-5km 交わる平行線
静寂――とまではいかなかったが、辺りは静かになった。
こんなにも空気は熱と硝煙にまみれているのに、空気だけは氷みたいに冷たい。
「…………」
歩く。歩く。目的をもって歩き続ける。
目的地は真っすぐ。相手は動ける筈だが、腰を抜かして一ミリたりとも動いていなかった。
「ァ、ァァ、ァ――」
カチカチカチ、と震えて歯同士を打ち付けている顎。
あの気の強い男の面影はまるでなく、今はちょっとした暗闇までをも恐れ怯える子供の様だった。
「ァ、グ、ッア……ッ!? ひ、ひぃいい!?」
男は腰を抜かしながらも逃げようと腕を一歩二歩と後退させて体を引きずる――が、見覚えのある顔のズタズタになった死体とぶつかって、それは叶わなかった。
「……“偶然”に助けられたな、お前も」
尿を垂れ流しにしてズボンを濡らす男に、いつぞや言われた罵声を思い浮かべながら語り掛ける。
偶然、というのは本当の話だ。後方からガトリング砲で撃っていたら、銃弾が効かず弾く俺の真正面は安置になる。ついさっきそのことに気が付いた。この男はそんな偶然に唯一命を救われたのである。
「同じだったんだよ。俺も、お前も、今までずっと“偶然”に助けられていたんだ」
男の前でしゃがみ込んで、目線を合わせる。
……なんて臆病な瞳。今にも涙が零れ落ちそうだ。関係ない。俺は男の腕にある金色のリーダーリングに手を伸ばし、やや強引に抜き取って手に入れる。
「違いは――」
男の服――いや、アーマーに手をかける。肩や胸部、脚部を守るように形作られた金属部分のほんの一部分に手を触れる。
「――お前に、次の“偶然”は来ない」
そう言い残して俺は立ち上がった。
「……? !? あ、熱い! 熱い!? アーマーが……溶け、張り付い――ッ、あああああああああ!? あ、あぎっ!? あっがぁあああああああああああ!?」
背を向けて帰る。身に着けた鉄板に焼かれてのたうち回る男にもう関心は無い。
リーダーリング。もう俺はスカベンジャーじゃないし、権限とか効力はもう何も持たないけど、これは師匠に認められた証なんだ。だから、大切にとっておきたい。
「グレン!」
前方から駆け寄って来るヨゾラを、俺はしゃがんで手を広げて受け止める。
「ブジ! ヨかった! グレン、イきてる! シんでない……!」
「ああ。生きてるよ。死ぬ必要はもうないよ……あんな覚悟を口にしておいて、生きて帰るのはなんか恥ずかしい気もするけど」
「そんなことない! グレンがイきてて、ワタシ、ホントウにウレしい!」
「ッ、はは。そうハッキリ言ってくれると、俺も嬉しいな」
抱擁は続く、どこまでも。
互いの生を感じ合って、喜び合って。そんな稚拙とも言えるやり取りを俺達は飽きることなく何度も、何度も繰り返していた。
「……! アシ、オトがキこえた」
「! ヨゾラ、隠れてろ!」
「うん!」
突如、ヨゾラが聞き取った足音の主を警戒して、俺は彼女を隠れさせる。転がった薬莢までは回収できないが、ガトリング砲はちゃんと回収して彼女はそそくさと隠れた。
誰だろうか……あの部隊長が戻って来たのだろうか?
そうなると話が少し拗れてしまう。当然だ。事情はどうであれ部隊員を皆殺しにしたのだから。
「――――ぁ」
そう、人間を皆殺しに、したのだから。
「…………グレン? 貴方、本当に……グレン?」
あの人の顔を、何の後ろめたさも感じずに見ることが、できなかった。
この場に現れたのは、あんなにも恋焦がれたように求めていた師匠――リスティア一人だけだった。
「…………うん。俺、だよ」
「どうしたの、この……何? まるで……そうね、血の池地獄ってやつみたいなのは一体……?」
ジョークでも口にする感じに彼女は問いかけて来た。
……そんな彼女の表情を見て、無理矢理に感情をを押し殺しているのを察してしまった。そして、その押し殺している感情は“恐怖”なのだと悟ってしまった。
「ッ……やった、んだ。俺が、全部。俺が……殺したんだ」
懺悔のように自白する。彼女からの軽蔑かそれ以下の感情を覚悟して、声を震わせながら俺は言ってのけた。
ヨゾラにこの屠殺の実行を命令したのはこの俺だ。実行犯は別だとかそんな細かな言い訳など、今は必要ない。
……彼女の眼を視れない。師匠、ともぱいせんとも呼ぶことができない。人間を皆殺しにした人でナシにはそんな権限が無いと、そう思えたから。
「――――」
沈黙が、寒い。痛い。震えが止まらない。
彼女からどんな言葉を投げかけられるのか。その恐怖は、死よりも勝った。
「……グレン」
「ッ……!」
ただ、彼女に名前を呼ばれただけで俺の心臓はジャンクになった。
そんな俺など見向きもせず、彼女は自身の足元を見つめながら静かに背中の腰辺りにゆっくりと手を伸ばす。
「これが……こんなことが、本当に貴方に押し付けられるべき理不尽だったの……?」
「…………」
「私には……わからない。一体、貴方が何をしたって言うのよ。誰が貴方が何をするかもしれないって決めつけたのよ……! こんな事態も、ただの結果論だわ! 初めから貴方をこんな扱いなんてしなければ、こうはならなかっただろうに……ッ!」
俯いた彼女の歯は力強く噛みしめられていた。それは、明確な“怒り”だった。
過去の俺が突然に突き付けられた不条理。打ちひしがれた事象。それらに対して、彼女は憎しみに近いほどの感情を瞳に灯していた。
……ああ。なんて、優しい人。ただの他人に肩入れしすぎだ。
恩を売っても同情は買うな、とは彼女が教えてくれた言葉だったはずなのに。
「……貴方はこの世界の危険因子。排除されなければならない存在……その定義を、私には覆せなかった」
小さく金属特有の音を漏らしながら、彼女は腰から取り出した物を――拳銃を、俺に向ける。
……動揺は、しない。危険因子として俺を排除する。それは当たり前の対応だと既に理解している。
「……でも、希望ならまだきっとある。こんなゴミ山みたいな世界でも、探せばきっと、きっとあるわ」
「……師、匠?」
そう。それが当然の対応だと既に理解しているから、俺は困惑した。
精確に俺へと向けられていた銃口が小刻みに揺れ、彼女の口元も、瞳までも微かに震えている。
わかりやすい気の動転。彼女は喉を、声を震わせながら――
「だから、グレン……こんな世界、一緒に捨てちゃいましょ……?」
そんな、未来の見当たらない無謀な提案を口にした。
「師匠……は、ははっ。何を、そんな」
思わず笑った。俺は笑ってしまった。首を横に振りながら――腹部の震えのような笑みを言葉に織り交ぜて――彼女の冗談を笑った。
でも、師匠はまだ硬い表情のままで。瞳は何かを必死に探しているように見えて。まるで今のが、冗談じゃないみたいな雰囲気で――
「そう……そうだ! 上層部行きの貨物列車に乗って中層部に隠れ住みましょ! 確か上層部直前にセキュリティがあるけど、中層部までなら比較的監視もゆるいはずだから!」
「…………」
「私のデータは削除されて、運営からの監視から一瞬外れる。その隙に逃げれば追跡なんてできないわよ――ああ、いいこと思いついた! いっそ、私たちで“空”に――」
「――駄目ですよ、師匠」
彼女の言葉が冗談じゃないと、やっと理解したから。彼女が必死に無理をしていると理解したから。俺は首を振って言葉を遮った。
「師匠は未来がある人なんです。貴女までこんな真似をしなくたって良い。イレギュラーは俺一人で、隠れて生き抜かないといけないのも俺一人。師匠には、師匠の生き方があるじゃないですか」
「――――」
「……こんなことに、俺は師匠を巻き込みたくない。えっと……ほら、心配しなくたって俺ァ、上手いこと生き抜いてみせますから。だから――」
――タァン。と、俺の言葉を遮るような炸裂音。
意図的に狙いを外された銃弾が俺の後方で土くれに消える。だが、この感じる鋭い殺気だけは、寸分たがわず俺の頭を撃ち抜いていた。
「……駄目、ですか。師匠」
俺の問いに、彼女は沈黙で答えた。
……おっかないや。初めて向けられたなぁ、そんな顔。
ごめん、師匠。俺は馬鹿だから、貴女がそこまでして俺を救おうとする理由がわからないんです。だからこの意見を変えるつもりは、一切ありません。
「うぬぼれるってわけじゃないけど、ちょっと自信があるんです。俺は、まだ“偶然”に生かされている。そう確信がある。だから、そんなことをしなくたって、師匠の下から離れても、俺は生きることができます」
「…………」
「……信じて、くれませんか?」
……無理だろうな、と我ながら思う。
“偶然”まだ続くから、だなんて理由は流石に無茶がある。しかも根拠はそんな確信が――予感があるからなんて、馬鹿でももう少しマトモな理由を考えるモンである。
「……そう、言うのなら」
しかし、驚いたことに師匠はそんな稚拙な言葉に反応を返してくれた。
彼女は手にしていた拳銃――リボルバーの回転式シリンダーを折るように開いて、装填されていた銃弾を抜き取る。そして、一発分だけの銃弾を装填してカチン、とシリンダーを閉じた。
「貴方の謳う“偶然”が、貴方を生かしている間に。今、この場で、私を説得してみせて」
師匠からの課題は、とてもシンプルな内容だった。
彼女はシリンダーを叩くようにして勢い良く回転させる。ジリリリリ、と聞き心地の良いカラクリの音が鳴る。
六発分の薬室。一発だけの銃弾。
……コレは見たことがある。酔狂なギャンブラーがやる、運を賭けた命がけの博打。つまり、今俺は試されている。俺が持っている幸運――“偶然”の証明を。
「さもなくば、殺すわ。私の手で、貴方を――」
それは、親愛なる人に向けるような、とても優しい口調で。
震えの止まった銃口は、迷わず俺を指し示していた。
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