第六章「忘れぬ日」
★第六章「忘れぬ日」★
それから、エリックは昼まで勉強し、昼食を食べた。今回は、本当に勉強をしたのだ。
言われてなんとなく机へ向かって教科書を開いたのではなく、いつもの、
つまりここ一週間前の自分と同じく、自分の意思で机に向かい、そしていつもの
試験前以上に勉強をしたのだ。エリックは何故いきなり今になって勉強する
意欲が湧いてきたのか、自分自身もわからない。やはり流石に試験六日目前
ということで、危機感がでたのだろうか。それとももっと他の…。エリックは無意識に
碇の首飾りを握った。??興奮…?エリックは訳がわからず、もう一度握った。
・・・やはり興奮。昨日は恐怖を感じたのに、今日は興奮を感じた。何故だろう?
自分は何を待って興奮しているのだろう…。待って?待っててことは、ソノ
興奮は過去や現在にあったものではなく、未来にある。エリックは自問自答をした。
説明しておくが、なんだかの能力が碇にあり、エリックが握ったら彼に通じて自分
の感情がわかる、というものではない。むしろその逆だ。
自分が一番大好きなモノ──、つまり、碇を握ることによって安心感を抱き、自分の感情が
理解できるのだ。いや、自分の感情を自分自身に公開できるのだ。
もともと、エリックは感情豊かではなく、貧しい方だ。感情の豊かではないエリックは、
自分が今感じている、感情がどういうものかわからないのだ。これをどういうふうに受け止め、
この感情に対して、どう反応したら良いのかがわからないため、なにかしらの感情を
エリックが感知したときは、(エリックの場合は胸がざわつく。)碇を握り、自分の心を
安心させ、やっともう一人の、つまり、エリックの中にいて、エリックを自制してくれる人に
コレは公開しても安全だ、と伝え、やっと自分がどんな感情かがもう一人の別の─、
冷静と本当に少しの好奇心というモノを持っているエリックがわかるのだ。
結局エリックは無心のまま、夜まで勉強していた。マーシーがエリックに夕食を食べるよう
言いに来るまでずっと、だ。本当にコレが試験前という危機感だけからきたものだろうか?
エリックは昼間に感じた“興奮”という感情が気になった。彼は普段、興奮という
感情を感じることは極めて少ない。それだけでも彼は心配になったのに、
夕食中にデイヴィットとマーシーの不安と悲しみを表しきった顔でチラチラと盗み見され
ることによって、もっと不安になってきた。マーシーだけならいいのだが、
問題はデイヴィットだ。デイヴィットはエリックと同じで、あまり人前で感情を顔に出さない。
そのデイヴィットが悲しみを浮かべたのだ。今にも涙を流しそうな顔で、しかもエリックをみつめて。
これで心配するな、という方が難しい。マーシーはされ以上に危なく、
今までは本当に泣いてたかのように目が赤く腫れている。その顔をエリックに見せない
ようにするためか、わざとハムエッグに顔を近づけて食べているのがもっと痛々しい。
エリックは何があったか訊こうと何回も思ったが、言葉がでかかったそのときに、
もう一人の自制心を持ったエリックが止めに入るのだ。それもその止めたもう一人の
エリック自身が興奮しているらしいのだ。エリックはどっちに従えばいいか迷い、
結局訊かない事にした。訊いてしまったら本当に泣き出しそうだったし、
もう後には戻れない、と思ったからだ。
夕食を食べ終わったらまた、デイヴィットはあの藍色の布表紙の本を取り出し、
例の寂しく、今にも泣き出してしてしまいそうな顔で読んでいるのだ。
エリックは言い知れぬ不安を感じ、はやばやに部屋へ戻った。
…もし、もしあの時、デイヴィットに訊いていたら、全てがまるく収まったかもしれない。
あの時、馬鹿なことを考えるな、と一言、言っていれば──。
エリックはこれから何年も、そのことを悔やんでも悔やみきれないほど後悔するのだ…。
部屋へ戻ったエリックは、自分の部屋を眺めた。何故そんな事をしたのか自分でも
わからない。ただなんとなく、なのだ。一通り見回したとき、机の上に乱暴に置かれた本をみつけた。
デイヴィットがくれた、茶色の本だ。【ANCHOR】その本の上には大きく、そうタイトルが書かれてある。その下に碇の絵。エリックの胸に着けている碇の首飾りに似ている
絵だ。エリックはその本を大事そうに抱え、自分のベッドの中に潜り込んだ。
碇の首飾りを強く握り締めて──。それからエリックは浅い眠りについた。
真夜中─。エリックの家の周りには少しも灯りが漏れていなかった。エリックの家にも。
エリックは自分の部屋のドアが開くのに気づいた。誰かが入ってくる。
エリックは誰が入ってきたか確かめたかったが、
身体が動かない。眼も開かない。金縛りというヤツか…。エリックは仕方なくそのまま、
誰かが近づいてくる足音に耳を澄ましていた。その人物は足音を忍ばせ、エリックのベッドに
向かった。エリックは碇が触れられるのに気づいた。碇を触れた後、エリックは優しく
頭を撫でられた。その感触でエリックはすぐにデイヴィットだとわかった。
エリックは話しかけたかったが口も動かない。やがて、自分の顔に涙が落ちてくるの
に気づいた。どうやらデイヴィットが流したらしい。エリックは突然哀しみが湧いてくるのが
わかった。碇を握らなくてもわかるなんて…。エリックは自分自身に驚いたが、
それよりもデイヴィットが何故泣いているのかが気になった。
やがてデイヴィットは自分が大粒の涙をエリックの顔に大量に流していることに気づき、
ベッドに上に置いてあったティッシュでそっとエリックの顔を拭いてから、
静かに部屋を出て行った。エリックはデイヴィットが出て行ってしまうと、突然
眠くなってしまい、もう一度眠りについた。
確かにエリックの家の周りには灯りが少しも漏れていなかった。
だが今は、エリックの家自体が、充分すぎるくらいの灯りを灯しているのだ。
炎という、暗く、触ってみれば熱いが、心の眼だけでみるととても冷たく見えてしまうような
灯りを──。エリックがこの灯りに気づくのは、これから数分もかからない。
彼はだんだん煙の匂いがしてき、眼が涙ぐんできたのだ。それでも、
逃げたくても逃げれず、彼は今起こっている状況を把握さえできていないのだ。
ただ、彼は絶対に離さなかったのだ。父がくれた【ANCHOR】という名の本と、
銀色に輝く碇の首飾りを──。絶対に。
これがエリックの、一生絶対に忘れられない一日となったのだ……。
いよいよ火事が起こりました。
これからが「ANCHOR」の始まりです。
15歳のエリック少年は、父がくれた、二つの
anchorを持って自分の実の父に復讐を誓います──。