「君を愛するつもりはない」と言ったら、泣いて喜ばれた
「オズワルド様、お願いがあるのです」
そう言って下品な笑みを浮かべるのは、公爵家の一人娘シャーロットだ。目の前で苦い顔をしているのは彼女の婚約者であり、ユーフィリア帝国第二皇子のオズワルド。
「おい、何とかならないのかその顔。淑女がしていい顔じゃないぞ」
「気持ち悪い笑みを浮かべるなこの雌豚が……?!」
「そんなことは言っていない」
どれだけ自分に都合のいい耳をしているのだ、この女は。オズワルドが冷たい視線を向ければ、シャーロットの表情はますますパァッと輝いた。
どうせろくでもないことだ。
聞いたところで後悔するのはわかっているのに、どうしてか彼女のことを無視できない。
「──で? お願いってなんだ」
その言葉に、シャーロットは目をキラキラとさせながらゆっくりと口を開いた。
「わたくしを踏んでくださいませ!」
♢♢♢
二人が初めて顔を合わせたのは、建国記念式典パーティーだった。
シャーロットを初めて見たとき、オズワルドは思わず目を奪われた。
輝くブロンドの髪にエメラルドグリーンの瞳。白い肌に長い手足、まるで人形のように愛らしい容姿。そして、容姿だけでなく、所作の一つ一つも丁寧で美しい。
(さすが「完璧令嬢」だな。噂通りではあるが…)
元々女性にさほど興味もない。だからといって男性に興味があるわけでない。色恋自体がどうでもいいのだ。
シャーロットとの婚約も、彼女の噂を聞きつけた母親が半ば強引に婚約話を進めたため、オズワルドは全く乗り気ではなかった。それこそ、今日この場でこうして顔を合わせるまで、自分に婚約者がいることさえも忘れていたぐらいに。
しかし、自分の立場を考えれば仕方のないことなので諦めるしかない。
だからこそはっきりと伝えなくてはいけない。
これは政略結婚で、彼女を愛するつもりはないと。
パーティー会場では当たり障りのない会話をし、二人きりになった途端、オズワルドはさっそく本題を切り出した。
「悪いが、婚姻にも君にも全く興味がなくてな、君を愛するつもりはない。政略結婚の務めは果たすが、他は期待はしないでくれると助かる」
さすがに今日初めて会った婚約者に対して、この物言いはないなとは思う。
しかし、完璧令嬢と名高い彼女ならもっと他にいい縁談もあるはずだ。無理して自分を愛さない男に嫁ぐ必要はない。
なので、こういうのは早いにこしたことはない。
「わたくしを、愛さない…」
突然のオズワルドの言葉にショックを受けたのか、シャーロットは俯いて肩を震わせた。そして、ぐすっと鼻を啜る音までも聞こえてくる。
やはり流石にまずかったか。
オズワルドがそっとハンカチを差し出せば、シャーロットはそれを受け取ることもなく、震える声で話し始めた。
「……です…」
「すまない、もういち──」
「さいっこうすぎます! オズワルド様!!」
パッと顔を上げて叫んだシャーロットに、オズワルドは驚愕した。たしかに彼女は泣いていた。しかし、それは歓喜の涙だった。
「婚約が決まってからの放置プレイも最高でしたが…やはり、その冷たい瞳、気怠げな声。わたくしにまったく興味がないそぶり! ああ、もう興奮してしまいますぅ…!」
顔を赤らめながら、くねくねと身体を揺らすシャーロット。その異様な様子にオズワルドは絶句した。
何を言っているんだこの女は。
彼女の言葉がまるで理解できなかった。唯一、理解できたのは、彼女の趣味嗜好が歪んでいるということだけ。
とにかく、これ以上深く関わるのはよくない。そう思ったオズワルドは、一刻も早くこの場から去ろうとした。
「君のことはよくわかった、だか俺にそのような趣味嗜好はない。悪いが、今回は縁がなかったということで、婚約は解消させてもらう。どうぞ他の男とお幸せに」
「ああ!お待ちを!わたくし、一人で楽しめるタイプですので、問題ありませんわ!」
背を向け歩き出したオズワルドの服の裾を掴み、逃さまいとするシャーロット。
そちらに問題がなくても、こちらにはある。そもそもなんだ、一人で楽しむって。
「──っ、離せ!」
「いやです! このままだとわたくしとの婚約を解消されるおつもりでしょう?! わたくしとの婚約を解消しないと約束してくださるまで絶対に離しません!」
そう叫ぶと、シャーロットはオズワルドの腰にしがみついた。そんな彼女を振り払おうと、オズワルドは激しく抵抗したが、シャーロットも諦めない。
「いい加減にしないと、酷くするぞ!」
「それはぜひ!!」
「喜ぶな!」
二人の攻防は続き、先に折れたのはオズワルドの方だった。
「………はあ、なぜだ?」
「え?」
「君のその恋愛嗜好についてとやかく言うつもりはないが、別に俺でなくても構わないだろう。なぜ、俺なんだ」
その言葉に、シャーロットは少しだけ眉を下げて寂しそうな笑みを浮かべた。
「ねえ、オズワルド様。わたくしたち、幼い頃に一度、お会いしたことがあるのですよ」
「──っ!」
オズワルドには見に覚えがなかった。こんな癖の強い女、忘れたくとも忘れられそうにないが、まるで記憶にない。
そんなオズワルドの様子を見て、シャーロットはくすりと笑った。
「もうだいぶ昔のことです。普通は覚えていなくて突然でしょう。ですが、わたくしはずっと忘れられませんでした」
「………それは、」
やけにしおらしいシャーロットの態度に、何だか居心地が悪い。すまかった、と謝罪の言葉を口にしようとしたが、途端、シャーロットの息が荒くなるのを感じた。
「はあ、あの時のオズワルド様の冷たい瞳、わたくしをまるでゴミを見るかのような瞳で見つめてきて、幼いながらにも興奮したのをまるで昨日のことのように覚えています。ああ、どうしましょう。思い出しただけで涎が──」
「いま全く覚えていなくてよかったと、心の底から思ったよ」
「まあ、冷たい」
言葉と裏腹に、シャーロットの表情はどこか嬉しそうだ。
結局これも彼女の遊びの一種か?
オズワルドのそんな視線を感じたのか、シャーロットはわざとらしく咳払いをした。
「つまりですね、わたくしは冷たくしてくださるのなら誰でも構わないということではありません。あの日、わたくしの嗜好を歪ませたオズワルド様しか駄目なのです、わたくしはもうオズワルド様でしか興奮できないのです!」
熱烈な愛の告白だ、とオズワルドは思った。
だけどどうしてか、全く嬉しくない。むしろ不愉快極まりない。
「なるほど。そこまで俺を想ってくれて嬉しいが、やはり婚約は解消──」
「王妃様を納得させられるご令嬢が、わたくしの他にいらっしゃると?」
その言葉に、オズワルドはぐっと口をつぐんだ。そう、彼の母親である王妃は令嬢を見る目が厳しい。それこそ完璧令嬢と名高いシャーロット以外、眼中にないだろう。
新たな問題にオズワルドは頭を抱えた。
たしかに中身は問題大アリだが、条件としては全く悪くない。何よりあの面倒な母親が認めた相手だ。婚約解消して、小言が増えることを考えると──。
オズワルドは諦めたようにため息をついた。そんな様子をみて、シャーロットはニヤリと笑った。
「わたくしはただお側にいられればいいのです。わたくしの趣味に巻き込んだりしませんわ」
「……本当だろうな?」
「ええ」
「俺は君を愛するつもりはない、優しくもしない」
「ええ、構いません。むしろ、わたくしに優しく愛を囁くオズワルド様など解釈違いですので」
「将来の王太子妃として、厳しい環境に身を置くことになるだろう。それも構わないと?」
「勿論ですわ。むしろ、そんな環境、想像しただけで興奮してしまいます!」
そうして、二人は握手を交わした。
なんだか上手く乗せられた気もするが、まあいい。
「君の趣味嗜好に付き合わせたら、いつでも捨ててやるからな」
オズワルドが吐き捨てるようにそう言えば、シャーロットは泣いて喜んだ。
♢♢♢
そして冒頭に至る。
弱音の一つも吐かず、厳しい王太子妃教育をこなすシャーロットをみて、気まぐれに一つだけ我儘を聞いてやる、と言ったのがそもそも間違いだった。
もっと、ドレスや宝飾品を要求されるかと思っていたが……そんなことをこの女に期待するだけ無駄だったようだ。
「俺を君の嗜好に付き合わせたらいつでも捨てるって言ったのを忘れてたのか。それ以上、変なことを言ったら、婚約は解消だ」
「そんなぁ! ちょっとした恋人同士の触れあいではありませんか!」
「黙れ変態」
馬鹿にしたように鼻で笑えば、シャーロットは「ぎゅんっ!」と情けない悲鳴をあげた。
「喜ぶな変態」
「ぐふっ、そんな立て続けに…! わたくし、供給過多で死んでしまいます…!」
自身の胸をおさえ、荒く息をする姿はとても見れたものじゃない。なのにどうしてか、出会った頃のような不快感が今はない。
「とにかく、その願いは却下だ。他に何もないのなら、この話はなかったことにする」
「ではオズワルド様、誓いがほしいです」
「……誓い?」
「これから先、どれだけご令嬢達に微笑みかけようとも、優しくエスコートしようとも、愛そうとも構いません。だけど、冷たく当たり、まるでゴミを見るかのような視線を向けるのは、私だけにしてくださると!そう誓ってくださいませ!」
真剣な眼差しで訴えてくるシャーロット。
普通は逆じゃないか?
オズワルドはそう思ったが、口には出さなかった。というか、出しても無駄だと思った。
「誓ってくださいますか?!」
何も答えない様子に痺れを切らしたのか、シャーロットは叫びながら、オズワルドの小指に強引に自身の小指を絡ませた。そんな彼女の様子に、オズワルドは諦めた。
「それでいいのか、君は」
「これがよいのです!」
「………わかった。金輪際、女性に優しくすることはあっても、冷たくあたり、まるでゴミを見るかのような視線を向けるのは君だけだと誓おう」
その言葉に、シャーロットは目をキラキラとさせて歓喜した。
「ふふふっ、わたくし、幸せすぎて死んじゃいそうです」
心の底から本気でそう思っているのだろう。シャーロットの目にはうっすらと涙まで浮かんでいる。
そんな様子を見て、なぜあの時婚約解消しなかったのか、とオズワルドの頭に後悔の文字が浮かぶ。
しかし、こんな彼女を見て、悪くないと思いはじめている時点で、もう手遅れなのかもしれない。
そんなオズワルドの心情を知ってか知らずか、シャーロットは言葉を続ける。
「ずっと、ずぅーっと、わたくしを愛さないでくださいね、オズワルド様!」
その言葉は、まるで呪いのようだと思った。
いつか、いつの日か。彼女のことをかわいいと、愛したいと思う日が来るのだろうか。
そんな自分を彼女が望まないことはわかっているし、もしそんな日がくれば、この関係も終わりを告げるだろう。そのとき俺は…
「オズワルド様? どうかされましたか?」
「──なんでもない」
こんな事を考えている時点で、答えは出ているようなものだ。
近い将来やってくるであろうその日を考えながら、オズワルドは優しく微笑んだ。