第一話 一目惚れは時として恐ろしい
「転生者」、異世界を行き来するその存在は彼女、天使リリアス・ヴェーリの一番の心労であった。
異世界転生というフレーズは現在もう馴染み深くなりつつある。そんな異世界へ行く転生者には、神との交渉を得て強力な能力を授かる者、性別が転生前と変わってしまう者、まるっきし種族すら変わってしまう者、そもそも生物ですらなくなってしまう者……ここでは語りつくせないほど多くの者がいるだろう。
多様性が過ぎるほどのシチュエーションが存在する彼、彼女らがそれぞれの世界で名を上げていくといのが定説だが、その裏にはほとんどの場合、神とその天使たちの努力が関わっているものである。
多くの異世界を各世界の神が監視する組織「異世界管理局」。その中にある異世界転生専門の部署「転生部」に天使リリアスは属していた。
「えぇっとぉ……? この転生者の腕力はこの世界でだと96ぐらいかな?」
雲の広がる白い空間、神聖さを纏うその場所の中央の机で、天使リリアスはため息と共にノートにペンを走らせる。
彼女の目には濃い隈があり、常日頃から睡眠不足であることが伺えるだろう。
彼女は現在、先に送り出した転生者の能力を数値化したもの、すなわちステータスの書き起こしを行っていた。
ここ転生部で彼女が記したステータスの値はそのまま転生者の能力へと反映されてしまう。それゆえに慎重な判断を行い、その世界のバランスが極端に崩れることのないように試行を巡らせる必要があるのだ。
「これでよし。はぁ……めっちゃ疲れました。これで転生者の対応は今日324人目です。いくら何でも多すぎる……」
転生者ステータスの記述を済ませノートを閉じる。彼女は先ほどなんかの比でもないほどの大きい溜息をつきながら、目の前のデスクに突っ伏した。
毎日多くの転生していく者がやってくる。その対応をするがために、常時繁忙期状態になっては、いくらリリアスが天使であるからといっても疲労がたまるであろう。
背中の純白の天使の羽を力いっぱいに伸ばす中、空間の奥からリリアスに向かって声がかけられた。
「リリィ? 新しい転生者が来るわ、こっちに来て頂戴~」
「メレリア様……はい、ただいま向かいます」
少し落ち着いたと思えばすぐにこれである。どうやら新しい転生者がやってきたらしい。
世界「アレスラフト」の女神、メレリアに呼ばれたリリアスは、即座にその世界の資料をまとめ彼女のもとへと脚を向かわせる。
「メレリア様、今回の転生者はどのような事情で?」
光なくとも煌めきを感じる神々しい金の長髪、不純物など存在しないほど澄んだ海のように綺麗な蒼の目をもった女神メレリア、椅子に鎮座する彼女がいる真っ黒な空間へたどり着いたリリアスは、来て早々に毒を含んだ様子で彼女に尋ねた。
「いや~ごめんね? 今回来る子は、ちょっと手違いで殺しちゃった子なんだよねぇ~」
「またですか。何回間違えれば気が済むんですか? これでもう今月で1221回目のミスですよ。申し訳ないとか思わないんですか?」
「いやいや、思ってるよ~? 私だって反省しているさ!」
口では謝っているが、あまり悪びれる様子もないような態度が見受けられる。メレリアは身長よりも長い金色の髪をいじりながら、そう答えた。
リリアスは頭を抱える。実際彼女が担当する転生者の約30%程がこのメレリアの手違いによって来てしまったものなのだ。
とにかくさっさと手続きを終わらせてしまおう。そう思ったリリアスは二人の目の前にある転移陣を起動させ、上司のミスの犠牲者を呼び出すことにした。
転移陣が淡く白い光を帯び、その光量を強くしていく。やがて光はその空間を覆いつくす白い煙幕となり、二人の一切の視界を塞いでいった。
やがて光が引き、二人の視界が戻ると、目の前には一人の男が自身に何が起こっているか理解できない様子で棒立ちしていた。
「……あれ、ここは? 俺は確か、トラックに轢かれたはずじゃ……。そしてあなた達は誰です?」
「なるほど、死因はトラックの衝突事故ですか。メレリアさんのミスで死んだ8割の転生者がこれですねどうなってんですか。その彼の世界の死因トップ10にトラックの衝突死がランクインしますよそのうち」
「あはは~逆に面白くなってくるねぇ!」
まったく反省の見えないメレリアにリリアスはため息をつく。
一息つき、先ほど呼び出した転生予定者の男に、リリアスは事情を説明することにした。
「状況を説明させていただいきます。あなたは元居た世界で死んでしまいました。しかし、本来あなたは死ぬ運命ではなかった。こちらの手違いにより運命の誤操作が起こってしまい、あなたの死期が早まってしまったのです。誠に申し訳ない」
「ごめんねぇ? いやほんと手が滑っちゃってね」
「こちらの神は手の摩擦係数が0です。本当に申し訳ない」
「は、はぁ……」
いままで何百も話して半ば脳内でマニュアル化しつつある定型文を、リリアスは男に向かい話す。状況の理解に脳のリソースを割きフリーズしかけている男に、リリアスは続ける。
「さらに申し訳ないことに、あなたをそのまま元の世界に返すことが出来ないのです。しかし、代わりと言っては何ですが、お詫びとしてあなたを特別なものと共に別の世界へと転生させてあげることが出来ます」
「……ハッ! これはまさか、あの有名な異世界転生というものなのでは⁉ チートな何かを得て異世界で無双できるあれなのでは⁉」
「それです。理解が早くて助かります」
急に察しのよくなった男に少し驚きつつも、これで色々と説明を省くことができるなぁと少し楽な気持ちになったリリアス。男の表情はパァっと明るくなり、大きく広げられた腕からも浮かれ具合がうかがえる。
そこで少し首を傾げたメレリアは、小さな疑問をリリアスに向かって小声で投げかけた。
「なぁ……この人間みたいに妙にこの事情に詳しいやついるよな~? なんでなんだろうな?」
「うぅむ……きっと他の世界からこの人間の世界へと転生した人が、自身の存在を何らかの伝承で伝えていったとかでしょう。その知識があればこの察しのよさも説明がつきます」
「なるほどねぇ……」
「で! で! 一体どんなチートを自分にくれるんですか‼」
「あぁはいはい……」
先ほどからハイテンションを維持する男の声で二人は向き直り、話を元に戻す。
リリアスは手に持った資料を開き、目を細めてジッと浮かれる男を見つめた。彼女は今、目の前の男の能力や徳などの素質を、それを直観的に分析できる天使の目を使い分析しているのだ。
これから転生する者にとって、特に生前での徳は重要である。徳が高ければ高いほど、転生に当たり強力なチートを授けることが出来るのだ。
「なるほど……あなたは前世では常に率先して人助けをする。だいぶ澄んだ善良な人間であったらしいですね。ここまでの徳ならば、あなたの要望をなんでも”可能な範囲”で1つだけ叶え、転生させてさしあげましょう」
「なんでも? なんでもですか?」
「あぁ、そこのリリィの言う通りに、我メレリアが叶えてやろう~」
そういうと男は下を向き深く考え込む姿勢に入ってしまった。リリアスは、これは長時間がかかるだろうと少しナーバスになったが、そもそもの原因は自身の上司のだいぶ致命的なミス。急かすわけにもいかないのでここはちゃんと対応せねばと思いなおす。
そう思いなおした束の間、男は顔を上げた。
「よし!」
どうやらリリィの予想とは裏腹に、男は即座に願いを決めたようだった。
「俺は…………女神様、あなたを連れて一緒に異世界で新たな生涯を過ごしたいです‼ 他は何もいりませんッ‼」
「はいはい我、この女神メレリアを……ん? ……んぇ???????????????」
「……ほぉ」
気迫たっぷりに口を開いた男のその答えに、二人は混乱せざるをえなかった。
二人はてっきり、なんでも仕舞うことのできるバッグや全ての魔法が習得可能な天性の才能、彼の世界の科学技術の持ち込みなどを願われるであろうと思っていたからだ。
段階を思いっきし無視したメレリアへのプロポーズともいえる発言に、あたりに困惑の気が立ち込める。
「おまえと~?? 我がぁ~?? 異世界にぃ?? ……なにがどうしてほわいそうなるッ⁉」
焦りを前面に出してメレリアは人間を指さし、問いただす。
「率直に言えば一目惚れです‼ あなたのその美しくたなびく金色の髪‼ 吸い込まれてしまうかのような深いサファイアブルーの瞳‼ そして顔‼ 顔‼ すべてが自分の癖に刺さりました‼」
目を輝かせて、男はその理由を叫ぶ。あまりに単純で、それでいて少しずれたようなその言い分に、二人は困惑の意を隠せなかった。
「だからって急に女神誘拐宣言する奴がいるかぁ‼ ちょっとリリィ! ほんとにこの人間善良な人間だったの⁉ 今この我、女神メレリアが、初めて若干ちょびっと人間に対し恐怖を覚えているよぉ‼」
「いやぁ……恋は人を狂わすとも言いますしねぇ……」
しばらく沈黙が続き、少し落ち着いた二人。メレリアは余裕を少し取り戻し、頬杖を突きながらフッと笑った。
「ふぅ……し、しかし残念だな人間よ。いまここで貴様が要求できることは”可能な範囲”のものに限る。先ほど確かにそう言ったからな。女神を異世界に連れて行くなんて暴挙は、さすがに実現が不可能な要求だなぁ残念だほかの要求にしなさい~」
「いや…………可能、ですね……これ」
「……はぁ!?」
安堵していたメレリアに、不意の一撃をくらわすリリアス。彼女はどこから取り出したのか、今までの転生者たちの記録が記された資料を開いて続けた。
「今までに女神が転生者の要求で連れだされ異世界に飛ばされた事例……2件あります。つまり「可能な範囲」に入りますねこれ」
「待ちなさい待ちなさい待ちなさい待ちなさい待ちなさい待ちなさい」
男のただでさえ晴れやかなまぶしい笑顔が、さらに明るく輝いていくのが分かる。対照的にメレリアは神生史上一番の焦りで顔が青ざめ始める。
「転生部の原則的には、転生者の徳に沿った要求を汲むことは絶対です。そして、この要求が”可能な範囲”に入ってしまう以上……はい、まぁその…………異世界ハネムーンに行ってらっしゃいですねメレリア様」
「え⁉ ちょっとまってこれマジなの⁉ 我いないと世界の管理どうすんの⁉」
「まぁ前例は存在するので、それは過去の資料見ながら対処していきます……」
リリアスはそう言いながら呪文を詠唱、メレリアと男を対象に転生陣を召喚する。異世界へ魂の転移を作動し始めた陣は、先ほどのように強く白い光を発していく。そして彼女らの体は異世界へと転生し始めていった。
「よし! これからよろしくお願いします‼ メレリア様……いや、メレリア‼」
「待ってッ‼ 嫌だッ‼ コイツなんでこんな爽やかに頭おかしい距離の詰め方するの⁉ 仮にも我神ぞ⁉ 我連れていかれるのやッ‼ いやあああぁぁぁ――――――」
メメリアの断末魔が最後まで聞こえぬ内に、完全に転移が終わり、光が収まったそこには、あたりに静寂が広がっていた。
そこに一人取り残されたリリアスはというと……
「――――いぃやっっっったあぁああ‼」
喜びに打ち震えていた。右手を天に掲げてガッツポーズである。果てはその場で小躍りまでし始める始末。
先も言ったように、リリアスは転生者の対応が仕事であるが、その転生者の30%程は、先ほどの男のようにメレリアのミスで送られてきた者であった。つまり、メレリアがいなくなったということは、リリアスの仕事量はそこから30%も減るということにも繋がるわけで……
「ありがとう一目惚れ恋愛狂人‼ まさか私の心労がこんな急に減ることになるなんて‼」
彼女はテンションをそのまま、先ほどまでの疲労がほとんど消えたかのように元気にスキップを踏みながら自身の仕事場へと戻っていく。
彼女にはこの後、女神メレリアの空いた穴をどう埋めるか思案するなどやらなくてはならない仕事がまだある。あるのだがそれは一旦忘れて、心労が減るという事実に踊っておくことにしたらしい。