-33km 夜空
「ブッ――――ふゥヴー!!?? ッ、ペッ!? ぉえっ!? なにこの……何!? ってか薬臭ァ!?」
「……ヤくそう、すりじる……」
「ぁあん!? なんつーおまッ……ペーッ、ペッペッペ!?」
「きつケ……くすり」
「気ィ狂うわこんなもん浴びせられたらァ!? ブベベベベベベッ!?」
「……ごメん、なさイ」
「いや謝られても――ッ、ごめんチョイたんま。胃にキた。喉奥キてる。吐きそうちょ、ちょっと待って! 飲み込みなおすから! ちょ――ちょっとタイム! タイムです! ちょっと――」
閑話休題。
「ぜーッ、ぜーッ……その、礼は言うよ……俺に気を遣って、最善の対応をしてくれようとしたことはよーく分かった。ドジが大きいけど」
すっぱい口内をなんとかごまかしつつ、感謝の言葉を自分なりに言う。
彼女から借りた布の塊で気付け薬を拭っていると、少女はオドオドしながら、言葉を選ぶように、口を開いた。
「あ、アの……!」
「うん、なんだい」
「わ、ワたし、と! ケッこん、して、クださい――ッ!」
「……うん、おーけー、ちょい待ち。もう一回閑話休題入っとく?」
俺は一体、この初対面の少女に何を言われているんだ?
ケッこん。つまり、結婚。男と女が良い感じにお付き合いを続ける宣言みたいなモンだ。なるほど、それを今求婚されている……と。
「ッ――バーッカじゃねぇの!? あのなぁ、真面目に返答するが、フツー段取りってもんがあるだろ。出会って、仲良くなって、良い雰囲気になって、互いの思いを確かめてさぁ! “はじめまして”より先に求婚が先に来る奴があるか!」
「………………だメ?」
「駄目です。受け入れられません。ってか、自分の言ってる意味、ちゃーんと分かってるんだよな?」
獣人族のことに関しては大雑把にしか知らない。もしかすればこれが獣人族なりのあいさつなのかもしらん。親密な挨拶的な。ハハ、あるわけねーよなそんなこと。
「ワタシ、を、アナタ、のおヨさん、にしてホしい」
少女の細い右手と、獣の大きな左腕を合わせて、まるで願いごとでも口にするかのように、獣人族の少女は続けてそんなことを言ってきた。
「フゥ――おーけー、分かって言ってるってことは分かった。その上で言うぜ。駄目です、お断りします! ってか意味が分かりません!」
「……ガーん、かナしい……」
「それに……その、聞いたことあんだよ! 獣人族の歴史? ってやつ!」
ガキの頃に座学って感じで最低限の知識は植え付けられている。
地下世界の歴史とか、どうやってこの世界が成り立っているのかとか。そーゆーのはある程度、俺の小さめの脳みそにだって入っている。
その中で、獣人族についての話も聞いた記憶が確かにある。
「昔は共存してたらしいじゃないか、人間と獣人族は。主従関係? 主人と奴隷? まあ、悪くない共存関係だった……らしい! そんな時! 突然人間を裏切ってこぞって先にこの地下世界に逃げ込んだんだろ? なぁおい!? 獣人族って一族は!」
主人と奴隷、といっても一方的な搾取とかではなく、主人が力仕事とか労働力として奴隷を雇って、対価や衣食住を提供する契約関係だったらしい。少なくとも今のこの世界より実にクリーンな関係だ。
だというのに、主人を殺傷してまで裏切り、このアリアドネ・ウェブが設立される前にこの地下世界へ逃げ込んだ……らしい。今もなお、この地下世界のどこかに隠れて暮らしていることは、事前に知っている。
「俺はな、恩義に対して仇で返すってやつ? そーゆーのがいっちばん嫌いなことなんだよ。言いたいこと、わかるか? 君らはそういう種族なんだろ!?」
「……ワたし、うらギってナい。このせカいでウまれた」
「…………まあ、そうかよ。でも、俺はそーゆー先入観を君の種族に対して持ってるってこと、覚えておいてくれ。婚約だなんて1ミリも考えたことがねーってこともな!」
「ガガーん、にどシょっく……」
「ホントにショック受けてんのか? その反応は……」
呆れ半分の返答をしながら、周囲を見渡す。
少し大きめのキャンプの内部……らしい。布団として藁の上に大きい葉っぱ――何処で手に入れた何の葉っぱか分からないが――を被せているし、粘土で作ったらしい台所は整っていて、初見の俺でもここで簡単な調理なら出来そうだ。
つまるところ、生活慣れしている環境――彼女の巣というわけか。
「ぁ……どコ、いくの?」
「……わからないよ。でも、俺は意識を取り戻した。四肢も無事だ。心は……ちょっと痛むけど、もう問題は無いんだ。だから、これ以上君の世話になる必要は無い……ありがとう。少しだけ、助かったよ」
「マって……まッて!」
心配故か、俺を制止する声が聞こえるが従わない。
少女の隣を通り過ぎ、暖簾のように垂れ下がった布を潜り抜けて、俺はキャンプを後にして――
「――――ぁ」
手足も、視線も、脳みそさえも、俺は“釘付け”になった。
テントを出た先に広がっていた大空洞の天井は、地底湖の底から液面越しに発せられている光を映して、青く、蒼く揺れていた。
その光の中、天井に点在する光を反射する水晶の数々は、まるで――
「――――夜空、だ。満天の星、空」
……いいや、俺はスクリーンに映し出された昼の空しか知らない。
中階層にはあるらしいが、下層部は電力削減の為に消灯されるため夜空は映されない。俺は何も知らないのに、コレを夜空と認識するのは、脳の誤作動だ。思い込み、決めつけだ。
「ぁあ…………」
……なのに、どうして。
あの揺らめく青が、チラチラと輝く水晶が、見たことも無い星々を連想させるのは、どうして――
「ここ、キけんなヒかりじゃナいよ。ずッとここでくらシてるけど、だいジょうブ。ホうシャのうはナいみたい」
「………………」
全身がぶわり、と総毛立つ。
まるで盛大なオーケストラを聞いて、観客が立ち上がり、拍手でもするかのような感覚で立つ鳥肌。悪い気は、全くしない。
「ホンモノ、だ……」
……ああ、そうか。それがきっとこの感情を引き起こした答えなんだ。
人工的に、何かの再現した劣化品なんかじゃない。コレは、自然が生み出したものなんだ。人の意図は何処にも含まれていない。
故に、本物の空、だと――
「あぁ、なんて――――」
「……だイじょウぶ? ちョうし、ワるい?」
釘付けになってピクリとも動かなくなっていた左手に、ピトリ、と温かな体温が触れた。
体表を透明な蝋か何かで固められていて、今の熱でそれらが全部溶け落ちたように感じられた。体が急に自由になって、自由になって……俺は、この自由を、どうしよう……?
「……大丈夫。あの、さ。邪魔じゃなければさ……その、もう少しだけ、この空を見てていいかな」
自然が生み出した偶然の空。
俺は、間違いなくそれに夢中になっていた。
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