第一回 あるところの少国民
世の中はただ流れてゆく
その中で人は、ただ流されてゆく。
意思や言葉もまた、浮いては消える泡沫に過ぎない。
一 少年のこと
確かに神長太一郎という少年は、同年代の中では一見ひ弱な印象が強いので、周りが愛国少年と褒め称えているのに対して、その実物との落差は大きいだろう。手足も牛蒡のように細く小柄な少年を、大柄で丸坊主の典型的な餓鬼大将と同一に見せているのは、かつて特高(特別高等警察)に勤務していた父親の存在に他ならない。
そして、昭和一八年に父親の神長総爾が結核で死去した後も、太一郎は依然として町の愛国少年の代表として通っていた。
だからと言って、彼自身はいつまでも父の威を借りたいとは思っていない。それは母親の妙子や、姉の巴も同じであった。
「お父さんの目は鶏や鷹の目でもなかったのに、近所の人達にはそう見えたんやね……」太一郎らに、母は時々そう言っては静かに微笑んでいる。
「お母さんにはね、そうは見えへんかったよ」
口数の少ない人だから気難しく思われていたかもしれない。けれど、あの人は誰に対しても優しかった。そう話す度に見せる母の横顔が、少年は好きだった。
太一郎は、二・二六事件が起こる前年の昭和十年、神戸市の東灘区に位置する張茂という小さな町に生まれた。そして、彼が生まれるちょうど五年前にあたる昭和五年には、姉の巴が生まれた。前年の大恐慌が世界に飛び火し、日本でも昭和恐慌が起こった年である。
それから遡って、彼らの両親、神長家の縁者による推薦により警察庁に入った亡父の総爾と妙子が見合いを契機に夫婦となったのが、ちょうど昭和三年の夏頃である。
翻って時は進み、総爾が職場で突然血を吐いて倒れ、一ヶ月経たないうちに家族の看病の甲斐もなく逝去したのが昭和一八年になる。
ともあれ――今日もまた、神長太一郎はいつも通り憂鬱な朝を迎えた。季節柄、学校からの言われた日課の乾布摩擦をした後、ほとんど具の入っていない雑炊を食べて、歯磨きと共に一か月に一度服用を義務付けられている、臭くて苦いだけのギョウ虫駆除薬を我慢して飲み干しては、ますます胃から込み上げる気分の悪さと格闘する。
昨日今日明日、そしてこれからも変わらない、朝から晩まで日課に溢れた一日を重ねていく。父の記憶も徐々に色褪せていくのを感じ、それすらも無自覚に薄れるのを知らないままに。十歳の太一郎は、自分の日常がそうと信じて疑わなかった。
春も盛りが過ぎ、立夏だというのに、まだ先の入梅を告げるような灰色の朧雲が空を覆っていた。
昭和二〇年、五月に入って間もない頃である。大東亜戦争が始まり、約三年と五か月近くが経とうとしていた。
二 いつもの光景
一日の中では長くない。しかし、この一時ほどの憂鬱はない。
何か悪い事をしたわけでも特に理由があるわけでもないのに、憚るような素振りで周囲を窺いながら玄関戸をゆっくり開けると、急に自分の卑屈さに馬鹿らしさを覚えつつ、神長太一郎は庭を通り過ぎた。
狭い庭には、近年から深刻な食糧不足に備え、せっせと家族で作った南瓜畑があり、黄色い雄花が目立ち始めている。おそらく、今夏には実るはずである。
門からヒョイと顔を出すと、お馴染みの歓声が大きく響いた。
『防水用水』と書かれた四角い防火用水槽の前にはポンプや桶が綺麗に置かれ、その傍にいた児童達が彼の姿を捉えて走り寄る。
小さな緊張を抑えるためか、手を胸の上に置く。彼にはいつもの事である。
さきほど胃の中に入れたばかりの雑炊が徐々に湧き上がる悪感に襲われるのがいつも通りなら、彼が口元をキュッと締めて必死に我慢しつつ、まるで似合わない(それでもやや引きつっている)笑顔で出迎えるのも、やはりいつもの習慣だ。
親の職業は、そのまま子の地位になる。
良くも悪しくも、彼が上位に目されているのは、特高に勤めていた父の総爾のおかげである。太一郎は普通でありたかった。皆の先頭に立つのを煩わしいと思っている。そもそも自分には人前に立つのは合わない気がするし、事実彼はそれほど豪胆な性格ではない。どちらかと言えば、群れの後ろに控える、頭数の要員でいたいのが本音だった。
だが、今のところ彼と同じく官憲に勤めている父親はいない。当分は、太一郎が首領格から降ろされる兆しもないだろう。
確かに、大工の棟梁、魚屋、八百屋、豆腐売り、蝋燭売り、その他諸々……そして特高なのだから、到底釣り合うはずもない。
しかし、特高の倅が何故自分なのか。太一郎には最大の謎であった。
「神長様のおいでや!」
素っ頓狂な奇声を上げるのは、同じ班の荒岩毅だった。毬栗の頭に愛嬌な顔をしているが、最初に太一郎の父親の職業を知るや否や教室中に吹聴し、彼を始めに“崇拝”し出した、どこの学校や教室にもいる典型的な伝書鳩だ。
毅に遅れて、班に属する児童達が一気に駆け寄る。皆は生まれた時からこの町に住んでいるので、知らない者はいない。しかし、彼自身の内気な性格が祟ったせいか互いに近過ぎるせいか、心から話せる相手も逆にいないのが実情だった。
「太ちゃん! またアカを捕まっとうか?」
わざわざ耳元に向かってキィキィ声を放つ毅は、いつも決まってそう叫ぶ。頬に唾がかかるのにもすっかり慣れた。
なぜ、自分はそんな芸当ができるのであろうか。かつて父のしていた部署の仕事を、太一郎なりに何度も丁寧に説明を繰り返しても、同じ質問をする小うるさい声は毎朝止む事を知らない。今日のような曇りが続くと余計に気落ちしてしまう。
噂というものは、(たとえ大昔であっても)事実とかけ離れて嘘っぽくて大袈裟になっていくのは常である。そこに内容は関係ない。父は確かに特高に勤めてはいた。それは事実だし、太一郎は断じて否定するつもりはない。
だが、毅やその取り巻き達が期待するような、捜査一課や二課のような花形の最前線にいたわけではない。治安維持法が改正された年に入庁してから病気で倒れてしまうまで、検閲課という配属で一筋働いてきた。
父が勤めている特高が具体的にどんな事をしているのか知らないわけではなかった。泣く子も黙る特高は、子供の間でも厳しい尋問と拷問で有名だった。あか、アカ、赤。以前、彼らの会う度に聞かれるのは、そう呼ばれる恐ろしい連中が、どんな悪さをして逮捕され、そしてどのような尋問を受けたのか。
太一郎でも知りたい、好奇心旺盛な話ばかりである。しかし、父の総爾はあまり仕事の話を家族にする事はなかった。
毅達は、今でも神長家が特高と繋がりがあるように誤解されているようだが、父の葬儀には同じ部署に勤めていた数人しか来なかった。それからしばらくして、検閲課というのが事務職で、日蔭に属するところなのを知った。
押収された書物、出版物、映画、新聞記事などの中から、危険思想とされる共産主義の疑いのある個所を検めて、『修正』もしくは『不許可』の判をバンバン押していく。そんな退屈で地味な仕事を、父が延々とこなしていたのだろうか。
「捕まっとうよ。この間は、十人くらいいっぺんやそうや」
太一郎が適当にそう言い繕うと、彼らは栓を切ったように歓声を上げる。アカは死刑や。恥知らずの非国民や。
やはり、これもまたいつもの朝の風景だった。しかし、ウンザリするほどの慣習であっても、馴れ合うのを忘れないように心得ていた。
太一郎は投げやりには自慢げに嘘話を披露してみせる。
実は、太一郎は国民学校に入学当初、毅にイジメられていた時期があった。だが、彼の父親が特高の人間だと知るや否や、態度を一変させて金魚の糞になり変わった。彼はそんな状態を保つ方法は、父の影に入るしかないと思い至った。
結局、今日まで父の死後以降も嘘の武勇伝を伝播した。
できる事なら、一人で通学したかったが、班ごとの通学が固く決められているためそうもいかない。ましてや、彼は“愛国少年の代表”とされている。自分から率先して、『軍艦マーチ』を歌う義務があるのだ(何の因果か、彼の班では四年生が最年長だった)。目には見えない役割を課され、太一郎少年はがんじがらめに縛られていた。
自分一人で生きているのなら、止めるのも容易いだろうが。
「お、知恵遅れの春乃がおるぞ」
彼らの級友である林田恭平――鼠のような出っ歯が目立つ――が目敏く指摘した相手は、神長家の向かいに建つ月影酒屋の店先にいた。生欠伸を出して箒をちんたらと掃く、小柄な少女が月影家の一人娘の春乃であった。
それもまた、いつもと変わらない風景。
彼らの声に気づき、石のように硬直したまま動けないでいる彼女を“かごめ、かごめ”のように取り囲む。蒼白な顔に向かって、一斉に囃し立てた。
「おい、春乃! これ、いくつや?」
三本指に無言で首を振る少女を毅は嗤う。そして、「籠の中の馬鹿は、いついつ出やる、夜明けの晩に」と皆が大声で歌ってからかう。
「堪忍して……堪忍して……」
中心にいる彼女は耳を塞いで懸命に助けを請うが、誰も歌を止めようとはせず、むしろ声を上げる。通り過ぎる他の班の子供もその光景を見てニタニタ嗤う。
仕方なく参加せざるを得ない太一郎は、少女の顔を見た。悪童達に怯える大きな目は、どこか『のらくろ』を彷彿とさせる。母親も放任しているのか、おかっぱの髪はどちらかと言えばザンバラに近い状態で汚らしい。
もちろん、目の前の幼馴染の女の子は、のらくろと違い、軍曹でもなければ少尉でもなかった。女は兵士にはなれない。看護婦や工員などの挺身隊になるのが義務である。
しかし、春乃は知恵遅れであった。太一郎は毅から、それを聞いた。
彼女の両親は、揃って短気で気性が荒い。まるで癇癪を起こした暴れん坊のように、毎日、人前で春乃を殴っては叱ってばかりしていた。まもなく、周りも同じく少女が普通ではないと思い込んで慣れてしまった。
太一郎は、ずっと不思議と思っていた。毅にしても他の連中にしても、そして自分にしても、昔は同じ友達として一緒に遊んでいたはずだった。昔は勝気で足の速い春乃を、五歳の時まで男だと勘違いしていたほどだった。
確かに、他の皆よりも言葉が少し舌足らで、こちらが首を捻る言動もあった。だが、それらを除けば、自分達とあまり変わらなかった。
なのに、春乃が知恵遅れだと知った途端、昔の友情を忘れたように、こんな仕打ちをしているのだ。それを分かっているはずなのに、自分もその仲間に入っていると気づく度に、先の思考は途切れてしまう。
違う。太一郎には分かっていた。言葉や形にできなくとも、決して正しくなく、ただの卑怯以外の何者でもない。
しかし、毅達を咎めて得られるものなどないのは、火を見るより明らかだ。そう、自分もまた同類に過ぎない。皆で寄って集って頭の悪い幼馴染を囲んでからかうのは、何も今日が初めてではない。そうでなければ、今この時に他の者を咎めるべきなのだ。班の頭領ならば、それを言った所で何も怖くないはずだ。
しかし、自分にはそれをする勇気はないのを知っていた。それが余計にみじめであった。自分を思いっきり罵ってやりたい瞬間であった。
恥にも色々ある。晒す恥もあれば、何もしないという恥もしかり。いつ、どこで聞いたか覚えのない母の言葉が脳裏をよぎり、太一郎は一層、みじめで卑屈な気持ちになる。
たまらなくなって、彼は助け舟を出す代わりに時期を見計うと、「こんな馬鹿相手にしっとと、学校に遅れよーで」となんとなしに呆れたように装いながら言い繕い、無言で足早に歩き出した。他の者が慌ててついて行く。
家屋の多い通りを過ぎるまで、太一郎はずっと目を伏せていた。いつの頃か、春乃が自分だけをじっと直視しているのに気づいたからだ。非難でも軽蔑でもない、言葉では説明できない瞳に射られていると、どうしようもなく体中が熱くなってくる。
露天商が並ぶあかつき商店街の大道を足早に進んだ。どこもかしくも、開いているのか閉まっているのか分からないぐらい品数が乏しい。
ふと、後ろを振り向いた。一瞬ではあるが、はるか後方にある家の通りに立つ少女が見えた。さすがに顔までは分からない。
見るなよ。自分に対して言ったのか、彼女に向けて言ったのか。しかし、そう言う資格は少なくとも自分にはない。それに気づいてから、臆病者のように(事実そうだと分かっている)、その場から逃げたいと思った。この時はいつもみじめに気持ちにさせられる。太一郎は衝動的に下唇を軽く噛んでいた。
自分は臆病者じゃない。卑怯者じゃない。頭の中でそればかりを反芻した。
早くも、背中には汗が流れ始めていた。
三 朝礼集会
太一郎達が通う張茂第五国民学校は、直線の商店街から抜けた先にあり、中心にポツンと田畑に囲まれるようにして建っていた。以前は雑木林が広がっていたのだが、食糧事情の折、周りが開墾されて学校だけが残る結果となった。
勉強して偉くなるための学校と、兵隊さん達の食料を耕す畑に田んぼ。太一郎を始め、一年生たちでさえ、それらがいかに重要であるか心得ていた。
この時期らしく、田んぼではちょうど田植えが始まっていた。規則正しく並ぶ幼苗から、黄金色の稲穂を経て、丼に盛られた白米を連想したのだろう。登校する児童達の中には、物欲しそうな目でその場に立ち止まり腹の音を鳴らす者もいた。
太一郎組が誘惑に屈したのは、遠い昔である。今では、下級生に「あれは全部、御国のために戦っている兵隊さんの物だ」と教え諭すまでになっていた。
八時十分、幅の狭い小道を通じて校門の前まで来た彼らは、その脇にある建造物に前で止まり、機械のような直線的な動きでそこに体を向けた。
西洋式の城壁を模した外観に、大きな扉が付いた奉安殿――その中には、天皇陛下の御真影と教育勅語の文言が収められているらしい――に向かい深くお辞儀する。
さらに、竹刀を持って睨みを利かす体育教師に戦々恐々しながら、正面玄関の近くの二宮金次郎像にも同じように姿勢を正して礼を繰り返した。
これらの行為を怠ると、見張りの教師の鉄拳が飛んでくるのを、児童達は身に染みるほど知っている。
誰にだって経験があるので、その光景を前に笑える者などいないはずである。一年生の頃、太一郎は当たり前のように通り過ぎてしまい、一度だけ教師の折檻による制裁を浴びた事があった。父以外の大人に頬を殴られ、その際に歯が一本抜けた。
今でも校門で礼をする度に、その箇所に生えた歯があるのを確かめるように条件反射で舐めてしまう。他の者もそうだと、彼は信じて疑わなかった。
“習慣”は必ず体で覚える。頭で学ぶ前には、嫌でも会得していた。
いつものように、校庭と南瓜と芋が植えられた裏庭を抜けて、下足場から木造の廊下を歩いて教室に入る。
太一郎の教室は毅も同じで四年二組である。
二人一組になった持ち上げ式の机が並ぶ教室は、どこの組にもある大東亜地図――本国を始め、満州、その下の島々には領土を示す国旗が塗られている――と校訓が収められた額が掛っているのみであった。
ランドセルと置くと児童達は席に着く間もなく、教室を出て再び外へと向かい始める。毎朝の日課である全校集会が控えているのだ。
太一郎は、実はこの時間が一番苦手としていた。何も嫌いというわけではない。遥か東京にある皇居に向かっての宮城遙礼は、少国民としての当然の義務であると思っているし、国旗掲揚と共に、国歌を一斉に唱歌し、校長先生の(これがまた長いのだが)訓話を、醒めたばかりの脳に眠気を催すのにも耐える。
そこまでは大丈夫なのだが、その先に待っているラジオ体操が難儀なのだ。
全校生徒によるラジオ体操は、夏休みの時にあるのとは違う。校舎から顔を覗かせ監視をする強面の教師の存在に怯えなければならない。もしも少しでも間違えようものなら、居残りが待っているので、緊張感が続いて気を緩める暇がないのだ。
彼もまた、全員が広がっていく中で体をこわばらせ、既に覚えた順番を頭の中で再生させる。後は四肢が勝手に動いてくれるのだが、間違えるかもしれないという不安だけは依然として存在している。
まだ季節は涼しいはずなのに、顔中に汗が濡れていた。
運動会の集団の演技のように、一糸乱れる事なくしなければならなく、新入りの一年生だけでなく、太一郎の先輩の中にもうっかり間違える者もいるのだから容易ではない。体操の内容自体はそんなに難しくはないはずなのに不思議であった。
曲に合わせて体を動かす太一郎は時たま疑問に思っている。少国民たる自分はいつでも正しいとありたいと思っている。規律をすべて守り、模範になる事で、戦地に今も戦っている兵隊さんに負けないように――そのように作文でも強く主張しているし、心の中でも嘘は微塵もないと確信していた。嘘が分かる機械があるならば、真っ先に自分がやっても一向に構わないと彼は思っている。
それなのに、なぜこんなに怯えなくていけないのか。全員が規律正しく振る舞えるとは限らない。だから訓導のために怖い存在が必要なのだろう。
しかし、彼らは怖がっているのであれば、自分も同類なのではないか。自分は皆が憧れる愛国少年のつもりなのに。
自分は勿論、周りで間違える生徒は、今日はいなかった。それらをやっと終わり、教室に帰る途中、自分より上級生の誰かが、教師に殴られているのが目に入った。体操を間違えたらしい。後ろから、毅達の笑いの入った囁きが聞こえる。
太一郎は特に感慨を抱かないようにして通り過ぎた。明日は我が身。そう思いながら気を付けていかなければならない。
教室に戻る間、怯えていた上級生の顔が、先刻イジメていた幼馴染のそれと重なり、一層憂鬱な気分に落ち込んだ。
四 将来の夢は……
全校集会が難なく終わった後、十五分の朝の掃除時間を経て、やっと一時間目が始まると、いきなり修身の授業が来るというのは、たまらない追い打ちである。
外にいた時の緊張感が抜けきらないうちに、担任の玉田先生――金縁の眼鏡をかけて、よれよれの国民服を着ている――が教室に入って来ると、トカゲのような目をぎょろりと尖らして教室の中の生徒達を睥睨する。
爬虫類を想起させるその目が、太一郎は生理的に好きになれなかった。
誰かの掛け声で全員が背筋を伸ばし、一糸乱れる事なく起立、礼、そして着席する。
「さて、皆さん。今、戦地ではたくさんの兵隊さんが戦い、その中で命を散らしている人も大勢おります」
玉田先生は大きく咳払いをし、「君達もいつか兵隊さんになります。この教室の中に、それ以外の道を歩む者は一人もいないと、僕は信じてます」
元は関東の生まれである玉田先生の言葉は訛りに少し癖がある。その風貌も手伝い、下手をすると笑ってしまいそうになるのはいつもの事だ。
でも、先生は兵隊さんじゃないよね。太一郎は心の中で発した皮肉に失笑を耐えつつ、自分でも無表情のお面を演じていると自覚して先生の話を聞いていた。
玉田先生は授業を始める前にいつも訓話をするのだが、細い小枝のような体格で話すので、いまいち迫力がこちらに伝わらない。
「神長君」
自分が指された、と心臓が飛び出しそうなぐらい太一郎は驚いた。しかし、その直後には長い習慣で覚えた体が反射的に動いていた。
弾丸のように素早く起立して、「はい!」
「君は将来何になりたいですか?」
僕は役者になります。以前、そう言った生徒がいたというのを風の噂で聞いた。あくまでも、その場にいたわけでもない。しかし、そいつが担任に鼓膜が破れるまで殴られたという話を、太一郎は嘘とは到底思えなかった。
たとえ、別の夢が持ったとしても、彼には言えないだろうし、他の者もそうだろう。
「はい、先生!」一気に深呼吸をして一気に言葉を続ける。「僕は、将来一兵士として大日本帝国の礎の一つとなるために生れてきました。そして、我が国すべての父であらせられる、偉大なる天皇陛下のために心身ともに命を、七生まで捧げる所存であります。それが僕の夢です」
ハキハキと、ゆっくりと聞き取りやすく。太一郎はいつも意識していた。失敗など許されないと強く思っていた。
教室の中が静まり、太一郎自身も息が詰まりそうな気分に陥った。ここで目を逸らしてはいけない。先生の顔に何かかがついているのを見つけるように注視する。玉田教諭の方も同様に睨むので、我慢が一番必要な瞬間だった。
不意に、玉田教諭が拍手を上げた。するとせきを切ったように、級友達も弾けるぐらいの称賛を太一郎に贈った。
彼は安堵の息を小さく漏らしながら、心の中では諸手を力一杯に挙げた。
「さすが、亡き父に恥じない素晴らしい決意です。さぞかし、お父様も草葉の陰で喜んでいる事でしょう」
着席してください。高い声でそう命じられたので、ホッとした気持ちで座った。その後彼の後ろや隣の生徒も指摘されたが、自分ほどの称賛を浴びた者はいない。
彼の成績は、この教室や、もしかしたら学年では上位に位置していた。いわゆる優等生であるが、太一郎にはその自覚はないかもしれない。
幼い頃から、町内で愛国少年の代表と持ち上げられてきた抑圧が、そうさせたのかは定かではない。太一郎は、誰が見ても努力家と賞賛されるぐらい、人一倍、勉学に励んできたのは事実だった。
特に父の急死が急かせるように、体育は平均よりやや低いものの、それ以外の教科では総合的に【優】を取っている。
愛国少年の急先鋒と祭り上げられるのは、生来どちらかと言えば内気だった太一郎には少し荷の重い称号で、出来る事ならば誰かに譲りたいとも思っていた。
だがその反面、少国民の模範とされている自分を誇りにしている。それが亡き父に報いるとさえ思っていた。
【修身】の時間は、太一郎が憧れている乃木将軍の少年時代を題して進行していく。氏も自分と同じように、体はあまり丈夫ではなかったのに、日露戦争では英雄になった。
体の大小が問題ではない。要は、頭と気概だと太一郎は自信を持っていた。
とある愛国少年の一日は、いつものように瞬く間に過ぎていった。
五 空き地の戦争ゴッコ
もう、それは面白いもつまらないもない。
放課後、家に走るように帰ると荷物だけを部屋に置き、畳で足が滑って強かに尻餅をつきながらも折り返すように家を出た。向かう先はいつも決まっている。
飛び出していった少年を、箒を持つ春乃が片手を弱く振って見送ったが、彼自身はそれに気がついていない。
太一郎にとって、小さい頃からやっている習慣は楽しいと言えばそうなのだが、自分から積極的に好む遊びであるかと微妙である。しかし、大人にとって付き合いが重要なものであるように、子供の世界もまた、ある意味ではそれ以上に重んじられる決まりである。一人だけが嫌だと感じても、絶対に自由には抜けられないのが常だ。もっとも、そんなものは一人もいない。
空き地は家の近くに流れる河原を渡った向こう側にある。そこには中心に土管が一つだけあり、その端には盛り上がった凹凸がいくつもあり、その上にホロが掛けられている。先月設置されたばかりの新しい防空壕である。
空き地には、すでに集まった毅や恭平、他の面々が、赤軍と白軍と分かれて戦争ゴッコに興じていた。恭平が彼に気づくと、わざわざ手を上げて遊びを中断させた。
「太ちゃん、遅いな」
違う。君達が早過ぎるんだよ。そう思っても本音は口に出さず、太一郎は坊主頭を掻きながら、「ごめん、ごめん」と愛想笑いで場を濁した。
太一郎が、友人よりも遅いのは足のためだけではない。級長である彼は、毎日の放課後、教室の黒板を丹念に拭いたり、勉強の予習をしていたりしていたのである。もちろん、自分から進んでやっている。
それで毅や恭平らと遊ぶ時間を削がれるのだが、最近になってそれでもいいように思えるようになっていた。一人で淡々と作業をするのが性に合っているのだ。
太一郎が、土管の中に納めてある軍刀を見立てた竹光や銃剣の作り物を装備して、数の少ない白軍の陣営に入ると(入営し)、すぐに戦争が再開された。
太一郎と恭平が属する赤軍は皇軍を意味していた。毅のいる白軍とは敵国(さっさと“白旗”を上げるべき米帝や英帝)である。
「突撃!」似合わない声を上げて、太一郎が先陣を切った。どこかからくすねて来たのか、全員がヘルメットを被っている。
誰かが、火薬の付いたピストルを撃って、パンッという安い発砲音が広場に響き、誰かが当たったふりをして呻きながら倒れる演技をする。太一郎が手にした竹光で、毅を切って撃ち取ろうとするも返り打ちに遭った。手加減のない誰かの一撃を背中に喰らってしまった。本当に手加減ができん奴だ、と嘯いて彼は地べたに触れ伏す。
うつ伏せのまま数秒間続けた後、“転生”して戦線復帰できる。転生が許されるのは、『七生報国』に因んで七回までだった。
草野球をするには人数が少ない。彼らなりの遊びを興じる。中盤になると敵味方の区別もなくなり、好き勝手に叩き合いになっていくのも毎日の恒例だった。
同じ遊びばかりで飽きないのかと言われれば、そうだろうと太一郎は思う。だからと言って、『少年倶楽部』などの雑誌を全員で読んでいるのを大人――特に齋藤老人にでも見つかれば、戦地にいる兵隊さんに申し訳ないと思わんのかという具合に怒られる。
戦争ゴッコに飽きているのは、太一郎だけかもしれない。なぜ、毅や恭平は何を好き好んで毎日同じ場所で、同じ持ち物や装備で同じ遊びをするのか、いったい何がしたいのかが彼には分からなかった。
その日も、先に七回死んだのは太一郎だった。誰よりも弱いのは明らかだったが、誰も非難はせずに、「太ちゃんは弱いな!」それだけで済んでくれた。
成績は良くても、やはり体力面でも自分は劣る。太一郎にとって、それが唯一の心配だった。しかし、これはただの遊びだ。学校の成績とは関係はないし、“愛国少年”の称号に傷がつくわけでもない。
体力よりも大事なのは、知力と精神。少なくと、自分には……。
この頃には、その時には遊びが楽しいのかさえ分からなくなっていた。楽しいのだと、自分に嘘をついて余計に深みにはまった。
こんな事がいつまで続くのだろうか。彼はそう思った。
六 夕食と、父の部屋
午後五時に差し掛かった頃、遠方から寺の鐘が響く。それを聞いた太一郎は皆よりも早く“戦線離脱”した。皆の遊びが終わるのはもっと遅いが、誰も顰蹙をしないし、彼の家庭の事情を知っていた。逆に労いの言葉をかけてくれる。
その時に限って、彼らを信頼したい気持ちが芽生え、早朝の嫌悪感が薄らぐのだが、それもまた夢のうちである。明日の朝になれば、元の木阿弥に戻っているだろう。
夕焼けに染まる空の下、あちこちの家からラジオの放送が流れている。大東亜戦争が始まってから、毎日耳を傾けるように奨励されて以来、太一郎も家に帰るとすぐに茶の間に置かれたそれにスイッチを入れて耳を傾けるようにしている。
井戸の水を湯桶に移し、洗濯物を取り入れたりして(この通りで、井戸と風呂のある民家は限られている)、できるだけ母の苦労を軽減しなければならない。神長家における、太一郎が夕方から夕食にかけてやっておかねばならない役割だった。
父が亡くなる前は主婦であった妙子も、今では電話交換の仕事を手伝いながら、婦人会の会合――それは父が生きていた頃から続けていた活動だったので、体裁を考えると休むわけにはいかないらしい――に参加しているため、どうしても家事が完全に行き届かず、力の要る事を彼に任せるしかなかった。
太一郎も母の苦労を知っている。家の仕事を極力手伝ったり、掃除をしたりして、お小遣いも昔よりも遠慮していた。
辛くもあるが、親に苦労を掛けさせないようにするのも、理想の少国民像だと彼は考えていた。そして、自分はこの家の唯一の長男である。太一郎はいずれか頼られる大人にならないといけないと自らに言い聞かせていた。
「ただいま」
六時前――スピーカーから『少國民の時間』が流れる直前、いつもとは珍しく母が姉と一緒に帰宅してきた。
「お帰り。お母ちゃん、お姉ちゃん」
茶の間では既に『敵ハ幾萬』が雄々しくも軽快に流れ出し、太一郎も何の気なしに口ずさむ。特に理由があるわけでもないのに、ひと際明るい曲のテンポで気持ちが高揚するのは今に始まった事ではない。
その反面、彼女達の反応は、太一郎が軽く失望するほど冷めている。巴にしても、どうして弟が大袈裟な音楽が流れる度に歌い出すのかが理解できないらしい。
「太ちゃんは、本当にパブロフの犬みたいや」
パブロフって誰だ。どこか外国の偉い人らしいが、変な名前だと思った。
「その、パブロフって誰や?」
勝気な姉は、「ちゃんと、辞書を引いて調べや」といつもの口癖で命じる。その後に彼が何もしないまま有耶無耶になるのも定番だった。
女子挺身隊に属していた神長巴は、以前は西宮の航空工場に従事していたが、数か月前の空襲でそれが焼けてしまった。それからは仕事場が何度も移り、少し遠い夙川にある工場の工員に治まった。
神戸市のいくつかの工場地帯は3月の空襲で、そのほとんどが焼けてしまった、と聞いている。巴が勤めていた飛行場も、今でも焼け野原のまま放置されているらしい。
色々と工場をたらい回しにされた末、二週間前に西宮の工場に雇われる事に決まったのはいいが、そこの社長は筋金入りの愛国者であった。それはいいのだが、厄介なのが小うるさいお局で、男勝りの姉は結構苦労していた。
女にしては髪が短い姉は顔についた煤を落とす。教師を目指していた彼女は、太一郎に対してやたら説教をしたがる。同じように負けん気のある彼も口喧嘩で応戦するのだが、口のうまい巴に勝ったためしがない。
音楽が終わり、アナウンサーの淡々とした解説が始まった途端、ラジオのスピーカーに頬を近づけて耳を澄ませた。
太一郎にとって、その曲の後に流れる各地の戦況報告――すなわち、大本営発表の方が重要だった。
この日も勝利の報告が相次ぎ胸をなで下ろす太一郎だが、ただ最近になってから、“転進”なる言葉が 多用されているような気がした。その意味を妙子に質問するが、母は肩をすくめながら「負けてはいないけど、戦う場所を変えるっていう意味よ」
あまり歯切れが良くなかったので、「辞書、辞書」と姉に言われた通り辞書を引いてみたが、該当する言葉はやはり見つからなかった。
「軍人さんの造語には、女は疎いのよ」と軽く頭を突ついてくる。それを払いのけ、「姉ちゃんにも分らん事があるとは知らんかった」
「辞書にないのに知るわけないやろ」
「ほらほら、ご飯よ」
割烹着に着替えた妙子――母はいつも化粧をしていなくても綺麗だと、彼は確信している――が、お盆をちゃぶ台に運んできたので、二人は始めたばかりの口論を速攻に切り上げて、茶の間の隣に位置する奥間へと急いだ。
神長家では、毎日の食事前にやっている事がある。
奥間には、父総爾の仏壇がある。蝋燭と線香に火を灯し、鈴を軽く鳴らすと、三人揃って手を合わせた。亡き大黒柱に一日の無事を祈り、また感謝するのだ。母の提案は不思議にも太一郎や巴が望んでいた事だった。
太一郎にとって、(彼自身もそうだが)普段から寡黙であった父親に関して記憶している出来事は、たった二つしかなかった。
一つ目は、六歳の頃。一二月上旬の早朝、「遂にやった!」と家の外に出て連呼する大人達の熱狂を、十歳になった今でも強烈に覚えている。それほど、異常なほどの熱と歓声が周りを包んでいたのだ。戸惑いに、困惑、そして決して少なくはない、歓喜乱舞と共に挙がる万歳の諸手の群れ。
まだ幼かった彼の耳の入ったラジオ放送の臨時ニュースの音声は、『……リクグンハホンヨウカ……タイヘイヨウニオイテ……米英トセントウニ……』と断片的に伝える。
自分には分からない、何か大変な事が起きている。今までないような大事で、大人達が大騒ぎしている。喜んでいる人の方が多いから、面白い事があったのだろうかと、当時の太一郎は漠然とそう考えていた。
それからその日の学校――彼が入学した年には、なぜか尋常小学校から“国民学校”と名称が変わった――では、そのニュースが自分の国である大日本帝国がアメリカという外国――今の鬼畜米英の米の方だ――に戦いを挑んだ、つまり宣戦布告したという内容であるのを先生から聞かされて、更に夕方に家のラジオで何度も流れた教師の説明と同じ放送を聞いて初めて理解した。
一人だけ、父の総爾は皆のように喜んだりはしなかった。只、何も言わず腕を組んで頬骨をしきりに手で摩る。
そ れが、父が困ったり焦ったりした時にやる癖だと、幼いながら彼は知っていた。
鬼瓦のように険しい顔をした父の顔は、真珠湾奇襲のあった、昭和十六年の十二月八日を想い起こす度、脳裏に浮ぶ。
二つ目は、その父の死。戦争が始まって二年後、職場で父が突然吐血して倒れた。再発した結核に医者も匙を投げた。止むを得なく、総爾は自宅で療養する事になった。
激しい咳と吐血を際限なく繰り返す総爾を、二人が看病する傍ら、太一郎は部屋の入口から顔を出して覗き込んで見守った。
床に伏す父は、見る影もなく痩せこけていたが、一度も息子にその顔を向けようとはしなかった。子供は外で遊べ。病気が移るぞ。静かにそう言う父と、母に促され追い返された。入れ替わるように、タライに新しい水を入れた巴が部屋へと入って行く。
今も、なぜ自分を追い出したのか分からずじまいである。
あの寡黙で、趣味も盆栽か読書――父の部屋の書棚に占められているのは、夏目漱石や森鴎外、芥川龍之介やドイツの小説家や哲学書の類ばかりだった――しかなく、特に悪戯をして怒られたり、折檻されりした思い出もあまりなく、それかあらぬか太一郎にとって、父はよく分からない薄弱な存在だった。
四年生になり、学校で父親について書けという類の宿題が出ても、本人を想起しようとすると目の前が霞んでしまう。顔のない案山子がこ仕方なく、自分が理想とする像を書いて美化するしかなかった。
それでも、母が喪主を務めた葬儀では、太一郎は終始涙を隠そうとはしなかったのは、既に記憶から消えている。
「お父さんも、考えてみればこんな時期になる前に亡くなったのもよかったかもしれんね」
目を閉じながら、巴の放った一言を咎めるように、「巴ちゃん、滅多な事を言ったらいけんよ」
未だに合掌したまま目を閉じて、彼はそれを聞いていた。姉がそんな事を言ったのは初めてだった。それが何を意味しているのかが分かった途端、誰かが聞き耳を立てていないか心底冷や冷やしたものだ。『非国民じゃ』と罵られかねないからだ。
姉は静かな声で謝った。そして言葉を続けた。
「でも、あの時のお父さん、とても辛そうやった……」
とても辛そうだった。桶に溢れるばかりの血を吐いて、一日中、苦痛の声を上げていた父を思い出し、もしか知ら姉の言葉も一理あるかもしれないと思った。
「辛い事いうんは、いつまでも続かへんもんよ。良い事がずっと続かんへんようにね」
母の眼は壁にかけられた父の慰霊に注がれている。そこにかつて元気だった頃の――幸せだった時期を見出そうとしているようだった。姉も同じようにしていただろう。
「そうね」静かな声で、巴は言った。
茶の間のラジオが、今日の戦況を抑揚の著しい声で淡々と告げている。連勝に次ぐ連勝、そして転進が少々。三月から始まった沖縄の戦いがどうなったのかが気になるが、最近ではとんと聞かなくなった。
いつも背中を向けて、寡黙な父しか知らない太一郎には過去に耽る二人が羨ましかった。何も知らない自分だけが置いてけぼりにされ、とても歯がゆい気持ちになった。
米印にテープが張られた窓から入る夕日が奥間と茶の間を赤く染め上げていた。彼にはそれは血に見えて仕方なかった。
こうして同じ毎日が過ぎていく。さすがに、彼自身もそれが永遠だとは思っていない。いつか大人になり、兵士となって敵と戦い、そして死んでいく。そんな将来像は漠然ながらあった。その時まで自分は誰からも尊敬され、誰もが認める愛国少年の鏡でいられる事を信じて疑っていなかった。
世の中は、ただ流れてゆく。
何の脈絡もなく、その一言が脳裏で浮かび、太一郎は思わず目を開けた。異国から海に流れてきた瓶のように流れてきたその言葉を反芻した。そして何かを訴えるように、仏壇の上に掛けられた父の遺影を見つめた。
白黒に映る総爾は、無表情――その顔はどことなく、息子に似ている――のまま、虚空を向いていた。
これが、太一郎少年の一日である。明日から、その流れは変わる。
世の中は、ただ流れてゆく。
そして、それは誰にも止められない。止める必要などないのだ。
《次回へつづく》
本作が初めての長編、連載、歴史物(昭和ですが)になります。初めて尽くしの劣作のため、お見苦しい点も多々あるかもしれませんが、一度でもご拝読いただけたら幸いです。
なお、本作の参考文献につきましては、最終回の後書きにて掲載します。
次回から、毎月の第一金曜日午後9時に掲載します。




