-42km 受け継がれるもの
「あっ、師匠」
「師匠じゃないっての、このッ」
嬉しくなって駆け寄ったら頭をコツン、と叩かれてしまった。
うっかりそう呼んでしまった俺が悪いのだが、彼女も彼女でどうしてそんなに師匠呼びを嫌がるのだろうか。
「っ痛ててて……えっと、どうしてリスティアぱいせんはこんなとこに居るんです?」
「……貴方、やっぱり何も聞いてなかったのね。上の空だった貴方に『外の景色でも見てくる』って伝えたでしょーが」
「…………マジです?」
「マジです」
……全然記憶にない。言われてみれば、さっきまでの貨物庫の中に彼女の姿がどこにも無かったことも今更認識した。そこまでボケていたのか、俺は。
「今日の貴方、なんかどんくさいっていうか、空回りしてるっていうか……何かあったの?」
そんなボケた脳みそに一石が投じられた。
ちゃぽん、と波紋を広げる水面のように、俺の脳にその言葉が広がる。
「…………」
何かあったか。
当然、大アリだ。ああ、何故気づいてくれないのか。彼女が親切心でかけてくれた言葉に対して、俺は思わず怒りをぶつけたくなる気持ちがちょーっとだけ込みあがった。
「隣、どうぞ?」
きっと、俺の腹の底に何か言いたいことがあるのだと察したのだろう。彼女は片手で鉄柵をコンコン、と軽く叩いて隣に俺を手招いた。
貨物庫の上は転落防止に胸丈ぐらいの鉄柵が備え付けられている。
ここには無いが、前の方の車両になれば自衛用のガトリング砲なんてものまで備え付けられている。つまるところ、こんな感じに人が貨物庫の上に乗って雑談するぐらいのことは想定されている造りということだ。
「……じゃあ、失礼します」
俺はそう一言答えると、鉄柵の上に肘を置いて寄りかかっているリスティアの隣でドスン、と上半身の重みを鉄柵へ雑に預けた。
「…………」
「…………」
静寂。聞こえるのは、列車の走行音だけ。
彼女は俺が胸の内を打ち明けることを待ってくれている。気さくに。でも、静聴するように。
「――ずっと頭の奥に引っかかってたんです……リスティアぱいせんが、上層部に移転することが」
「…………そっか。うん、やっぱ貴方からすればそう簡単に割り切れる話じゃないわよね」
――この世界は、才能で個人の価値を測る。
遺伝子、未発達や欠損の有無、思考傾向……とにかく、様々な先天的に持ちうる要素で上層部に住むべき人間か、下層部で生き抜くべき人間かを判定されるのだ。
しかし、ある後天的な要素で改めて再判定される時が人には必ずある。
人には魔力というエネルギーを行使する能力がある。肉体が子供から大人へ成長するように、幼少期は不安定な魔力制御も成長するにしたがって安定し、更に固有の“属性”というものを帯びるようになる……らしい。
それが世界に再評価される後天的な要素、“魔法属性”だ。
「そりゃ凄いってことは分かってますよ……風属性――この世界を存命させる、最も必要な魔法属性……」
土属性は建築業や炭鉱夫に。水属性は上水や下水の管理。雷属性は電気供給所の管理など、属性によって重要な役割はある。
しかし、風属性は抜きん出て特別だ。常に汚染され続けている地下世界の空気を浄化し、人々に生命活動を維持させるための空気を供給し続ける――この世界において、何よりも重要視されている課題であり、その対策が風属性の魔法使いによる空気浄化システムだ。
大雑把な表現をするならば、風属性ってだけで人生勝ち組って認識で大体あっている。下層部の物乞いだった子供が風属性と分かり、今では上層部で貴族のような暮らしをしている――だなんて噂を聞いたことがあるほどだ。
……さて、話を戻すと、風属性の魔法使いである彼女の才能を考えれば、上層部へ出世するのは明白だった。
上層部で働いていた前任者が高齢で退職し、その席に彼女が座ることが三日前ぐらいに決まって今に至る……というのが現状だ。
「……凄いことだってわかってても、リスティアぱいせんがどこかに行っちゃうことは受け入れられそうにない、です」
「あー、そうねぇ……でもさ、ほら! スカベンジャーっていつ死んでもおかしくない仕事じゃない。死別しちゃうより、生きて別れたほうがまだマシって思えない?」
「……同じですよ、どっちだって。死んだら死んだことに俺は泣くし、生きて別れたら二度と会えないことを考えるたびに俺は泣きます」
「グレン……」
彼女が気を紛らわそうと口にした言葉に対して、強く吐き捨てる。彼女の善意を無下にするように、全てを否定した。
「それに、俺は……俺はまだ、何も貴女に返せていない……! 貰ったものに見合うだけの恩が! まだ! 返せていないんだ……ッ!」
ガン、と鉄柵を握り拳で叩く。
別れを惜しむ理由の一つ。人生最大の恩人に何も返すことができず、その機会を永遠に失う――それが俺の中の心残りだった。
別に俺は義理堅い人間なんかじゃない。借りた金をよく返し忘れっぱなしだし。でも、彼女にだけは、特別に、誠実に義理を返したかった。
「……そっか。そーねぇ。んじゃ、こうしましょうか」
明るい声。腹の底から出た俺の重たい声が馬鹿みたいに思えるような、そんな声色。とても彼女らしい。
まるで世界一の名案でも思いついたみたいな表情で、彼女は俺に微笑みかけていた。
「私からもらった恩を、今度は別の誰かに売りつけなさい。恩返しをする相手は誰でも良いの。後からパーティーに入った後輩にでも、その辺の困っている人にだって良い」
ふわり、と彼女は髪を束ねていたリボンを解く。風に乗って、彼女の柔らかい安心する香りを感じる。
ドキリ、と心が委縮して、彼女から距離を取るように二の足を踏む――より先に、彼女は俺の片腕を握っていた。
「つまり貴方が、私と同じことを他人にしてあげるの。それが貴方にできる私への最大の恩返し」
風に揺れるリボン。ずっと悔しさで握りしめ続けていた俺の腕に、彼女はそれを巻き付けた。軽く。でも決して簡単に解けないように結ばれる。
「……できそう?」
「……やってみなきゃ、わからない」
「出た、貴方の口癖。ま、そうでしょうね。責任とか重圧とか、そんな面倒なものを渡すつもりでこんなことを任せてる訳じゃない――そこだけは、どうか間違えないでね?」
腕に視線を落とす。手首辺りには俺のと、彼女から渡された電子認証リングが通されている。
これから俺は、彼女になる。なれる……のだろうか? 何度彼女から直接認められても“仮初のリーダー”という認識がこびりついてて剥がれてくれない。
「……まだ自信なさげね」
表情から内面を読み取られた。やっぱり彼女には、敵わない。
「そうね……貴方って私を師匠って呼ぶじゃない? 不服だけど、今はまあヨシとします。だから、今日から貴方が師匠ってやつになってみなさい」
「師匠に……?」
「パーティーのリーダー、私の跡継ぎ。そうやって捉えるから重く複雑に感じるんじゃないかなって。でも師匠――貴方の思い浮かべる理想像をやるって思えば、少しはできそうじゃない?」
「それは……やってみなきゃ、わからない」
「ふふっ、言うと思った」
コツン、と額に拳を当てられる。
……俺は、たいそう恵まれている。ナヨナヨしていても背中を押してくれる存在が隣にいる。弱音を幾ら吐いても全て拾って優しい言葉で答えてくれる人が居る。
今は……うん、それでいいや。未来を考えれば考えるだけ心細くなるだけなので、笑顔で彼女の折檻を受け入れた。
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