第二章 3
「今日はどこ行くかね」
助手席に乗ると、ばあちゃんが車を発進させた。昨日は赤ジソジュース作りで、出かけなかったので、一日ぶりの外出だ。
乗ってすぐ、クーラーをいれた車内の空気がだんだん冷たくなっていく。
「どこでもいいよ」
「莉央ちゃんは、どこに連れってっても、楽しんでくれーから、連れ出しがいがあーわ」
運転席でハンドルを回したばあちゃんが楽しそうに笑う。
晴天は、もう、すっかり怖くなくなっていた。
窓の外を見ながらばあちゃんと会話する。
「莉央ちゃんは、なにが好きかね?」
「えっと、なんだろう、映画見たり、本読んだり……。……絵も、好きかも」
絵、という単語を出すと、自然と智明のマンガが思い出され、苦い気持ちがにじんだ。
「そうかねそうかね。莉央ちゃんは賢い子だから、将来が楽しみだわ」
「そうかな?」
「そうだよ。ばあちゃんも、絵を見るのは好きだわ」
そう言ったばあちゃんが再びハンドルを回した。どうやら行き先が決まったようだ。
窓の外の景色が移り変わっていく。わき道に入ると、田んぼだらけの田舎町になった。
そこにある白い建物の駐車場で、車が止まった。
ここ、来たことある。
足立美術館。そう書かれた建物を前にして、気が付いた。四年前も、この美術館に来たはずだ。駐車場をぬけて、歩きながら、ばあちゃんに尋ねる。
「ここ、前も来たよね? たしか、日本一きれいな庭園がある美術館でしょう?」
「そげだわ」
ばあちゃんが笑って、私を見る。
「莉央ちゃん、四年で何センチ、背が伸びたかね?」
建物に入って、受付でチケットを買いながら、ばあちゃんが問う。
「えっと、二十センチくらい、かな?」
にこにこと笑ったばあちゃんが、私の頭をなでる。
「目線が変わると、見える景色も違うけんね。四年前にはなかった発見が、莉央ちゃんをまっちょーよ」
そう言って、館内に足を踏み入れる。
美術館の中はしずかで、おごそかだった。美術品たちが並ぶ館内はなんとなく、人を寄せ付けないようなすごみのある圧がある。
まず、ロビーをすすんですぐ、景色が開けたと思ったら、窓いっぱいの庭園が覗いていた。
「わ、あ……」
青い空。木々が作りだす緑。それから砂利の白。きれいな、日本画を見ているようだった。四年前も来たはずなのに、全貌を忘れていた。こんなにきれいな庭だったのか。
スマホをかざして写真に収める。青と、緑と、白のコントラスト。
隣を見るとばあちゃんも目を細めて庭園を眺めていた。
しばらく、庭園に見入ってから、二階に上がる。二階の展示はなんとなく覚えていた。
上がってすぐの、横山大観特別展示室にほう、と息を漏らす。左右と正面に広がる見事な日本画に入り口から圧倒されて、身体がしびれる。足を進めて、一つ一つ、題名と照らし合わせて追っていく。これらは写真に撮れないので、目に焼きつける。有名な絵がいくつかあって、四年前も見たはずなのに、新鮮な気持ちで魅了された。絵には、魂がこもっている。魂は絵に命を宿す。生きている絵は視界の中で大きく躍動する。……智明の、マンガと同じ。ここの展示物を見ていると、彼のマンガを思い出して首を振った。
ゆっくりと、濃厚な時間が過ぎた。絵を見るって、不思議だ。まるで描いた場面に連れていかれるように中に引きこまれる。
次に大展示室に進む。ここにも、横山大観らの見事な日本画が並んでいた。
中でも、『無我』という、大観の絵が目に留まった。心につめたい風を通すような、どこか寂しい、心もとないような気持ちにさせられる。しばらく、その絵に引き込まれて時間が止まったような心地を味わった。
二階からおりて、順路に沿って進む。陶芸品を見た後、新館に移って、また絵を見る。ここは、本館と違って、現代アートの展示をやっているようだった。その中で気に入った絵があったので、スマホのメモ機能を開いて、作者名と、題名を打ち込む。
――それって、すごいマンガ家とか作家に向いた癖だと思う!
途端に、智明の声が耳で再生されて、耳をふさぐ。
館内にきいた空調が急に肌寒く感じた。
*
私が、面白かった映画の感想や、気になったものの写真、気に入った言葉の羅列などを、スマホのメモ機能に張り付けていることを、智明に言うと彼は目を輝かせた。
「それって、すごいマンガ家とか作家に向いた癖だと思う!」
「え、そう、かな? 私には智明みたいに創作とかできないと思うけど……」
「僕も、気になったことや、アイデアはなるべくメモするようにしてるんだけど、それが、素でできるって莉央ちゃんすごいよ」
褒められて、頬をかく。
智明と、放課後を共に過ごすようになってから、一週間と一日。智明が相手キャラクターのイメージがわかないと言うので、私がメモに張り付けていたアニメの気に入ったキャラクター達を見せていた。
「他には? どんなメモがあるの?」
「えっと、映画だったら、ボヘミアンラプソディーとか、人間失格、サマーウォーズ。ジャンル結構バラバラに見てる……」
二人でスマホの画面を覗きこんで、智明に説明する。
「へええ! すごいね! 読みたい!」
「え、面白くないと思うけど」
私が書いている感想なんて、よかった場面の抜粋や、全体の構成、伏線の有無など、ありふれたものだ。しかし、智弘は目を輝かせて私に向き直った。
「すごく興味あるよ! これからなにかをメモしたときは、僕にも共有してよ!」
目を瞬かせる。私の趣味の一環に興味を持ってもらえたのは、はじめてだった。
なにも、言わない私に、智明が慌てたように、首を振る。
「あ、や、やだよね。ごめん、忘れて、いた!」
デコピンをした私に智明が額をおさえる。
「嫌とか言ってないでしょ。勝手に落ち込まないで。うざいから」
「う……、ご、ごめん」
「謝れとも言ってない」
額をおさえた智明に、メッセージアプリのQRコードを差し出す。
「はい。連絡先。交換しよ。そうしないと共有できないでしょ」
スマホに移ったQRコードに智明が短いまつげをぱちぱちさせる。
「僕、学校にスマホ持ってきてない……。校則違反だから」
「はあ?」
あきれた声が出た。それでは、連絡先の交換ができないではないか。
「えっと、じゃあ、ID検索……、はダメだ。年齢制限あるもん」
机をくっつけて正面に座った智明が申し訳なさそうに眉を下げる。
「じゃあ、今日、このままあんたんち行く。いい?」
「え、」
智明が丸い目をもっと丸くさせて見開く。
「で、でも、うち、なんもないよ?」
「連絡先交換したらすぐ帰るよ」
「で、でも……」
「なに」
煮え切らない態度にイライラしてきて、丸顔をにらむ。
「母さんが、いる、から、嫌な気持ちにさせるかも……」
「嫌な気持ち?」
「うん……」
智明のお母さんはなにか、難を持った人なのだろうか。
「智明」
名前を呼ぶと、智明が顔をあげた。
「私がそんな弱そうに見える?」
「えっと、見えない……」
「でしょ。さ、荷物まとめて」
立ち上がった私に、智明が丸い目をぱちぱちさせて、それから笑った。
「はは、莉央ちゃんてやっぱり格好いいや」