-1km 無価値の独白
『ベリアル様、昼食のお時間です』
ピピッ、と電子音と共にスピーカーが起動し、起伏のない声が暗い部屋に響く。
金属製の壁や大量のケーブルなどの電子部品で囲まれたこの部屋に照明は点いておらず、機械類の点灯ランプや多数のモニターのスクリーンセイバー画面が、部屋を不十分に照らしていた。
「ん、そうか……気づかなかった。ありがとう、キティ」
その人間が活動するに向いてない明るさの中、一人の影――男が体をほぐすように動き始め、スピーカーに向けて感謝の言葉を口にした。
「今日は……市民食糧の、54番……ん? なあ、キティ。確かコレは何年か前の廃版のモデルじゃなかったか?」
『はい、そうです。市民食糧54番。現在は生産されていない番号です』
「私の記憶だと……攪拌装置の故障でプラスチック片が多量に含まれて、装置の廃棄と共に廃版になったと聞いたのだが……コレは食べても大丈夫なのかい? 一応これでも私はトップの人間なのだが……」
『問題のあったロット番号とは異なりますので、恐らく大丈夫かと』
「……キティ、前もって言っておくが、喉にプラ片が刺さったら問題行為として訴えてやるからな」
そう文句たっぷりに言いながら、男は静かに食事の準備を――デスクの上に散らかった書類や小型端末を雑に押し退けて、デスクの真ん中に市民食糧を置く。
男はこの環境に慣れているのか、暗い中でも問題なく食事の準備を始めた。
『私からすれば、貴方の行為の方が問題あると思います』
「なんだね。ッ……キティ、ハサミか刃物をくれないか? この袋、開きにくいタイプか……ッ! 旧式の製品はすぐダクトテープに頼るから困るッ!」
『リスティア様、でしたか。何故アポイントメントのない彼女からの連絡を受け入れたのですか?』
「ッ、あ"あ"ッ! やっと、開いた……で、ハァ、それは問題だったかな」
『はい、大いに。後から知らない通信を解析して記録する身にもなってください』
外装を破くのに苦戦している男とは真逆に、スピーカーからは淡々と。事務的な会話が続いていた。
「記録とはいっても、何かしらの契約とかじゃないなら、まあ、さしたる問題じゃないだろう? 墓が云々なんて、中層部の土属性の魔法使いを派遣すれば良いのだし。それにあれは単に気分転換の会話さ。まあ……逆に少し気分が悪くなったが」
『そしてその会話内容にも疑問があります』
「なんだい、今日は積極的だな、キティ」
『……何故、彼女に嘘の情報を吹き込んだのですか?』
ピタリ、と。
男の動きはまるで電源ケーブルを引っこ抜いた機械のように止まり、ため息のような呼吸と共に両手をデスクの上へ静かに置いた。
「……別にいいだろう? 私が筒抜けに真実を話す人に見えるかい?」
『いいえ、七割は嘘つきだと私は認識しております』
「その発言は……ちょっと刺さるねぇ」
苦笑いを含んだ返事を返しながら、男は席を立ってデスクに沿うように歩き出す。歩みはゆっくりと、片手の指先をデスクの縁になぞらせるように。
「――リンカー……夢のある話で、私は好きなんだがな」
『そうですか。ですが、そんな概念は存在しない――いえ、正しくは証明されていない。前世の記憶を保有していると主張する人間は過去に数名いましたが、結局それを証明する手段が存在しなかった。今もなお』
「もしかすれば、本物も居たかもしれないだろうがね」
『仮にそうだとしても再現性が無く、その上真偽を判別する必要があるものは手間でしかありません。ロストテクノロジーを保有してるならまだしも、前世のただの平民の記憶に何の価値がありましょう? 故に、転生者はこの世に居ない、必要ないと私たちは代々結論付けた――違いますか?』
「そこまで正論を私にぶつける必要があったかい? 泣くぞ私だって。別にいいだろう。夢を語るのは嫌いじゃない」
『貴方が彼女についた嘘。”リンカー“の本当の意味は――』
「……リンカー。死者という歴史の積み重ねでできた集合知――言ってしまえば、“死者の門”、あるいは“あの世”そのものか。何かの拍子にその存在と適合し、魔力的にそこへ接続した、個を超えた超越者を我々はそう呼ぶ」
『はい。その通りです』
リスティアには伝えられなかった真相。リンカーという単語に含まれていた意味。
男は忌々しくも敬意を持って、その存在を語った。
『いざこざがあった様子ですが、彼女のポテンシャルは極めて高品質です。彼女を世界運営の上位ランカーとして招いて、“真実”を告げても良いのでは?』
「それも考えた……が、当時は彼女の精神が不安定に見えてな。彼女には早すぎる話だと私は判断した。知り合いが処分されたんだ、無理もない。上層部に就いて落ち着いた頃合いに検討してみる」
『……なるほど。理由があるのでしたら、私からは何も』
スピーカー越しの声は男の意見を聞いて素直に引き下がる。
一方、男はデスクに腰かけながら市民食糧の袋の中へ手を伸ばし、クラッカーを取り出して包装している袋を裂いた。既に割れていたクラッカーの一部が服や床に散らばるが、男は構わずに四枚重ねのクラッカーへそのままザクリ、と大きく口を開けて噛みついた。
「リンカー――死後の世界を証明する、我々魔法を尊ばん者だけが知り得た叡智。我々が、我々たる所以。あっちの連中は“サードマン現象”だなんて呼んでたか。ハハッ、笑い話だ」
そう言いながらも男は笑わなかった。皮肉を口にするような、嫌気を感じている表情を浮かべて見えもしない有象無象を嘲笑った。
「この叡智は……あの“空”に居座る忌々しい連中には無い、魔法を選んだ我々の世界だけの知見だ」
『そして、その叡智を数多から守り、空と地の均衡を保つのが、貴方と私の責務。魔法をこの地に現存させるための世界を保つプログラム』
「そう、だな……こんな重責、背負いたくないのが本音なのだが」
『67回目ですね。いい加減に観念してください。貴方が得た権利には義務も伴うのですから』
「……弱音ぐらい、慰めてくれよ。それぐらいは君にだってできるだろう?」
『はい。必要なら事前に言っていただければ』
「そういうところだよ……まあ、嫌いじゃないが」
ザリッ、と袋に残っていたクラッカーのなり損ない――細かく砕けた生地を口に放り込んで、男はこの会話の中で初めて微笑んだ。
その笑みが、どのような意味を持った感情表現なのかは、彼以外にはわかりかねるのだが。
「……私のやり方では、きっとこのまま人類に緩やかで安らかな、確定した死が待っていることだろう……だが、後先を考えぬ革命など――数多の血が流れ落ち、挙句の果てには失敗に終わるかもしれない蛮行など……それだけは、私は止めねばならない」
スピーカー越しの声は、答えない。
自己への皮肉を混ぜた男の独り言は、誰も応えず静かにコンクリートに染み入る。
「今の私にできることは……あのイレギュラー、脱走した火属性の人間――いや、怪物。彼がこの世から穏やかに手を引いていることを願うだけ、だな……」
男は再び市民食糧の袋に手を伸ばし、次の食料の袋を掴み取る――が、それは食料ではなく、常温で固まった油分を含んだ食料を加熱するための石灰と水の発熱材の袋だった。
年単位で保存されているものの、それは十分に熱を放つ才を持っている。男が望めば、それは簡単に熱を放つことだろう。
「――どうか衰退したこの大地に、温かな未来があらんことを」
しかし、男はまるで神にでも祈るように、手にした発熱材を放り捨てながらそう呟いた。
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