-24km ゼロの価値
「き、キャ――――!?」
「ビネガ!? 君は一体何をして……!?」
……あ、頭が、フラフラする。呼吸が、うまく、できない。
何か聞こえる音が、壁一枚越しに聞こえてくる。今にも閉じそうな瞼をこじ開けると、口をふさいで驚いている女性と、酷く驚いた顔をしている気の弱い男の顔がなんとか見えた。
「何をするも何も、コイツ、死ぬはずだった死刑囚だぜ? フンッ!」
「が、ウがッ……!」
男に顔や肩を蹴り飛ばされてゴロリ、と仰向けにさせられる。
何が、起こったか……なんとなく、なんとなくだが、理解してきたぞ……こんちくしょうめ……!
「ゲホッ、ッ、この――――!」
コイツのせいで腹部や頭は手負いだ。だが、俺の下半身はまだ無傷。
俺は気の強い男の急所――金的を目掛けて大きく右足を振り上げる――!
「――ッ、がぁああああ!?」
バァアン、と。振り上げた足――太もものど真ん中に爆発音と流煙を吹きつけられる。同時に灼熱感に近い激痛が下半身から脳髄に走った。
「ッ、こ、コイツはァ……!?」
知ってるぞ……コイツ! あのレンコンみてーな穴の開いた小型のガラクタ――拳銃だ……! しかも小さな鉄球を打ち出すタイプ! 正規の弾丸を使ってねーってことは、“違法銃”かッ……ちくしょうがッ!
「ぐ、ぅぅうううう……ッ」
「ひ、ひぃいい……!」
流煙が晴れて、右太ももから暗い血液がドプドプと垂れ流しになっている俺の様を見て、気の弱い男は小さく怯えるように悲鳴を上げた。
「気に入らねぇんだよォ……てめーはさぁ、いっっつも“偶然”に助けられてたよなぁ? 偶然リスティアに拾ってもらえて、偶然スカベンジャーの仕事を生き残って、偶然リスティアから認められてよォ――!」
「ゲブッ……!」
「このォ、何が次のリーダーだ! ゴラァ! まぐれ続きなだらしねぇ奴に! 俺の努力がァ! 盗られてたまっかァ!」
「ごふっ、ブッ……バ、ゲッハァ……ッ!?」
――まるで壊れた蛇口だ。
激情という流体が、勢いよく噴き出している。奔流に近いそれはもう、誰にも制御不能な代物であった。
これが、この醜く恐ろしいモノが、この男の本性か――
「コノッ! このクソッ! ゴミムシがッ!」
「も、もうやめてください!」
「ッ、なんだよ……コイツの肩を持つつもりか?」
「違います! でも、これはやりすぎです! 確かに彼は罪人だけど、それはちゃんと運営の手で処刑されます! 私刑が許されるわけじゃありません!」
俺を擁護するように女性が声を上げる。単純に、このリミッターの外れた暴行が見ていられなくなって叫んだようにみられる。
男の視線が、俺からゆっくりと女性の方に向く。
「じゃあどうする、アロレラ。どうやって俺を止める?」
「ッ、運営に連絡します。死刑囚の確保と、不用意な暴行、違法銃の所持を!」
「…………それは、困るな。実に困る。俺まで罪人になっちまう」
男は再度俺に視線を落として――腕に目を付けた。
俺の右腕、リーダー権限のあるリングが付けられた腕。男は腹立たしそうに見下ろし、強引に腕を伸ばした。
「リーダーが死んだ時の権限譲渡は簡単なんだぜ……? テメェは死人だ。だから、今後このパーティーのリーダーは、この俺だ」
汚い言葉を吐き捨て、俺の頭を軽く蹴り飛ばし、俺から腕輪を奪い取ると、女にターゲットを改めた。
ゆらりゆらりと静かに近づいて、一瞬で近づいて両腕を女に伸ばした。まるで野生動物の捕食シーンのようだった。
「ひ――さ、触らないで! 手を放して!」
「まぁまぁまぁまぁ、アロレラ、一度落ち着こうや。さっきは俺も虫の居所が悪かった。今はスーッと穏やかに晴れ晴れとした気分だよ」
男は女の両肩を掴んで壁際に追いやる。その時の男の口調は……確かに、穏やかで冷静なものだ。
「ッ、や、め、ろ……」
歯を食いしばって俺は声を上げる。
――知っている。アレは快楽でハイになっているだけで、冷静なんかじゃない。
落ち着いているように見えるのは、快楽物質の奔流で思わず大きくハァー、と息を吐き出しているような、一時のクールダウンだと……!
「正式なリーダーから、アンタの冷静な対応を評価しようじゃないか」
「……評価?」
「ああ――」
ダンダンダアァン! と三回放たれる爆音。濃厚な煙幕。
ほどなくして力なく倒れる女の体。
俺の時とは違う。もう取り返しのつかない鮮やかな色の血液が、ドクン、ドクン、と流れ出ている。
「……満点だよ、邪魔ものが」
はぁ、と男はため息で硝煙を吹き払う。
ヒィ、と気の弱い男は腰を抜かして尻もちをついた。
「で、お前は?」
「は、はえ……?」
「だから、お前さんは正義感の強い邪魔者かと聞いてんだ。この女みたいにな。で、どうなんだ? ん?」
「ッ、ちがッ……ちがい、ます……」
「…………そうかぁ! そうかそうか、いいねぇ。世の中お前さんみたいな奴で溢れてりゃいいんだがな?」
「ハ、ハハ……」
引きつった笑いを浮かべて気の弱い男はへりくだる。
生き残るなら正しい対応だ。たとえ嘘でも、生き残るならそう答えるしか選択肢は他にない。
「さぁて、野垂れてれるガキさんよぉ。場所変えようや」
……あーあ、俺にも選択肢ってものがあれば良かったんだけどなぁ。
興味を俺に移した男は俺の首の後ろを掴んでズルズルと引きずり始める。
「ど、どこ行くんですか……?」
「バレねぇとこだよ。銃声鳴らしゃ人が集まっちまう。あー、ついでに列車の方に行くか。駅員に突き出せば、賞金首を捕らえた礼で俺らは金が貰えるぜ?」
ハハハ、と笑い声を上げながら男どもはそんな気楽な話をしている。
……呑気な奴だ。まだ俺は抵抗の意思が残っている。鉛玉一つぐらいで心が折れることはない。まだもう片足が残ってる。武器だって身に着けたままだ。
歯を食いしばれば、逃げ出すぐらい、なんとか――
「んあー、そういやお前さん、リスティアがどうとかほざいてたな?」
「……!」
「アンタはあの女にずいぶんお熱だが、あの女はそうじゃないみたいだぜ?」
「ッ、どういう……ことだッ……!」
脱出を一度保留して、情報を引き出すことに専念する。師匠が今どうなっているのか、この男は知っているのか……?
「お前さんが処刑に運ばれたと聞いても、あの女は今頃呑気に運営の依頼をこなしてるみたいだぜ? お前なんかより仕事が優先ってさ。なぁ? 見たよなオイ、二班? だったか。そこにあの女が混じってるの」
「そう、ですね……すごい仕事人間だと、思いました……はい……」
「ほら、お前さんの大好きな師匠さんは、弟子なんて無関心みてーだぜ?」
「ッ、そんなことは、無いッ……!」
脊髄反射の如く、俺は男の戯言に噛みついた。その反撃として暴行や鉛玉を打ち込まれることは一切考えていなかった。
こんな男に――ゲス野郎に、師匠を語られたくなかった。
「なんだぁ? 自分はお師匠様に愛されてるからそんなことぁ無いってか? ハハハ! 思いあがるな、偶然拾われただけの雑魚が」
「…………」
……たし、かに。
俺の尊敬は一方的だったかもしれない。この男の言う通り、彼女は俺に思入れなんて一切無いのかもしれない。
「お前に価値なんか無い。偶然に生かされただけの木偶の坊だ。てめーの師匠愛? ってやつも、お前だけの頭ン中で作り上げた偶像なのさ。実に滑稽でおもしれーなぁ?」
……でも、それはお前の口から出て良い言葉ではない。
勝手を言う。頭は歯車が噛み合ったように、冷静に、冷徹になって、俺の口は機械的に動き出した。
「ケホッ、無くてもいいさ。俺に価値なんて、ゼロで良い……」
「…………あん?」
「オメーみたいな、マイナスな野郎に――吐き捨てたハズレのガムみてーなゲス野郎に堕ちるぐらいなら、ハァ……俺は一生、ゼロのままで良いぜ……」
「――――」
無言で銃口が向けられる。
瞬きの間も無く、引き金は引かれ、撃鉄は叩き落された。
「ッ――ぐぁあああああ――!」
「もう二度と口を開くな。次はドタマを撃つ……ったく、気分を悪くした」
「ハ――ッ、ぐ、ぁ、ッ――ハァ――」
腹部左下に命中する弾丸。俺の断末魔など構わず引きずる男。おどおどと腰巾着のようについて来る気の弱い男。
俺は歯を食いしばりながら、ただ、ただただ耐え続けるしかなかった。
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