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宍道湖にとける  作者: 麻倉トコ
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第一章 4


 教室はちいさな社会だ。

 

 でも、その社会に属さない、人間がいる。属すことを、許されない、人間が、いる。

 (たちばな)智明(ともあき)はいじめられっ子だった。

 いつも、背中を丸めて、席にひとりぽつんと座っていた。

 

 その日は、体育の授業があって、二人組を作って、準備運動するよう言われた。私は適当に話せる女子とペアを組んで、背中をくっつけた。

 小さくてまるい身体から手があがる。


「先生、余りました……」

 

 赤白帽のゴムがふくよかな顎の肉に食い込んでいる。案の定、橘智明はハブられたらしい。女子から、くすくす、と笑い声があがる。


「だれか、橘と組んでやってくれないか?」

 

 お前行けよ。ええ、やだよ。くすくす。やだあ。

 

 橘智明がもともと小さい身体をもっと小さくする。

 

 かわいそう、とは思わなかった。社会の中で生きるのが下手な人間は淘汰されるものだ。群れからはじかれた子羊を助けてやるほど、私は優しくなかった。

 結局、橘智明は先生とペアになって、運動を行った。その後行われたドッジボールでは、彼をわざと、ひとりだけ内野に残して男子が遊んでいた。

 

 給食の時間も、彼にだけ給食が運ばれない。配膳係の子が押し付け合っているのだ。

 誰か運んであげなよ。ええ、やだあ。じゃんけんで負けた人にしよ? えー、もう運ばなくて良くない?

 

 わざと、聞こえるように言った悪口が教室内を揺らす。

 

 橘智明はただ、下を向いてもともと小さい身体を小さくしていた。結局、じゃんけんでめけた子が罰ゲームのようにお盆に乗った給食を配膳していた。

 

 掃除の時間も、彼の机だけばい菌扱いされて、運ばれない。

 タッチ―。はい、橘菌ついたー。やめろよ。やだあ、きたない。

 男子が面白がって橘智明の机を触った手で女子の肩をたたく。橘智明は、やはり、身体を丸めて、自分の机を自分で運んでいた。

 

 終礼が行われて、ぞろぞろと生徒が下校する。ふと、橘智明の方をみると、身体を丸め込むようにうつむいていた。

 

 ランドセルをしょって、帰っている途中で、自分が今週のいきものがかりだったことを思いだした。いきものがかりとは、教室の後ろに咲いている花の水替えと、飼っている金魚の餌やりをする当番のことである。

 

 舌打ちしながら踵替えす。めんどうだけど、当番は、当番だ。

 校舎に戻って階段を上がる。

 六年二組は三階だ。


 


 ガラガラ。

 教室の戸を開けると、目を丸くした橘智明が、こちらを見ていた。

 教室は空っぽで、彼だけが、一番端の、一番後ろの席に座ってなにか、作業していた。


「……なにしてんの?」

 

 普段だったら、話しかけたりしない。でも、今自分は橘智明とふたりきりで。いきものがかりの当番があるからそこをどいてほしいのに、彼はなにか作業している。

 声をかけると、橘智明は分かりやすく、身体をびくつかせて、なにかを手で隠した。


「えっと、あの、葛西(かさい)さんは、なんで……」

「質問に質問で返さないでよ。今週のいきものがかり、私なの」

 

 だから、そこをどいて? という嫌みを込めたつもりだったが橘智明は動かなかった。


「えっと、でも、いきものがかりなんて、みんな、僕に押しつけてて、きたの、葛西さんが初めてだよ」

「他と私は関係ないの。それであんたはなにしてるの?」

 

 答えない橘智明に舌打ちが漏れて、彼がビクッと肩を震わせた。


「あ、ごめん」


 今のはよくなかった。人に対して舌打ちするなと母さんについ最近怒られたばかりだ。

 謝った私に目を丸くしながらも警戒するように橘智明は何かを隠している。

 私は、近づいて、彼が隠しているものを掴んで掲げた。


「あっ、待っ、」

「なにこれ」

 

 一枚の紙だった。裏返して、はっと息をのんだ。

 A4サイズの紙に描かれた斜線と絵。


「……マンガ?」

 

 それは、マンガの原稿だった。

 戦闘シーンで主人公が氷の技を繰り出している。

 見事だった。小学生が描く絵ではない。


「これ……、あんたが描いたの?」

 

 橘智明は顔を真っ赤にして小さくうなずいた。

 すごい。そう思った。だから、伝えた。


「あんた、すごいじゃん!」


 肩を掴むと橘智明はまた肩をびくつかせた。

 橘智明に、こんな特技があったなんて。


「す、すごい、かなあ。ありがとう」


 橘智明は一拍おいてから、ほころぶように笑った。彼の、笑う顔を初めて見た。


「もっと、他にないの? これ、続きとか」

「えっと、家に……、持ってこようか……?」

「ほんと⁉ みたい!」


 橘智明が目をぱちぱちさせる。


「葛西、さんは、僕がいやじゃないの……?」

「いや? なんで?」

「だって、僕、みんなからハブられてるし……」

「他と私は関係ないの。最初に言ったでしょ?」

 

橘智明が目をぱちぱち動かす。


「あと、莉央でいいよ。私も、智明って呼ぶから」


 智明が、目を丸くして、それからおそるおそる、口に出した。


「りお、ちゃん」

「うん」

 

 A4サイズの紙を返す。なんだか、新しいことが始まる予感に胸が躍っていた。




 翌日、放課後教室に残って智明の原稿を読んだ。

 グラウンドから生徒の遊ぶ声が聞こえて教室を揺らしている。ふたりきり。静かにページをめくる。勢いのあるストーリーにぐんぐん物語が進む。

 

 最後のページ。見開き一ページ。

 

 目を、見開いた。

 

 息を詰める。心臓がドクドクなった。

 

 世界が、歪んでいた。

 

 そのページを一心に見つめていると、横から声がかかった。


「魚眼パースっていうんだよ。わざと線を曲げて描くの」

「ぎょがん、ぱーす……」

 

 なるほど、曲げた線で描くことで、より迫力が増している。


「あんた、やっぱりすごいよ。なんで、いつもビクビクしてるの?」

 

 こんなにすごい絵が描けるのに。そう続けると、智明はううん、とうなった。


「僕、できないことのほうが多いから……、どんくさいし……」

「堂々としてなよ。あんた教室の奴らなんかより、ずっとすごいじゃん」

 

 人を下に見ることでしか、自己を肯定できない暇な奴らより。

 心を込めて言ったが、智明はまた、ううん、とうなって困ったように頬をかいた。


「これ、完成したら、どうするの?」

「えっと、いつか、東京に行って持ち込みができたらなって。僕、将来、マンガ家になりたくて……」

 

 心がガンッと鈍器で殴られたように衝撃を受けた。全身が震えた。

 こんな、くだらない世界って、思っていた。教室っていう世界はあまりにも狭すぎる。でも、そこから羽ばたく準備をしている人が、くだらないレールに従わない人が、こんな身近にいたなんて。


「智明、やっぱりすごいよ。ここにいる誰も、将来なんて考えてないよ。それなのに、もう、目標が決まっているなんて」


 私はまた、ぎょがんぱーすで描かれたページに目を落とした。

 歪んでいる世界が、はじめて、可能性という輝きを秘めて見えた。



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