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02

 放課後、私はリュックを枕にするようにして、机の上で顔を伏せていた。


「弥歌、帰んないの?」


 声がして、私はゆっくりと顔を上げる。そこには、スクールバッグを肩から下げている成花の姿があった。


「んー……どうしようかな……」

「気分転換にさ、コンビニでも寄ってこーよ。わたし、肉まん食べたいんだよねー」


 そうにこやかに告げる成花に、思わず目を伏せてしまう。

 成花はすぐに、察したようだった。


「あ、もしかして……『昨日』も、わたし、肉まん食べてた……?」

「……そうだね」


 頷いた私に、成花は困ったように「そっかー……」と曖昧に笑った。


「……弥歌、一人で帰りたい気分?」

「……そうだね、ごめん、マジで申し訳ない」


 謝罪した私に、成花はぶんぶんと首を横に振った。


「全然気にしないでいーから! その……ループ、ってやつ? 早く、どうにかなるといいね」

「本当にね。まあ、私ならどうにかできるよ。美人だし?」

「自分でゆーなし」


 私たちは笑い合う。

 それから成花は私へと顔を近付けて、少し掠れた声で言った。


「あの、さ。もしもまた、四月十三日になっちゃって……わたしが、そのこと全部忘れちゃってても。また、相談してね?」

「え」

「わたしに心配掛けるとか、全くもって、考えなくていーから! 友達なんだから、何回でも巻き込んで! 弥歌、意外とそういうこと気にするでしょ?」


 成花の焦げ茶色の瞳が、真っ直ぐに私のことを見つめている。

 私は少しの間沈黙して、そうして柔らかく微笑んだ。


「…………ありがとう、成花」

「気にすんなし! それじゃー、また……明日ね」


 成花は腕いっぱいを動かしたバイバイをして、教室から去っていく。

 残された私ははあと息をついて、またリュックに顔を伏せた。

 教室には私の他に数人の生徒がいて、楽しそうにお喋りを繰り広げていた。気楽でいいな、と思う。昨日までは私も、気楽な日常を送っていたはずなのに。なんか悪いことでもしたっけ。寄り道? そんなの去年からしまくっているし……今更、咎められてもな。

 私は現実から逃れるかのように、窓の方に目をやる。


 ――窓に映る私の真後ろに、誰かいる


 十数秒、私は窓から目を離せずにいた。

 ようやく、振り返った。


 でも誰もいない。


 恐る恐る、もう一度窓を見た。


 もう誰もいない。


 ……見間違い、だったのだろうか。でも、確かに、誰かの姿があった。

 横顔だからわかりにくかったけれど、その「誰か」は――あの、歯車の少女のような気がした。

 窓に映っていたから霞んでいたものの、……お腹も、なかった気がする。

 きゅるきゅるきゅる、という微かな音が聞こえた気がした。私はこのまま教室に居続けるのが怖くなって、勢いよく椅子から立ち上がると、リュックを引っ提げて教室を後にした。


 *


 夜、私はお風呂に浸かりながら、防水用のケースに入れたスマホで動画を眺めていた。

 いつもならただ面白いはずのゲーム実況動画が、何だか頭に入ってこない。私は溜め息をついて、一旦動画をストップする。それから、温かいお湯の中へ自身の首までを沈めた。


(……明日も、四月十三日なのかな)


 浮かんだ考えを振り払うように、握りこぶしの形にした右手で軽くお湯の表面を叩く。ばしゃんとお湯が飛び散った。


(……今日だけかも、しれないし)


 そんな訳ないだろう、ともう一人の自分に嘲笑されたような気がした。


「ああああもう、うるさい、うるさい」


 そう呟きながら、ばしゃんばしゃんとお湯を叩く。きゅっと、唇を噛んだときだった。



 誰かに、見られているような気がした。



 ぞくりとする。後ろから、視線を感じるのだ。浴槽にぴたりと背中を付けているから、私の後ろに存在しているのは、お風呂場の鏡だけのはずなのに。



 ――きゅるきゅるきゅるきゅる



 またあの、微かな歯車の音がする。気のせいじゃない、きっと気のせいじゃない。お湯に浸かっていて温かいはずなのに、鳥肌が立つ。……怖い。


(また、振り返らなきゃ、だめかな……だめだよな、だめだよね)


 私は思わず泣いてしまいそうになりながら、体育座りになって脚を掻き抱いた。

 ぎゅっと目を閉じていると、やがて微かな歯車の音が止んだ。

 私は深く息を吐きながら、その事実に安堵する。

 ようやく、ゆっくりと振り返った。


 ……鏡に、赤色の何かが付いている。


 幾つもの歪な円形があって、そこからたらたらと垂れていて、まるで、血痕のような……私は小さな悲鳴を上げて、顔をそむけた。

 恐る恐るもう一度見ると、そこには赤色なんてなかった。

 曇った透明があるだけだった。


「…………何なんだよ、」


 恐怖は少しずつ、苛立ちへと変わっていく。その気持ちを発散させるように、私は一際強くお湯の表面を叩いた。透明な液体が勢いよく飛び散って、顔にかかった。


 *


 いつもよりも早い時間に部屋の明かりを消した私は、布団の中にくるまりながら祈る。


(…………明日起きたら、正常な四月十四日が、訪れていますように)


 両手を祈りの形に組んで、ぎゅっと握って――そうしていると、意識はどこかへと浚われていった。


 *


 ――きゅるきゅるきゅるきゅる、と音がする。


 私は透明な地面の上で、また歯車の少女を見つめていた。


(…………あ、夢だ、……またあの夢)


 二回目だったから、私はそうやって気付くことができた。

 私は血塗れの、金色の歯車を見た。時計回りに回転している歯車と目を合わせていたら、ふととある考えを思い付く。



 ……あの歯車の回転を止めれば、ループも止まるのではないだろうか?



 回転自体は速くない。だから、大きな力を加えれば止まるような気がした。

 私はゆっくりと歩き出す。少女が確かな実体を持っているのが見てわかるからか、不思議と日中に感じていた恐怖感は薄れていて、問題なく足を動かすことができた。

 私は歯車の少女の目の前に立つ。彼女の茶色の瞳はやっぱり虚ろで、私ではないどこかを見ているみたいだった。私は軽く深呼吸してから、てらてらと光る血に濡れた歯車へと右手を伸ばす。


 ――歯車に私の手が触れた瞬間、回転が急速に速まった。


 手を引っ込めようとしたが、遅かった。私の右手は幾つもの歯車に巻き込まれる。


 ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ


「あああああっ、あああああああ、あああああああああああああ!」


 余りの痛みに叫んだ。私は涙で瞳を濡らしながら、歯車と歯車の切れ目で何とか右手を引っこ抜く。恐る恐る見たら、右手がぐちゃぐちゃになっていた。親指も人さし指も中指も薬指も小指も変な方向に折れ曲がっていて、肌の色々なところが破れてだらだらと赤い血が溢れ出している。私はぼろぼろ泣きながら、治らないとわかりながらも必死に左手で右手の甲をさすった。



『…………いけませんよね? 芸術品に、触れては』



 あの、声がした。

 不快な高音で紡がれた声には、どこか……嘲りのような調子が、滲んでいるような気がした。

 衝動的に振り返ってしまい、そこで、違和感を覚える。

 前の夢では、振り返ることなどできなかったはずなのに……

 私は、「…………あ」と声を漏らした。



 人間の内臓を数百個も組み合わせたかのような「何か」が立っていた。



 目も鼻も口もないのに、「何か」は『あははははははははははははははははははははははは』と笑った。私は泣きながら笑い声を聞いていた。


『あははははははははははははははははははははははは』


 きゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅる


『あははははははははははははははははははははははは』


 きゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅる


『あははははははははははははははははははははははは』


 きゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅる


『い   け   ま   せ   ん   よ   ね』



「うわああああああああああっ!」


 私は叫びながら飛び起きた。どくんどくんと脈打つ心臓の辺りを左手で押さえながら、右手を見つめる。傷一つない綺麗な右手が、そこにあった。

 縋るように、デジタル時計の方を見る。



「4 13 月」



 その表示に、私はくしゃりと表情を歪めた。

「…………きっつ、」



 ――多分この絶望は、まだ、優しい絶望なのだろう。

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