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リトアニア

 自分のそんな考えを打ち払うかのように、自宅のドアに手を掛けて一気に開け放つ。その音を聞いてすぐに、40代前半くらいの女性が奥から顔を出す。薄く茶色に染めた髪を後ろで小さく結んでいる。特に目元と鼻のあたりがそっくりで圭人によくからかわれる。


「逸平。遅かったじゃない。あら! 圭人君。バスケ部、県大会決まったんだって! おばちゃん自分の息子のことみたいにすごく嬉しいわ。彩音ちゃんも一緒だったの? なにかあったの? こんな時間に三人で」


 驚いた顔で俺達三人を見つめるうちの母親。大門さくら。


「おばさん。お久しぶりです」


「さくらおばさん! いつもお世話になってます」


 そんな圭人と彩音のありきたりの挨拶。

 スリッパを用意する母親を横目に、全員の目線は玄関の靴に集中する。

 そこには記憶に新しい……いや、思い出したくもない厚底の履物が目に飛び込んでくる!

 俺達は言葉が詰り、そのまま顔を見合わせる。


「母さん! うちに誰かいるのか! 」


 俺は母親を問い詰めるようにして大声で叫んでしまう。

 不思議そうな顔を俺達に向ける母さくら。


「何を言っているの逸平。今日からうちでリトアニアからのホームステイを受け入れるって言っておいたじゃない。確か、あんたが朝学校に出掛ける時に伝えたと思ったんだけど」


 ホームステイだって?

 朝、学校に行くときに伝えた……

 勿論、俺にはそんな事を聞いた記憶がない。

 圭人が俺と目を合わせる。

 俺は首を激しく横に振る。彩音も俺達の様子を見て表情を固まらせる。


「逸平君。リトアニアってどこの国? 」


「いや、俺は地理には疎くて……圭人分かるか」


「ヨーロッパの国のひとつだぞ。それぐらい知っとけよお前ら。バルト三国の最南端の国だな。日本との国交も問題ない国だ」


 それならホームステイというのもありえる……いやいや! だからそんな話は朝の段階ではされていないし! そんな重要な事をもしも言われていたら、さすがに覚えているはずだ。


「母さん! そいつは今どこにいるんだ」


「逸平の部屋にいるわよ。名前はなんて言っていたかしら……あんまり日本だと馴染みの無いような名前だったのよね」


 俺の部屋にいる? そんな馬鹿な!

 靴を脱ぎ捨てると、その場にカバンを投げるようにして置き、一気に二階に駆けあがる。大腿四頭筋が変な音を立てている。


「おい! 逸平、ちょっと待て! おばさん。失礼します! 」


「ごめんなさい、さくらおばさん。お邪魔します! 」


 圭人と彩音も靴を脱ぎ、丁寧に揃えると後から二階に上がってくる。

 俺は上がってすぐ右側の扉を勢いよく開ける。

 いつもであれば、そこにあるのは小学生のころから愛用している俺の筋肉質な体には小さくなった学習机と、大き目な布団。ゲームと執筆用に買ってもらったコンパクトな愛用のゲーミングパソコン。その横には乱雑に引っかけられた服。そんなどこにでもある高校生の狭苦しい部屋。圭人ならともかく、高校になってから彩音がこの部屋に入ったことは無い。


「やぁ、おかえりなさい。逸平……ずいぶん遅かったじゃないか」


 そこには紫色の髪をキラキラと(なび)かせながら、黒基調のコートを軽やかに着こなした……俺達のよく知っている絶世の美少年が座っていた。

 後から上がってきた圭人と彩音が、部屋の前で立ち止まっている俺の背中の筋肉に阻まれ、仕方なく体の横からすり抜ける。


「レ……レイカ、さん! なんでここに」


「逸平。なんで奴がここに! いや、それよりもなんだあれは! 」


 俺もレイカが居た事よりそっちの方が驚いたんだ。

 勘弁してくれ。この部屋にそれは絶対に合わないだろう。

 レイカが座っているそれは、大きな天蓋付きのベッドだ。もちろんそんな大層なものは俺の部屋には元々置いてあるわけはないし、そんなベッドを買う趣味も絶対にない。

 フリフリの白いレースが天蓋から垂れ下がり、どこぞの豪邸にあるようなきらびやかな雰囲気をふんだんに漂わせている。

 上を見上げると、どこから持ってきたんだと言わんばかりの、高そうなシャンデリアが12畳ほどの狭い部屋を明るく豪華に照らし出している。


「ちょっと待て! 部屋広すぎだろ! 8畳くらいだったはずだ……それに筋トレスタンドはどこ行った? 」


 俺は頭を抱えて、そのままスクワットを始めてしまう。


「邪魔だ、逸平! 錯乱して筋トレ始めるな! 落ち着け」


「なにこの部屋! 逸平君こんな趣味あったの? 」


 いやいやいや。なにを言っちゃっちゃってるのよ。こんな趣味ある訳ないだろ。やめてくれよ。彩音……そんな目で俺を見ないでくれ。

 俺は何かから振り切る様に一心不乱にスクワットの回数を重ねる。


「あっはっは! やっぱりキミたちは面白いよ。ちょっとせまっ苦しかったからさ。魔法で少し空間を拡張して、ベッドとシャンデリアを持って来てみたよ! なかなかに綺麗でしょ」


 紫の髪をサラサラと揺らし、腹を抱えるようにして笑う美少年。


「レイカ、帰ったんじゃなかったのか! 」


 圭人が奴を睨みつける。


「帰る? いやだなぁ……あの場は引かせてもらうと言っただけさ。せっかくこんな面白いところに召喚されたんだ。すぐに小説の中に帰るなんてするわけがないだろう」


 真っ赤な瞳を震わせるレイカ。


「これは逸平が望んだことだよ。ボクはその気持ちに応えなければならないと、そう思ったまでさ」


 奴がそう言って笑う。

 信じられないという圭人の顔。


「確かに、レイカがこのまま現実にいてくれたらいいかな……なんて、チラッと思ったかも! 」


 圭人の目をまっすぐに見ることができない。

 そのまま、まくし立てるようにレイカに嚙みついた。


「それでリトアニアからの留学生か! うちにホームステイとか一体どうなってるんだ」


 俺はスクワットを繰り返しながら、血走るような瞳でレイカを見据える。お尻の大殿筋が負荷に悲鳴を上げる。


「いいアイディアでしょ、逸平。今日からボクが飽きるまでの間、よろしくね。ボクの包丁の魔法でちょっとね……キミの家族に信じ込ませておいたから。あ、大丈夫だよ。副作用とか無いはずだから。たぶんね」



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