第四章「自由な一日」
★第四章「自由な一日」★
家には、案の定誰もいなかった。エリックは左腕につけている、
腕時計を見た。3:45…。そろそろ母、マーシーが帰ってくるころだ。
母さんは確か、4時ごろ帰ってくると言っていたな…。エリックは、
昨日の朝、マーシーが言っていた言葉を思い出した。
母さんが4時に帰ってくるということは、叔母、セリーヌが自分の家に帰ってくるということだ。
セリーヌはどこへ行っているのだろう。叔母さんは確か、毎週金曜日は、つまり今日は、会社が休みだったはずだ。
そのぶん、日曜日に行っているのだ。 母さんは、急用だって言っていたな…。
急用って、どんな用なんだ?あんなにしっかりした叔母が、自分の姉に母親を
押し付けるようなことするだろうか…。そういえば、先週も、
叔母さんは、友達に会いに行ってくるなどで、出かけているのだ。
普段、祖母の世話に追われている叔母さんに友達か…、一体誰だろう?
エリックはそんなことを思いながら、自分の部屋のドアを開け、入った。
マーシーが帰ってくるまでに、勉強をする準備をしなければ…。
本当はそろそろ、本格的に勉強しなければならないと思っている。
クラスの子も、もう、真剣に勉強をしている。アランも、二週間ちょっと前から
勉強しているのだろう。ケヴィンだってちょこちょこと…、
少なくとも、エリックよりは勉強しているに違いない。
いつもは三人の中で、エリックが一番、勉強を長くしているのに、最近、
勉強に集中できないのだ。一週間ちょっと前くらいからだっけ…。一週間か…。
エリックは頭に何かが引っかかる思いがした。ここ一週間、なんだか変だな…。
父さんも、母さんも、セリーヌ叔母さんも。そして、僕自身も…。
エリックが、数学の教科書を取り出し、机の上に上げたとき、玄関が開く音がした。
母さんが帰ってきたか。エリックは然程急がずに、シャープペンとノートを取り出し、
いすに深く腰掛けた。何故だか、もうマーシーに勉強をしていないところを見られても
良いような気がした。 しかし、
三十分経っても、マーシーが部屋に入ってこないので、
エリックは一階に様子を見に行った。リビングには、いない。
エリックは、マーシーの部屋のドアをノックしたが返事がない。彼は少し躊躇してから、
部屋に入った。 マーシーは、部屋のベッドに寝ていた。
余程疲れたのか、祖母の家から帰ってから着替えもしていない。
エリックは、起こすか起こすまいか迷った。確かに起こさなかったら、
夕食の作る人がいない。父、デイヴィットは料理が作れない。
しかし、疲れているのに、起こすのも可哀想だ。しかしなによりも、
デイヴィットが会社から帰ってくるのは夜中だ。それまで勉強しているフリを
しなくても済むということだ。今日一日、自由にできる…。それに簡単な料理くらいなら、
エリックにもできないことはない。しかし問題は父さんだ。昨日は外で食べてきたらしいが、
いつもそうというわけではない。父さんの分まで、エリックが作ることになるかもしれない。
人に食べさせられるほど、上手くはないな…。 第一、父さんが帰ってくるまで、起きてられるだろうか。
昨日だって眠いのを我慢して起きていたのだ。眠ってしまったら、父さんは夕食が食べれない。
ラップでもかけておくか?いや、後々のことを考えると、起こしたほうがいいかも・・・。
エリックは、そんなことを考えたものの、結局は
自由という誘惑に負け、マーシーを起こさなかった。
エリックは夜七時に夕食を作って食べ、それからはテレビをみたり、本を読んだりした。
テスト前以外の日と同じふうに過ごしたのに、何故かそれ以上に楽しく過ごせた。
やはり、またいつものように机にずっと向かっているつもりで家から帰ってきたのに、
マーシーが寝て、エリックを監視する役がいなくなったからだろう。
マーシーが寝たことを喜ぶのは、彼女に失礼かもしれないが、それでもやはり、
机に向かって勉強せずに済むから良い。いつもならいすに深く座って、
本を読んでいただろう…。エリックは不意に、碇の首飾りを握り締めた。小さいころから、
喜び、興奮、怒り、恐怖等の感情がでたときは、この碇を握り締めるのが癖なのだ。
今は、喜びで握り締めたのか?エリックは自分自身でもわからなかった。
こういうことは少ないほうではない。碇を握り締めるときは、たいていなんの感情から
碇の首飾りを握り締めたのかはわからない。しかし、
今は何故かわかったような気がした。一瞬だけ…。
喜びでも、興奮でも、怒りでもない。…恐怖だ。何故か握り締めた瞬間、恐怖の感情がわいた気がした。
恐怖…なにから?今、恐怖なんて感じているのだろうか・・・。
エリックは何故かそのことが、凄く大切なことのように思えた。
午後十一時。デイヴィットが家から帰ってきたのは、エリックがリビングで
本を読んでいたときだ。エリックは一瞬ビクリとし、腕時計を見た。
もうこんな時間か…。それにしても、今日は帰ってくるのが早いほうだな。
昨日は一時を越えていたっけ。エリックは本をしまい、急いで出迎えに行った。
母さんのことを報告しに行かなくては。
「お帰りなさい。父さん、早かったね。」エリックは昨日と全く同じ調子で言った。
「ただいま、エリック。マーシーは…母さんはどうした?」デイヴィットがエリックに鞄を
渡しながら訊いた。何かを心配しているようだ。「母さんは、四時ごろ、お祖母さんの家から
帰ってきたんだけど…。疲れて眠っちゃったみたい。」エリックは、マーシーの部屋を指差しながら答えた。
デイヴィットは一瞬、不安と安心が混ざったような顔をしてから、
エリックが指しているマーシーの部屋のドアを、一回ノックしてから部屋へ入った。
エリックはその間に、隣のデイヴィットの部屋に入り、鞄を置いてきた。
明日は父さんも休みか…。なんだか不思議な感じがした。あんなに
忙しそうにしているのに、休みはあるんだな。誰にでも…。
誰にでも…か…。当たり前の事なのに、何を考えているのだろう?自分は。
エリックはデイヴィットの部屋から出て、リビングへ向かった。
デイヴィットはリビングのソファに座っていた。彼はテレビが嫌いなので、
あまりつけない。「エリック、実は夕飯をまだ食べていないんだ…。マーシーが起きていると思ってな。」
デイヴィットはエリックが来たのに気づくといった。作ってくれといわんばかりに。
「仕方ないから僕が作るよ。でも、たいした物は作れないし、美味しくもないと思うよ。」
エリックはため息をついて言った。「構わないよ。腹に入れば何でもいい。
お前は私と違って、一応ちゃんと料理ができるからな。」
デイヴィットは「一応」という単語を少し強く発音した。
「前、母さんに二人で料理を教わっただろう?」
「お前はなんとか、それなりの味ができたが、私はソースをかけろといわれたのに、
ラー油をかけてしまってな。そのミスを除けばちゃんとできていたのに、お前達は二度と
食べたがらなかった。まあ、今作ればそれなりにはできるだろう。機会がないだけだ。
他はたいていできるが。」デイヴィットは本のページをめくりながらなにとなく言った。
エリックを褒めているのか、言い訳をしているのかわからない。
エリックは、できるなら自分で作ればいいのに、という言葉を呑み込んだ。
どうせ仕事で疲れている等の言い訳をするだろう。デイヴィットはクールだが、
そのぶん、ものすごく負けず嫌いなのだ。エリックはその辺はマーシーに似たのでセーフだ。
第一、あの時の料理のミスはラー油とソースを間違えただけではない。形もスゴければ、
味もマズイ。ラー油のかかっていないほうを一口食べたが、アレは料理の一種にははいっていない。
十二時ごろ、デイヴィットは夕食を食べ終わり、エリックに礼を述べて自分の部屋にはいった。
エリックに「おやすみ」という時、エリックの顔をじっとみつめてから、
エリックの胸についている碇をみつめた。
手には、昨日、鞄から出した題名と著者名の書いていない、藍色の布表紙の本を持っていた。
エリックは無意識に碇を握った。
恐怖を感じる…。
こんにちは。アレスです。
いつもご愛読ありがとうございます。
え〜、いよいよ次の次の次の(長)章で
小説が本格的に始まります。
今までのはプロローグとして第七章から
やっと「ANCHOR」が始まるわけで。
どうぞ楽しみに?待っててください。