日常への浸食
結局あの後『黒歴史ノート』を持って帰ってしまった圭人。
俺は必死で抵抗したんだ。
「今回の奴が出てきた経緯を、正確に把握しておく必要があるんだ。俺達の今後の為にもな。それには、設計図であるそのノートを読むのが一番早い」
圭人の射抜くような視線には、頷くしかなかった。
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次の日の朝、何食わぬ顔で食卓に顔を出し、優雅な所作で朝ご飯を食べているレイカ。憮然とした表情をしながら無言で食べる俺。
「昨日の雪はいったい何だったのかしらね。千葉県佐倉市のかなり狭い範囲に降ったってニュースで言っていたわよ。あら、レイカさん。お代わりはもういいの? 」
「ありがとう、さくらさん。リトアニアの食事とはまた違って日本食はとても美味しいですね。昨日の夜も逸平君とカップラーメンを食べたのですが、これがまた美味しくて。かなりのカルチャーショックを受けましたよ」
「あら、逸平。カップラーメンなんて出したの? ごめんなさいね。言ってくれれば夜食くらい作ったのに……でもレイカさん、日本語がお上手ね」
嬉しそうに、ご飯のお代わりを差し出す母さくら。ちょっと恥ずかしそうに頬を赤らめて、奴の顔に見惚れているのがすごく嫌だ。
ふと気づいたんだが、なんだか朝食が豪華じゃないか? レイカが来たからか? いやその割には品数が多すぎるような気がするんだが。
「そうそう。昨日の夜、冷凍庫の機能がおかしくなったみたいでね。まったく冷えなくなってしまったのよ。お父さんに連絡したら新しい物を買っていいって言うから後でネット見てみるわ」
冷凍庫が壊れた? 俺は嫌な予感がしてレイカを見つめる。
「どうしたのでしょう。季節外れの雪が招いた弊害ですかね」
レイカの言葉に背筋が一瞬寒くなる。まさかコイツの能力を使うと、世界のどこかに歪みが生じるのか……その考えが一瞬俺の頭の中を過り、箸の動きが止まる。隣で白米をゆっくりと味わうように食べているレイカ。
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高校に向かう俺と彩音。そして少し後から、疲れたような足取りの圭人が続く。
レイカは彩音の隣に居て同じ方向……つまりは俺達の高校を目指している。
「レイカ、なんで付いてくるんだ。大人しく家に居てくれないか」
俺が迷惑そうな顔で話しかけるが、それには答えずに、周囲の風景を物珍しそうに眺めながら歩いている。
「昨日家の冷風機が全部壊れちゃって。暖かい空気しかでてこないのよ」
「うちの製氷機も調子が悪いって言っていたな。そういえば」
そんな圭人と彩音の会話を聞きながら、朝の食卓で思っていたことがあながち間違っていないことを悟る。
「昨日雪が降ったじゃない。もしかして昨日のレイカさんの召喚儀式が影響してるのかもしれないとか。なんだかワクワクしない?」
なんだかよく分からない理論を振りかざしている彩音。昨日の俺との一件については全く触れてこない。自分も特には触れない。
「今日はバスケの朝練はどうしたんだ。まさかこの時間に彩音ならまだしも、圭人も一緒に立っていたなんて意外だったからさ」
電柱に手を付き、ため息を漏らす圭人。レイカが両手を広げるようにして歩いていて、その手にトンボが止まり、面白そうに羽の羽ばたきや眼の動きを観察している。
「昨日寝てなくってさ。思ったよりもお前の書いた小説の文量があって読むのに手間取っただけだ」
ちゃんと読んでくれたんだ。俺は一瞬レイカや彩音の存在を忘れ、素直に喜ぶ。しかしそれも束の間、一気に始まった圭人の容赦ない評価に舌を巻くことになる。
「まず小説の題名だ。長くて説明的過ぎる! この時点で訳分からなくて読者が離れる原因になるぞ。中二病も大概にしろ」
う……俺のハートを朝から折りに来ているな圭人。
「そうなの? ちょっと見ていい、逸平君。えっと……『生魚が毒という世界で創る神々の寿司懐石~Re:Banishmentされた孤独な天涯料理人、零なる神包丁で星の理を握り直す~』 長いし意味わかんない! あたしもうこの時点で読む気が無いんだけど……」
「長くする必要性はない。もっと短く印象付けろ。例えば、『【悲報】俺の寿司、異世界じゃ猛毒扱いだった物語』とかさ。ちょっと読みたくなるだろ」
なんてキャッチ―な! 圭人、そんな一瞬で!? 俺は自分の発想力の無さを痛感して筋肉質の体を折り込むようにしてしょげる。
「掴み自体は悪くない。せっかく中盤辺りから割と面白くなるのに、そこまでがスロー展開過ぎる。これが致命的だ」
ボキ! 今俺の心は完全に折れた……
「……それでなんか分かったのか。レイカの事」
「いや、何にも。このノートの最後の場面で登場するのが奴か? 断片的過ぎて今の段階ではどうにも分からないと言ったところだな」
圭人が頭を抱える。
「そうなのか。実はパソコンを買ってもらってからはそっちに打ち込んじゃっていたから、『黒歴史ノート』に書いてあるのは物語の初めの方の部分だけなんだ」
そんな話をしながら俺達3人は、心臓破りの坂道を登り切った先にある高校の正門に辿り着く。時刻は8時10分。『県立 桜岸西高等学校』という立派な文字が目に映る。
高校のすぐに隣にはこの佐倉市で最も大きな総合病院が、まるで城のように聳え立つ風景。それがいつもの……日常だった。
その時だった。空気が揺れ動くような、どこからか一瞬の風の流れが起きるような感覚が俺達3人を包み込む。振り返ると、50メートルほど後ろでレイカが立ち止まっていて、手の中には例の魔法の包丁が握られていた!
「さぁ、この世界よ。我の存在を受け入れたまえ!」
目を見開き、さもおかしそうに笑うレイカ。しかし瞳の奥には全く微笑みの要素は感じられない。何も映っていないかのような赤き瞳。その色だけが明るさを増していく。
「なによアレ……また何かしようって言うの!」
「レイカ! 止めろ!」
俺達3人が手を伸ばそうとする中、包丁が空を切り裂くように一閃される!
どこか……頭の中がガタつくような感覚。
顔を上げた俺の目の前に、季節外れの桜の花びらがハラハラと落ちる。それはレイカの周囲に渦を成すようにして広がり、風の流れに乗るように流れていく。レイカのこの世のものとは思えない美しさ相まり、幻想的な雰囲気を醸し出す。
「レイカ……さっきまで着ていたコートが! 桜岸西の制服に!」
「おい。逸平、彩音。これは……どうなっている?」
「圭人君。なにこの横断幕……うそ……」
そこにはさっきまでは確実に無かったもの。
職員室から下がっている横断幕。
そこには『歓迎! リトアニアからの留学性 レイカ・ヴィルカスさん! 桜岸西高等学校へようこそ! 』という文字に腰を抜かさんばかりに驚く。
「逸平君! 今学校のHP見たら、『交換留学生の紹介:リトアニアより、レイカ・ヴィルカス君が本日付けで転入しました』ってなっている……どうなっているのよ!」
彩音のスマホに映し出されているレイカのアップの微笑み。それを確かめながら眼鏡のブリッジ部分を何度も上げるようにして動揺を隠せない圭人。
その場でスクワットを始めてしまう俺。
こうして恐ろしいことに、『レイカによる日常への浸食』が始まってしまったんだ。
1章終了です。
突然高校生活の中にまで浸食してきた魔王レイカ。
その規格外だが、どこか呑気で、ズレている力は今後どのような形で逸平たちに降りかかってくるのか。
2章 そのラスボス。いきなり絡まれる。
お楽しみに。




