第五章 2
給食に時間は智明の分は私が、私の分は智明が運んでくれるようになっていた。
席にカレーライスが運ばれてきて、智明にお礼を言う。
「ありがと」
ひゅー。今日もお熱いですね。
通りすがりに男子たちが冷やかしてくる。
軽くにらむと、ひるんだように、目をそらした。
「お前には相手がいないもんね。かわいそ」
せせら笑うと、男子の顔がカッと赤く染まった。
無視して席に座る。コロナ過にから、全員前をむいて、給食を食べるようになった。当番の子がいただきますの合掌をして、食事が始まる。
このごろ、智明は私たちがからかわれても、謝らなくなった。代わりに、友だちらしく、厚意に甘えてくれるようになった。
それでいいと思う。智明の大事なものはマンガの世界にしかないのだ。
智明の、大事なものは。
カレーライスが喉につかえて、お茶で飲み干した。喉が、ピリリと傷んだ。
放課後、デメ太とデメ子に餌をやって、花の水を変えると、智明と席をくっつけて座る。いままで、誰もやりに来なかったらしい、いきものがかりは、すっかり私が専属になった。
「ねえ、このマンガ、最後はどうなるの?」
「ええ、描き終えるまで秘密だよ。面白くないでしょ?」
智明が、マンガを描くの見ている時間が好きだ。没頭すると、彼は心の底から楽しそうな顔をする。ときどき質問をすると、こうやって、手を止めて答えてくれる。
「このいじめられっ子って、智明に似てるよね」
そう言うと、智明は照れ臭そう鼻を描いた。いじめられている主人公の、給食は毎日、委員長が運んでくれる。委員長は誰にでも優しくて、なんでもできる、才色兼備な女の子だ。
「……ええと、僕、自分を主人公にしてマンガ描くんだ」
「そうなの?」
「うん、……これ、言ったら気持ち悪がられるかもしれないんだけど、…………いた!」
デコピンすると、彼が声をあげる。
「早く言え。遅い」
「ええと、その、」
智明が額をおさえながら続ける。
「この、委員長は、莉央ちゃんが、モデル……」
「へ?」
すっとんきょうな声が出た。
「……私、こんなに才色兼備でも、優しくもないけど……」
「僕には、そう、見えるから」
智明が嬉しそうに頬を染める。
途端に、不穏な感情が、うずまいた。こんなに、私はきれいじゃない。私は。
「莉央ちゃん?」
唇をかみしめると、智明が、心配したように顔をのぞきこんだ。
「私、私のことを、智明は特別に思ってくれてるのかもしれないけど、そんなことない」
不穏な感情が口から出ようとしている。
「私、普通の人間なの。特別なこと、ひとつもないの」
あなたが、マンガっていう世界を持っているあなたが。
「私は智明が羨ましい」
出してしまった。不穏のかたまり。
「世界ってくだらないって思う。でも、私には私の世界なんてないの。作れ、ないの」
吐き出すように言うと、智明が「ううん」とうなった。
「でも、僕にとって、莉央ちゃんは、特別だよ」
顔をあげる。智明が小さな目を細めて笑った。
「だって、莉央ちゃん、最初から、僕の目を見て、話してくれた。はじめてだった。そんな女の子」
智明が続ける。
「僕にとって、莉央ちゃんは、最高に格好良くて、きれいで、まっすぐで。僕の世界のヒーローだよ」
ああ。
吐き出してしまった不穏な感場が消えていく。そうか、私には世界がない。作れない。
私は決して特別な人間じゃない。
でも。
この子の世界で私は特別なんだ。
それだけで、救われた気がした。それだけで、前をむける気がした。
胸を張っていい。智明にとって私は特別なのだから。
クツクツと笑うと、智明は焦ったように手を振った。
「な、なに? 僕なんか変なこと言った?」
「……いや、ヒロインじゃないんだなって思って」
「あ、そうか! そうだよね!」
智明が「ううん」と再びうなる。
「……でも、やっぱり、莉央ちゃんは、ヒーローだなあ」
言い切ってしまった智明に、あははと笑う。智明を笑いだして、ふたりきりの教室に笑い声がとける。
「内緒だけど、最後はね……」
智明が耳打ちした。
委員長と主人公は仲直りするんだよ。
*
そうだ。
たしかに、智明はそう言った。
鉄腕アトムから次のおもちゃに視線を移す。
委員長と、主人公は、仲直りする。
じゃあ、智明と、私は……?
心に迷いが差しこんだ。
八月は四週目。もうすぐ、夏休みが終わろうとしていた。