-40km モーニング・ルーティーン
――電子アラームが耳に取り付けていたイヤホンに流れ込む。
イヤホンの接続先――支給品デバイスから流れて来る“人が少し不快感を感じる程度の音”を止める。ついでに五分刻みで設定していたこれから来るであろうアラームの群れを解除しておく。
昨日は夜間に作業もせず、安眠用のASMRを聞きながら眠りについたので気分は晴れやかだ。俺は海を見たことが無いけど、波音を聞きながら眠りにつくのは好きだ。
「ッ、……ハァ、ア……」
掛け布団を引きはがして起き上がる。
二畳程度しかない市民用個室は相変わらず窮屈だ。イヤホンを取ると換気扇の音がヴー、と聞こえてくる。
「予定は昼だったよな……時間、余っちまった」
これから先に予定があるけどまだ自由な時間。この時間の扱いが俺は苦手だ。何か作業しようにも予定の存在がチラついて集中できないし、うっかり集中しすぎると予定を遅れてしまったり……とにかく、計画性がとことんクソなのだ。
「……まずは飯、だよな。それから考えよう」
リュックサックのポケットから水袋と食料――“粉末満腹剤”の袋を取り出す。
袋を綺麗に開けて、その中へ雑に水筒の水を流し込む。水と粉末が反応してシュワシュワと膨らみ半固形状と液状の狭間になったそれを一気に胃袋へ流し込んだ。
……味気ない粉の味。でもこれで一食分の蛋白質と炭水化物、ビタミン類を補給しつつ、胃袋で膨らんで満腹感を感じさせるのだから便利な代物だ。
胃袋の中で膨らむため、人によっては胃炎とか食道炎とかになるらしいが、健康な成人男性が使う分にはだいたい問題ない。むしろそういったリスクのおかげで安価に買えるのだから都合が良い。
「飯が終わったら……どうしよう」
さっそくやることを失ってしまった。
えーっと……これから選定の儀なのだから……うーん、あ、そうだ。身支度はしっかりするべきだよな、うん。朝からシャワーを浴びておこう。それから……武器の手入れでもするか? いや、それは時間がかかりすぎる。ええっと、それからは、うーん、どうしたものか――
「…………」
天井の換気扇とにらめっこしながら考える。
……いや、何を気取っているんだ俺は。確かに今日は特別な日。だけど、だからといって生き方まで特別にしなくたっていいじゃないか。
好きにその辺を歩き回って、雑に自由を感じ取る。なんだったら少しぐらい遅刻したって良い。師匠はきっと怒るだろうけど、それも自分らしいいつも通りというやつだ。
それに決めた。今日はそれでいこうか。
「フフッ……さァて、行くか!」
笑みを浮かべて立ち上がる。換気扇とのにらめっこには負けたが、心は勝ったみたいに浮かれている。
思い立ったなら即行動だ。支給品デバイスを充電棚に差し込み、支給品ブレードを腰につけ、リュックサックを背負って俺は個室を後にした。
■
……世界運営直属の宿泊施設は部屋が狭いが、シャワー室とか簡素なサービスがあるので助かる。シャワーを浴びてさっぱりした俺は、下層部の居住区をぶらりぶらりと目的無く歩いていた。
「……シャワー浴びたって、外気を浴びてりゃすぐに汚しちまうんだけどサ」
カツン、カツンと金属製の階段を下りながらい一人ごちる。
階段を下り終えると、ザラザラとした岩盤と砂の感触が靴越しに伝わって来る。一歩二歩、と歩くたびに足元では小さく砂埃が立っていた。
下層居住区の商店街は相変わらず閑古鳥が鳴いていた。
剥き出しの岩と、岩肌が崩れるのを防止するために急造で打ち付けられた鉄板にまみれた一本通り。上を見上げれば、波打つように加工された鉄板の屋根とかパイプの群れとか、干された洗濯物がちゅうぶらりんとしている。
「……おっ、ばーちゃん! 今日も元気?」
シャッターの閉じた店の多い中、ぽつんとシャッターを開けている店に顔を出して挨拶をする。
「……おや、グレン君かい。いらっしゃい。何か買っていくかい?」
暖簾の奥から背丈の小さなおばあちゃんが顔を出す。彼女がここの店の店主だ。
この下層部で安定してお店を続けていられるのはこの店ぐらいで、彼女がどれほどの人脈とか資金とか、そういった商人としての腕前を持っているかが伺える――が、フツーに話して買い物する分には気のいいばーちゃんって感じ。俺もこういう人は好きだし。
「んぁー、とりあえず大玉ガムをひとつ貰おうかな」
「はいはい、いつものね。ちょっと待っててね……」
「いえーい! グレン兄ちゃんじゃん!」
「なーに買ってんの?」
「お、お前たちは……そうだ、俺のジャム缶床にぶちまけたクソガキ共か!」
俺のひざ丈ぐらいの背丈で、やいのやいのと騒いでいる二人組の子供の頭をガシガシと撫でるように捕まえる。
キャーワー、と悲鳴のような笑い声を上げながらガキ共は大人しく掴まっていた。
「はいよ、グレン君。今日は赤玉が出たよ。良いことあるといいねぇ」
「おっ、レア色じゃん! ラッキ~!」
「いいなー、ガムいいなー」
「グレン兄ちゃん、俺にもくれよ~!」
「駄目です。子供がこれ喰って喉詰まらせたことあるからあげれません。んじゃあ……ばーちゃん、追加で車輪キャンディー二個、こいつらに俺からの奢りで」
「はいよ、合わせて36レイズだよ。腕輪を見せてね」
会計機のスキャナーを俺の腕輪に当てて電子決済を済ませる。
俺は赤い大玉ガム――大抵は白だが、コイツはアタリだ! ――を受け取って口の中に放り込む。ザリ、ザリ、と雑な甘みが口の中に広がる。
「はいはい、僕くんたちにはコレね。兄ちゃんにお礼をちゃんと言うんだよ」
「うん! あんがと! グレン兄ちゃん!」
「太っ腹! 大富豪!」
続けておばあちゃんから棒付きの車輪キャンディーを受け取ったガキ達から賞賛の言葉が飛んでくる。こうやって大人を振舞うのは気分が良い。財布は冷えるけどね。
「ぁ、そうだ。ガキ共! 大人になったら、お前たちも子供にキャンディーの一つや二つ、奢れるようになれよ!」
昨日のリスティアとの会話を思いだして、受け売りを子供の前で決め台詞として披露した。
(……フッ、決まったァ)
……うん、気分が良い。シャワーを浴びた時よりもさっぱりした気分だ。俺は背を向けながら手をひらひらとあいさつ代わりに振りながらその場を立ち去るのだった。
「――ブフーーッ! グレン兄ちゃん、何気取ってやんのー!」
「カッコつけすぎてだっっさい!」
「おうテメーらその飴ケツ穴にぶち込んでやんぞクソガキ共め!」
立ち去るのは撤回した。俺は全速力で逃げるガキ共を追い回すのだった。
まだ朝と昼の真ん中ぐらい。約束の時間は、まだ遠い。
■