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「そんな仕事、誰でもできる」と言われましたが、誰でもできるわけではなかったようです

作者: よみなぎ
掲載日:2026/09/29

「そんな仕事、誰でもできますよ」


新しく営業部長になった高橋さんは、私の業務一覧を見ながらそう言った。


「電話対応、受注入力、納期確認、請求書作成。特別な資格が必要な仕事ではないでしょう?」


「まあ、そうですね」


私は十年間、この会社で営業事務をしている。三十三歳。役職なし。


営業が取ってきた注文を入力する。工場に納期を確認する。請求書を作る。問い合わせに答える。


文字にすれば、それだけだ。


「森さん個人を否定しているわけではありません。ただ、取引先ごとに対応を変えすぎなんですよ」


高橋さんは、私が作った顧客別の注意事項をめくった。


「締め日が違う。伝票が違う。配送条件が違う。連絡方法まで違う。こんなことをしていたら、いつまでたっても効率化できません」


高橋さんは、営業としては優秀な人だった。


新規開拓が得意で、何年も営業成績上位。難しい取引先にも物怖じせず、最後には注文を取って帰ってくる。その実績を評価されて、今年、営業部長になった。


「もっと標準化しましょう。基本的には取引先にも、こちらのルールに合わせてもらえばいい」


「そうですか」


「ええ。森さんの仕事もマニュアルにすれば、誰でも対応できます」


そして笑った。


「一つ一つは、誰でもできる仕事なんですから」


「分かりました」


私はうなずいた。


「では、辞めます」


笑顔が消えた。


「……はい?」


「退職します」


「いや、待ってください。森さんに辞めろと言っているわけではありません」


「分かっています」


怒ってはいなかった。むしろ、すっきりしていた。


十年間、何度か辞めようと思った。そのたびに、私がいなくなったら困る人がいる。そう思って残った。


でも、誰でもできるらしい。


だったら大丈夫だ。


「引き継ぎはきちんとします」


「森さん」


「よろしくお願いします」


頭を下げた。


十年勤めた会社を辞める決断は、思ったより簡単だった。


◇


引き継ぎ用のマニュアルを作った。


受注入力。請求処理。納期確認。顧客ごとの注意事項。


通常業務は、後任の人たちもすぐに覚えた。


高橋さんは満足そうだった。


「やっぱり、仕組みにすれば誰でもできるんですよ」


私は否定しなかった。基本的な仕事なら、本当にそうだから。


退職四日前、営業から注文書を渡された。


「森さん、これ明日納品で回答していい?」


在庫あり。画面上では問題ない。


でも、商品名を見て少し引っかかった。


「ちょっと待って」


工場へ電話した。やっぱりだった。


同じ商品の一部で傷が見つかり、検品が始まっていた。別の在庫を確保してもらう。


「大丈夫。明日出せます」


「ありがとう。しかし、よく気づいたね」


「昨日、別件で工場に電話したとき、傷が出たって聞いたから」


「それ覚えてたの?」


「なんとなく」


十年もやっていると、そんな「なんとなく」が増えていた。


退職の日、花束をもらった。


最後に高橋さんが来た。


「十年間、お疲れさまでした」


「ありがとうございました」


「引き継ぎも十分です。あとは会社側で仕組みにします。森さんがいなくても回る組織にしないといけませんから」


自信のある顔だった。


「そうですね」


私は頭を下げた。


会社を出て、一度だけ振り返った。寂しいと思うかと思っていた。


でも、肩が驚くほど軽かった。


◇


森が辞めて一週間。


営業部は、何の問題もなく回っていた。


高橋は満足していた。やはり、自分の考えは正しかった。


最初のクレームは、ある取引先からだった。


急ぎの納期回答は、ちゃんとメールで送ってある。しかし担当者が外出していて、確認していなかった。


夕方になって電話が来た。


「今日中に回答が必要だと言ったでしょう!」


報告を聞いた高橋は尋ねた。


「メールは送ったんですよね?」


「はい」


「なら、先方にも問題があります」


以前の森なら、メールを送ったあと電話もしていたらしい。


高橋は言った。


「だから非効率だったんです」


似たようなことは、その後も続いた。


締め日の違い。配送条件の違い。伝票の違い。連絡方法の違い。


そのたび、高橋は同じことを言った。


「取引先ごとの例外対応が多すぎるんです」


以前はやってくれた。前の担当者は対応してくれた。そう言われても、「当社の運用が変わったと説明してください」で押し通した。


三か月後、クレーム件数は前年同期の数倍になった。注文を減らす取引先も出始めた。


営業から「このままじゃ、客が離れます」と言われても、高橋は考えを変えなかった。


「今までサービスしすぎていただけです」


「でも、売上が落ちています」


「それを取り戻すのが営業でしょう」


高橋には自信があった。


自分は、それで何年も数字を作ってきた。客との関係は営業が作る。営業事務は、それを支える仕事。細かな事務対応で取引が決まるわけではない。


そう思っていた。


◇


五か月目。


会社でも最大手の取引先から、大口注文が入った。


追加の商品を、別の倉庫から緊急配送することになった。担当者が高橋へ確認した。


「部長、緊急配送の送料は先方へ請求でいいでしょうか?」


高橋は契約書を確認した。


顧客都合による特別配送は、実費請求。


「請求してください」


「顧客別の注意事項には、一定額以上は送料無料とあります」


「契約書が優先です」


「分かりました」


高橋は迷わなかった。


三日後、最大手の取引先から電話が来た。請求は契約違反だという。


調べると、十年前に交わした覚書が残っていた。一定額以上の発注では、緊急配送を含めて送料はすべて自社負担。


高橋はすぐに請求を訂正した。


だが、その週。今度は同じ取引先への納品が、一日遅れることになった。工場設備の緊急停止だった。


高橋は自ら謝罪へ向かった。


ここで収める。その自信はあった。


客が怒っているなら、会って話せばいい。自分は何度も、それで取引をつないできた。


◇


「このたびは、弊社の不手際でご迷惑をおかけしました」


高橋は頭を下げた。


「配送費については訂正済みです。納期についても、今後は確認体制を――」


「高橋さん」


取引先の購買部長が遮った。


「そういう話をしているんじゃないんですよ」


高橋は顔を上げた。


「はい?」


「森さんが担当されていたころ、こんなことは一度もありませんでした」


また、その名前だった。


「担当者変更に伴う一時的な混乱は――」


「五か月ですよ。五か月ずっと一時的なんですか?」


高橋の口が止まった。


「配送費だけじゃありません。納期回答も遅くなった。こちらから確認することも増えた」


「今後は改善します」


「森さんは、改善なんて言いませんでしたよ」


「……?」


「問題が起きなかったからです」


高橋は黙った。


「森さんからは、よく電話が来ました。来月、注文が増えそうですか。工場が混みそうなので予定だけ教えてください。最近この商品が増えてますけど、追加ありませんか」


購買部長が苦笑した。


「正直、細かい人だと思ってました。でも、いなくなって分かりました」


高橋を見る。


「森さんは、問題が起きたときに助けてくれてたんじゃない。問題になる前に、なくしてくれてたんですね」


高橋の頭に、森の業務一覧が浮かんだ。


電話対応。受注入力。納期確認。請求書作成。


――そんな仕事、誰でもできますよ。


「今後の新規発注は、他社を優先します」


「お待ちください」


「決定です」


高橋が最も得意としてきた顧客対応は、何の役にも立たなかった。


◇


翌月、高橋は役員会議に呼ばれた。


社長が資料を見ながら尋ねた。


「昨年度の納期トラブルは?」


「……三件です」


「今年は?」


「二十七件です」


「最大手の取引先は?」


「新規発注停止です」


「他の主要取引先は?」


「発注額が、前年の半分以下になったところもあります」


社長は資料を閉じた。


「これが君の言う効率化か?」


「ですが、森さんの業務が属人化していたこと自体は事実です」


「だから君を部長にしたんだ」


高橋が顔を上げた。


「属人化しているなら、誰でも回せる仕組みに変える。それは間違っていない」


「でしたら――」


「誰が、仕事そのものを捨てろと言った?」


高橋の口が止まった。


「君がやったのは、森さんの仕事を仕組みにすることじゃない。必要ないと決めつけて、やめさせたことだ」


社長は資料を指で叩いた。


「その結果がこれだ」


「しかし、取引先ごとの個別対応には非効率な部分も――」


「その取引先が離れたんだろう?」


「……」


「君は営業に何と言った?」


高橋は答えなかった。


「『それを取り戻すのが営業でしょう』だったか」


高橋の顔がこわばった。


「取り戻せたのか?」


「……いいえ」


「では、何を改善した?」


答えられなかった。


納期トラブルは増えた。


取引先は離れた。


売上は落ちた。


削ったはずの仕事だけが、トラブルになって戻ってきた。


社長が言った。


「営業として優秀だったから、君を部長にした。新規開拓もできる。数字も作れる。難しい客とも交渉できる」


一拍置いた。


「どうやら、別の仕事だったらしい」


処分は、その場で告げられた。


営業部長を解任。


地方営業所へ異動。


役職なしの一営業担当。


「……承知しました」


それ以上、高橋には何も言えなかった。


◇


会議室を出ると、高橋は森が座っていた席を見た。


――そんな仕事、誰でもできますよ。


あのときは、本気でそう思っていた。


森が辞めても困らない。

むしろ、これで効率化できる。


そう思っていた。


半年後。


森はいない。


最大手の取引先を失った。


売上も落ちた。


そして、自分は部長ではなくなった。


「……何やってたんだ、俺」


今さら森の仕事の価値に気づいても、何一つ元には戻らない。


もう遅かった。


◇


転職して半年。


私は新しい会社で、営業管理の仕事をしている。


給料は前より月に四万円上がった。残業もほとんどない。


「森さん、今日もありがとうございました」


「こちらこそ。お疲れさまでした」


午後五時三十分。


パソコンを閉じて、会社を出る。


今日も、大きな問題は何も起きなかった。


それでいい。


ここでは、それもちゃんと私の仕事だと分かってもらえる。


私は駅へ向かいながら、少し笑った。


あの日、辞めると決めて。


本当によかった。

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― 新着の感想 ―
営業事務がお客様に対して担当営業通さずに特別対応するの?事務員が勝手に独断プレーしてそれを良いものと扱うのは如何なものかと。
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