-7km 世界で唯一の"怪物"
瞬間。オレはもう、死体だった。
――そりゃあそうだ。人間辞めたんでしょ? じゃあ“人でナシ”だ。生きた人間を名乗る資格は無い。
でも、死体って表現もちょいと違うかな。安らかに眠る暇など無いのだから。
「!? なんだ……? どうしたんだ……!?」
――空気が、ゆらり、ゆらりと揺れている。
オレはただの熱源に成り果てた。カロリーを消費して熱エネルギーを周囲にばら撒く存在。事実だけを陳列すると生き物とそう変わりないが、そうではない。
「な、ななな、なんか……変ですよ、アイツ……!」
「ッ、あ、オイ、グレン! テメェ何をした!?」
ざわつくオーディエンス。切り落とされないリボン。おめでたい空気はいつの間にやらどこか遠くへ。
イレギュラーが発生した。なので今から起ころうとした出来事は――ヨゾラへの陵辱は中止になった。それで良いね。でも起きようとしたという事実そのものは変わらない。だから良くないね。
「ッ、テメェ何か言いやがれ! グレン! このッ!」
「…………ハァ」
――人間は、未知を恐れる。わからないものを恐怖した。だから知ることで、既知という形に当てはめることで恐れを消した。暗闇を炎で照らして道を切り拓くように。
……あの人間は恐れている。周りの人間も動揺して恐怖している。ならば、自身の力で切り拓いて知ればいい。なのに、彼らはそれを放棄している。雛鳥のように、口を開けて説明が入って来るのを待っている。
嘆かわしい。人間はこんな生き物じゃなかった筈だ。そう想って、オレは思わずため息を吐いた。
「Boost――Set」
果たして、その言葉はオレの口から出たものだったのか。
たまたま吐いた息が口笛みたいに鳴るように、偶然口から鳴った音だったのかもしれない。そう、本当にただの偶然なんだ。でもそれは確かに形を得て、意味を持った。
「呪文……!? ッ、オイ、そこのお前ら! そいつを殺せ! 今すぐに!」
「ッ、あ、ああ!」
人間の言葉で俺の近くにいた人間が動き出す。
――人間は、本能で危機を感じ取ったらあんな少ない言葉でも、こんな感じに息の合った連携を取れるんだ。だから本当なら、人は人と平和に分かり合える筈なんだ。
なのに平時では歯車同士は綺麗に噛み合わない。歯車の規格は正しいはずなのに。
……できる筈なんだ。実際、今こうしてやってみせたんだ。なのにさっきまでの茶番はまるで何一つできていなかった。それを見ているとイライラした。腹立だしい。ため息が出る。腹の底から激情がこみ上げてくる。
「ハァ――ッ!」
「フンッ――!」
得物はそれぞれ一本のダガー。
一人は頸動脈を切断するように。もう一人は心臓を突き刺すように。
正解だ。
人はそれで正しく死ぬ。
「ァ――――ズ」
衝撃で肺から声が漏れた。
飛沫する鮮やかな赤色。それは粘性を持って、ポト、ポト、と地面に水たまりを作っていく。
崩れかけた姿勢を保とうとして後ろへ足を伸ばすと、踵に粘性のある赤い液体が引っ付いてぬちゃりと糸を引いた。
……それでお終い。事は終わった。
「…………え」
「な……ん、で」
歩く。歩く。オレは単純な運動を繰り返して少女の元へと歩みを進める。
オレを殺しに来た二人の横を通り過ぎる――ついでに、横目でその様子を見る。
「ナイフが……ナイ、フが……」
ドロリ、と溶け落ちた刀身。未だにグリップから液体と化した赤い金属を滴らせている。それを、男は茫然と見つめていた。
「手、が……俺の、手、黒、手……」
もう一人の男は、溶けて潰れたナイフの熱伝導で真っ黒に焦げた手のひらを見て、言葉を断片的にしか呟けていなかった。
骨まで焼けたんだ。真っ黒に炭化した手で痛みなど感じる余裕など彼らには無い。
「…………」
歩く。ただ歩いていく。有象無象は左右に逃げた。ありがたい。まっすぐ歩くだけで目的地に行ける。
「ッ、動くな! 動くんじゃねぇぞグレン! 何をしたかわからねぇが、このガキは――俺、が……? 人、質、に……」
まるでオレを脅すように、男は少女にナイフを向ける。脅し文句を言う最中に、ナイフは赤熱してゼリーのように曲がった。
……あの子に溶け落ちた金属の液体が当たるのは良くないことだから、男の手が焼けない程度に加減せざるを得なかったけど、これで十分だったみたいだ。
「わ、あ、わわ……!?」
「ひ、ひぃ……!?」
少女に付きまとう障害物も逃げだした。
少女は、オレを嬉しそうに見上げている。自分が拘束されて窮屈そうなのに、構わず笑顔でオレを見てくれた。嬉しい。
人差し指で手錠の鎖部分を撫でて熱切断する。手首と足首に残った手錠の処理は二の次だ。今はまず、彼女を抱きしめたかった。
「どうしてここに来たんだ?」
「……ごめん、なさい。ジツはオきてた。グレン! が、こっそりどこかへイっちゃうから、オいかけた」
「危ないと思って君を置いてきたのに、意味が無いじゃないんか。ばかたれめ」
しゃがみ込んで、彼女を抱きしめる。温かい。冷え切った肌で彼女の存在を感じる。ああ、ヨゾラは確かに今、ここに居るんだ。それだけで心が安心する。
「ッ、全員構えろ! 一斉掃射だ!」
「で、でも隊長も運営も、処刑場に連れて行けって……」
「あんな“怪物”、処刑場に連れて行けるわけ無いだろ! 今! ここで殺せ! アレをこの区画の外に出すわけにはいかない!」
背中の向こう側から、カチャカチャと樹脂や金属の音。多分、銃器を構える音だ。
「――怪物?」
奇妙な単語を聞いて、俺は振り返った。
…………うん。ほらやっぱり、怪物なんてどこにもいない。当たり前だ。アイツら、動揺しすぎて変なもんでも見えてるのだろうか。熟練の特殊部隊がこのザマなんて、笑い話だ。
でも困ったな。混乱するのは勝手だが、オレ達の方に銃口を向けるのは止めて欲しい。流れ弾でヨゾラが撃たれたらどうするんだ。
「早くッ! 殺せェ――――!」
「――ヨゾラ、ちょっとごめんね」
「ンぇ」
一言先に謝って、オレはヨゾラをキュッと小さく縮こまらせるように抱きしめた。