30 逃避行
月明かりが木々の隙間から差し込んでいる。
俺は森の奥深くに身を潜めていた。
「はあ、はあ……っ」
荒くなった呼吸を整える。
王城を脱出して、どれくらいの時間が経っただろうか。
「俺は、これからどうすればいいんだ……?」
仲間だと思っていたクラスメイトたち。
俺たちを勇者と崇めていたはずの王。
そのすべてが、今は敵になったのかもしれない。
魔族と戦い、人間と戦い――。
俺の敵は、一体誰なんだ。
何のために、俺はこの力を振るえばいい?
出口の見えない暗闇の中を、たった一人で歩いているような感覚だった。
孤独と不安が、じわじわと心を蝕む。
と、
「……主」
静かな声が、闇に響いた。
いつの間にか、すぐ隣に白銀の騎士が立っていた。
「ミラージュ……」
「一人だと思わないことだ。君には私たちがいる」
仮面の奥で光る赤い両眼は、いつものように静かな忠誠心を示している。
そうだ、俺は一人じゃない。こいつがいるんだ。
俺をマスターと呼び、剣となって戦ってくれる騎士が。
そして、他にも頼もしいしもべたちがいる。
「……ありがとう、ミラージュ」
「まずは体力を回復することが先決だ」
と、ミラージュ。
「幸い、この森には追手の気配はない」
「ああ……そうだな」
俺はゆっくりと目を閉じた。
今は休もう。
そして、これからのことを考えなければ。
俺が生き延びるための道を。
※
「――ちくしょう……!」
豪羅一心は、薄暗い城の一室で拳を壁に叩きつけていた。
王から受けた屈辱的な命令が、頭の中で何度も繰り返される。
『夜天宮時雨を討て』
「あの時雨を……俺が殺す? ふざけるなよ……」
声が、震える。
時雨は強い。
「そうだ、この俺でさえ、手も足も出なかったほどに……」
だというのに、王は豪羅に行けと言う。
行かなければ、40日後には呪法で殺される。
「どうすりゃいいんだよ……っ!」
恐怖と怒りと無力感がごちゃ混ぜになって、叫ばずにはいられなかった。
彼はただ、元の世界に帰りたいだけだった。
なのに、どうしてこんなことになっている――。
クラスメイトを殺さなければ、自分が殺される。
それも、到底勝ち目がない相手に。
コン、コン。
そのとき、扉をノックする音が響いた。
「――誰だ」
「あたしよ、豪羅くん」
扉の向こうから聞こえてきたのは、月白葉月の声だった。
確か、彼女も王に呼び出されていたはずだ。
扉を開けると、葉月が険しい表情で立っていた。
「話があるの。君も『追跡者』にされたんでしょ?」
「……お前もか」
「ええ。腹立たしいけど、王の命令には逆らえない。呪法のこと、聞いたわよね?」
葉月は唇を噛んだ。
クールな美貌が悔しさに歪んでいる。
「俺たちで時雨を殺せると思うか?」
「正直、難しいでしょうね」
葉月が暗い顔で首を左右に振った。
「彼、魔界から戻ってきて、さらに強くなってる気がする。あの威圧感は……尋常じゃなかった」
「じゃあ、どうする。このままじゃ、俺たちは……」
死ぬ。
その言葉が喉まで出かかったが、怖くて言えなかった。
「一つだけ、可能性があるとすれば……」
葉月が声を潜めた。
「彼も、あの呪法をかけられているはず。でも、王はわざわざ私たちに討伐を命じた。それは、時雨くんには呪法が効かないか、あるいは効きが弱いからじゃないかしら」
「……何が言いたい」
「もし、彼が呪法を解く方法を知っているとしたら? あるいは、そのカギを握っているとしたら?」
葉月の瞳に怜悧な光が宿った。
「彼を殺すんじゃなくて、協力関係を結ぶの。彼を生け捕りにして、王と交渉する材料にするか……あるいは、彼と一緒に王に反旗を翻すか」
「本気かよ、お前……!」
「死にたくないもの。そのためなら、あたしは何だってする」
葉月は、そう言って妖しく微笑んだ。
その笑みは、豪羅の心をさらに深い混乱の渦へと突き落としていった。
※
森の中で夜を明かした俺は、夜明けとともに移動を開始した。
王国からできるだけ離れる。それが当面の目標だ。
「マスター、追手の気配です」
半日ほど進んだところで、死神が脳内に直接警告を送ってきた。
「数は二人。いずれも勇者のようです」
「クラスメイトか……」
俺は顔をしかめた。
王の追手として、クラスメイトが差し向けられたのだろう。
「……誰が来たんだ?」
木の陰から、そっと様子をうかがう。
森の中を慎重に進んでくる二つの人影。
一人は岩のような巨躯――豪羅か。
もう一人は、栗色の髪をなびかせる美少女――葉月だった。
よりにもよって、クラスの中でもトップクラスの実力を持つ二人か。
「……どうする、ミラージュ」
「戦うしかあるまい。彼らは君を討つために来たのだから」
「殺したくはない。けど」
向こうがその気なら、手加減はできない――!
俺は覚悟を決めた。
命のやり取りなら、既に何度も経験してきた。
もう、ためらっている場合じゃない。
「豪羅、葉月」
俺は木陰から二人の前に進み出た。
「俺を探しに来たのか?」
「時雨……!」
豪羅が目を見開き、戦闘態勢に入る。
葉月は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに冷静な表情に戻った。
「ええ、王の命令でね。君を討伐しに来たの」
「――そうか」
俺は剣を抜き、切っ先を二人に向けた。
その周囲にミラージュたちしもべを何体か配置しておく。
「悪いが、殺されるつもりはない。容赦をするつもりもない」
「ほざけぇっ!」
吠えて豪羅が突進してくる。
「この間のようにはいかねぇぞ、時雨!」
その拳がすさまじい風圧を伴って俺に迫った。
「遅い」
最小限の動きでそれをかわす。
今の俺には、豪羅の動きですら止まって見える。
カウンターで奴の腹に軽く拳を叩き込んだ。
「がはっ……!?」
豪羅は『く』の字に体を折り曲げ、地面に倒れ込んだ。
「ご、豪羅くんが……一撃で……」
葉月が呆然とつぶやく。
「悪いな。俺は、もうお前たちの知っている俺じゃないんだ」
俺は冷ややかに告げた。
倒れた豪羅に構うことなく、葉月に向き直る。
「次は、お前の番だ」
「……待って、時雨くん」
クールな葉月もさすがに青ざめていた。
「あたしたちは君と戦いに来たんじゃない」
「は?」
葉月の口から出たのは、予想外の言葉だった。
「どういう意味だ?」
「取引しましょう。あたしたちは君を殺す気はない。むしろ、協力したいの」
葉月は真剣な眼差しで俺を見つめていた。
嘘をついている雰囲気じゃない。
だけど、簡単に信じるわけにもいかなかった。
罠か、それとも……。
「協力だと? それはどういう――」
俺が詳しく聞き出そうとした、その瞬間だった。
ごうっ!
森の奥から巨大な火球が飛来し、俺たちのすぐそばの地面に着弾した。
すさまじい爆発が巻き起こり、俺たちは爆風で吹き飛ばされる。
「くっ……なんだ!?」
土煙の中から、複数の人影が現れた。
その姿は、紛れもなく――。
「魔族……!」
しかも、その中には見覚えのある顔があった。
銀髪に紫の瞳を持つ、美しい少年だ。
「サイクス……!」
「時雨。また会ったな。どうやら、お前は人間たちからも追われる身になったらしい」
サイクスが淡々と告げる。
その背後にはメレーザと、さらに数体の高位魔族が控えている。
王国軍の追手と、魔王軍。
最悪のタイミングで、二つの勢力と鉢合わせてしまったようだ――。
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