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宍道湖にとける  作者: 麻倉トコ
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第一章 3

 

ばあちゃんとの生活は、苦じゃなかった。ばあちゃんのことは好きだし、ばあちゃんはなんでもよく知っていて、話していて飽きない。

 

 朝、日の光で起きて、ベランダの花に水をやって、たっぷりの朝食を食べて、きつい出雲弁のラジオ体操をして。


 ばあちゃんは毎日、出かけるとき必ず、「莉央ちゃんも来るかね?」と訊いてくれた。首を振る私にただ、「そうかね」と残念そうでも、怒っている風でもなく、いつもの笑顔でうなずくのだ。


 ばあちゃんが出かけると、ネットフリックスで適当な動画を見て、時間を潰した。朝食と夕食には必ずシジミの味噌汁がでた。島根の特産品らしい。宍道湖でとれるだわ。今度見に行こうね。そういうばあちゃんにあいまいに笑って誤魔化した。


 外に。この晴天に。


 足を踏み出すには勇気がいる気がした。


 お昼にはばあちゃんがゆでてくれたそうめんや、買ってきた弁当、おにぎりを握ってくれた日もあった。それで、夜は和室で並んで寝た。


 決まってお母さんの小さい頃の話から始まって、地元の老人会での出来事、じいちゃんとの惚気話、最近は待っているお笑い芸人の話になるころに、記憶が曖昧になって気づいたら朝になっているのだった。




「これが、マリーゴールド。これがトレニア」


 五日目を迎えるころには花の名前も分かるようになってきた。


「そげそげ。これはなにかわかるかね?」


 黄色い花弁をめいいっぱいに開いて、茶色い雄蕊で日の光を受けている。よく知っている、あの花に似ている。これは、


「……ひまわり?」


 ばあちゃんを見ると、にこにこと笑って首を振った。


「よく似とるが~? でもこれはルドベキアっていう花だよ」

「ルドベキア……」


 いっぱいに花弁を開いた花は水を含んで生き生きと輝いている。


「……きれい」

「見に行ってみるかね?」

 

 感嘆の声を漏らした私にばあちゃんが、内緒話するように声をひそめた。


「もっと咲いてる場所があるよ」

「もっと……」

 

 外を見る。相変わらず、目に優しくない青色に心がひるむ。そんな心中を察したようにばあちゃんがほがらかに笑った。


「無理だったらドライブして帰るだわ。莉央ちゃんはばあちゃんが守ってあげるけんね」

 

 目を瞬く。

 守る。ばあちゃんが。私を。


「あはは、ばあちゃんに守られるなんて。私そんな弱くないよ」

 

 一拍おいてから笑いだした私に「ばあちゃんは強いけんね」とばあちゃんが力こぶを作ってみせる。

 

 外に。この、晴天に。

 

 でも、ばあちゃんがいてくれるなら、踏み出せる気がした。


「うん、ばあちゃん、私行ってみたい」




 駐車場はマンションのすぐ下にあって、私は、勇気を出して、一歩、晴天の中に踏み出した。五日ぶりのちゃんとした外出だった。外の空気は澄んでいて、むあっと、湿度が肺にたまった。私はばあちゃんのすぐ後ろをついて、車まで歩いた。

 

 車の中は蒸し風呂みたいに暑くて、運転席に乗り込んですぐ、ばあちゃんが冷房をいれた。私は助手席に乗り込んで、車の匂いを吸った。ばあちゃんの家の匂いだった。

 車が発進する。途中、宍道湖をぐるっと囲むように回って、「莉央ちゃん宍道湖だよ」とばあちゃんが言った。


 海みたいだと思った。水平線が太陽に照らされて輝いている。

 宍道湖を見ているうちに、目的地に着いて、車が止まった。

 私はまた、ばあちゃんの後ろを歩こうとして、ばあちゃんになにか手渡された。


「……日傘?」

「日焼けしたら嫌だが?」

「ふふふ……」

 

 ばあちゃんらしい理由に笑みがこぼれた。これなら、晴天は傘が受け止めてくれるから、太陽の下でも歩ける気がした。入り口はすぐに見えた。

 

 松江、イングリッシュガーデン、入り口。

 入り口に立ってほう……、と感嘆の息を漏らした。

 入ってすぐ、緑のアーチが私たちを出迎えてくれた。私は傘を閉じて、緑から漏れる木漏れ日を受け止めた。すっと、心の不純物が浄化されたかのような気持ちのいい風が通った。英国風の大きな庭はまるで、不思議の国のアリスの世界に訪れたかのような錯覚をもたらしてくれた。


「これが、クレマチス。これはダリア」

 

 ばあちゃんが一つ一つ、花の名前を教えてくれる。

 日傘を持って庭園をまわる。どの花も、夏の暑さに負けず、生き生きと葉を伸ばしている。


「花って強いね、ばあちゃん」

 

 私と違って。

 目を伏せると、ばあちゃんが首を振った。


「よく手入れして、愛情をこめてるから、咲いてるんだが。花も、人間と同じ。強くて弱いけんね」

 

 花も、人間と同じ。私と、同じ。


「そっかあ……」

 

 急に咲き誇る花に親しみを覚えて手を伸ばす。

 見ると、妖精の置物が隣でお昼寝をしていた。




 日傘を揺らして散策すると、お目当ての植物に出会った。


「あ! ルドベキア!」

 

 一面に咲く、黄色い花。


「きれい!」

 

 思わず、スマートフォンをかざして、写真を撮る。癖で、共有を開こうとして、途中でスマホをおろした。

 写真を共有する友だちは、もう。

 共有画面に浮かんだ名前に心が重たくなる。


 ――あの橘くんって子、よさそうな子なのに。


 母さんのつぶやきが耳奥で再生された。




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