で周囲を伺い、俺に目を留めるとニヤリと笑った。そして酸素チューブが挿管された口から、大量の泡が吐き出された。

 「‥‥コイツ、喋ってるぞ」

 「え? まさか!」

 笑って歩み寄って来た同期を水柱が襲った。

水圧で弾き飛ばされた同期は、設備に頭を打ち付けて意識を失った。

 ルージュがガラスケースを蹴破ったのだ。

そして一糸まとわぬ自律型ヒューマノイドは、ガラス片を踏み砕きながら俺に向かって歩いて来た。

 「‥‥ばかな」

 言ってみれば、OSどころかDOSさえインストールされていないコンピュータが勝手に起動したようなものだ。心霊現象ではないにせよ、何かしらのエラーが発生した事は間違いない。

 ‥‥可能性はただ一つ、生体部品に初めからデータが存在していたのだ!

 「‥‥見つけた」

 「‥‥えっ?」

 言葉まで喋れるのかと思った瞬間、強烈なショックで息ができなくなった。

 ルージュが俺を肩に担いで走り始めたのだ。

真っ赤な非常灯と警報の中を、ルージュは一気に走り抜けた。

 戦闘は無かった‥‥警備は外敵には備えていたが、内側からの攻撃は想定していなかった。

 警備員たちがたどり着く前に、ルージュは難なく目的地に至った。


 シェルターを兼ねた巨大地下ブースで組み上げられたそれは、横たわったままルージュが来るのを待っていた。


 ‥‥何処とも知れぬ湖畔で俺は目覚めた。

 それこそ荷物を放り出す様に、俺の体は土の上に転がされていた。

 何故か頭がガンガンと痛む。

 しばらく考えて、俺は研究所から逃走する時にGで気を失ったんだと思い出した。

 気を失っただけでよかった、場合によっては死んでいたっておかしくはない。

 人間が耐えられるのは六Gまで‥‥アレは下手すりゃ二十Gぐらい出るだろう。

 空を見上げると、既に日は南中高度に達していた。あれから十二時間が経った事になる。

 「気が付いたのか?」

 振り返るとそこには、ボンテージファッションに身を包んだルージュが立っていた。

 何処でパクったんだ、そんな物?!

 「馬鹿言え。ちゃんと金は払った」

 何でコイツが金を持っているのか不思議だったが追求はしなかった。

 「取り敢えず立て。この先に街があった。移動する」

 「ちょっと待ってくれ! 何処なんだ、ここは?!」

 「知らない。適当に逃げて来ただけだからな」

 何ていい加減なヤツだ!

 「‥‥おい、アレはどうしたんだ?」

 「リップなら湖の底だ。私が呼ぶまで浮上しない」

 湖面は余りに穏やかで、とてもあんな物が沈んでいる様には見えなかった。

 「理解したならさっさと立て」

 ルージュは俺の胸倉を掴み、力任せに引っ張り上げた。

 「‥‥やめろ、苦しい」

 「言い忘れたが、今後絶対私の側から離れるな。その限りにおいて命は保証する」

 ルージュはキスでもするのかってほど、俺に顔を近づけて言った。

 「だがもし私を裏切ったら‥‥その時は生きたまま八つ裂きにしてやる。忘れるな」

 ルージュの目には感情が無かった。

 言葉とその目のギャップが、俺には返って恐ろしかった。


    6


 ‥‥リムジンの後部座席に横になって、俺は本気で沈没していた。

 「何を落ち込んでいる?」

 運転しながらルージュが話し掛けてきた。

 「‥‥当たり前だろう、俺は被害者なんだぞ」

 もう答えるのも煩わしい。

 そりゃあルージュの目を盗んで逃げ出す事は不可能ではなかったさ。

 だがもしそんな事をすれば、コイツは俺を探し出すために街一つ壊滅させかねない。

 実質俺は、不特定多数の人質を取られてルージュの執事を強要されているのだ。

 それが何故、第一級スパイ容疑者になったんだ?!

 当局は俺がルージュとリップを盗み出したとでも思っているのか?

 「‥‥はあ」

 後先のどっちを思っても溜め息しか出ないな。

 「浸っているところを悪いが、お客様がおいでの様だぞ」

 バックミラーを横目で見ると、黒いセダンが映っていた。尾行されているのか?

 「だったらミサイルでもぶち込んでやれよ」

 もう知らん、勝手にやれ!

 「それはエレガントではないな」

 そう言うとルージュはポーチから口紅を出し、ダシュボードに開いた十二の穴の一つに差し込んだ。

 この穴の一つ一つが、非合法装備のスイッチなのだ。

 そしてリムジンのバンパーが開き、無数の撒き菱が路面に散乱した。

 尾行車は慌てて急ブレーキを掛けたが、時既に遅く、前輪が二本共パンクした。

 「クリス! 運転を頼む」

 そう言うとルージュはサンルーフを開け、屋根の上に出た。

 「クリス! Uターンだ!」

 クソ、落ち込んでる暇も無いのかよ!

 俺はハンドブレーキで後輪を滑らせて回頭した。

 尾行車の男もまさか俺たちが戻って来るとは思わなかったのだろう、タイヤを見ながら携帯電話を掛けていた。

 そこへリムジンが猛スピードで引き返してきたのだ、男は青くなって銃を抜いた。

 弾丸はフロントガラスに命中したが、こちらは防弾ガラスと防弾板の重装備だ。悪いが対戦車ライフルでも持って来ない限り撃ち抜けやしない。

 ちなみにエンジンは、上がった車重に合わせてツインターボの六百hpだ。

 すれ違い様に飛び降りたルージュは、一旦黒いセダンのボンネットに着地して、相手の死角から背中を蹴り倒した。

 俺が駆けつけると、男は地面に組み伏せられていた。

 着地したボンネットがくの字に曲がっていて、今更ながらルージュが人間でない事を思い知る。

 「カーンの仲間か? それともただ情報を買っていただけか?」

 男はルージュの問いに答えなかった。

 「‥‥そうか」

 ルージュは男の襟首を掴むと、子猫でも持ち上げるように頭上高く釣り上げた。

 そこまでして、やっと男はルージュが人間ではない事に気づいたらしい。

 が、後の祭りだ。

 ルージュは掴んでいた手を放し、落下する男の腹に膝を食い込ませた。

 ニュートンとルージュのタッグ攻撃にのたうつ男を、ルージュは冷たい視線で見下ろして言った。

 「どんな人間も苦痛には屈服する‥‥時間の無駄だ、さっさと吐け」

 ‥‥痛みと無機質な恐怖が、男の理性を打ち壊した。


    7


 身代金受け渡しの日‥‥百万ドルは掻き集められ、夕方にはカーン大佐の家に準備された。

 そして今回のエミリーの任務は、その身代金に盗聴器を仕掛ける事だ。

 今度の盗聴器は仕様を変更して、発信機も兼ねたMk-Ⅱである。

 『‥‥触っちゃ駄目だよ、お嬢ちゃん』

 『ごめんなさーい』

 ‥‥エミリーの足音が遠ざかって行くのが聞こえる。Mission Completed!

 少しして、エミリーが走ってリムジンにやって来た。

 「ボストンバッグのポケットに入れて来たよー!」

 後は時間になるのを待つだけだ。

 ボンテージスーツを着たルージュは、既に運転席でスタンバイしている。

 何でボンテージファッションなのかと聞いたら、

 「戦闘服だ」

 そうである。

 そうか、そういうつもりだったんだ‥‥。


 日没を迎えた。

 身代金受け渡しまであと一時間‥‥俺たちはリムジンの中で、する事もなくただ時をやり過ごしていた。

 エミリーは携帯ストラップのマスコットとお話している。この歳では騒いでもおかしくないのに、よほど躾けが行き届いているのだろう。

 「エミリー」

 「なーに?」

 「父親との想い出を話せ」

 唐突なルージュの振りに、エミリーは少し考えてから答えた。

 「去年の春ね、パパとお庭にお花を植えたの‥‥」

 エミリーの誕生日は六月‥‥大佐は誕生日に間に合うように、春先に花壇を造った。

 大佐とエミリーは、一日掛で花の苗を植えたそうだ。

 しかしその年は酸性雨が酷く、苗は誕生日を待たずに枯れてしまった。

 確かに去年の酸性雨被害は深刻で、コーンベルトまでが壊滅し、野菜から肉まで全てが高騰した。

 ユーラシア大陸の仮想敵国では、餓死者が小国の人口位出たらしい。

 「キレイなお花が咲くの楽しみにしてたのに、すごくがっかりしたわ」

 だが誕生日の朝、エミリーが目覚めると、花壇には一面の花が咲いていたそうだ。

 「だけどそれ、パパが作った造花だったの」

 大佐はエミリーを落胆させないように、何週間も掛けて、隠れて造花を作ったそうだ。

エミリーは満面の笑顔で続けた。

 「でもね、でもね、その花がエミリーが今まで見た中で、一番一番キレイだったよっ!」

 エミリーの話を、ルージュは目を閉じて聞いていた。

 「‥‥そうか」

 それはまるで、経験する事の出来ない記憶を胸に刻み込んでいる様だった。


 ‥‥その時動きがあった!

 ボストンバッグを持ったエミリーの母が、刑事たちと屋敷を出て来たのだ。

 「‥‥」

 ルージュが黙ってエンジンを掛けた。

発信機は正常に作動している。

 俺たちの推理が正しければ、身代金を受け渡す現場さえ押さえれば全ては解決する。

 だが、犯人は必ず刑事たちを巻く手段を考えている。誰にも見られず金を受け取らなければ何の意味も無いからだ。

 見られただけで全ては瓦解する。

 ‥‥その手段は?

 不意打ちのごとく、黒い影がエミリーの母を掠めた。

 飼い犬のドーベルマンだ!

 ドーベルマンはボストンバッグを咥え、三m以上ある鉄格子の門を飛び越えた。

 「そう来たか!」

 ルージュはリムジンを急発進させ、中央分離帯を無理矢理超えてUターンした。

 板金するのは俺か?!

 俺は慌ててエミリーにシートベルトを着けさせた。

 「エミリー、喋っちゃ駄目だよ。舌噛むから!」

 まさか暴走行為は無いと踏んで、エミリーを乗せてたんだが‥‥。

 ドーベルマンのスピードは五十km/h程度。追いつけなくはないが、小回りが効き過ぎるのが問題だ。

 と言ってる側からビルの隙間に入られた!

「クリス! 相対位置は?!」

 「七時の方向、三十m!」

 俺は発信機の位置を叫んだ‥‥途端に舌を噛んだぞ!

 ルージュはあらゆるギアとブレーキを駆使してリムジンを振り回した。しかもターボラグを警戒して、ファンの回転数をキープしたままだ。

 元々ルージュは高機動兵器の制御回路として設計された。

 アレの操縦に比べれば、この程度の危険運転なんてママゴトだ。

 ‥‥ただ、同乗した人間はたまったもんじゃない!(エミリーは喜んでるけど)


 ドーベルマンは細かく方向を変えた挙句、市街地を抜け、古い重工業地帯に入った。

 大戦後、工業の中心が植民地に移って放棄された施設だ。

 ドーベルマンは製鉄プラントの一角に来るとスピードを落とした。おそらくここが終点なのだろう。

 ‥‥無人の工場に銃声が響いた。

 ルージュがアサルトライフルで、ドーベルマンの頭を撃ち抜いたのだ。

 ドーベルマンは電子部品を撒き散らして停止した。異常な運動能力だと思ったら、案の定のロボット犬だ。

 エミリーをリムジンに残し、俺とルージュは工場の暗闇に分け入った。

 ルージュが頭の無いドーベルマンを覗き込んで聞いた。

 「これも自律型(スタンド・アローン)か?」

 自律型は生体部品(バイオ・チップ)無しではあり得ない。

 「いや、命令した人間はここにいる」

 俺は設備の奥に向かって叫んだ。

 「そうですね、カーン大佐!」

 ‥‥大佐がプラントの影から姿を現した。


    8


 一年ぶりに会う大佐は、やつれ過ぎて老け込んだ様にさえ見えた。余程の心労だったのだろう。

 「何故分かった?」

 「大佐の技術情報は百万ドル以上で他国に売れます。身代金の要求自体がナンセンスです」

 大佐はうなだれて言った。

 「私は情報の売買から手を引きたかった‥‥だが話がもつれて‥‥」

 連絡員は家族の命を盾にしてスパイ行為を続けさせようとしたらしい。

 連絡員を射殺した大佐は、我を忘れて現場から逃げ出した。

 IDを落とした事に気が付いたのは二時間後、既に死体は発見されていた。

 「そこで貴方は偽装誘拐を思いついた。スパイ容疑払拭と逃亡資金調達の一石二鳥だ」

 「‥‥」

 カーン大佐は答えなかった。沈黙が全てを語っていた。

 ‥‥その時工場の中に声が響いた。

 「謎は解けたかね、探偵さん?」

 振り返ると入り口に、五人の男が立っていた。皆、手に拳銃を持っている。

 その内の一人はルージュが締め上げた男だ‥‥コイツら他国の諜報部員か!

 「追けられたか! やはりあの時殺しておくべきだったな!」

 ‥‥いや、その前に地味な車に買い換えた方が早いと思うぞ。

 「気が済んだら、その男をあ渡して貰おう」

 最も年配の男が含み笑いを浮べて言った。これだけ有利なら、そりゃ笑いたくもなるさ。

 五対一でもルージュなら勝てる。だがその前に、俺と大佐は蜂の巣だ!

 男たちは近づいて来ると、カーン大佐ではなくルージュを取り囲んだ。

 「こちらの女性も調べさせて貰おう」

 だが男たちは遠巻きに囲むだけで、ルージュの間合いには入らない。一度痛い目をみて学習した様だ。

 形勢逆転には奇跡が必要だった。

 ‥‥だが奇跡は起きた!

 「パパっ!」

 我慢できずに様子を見に来たエミリーに、スパイたちが振り返ったのだ。

 「エミリー、隠れろ!」

 その隙をルージュが見逃すはずが無い。

 ルージュは最寄りの男に狙いを定め、銃の撃鉄に指を挟むと、そのまま腕をへし折った。

 同時に対面の男に折れた腕を向けさせ、撃鉄から指を外して発砲。

 更に隣の男を後ろ回し蹴りで撃破した。

 腕を折られた男は最も悲惨で、その後残った仲間に向かって投げ飛ばされた‥‥これで四人!

 最後に残った年配の男は、発砲だけはしたが狙いが定まらず、懐に入られて肘で打倒された‥‥キッチリ五人だ!

 累々と倒れた男たちにルージュが言った。

 「治安警察が来る前にさっさと消えろ!」

 ‥‥治安警察?

 「ルージュ、どういう事だ?」

 「呼んでおいた」

 はあっ?

 「エミリーに頼んだ」

 ‥‥外から銃声と爆発音が聞こえた。

覗いてみると、敷地のすぐ外で車が炎上していた。

 バラバラという音と共に、治安警察の戦闘ヘリが俺たちの頭上を通過して行った。

 スパイたちは逃げ切れなかった様だ。

そして拡声器の声が聞こえた。

 『この建物は包囲した! 抵抗を止め、速やかに投稿しろ!』

 その声を切っ掛けに、放心していたカーン大佐が銃を拾った。

 自決するつもりだ!

 「ルージュ!」

 ルージュが銃を蹴り落とした。

 「止めるな! 妻と娘をスパイの家族には出来ない!」

 大佐は完全に取り乱していた。俺は大佐を取り押さえるのに必死だった。

 「‥‥身勝手な論理だな」

 大佐の傍に立ったルージュが、いつもの冷たい視線で呟いた‥‥だが俺には分かる、ルージュは今怒っている。

 こいつの生体部品の中で怒りのシナプスが、焼き切れる寸前までHeat Upしているのだ!

 そしてルージュは、カーン大佐を工場の隅まで投げ飛ばした。

 ‥‥そこにはエミリーがいた。

 小さな天使はコンテナの影で、恐怖と不安に震えていた。

 この子を誰が守ればいい?

 答えは明白だ。

 「パパ‥‥」

 大佐はエミリーを抱きしめた。

 エミリーは父親を取り戻したのだ。

 『誘拐犯に告ぐ! 速やかに投降しろ!』

 ‥‥後はこの状況をいかに切り抜けるかだ。

 ってか、ルージュは何で治安警察なんか呼んだんだ?!

 「どうするつもりだ?」

 「エミリーには父親が必要だ」

 答えにならない答えを残し、ルージュは歩き始めた。

 コイツの考えは慮るだけ無駄だ‥‥。

 ルージュ身代金のボストンバッグを取り、工場の入り口へと足を向ける‥‥このまま表に出る気か?!

 「おい、ルージュ!」

 投光器の光がルージュを包んだ。

 青白い光の中を、ルージュは胸を張ってゆっくりと進んだ。

 誰もが息を呑み、アイツの行動に注視した。

 ‥‥ルージュの声が静寂を破った。

 「私が誘拐犯だ!」

 治安警察が一斉に引き金を引いた。

 ルージュの体は小刻みに揺れ、それでも倒れる事なく耐え切った。

 だがボストンバッグを持った手は肘から脱落し、鈍い音を立てて地面に転がった。

 切断面では運動信号ケーブルがスパークしていた。

 「‥‥アンドロイド」

 治安警察の一人が呟いた。動揺が波紋の様に広がった。

 「‥‥クリスくん、どういう事かね?」

 大佐は初めて見る自律型ヒューマノイドに呆然としていた。

 そりゃあそうでしょうとも。

 その時、三つの黒い塊が警察部隊を飛び越え、ルージュの前に着地した。

 大佐の最高傑作、治安警察に配備された機動歩兵だ。

 だがルージュはこの最新装備を冷笑して言った。

 「これはまたアナクロな機械だな」

 し‥‥失礼なヤツだな!

 「フン! 私に比べれば石器も同然‥‥」

 ルージュは、ポケットから口紅を取り出した‥‥まさかっ!

 「その技術を使えば‥‥兵器もこれ程エレガントになる!」

 ルージュは口紅を高々と掲げ、その先端にあるスイッチを押した。


 最悪だっ!!!


 「大佐、エミリー、脱出の準備を」

 「どうやって?」

 「リップが来ます。そのドサクサに逃げましょう」

 ここで逃げ損ねたら、逆に俺たちも巻き添えを喰らう。

 「リップ?」

 説明している時間は無い。

 アレは大陸間弾道弾の様に一旦成層圏まで上がり、ここに向かって落下しているはずだ。

 ‥‥工場の採光窓から光の帯が見えた。

 「伏せて!」

 爆発の様な衝撃が全ての物を揺らし、突風は工場の中にまで土煙を吹き込んだ。

 立ち込める煙幕の向こう、鋼鉄の巨人は夜空に向かってそびえ立っていた。


    9


 リップ‥‥正式名称GA-01R•リッパータイプ。GAはGenocide Armsの略だ。

 全高五十mにも及ぶ巨体の中にありとあらゆる武器を装備した動く要塞。

 核に代わる最後の切り札、戦略殲滅兵器である。

 そしてルージュは、そのGAシリーズの制御回路なのだ。

 GAシリーズは弾道ミサイルのごとく敵国に侵入し、軍事拠点だけを集中的に破壊する。

 動力に核融合炉を使用しているので、無補給で作戦行動も可能。命令とあればルージュとリップは、敵国を消滅させるまで何ヶ月も戦い続けるだろう。

 しかもその動力源故に、破壊すれば核兵器も同然なのだ。

 ‥‥そんあ史上最悪の迷惑兵器が、軍の手を離れて今ここに立っている。

 軍どころか誰の手の内にもいない。

 こいつらはそれこそスタンド•アローンで、好き勝手した挙句に気分次第で現れる。

 これが最悪でないなら何なんだ?!

 治安警察の部隊は衝撃でバラバラ‥‥余りの事に逃げ出す者も現れた。

 「逃げるな! 逃げたら敵前逃亡だぞ!」

 指揮官らしき男が叫んだ‥‥ご無体な話だ。

 こちらは命が惜しいので、さっさと逃げる事にする。

 「今のうちに!」

 俺たちは土煙に紛れて工場を出た。

 「あっ! 貴様は第一級スパイ容疑の!」

 俺は被害者だってーの!

 リムジンに乗り込みながら見上げると、リップの手がルージュをコクピットに運んでいるところだった。

 『制御回路認識‥‥You have control』

 『Thank you Lip.I have control !』

 リップが口紅を塗るような動作を見せた。中のルージュの動きをトレースしているのだ。

 口紅を塗るのは戦闘前の儀式。

 ‥‥そしてリップが動き出した!

 俺はリムジンのアクセルをベタ踏みした。

 「止まれーっ!」

 周辺を固めていた治安警察部隊が立ちはだかったが、悪いが構ってられない。

 ってか、お前らも逃げろよ!

 俺は非合法装備のスイッチに、手当り次第に口紅のケースを押し込んだ。

 ライトから機関銃、ウインカーからミサイル、フロントバンパーからノコギリ、リアウインカーから催涙ガスが飛び出した!

 一気に突破だ!

 後はひたすら遠くへ逃げるだけ。

 バックミラーの中では、戦闘ヘリがリップにバルカン砲を掃射しているた。

 止めときゃいいのにと思ったら、あっさりリップに捕まった。

 だがルージュも、自分で呼んでおいて虐殺する気は無いらしい。

 リップはパイロットを工場の屋根に落としてから、ヘリを地面に投げつけた。

 全滅させたら、罪を被った意味も無くなるしな。

 炎上するヘリに照らし出されて、起動歩兵は飛び跳ねながらリップを攻撃していた。

 根性は認めるが、はっきり言って無駄だ。

 さすがにルージュも面倒になったらしい。

 リップが右腕に装備した大刀を展開した。

 『赤き血の絆を断つものは排除するのみ!』

 リップの右腕が、地を這う様に振り下ろされた‥‥その先にあるのは給水施設だ。

 『真紅の切り裂き(クリムゾン・リッパー)!』

 刃は五つ並んだ給水塔の櫓を一撃で切断した。

 巨大なタンクはゆっくりと治安警察部隊の上に落下、皆が蜘蛛の子を散らす様に逃げ出した。

 タンクの破片は起動歩兵や装甲車を破壊した。

 ‥‥そして戦闘は終結した。


10


 翌日、俺は一日中ルージュの腕を修理していた。

 所謂当たり所が悪かったケースで、弾が人工筋肉の腱を切り、関節から脱落しただけだった。骨格フレームも無傷。

 外皮は弾丸を摘出し、薬液を塗布した後にテーピング。一旦溶かして再凝固させるので、二日は掛かるが元通りにはなる。

 当のルージュは人に修理させながら、紅茶を片手にのんびりテレビを見ている。

 人を使う事を何とも思わないタイプだ。

 テレビは昨日の事件を、敵対勢力のテロと報じていた。

 ルージュやリップについては何も触れていなかったが、まあ当然だろう。最高機密を報道するはずが無い。

 ‥‥そこまでは分かる。

 ‥‥問題はそこからだ!

 運動信号ケーブルと触覚センサーケーブルを繋いでいると、ルージュが突然話し掛けてきた。

 「クリス、また映っているぞ」

 振り返ると、八十インチの液晶画面に俺のバストショットが映し出されていた。

 だが、二度目だと驚く気にはならないな。

 何の感慨も無くテレビを見つめていた俺だが‥‥十五秒後には、一滴残らず頭から血の気が失せた。

 『この事件により当局は、第一級スパイ容疑者クリストファー•アンダーソンを第一級テロリストとして再度指名手配しました』

 はあっ?

 俺が何をした???

 罪を被ったのはルージュだぞ!

 俺は関係ない!

 それともルージュを操ってるのは俺だと思っているのか?!


 俺は被害者なのにっ!!!


 ‥‥ここまでくると溜め息も出ないな。

 そんな俺を尻目に一番の加害者は、

 「言っておくがクリス、探偵ならやめる気は無いぞ」

 と念押しした。

 ‥‥どうぞ勝手にしてくれ!

 「私の記憶領域は空き容量が多過ぎる。私には想い出が必要だ」

 これだけやって想い出づくりかいいっ!!!

 「刺激的だろ?」

 何と言うか‥‥子供の探偵ごっこに付き合わされてる気がしてきたぞ‥‥。


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