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宍道湖にとける  作者: 麻倉トコ
21/25

第五章 1


 八月は、四週目に入った。

 あれから、普段通り、たっぷりの朝食も、ばあちゃんが作ってくれる昼ごはんも、晩ご飯も、残さず食べられるようになった。


「出かけ―だわ」


 ばあちゃんがそう言って、一畑百貨店で車を止めた。

 婦人服売り場で、一緒に服を見て、上にあるレストランで、かつライスを頼んだ。

 運ばれてくるまで、ばあちゃんと談笑する。


「ここもね、来年の一月で閉まるんだわ。経営難らしいが」


 目を瞬かせる。松江で、買い物と言えば、一畑百貨店だった。ばあちゃんと何度も来たことがある。


「そうなの? 閉店しちゃうの?」

「寂しいけどね」


 急に、今踏みしめている場所が安定していないような、不安のような気持ちが心をくぐった。

そうか、なくなるんだ、ここ。

やがて、かつライスが運ばれてきて、カツを頬張る。

このかつライスも、もう、食べられなくなるのだ。そう思うと、お腹がきゅっと切なくなった。


「……なくなるって、寂しいね」


 ばあちゃんに投げかけると、ばあちゃんが優しい顔でうなずいた。


「場所はなくなっても、思い出はなくならんけん。今日、来たことも。今まで莉央ちゃんと来たことも。覚えておいて、ときどき、思い出せば、この百貨店も、うかばれーわね」


思い出は、なくならない。

 一畑百貨店はきっと、いろんな人の心に明かりを灯してるはずだ。

 なくなっても、その明かりが消えるわけじゃない。

 そう思い直すと、地面がしっかりと、基盤を持って安定した。

 一畑百貨店がなくなっても、このかつライスの味は忘れないだろうと、なぜだかそう強く思った。




 レストランをでると、店に張られた一枚の広告の前でばあちゃんが止まった。


『昭和のおもちゃ展』


 六階で、催しをやっているみたいだった。


「せっかくだけん、行ってみーかね?」


 ばあちゃんの言葉にうなずく。


「うん、行ってみたい」


 六階はレストランと、催会場でできていた。季節に合わせて、いつも、いろんな催しを開催するのだ。何度か、ばあちゃんと来たことがあった。チケットを買って中に入る。

 ガラスケースにさまざまな、おもちゃが並んでいた。レトロで風合いのあるそれは、ノスタルジックな昭和を連想させる。

 ひとつ、ひとつ、おもちゃを見ていく。

 雑誌の付録や、菓子の付録。有名なマンガのロボットなんかが並んでいた。


 ……智明のマンガにも、こんなおもちゃが出てきたっけ。


 智明のマンガは、教室のいじめられっ子が主人公だった。一人だけ、庇ってくれる、委員長の女の子がいて、でも、ある日ひどい言葉をかけて喧嘩してしまう。主人公には、不思議な力があった。人の悪意が見えるのだ。ある日、いじめっ子の悪意が暴走して、おもちゃの形になる。そして、委員長を襲う。主人公は委員長を救うため文房具を武器にして戦う。


 それから……、二人はどうなったっけ?


 足を進めていくと、あるおもちゃに目が留まった。

 鉄腕アトムの等身大フィギアだった。


      *


「智明は、どうしてマンガを描こうと思ったの?」


 二人きりの放課後、ずっと疑問だったことを、彼に投げかけた。


「えっと、僕は両親があんなだから、マンガとか買ってもらったことなくて。でも、じいちゃんちに鉄腕アトムのマンガが、全巻あったんだ」

「おじいちゃんが、マンガが好きだったの?」

「そう、いろんなアニメも、マンガも、全部、じいちゃんが見せてくれた」


 智明がまるっこい手で、鼻をかく。


「『智明、マンガはいいぞ。現実では起こらないことも、マンガでは起こせる。そんな力があるんだ』って。その言葉が魔法みたいに聞こえた」


 智明が、マンガを描いていた手を止めて、続ける。


「アトムがいろんな困難を解決しちゃうのが格好良くて、僕も真似して、僕が主人公の短いマンガを描いたんだ。そしたら、じいちゃんがすごい褒めてくれて。それが、嬉しかったのが、はじまり」

「へえ、いいおじいちゃんだね」

「うん。じいちゃんだけが、僕に逃げ場をくれた」


 校庭から生徒たちのはしゃぐ声が聞こえる。智明は止めていた手をまた動かし始めた。

 智明の手は、魔法の手だった。

 なんの変哲もないA4の用紙に彼が線を引くと、その線は意志を持ったように躍動するのだ。線がつながって、絵ができると、A4の用紙の中に世界が産まれる。

 彼は、彼だけの世界を持っている。

 それが、少しだけ羨ましくて、友だちとして、誇らしかった。




 体育の時間。智明と背中をくっつけて柔軟をする。もう、彼とふたりでペアを組むことは当たり前になって、先生は何も言わなかったし、クラスメイト達も騒ぎはしなかった。


「ねえ、どうして敵がおもちゃなの?」


 ぐいっと、智明の背中を伸ばしながら問う。


「ええと、僕んちって、アニメは見せてくれなかったけど、映画はおっけーだったんだ。だから、あの、例の、人が見ていないところで、おもちゃが動いて冒険する映画を見て、なんかそれが、当時の僕には怖く見えたんだ」

「へえ、でも、あの映画、おもちゃたちは主人を愛してるし、怖くなくない?」

「そうかなあ」


 交代して、智明が私の背中をぐいと伸ばす。


「見てないところでおもちゃが動いてるって、かなりホラーだと思うんだけど。僕、あの映画見てから、おもちゃで遊ぶの怖くなったもん」

「智明が怖がりなだけじゃない?」

「あはは、そうかも」


 お互いに笑うと、背中を通じてクツクツと感触が伝わってくる。柔軟が終わって、智明と別れる。

 今日は、体育館でバレーの授業だった。

 コートに入っても、私にだけ、ボールが回ってこないのを察して、すぐに白ける。

 あほらし。

 コートをでて、壁に寄りかかった。

 先生は男子の授業の方を見ていたので、簡単にサボることができた。

 男子は、なぜか、片方のコートに智明だけが入っていて、ボールを追っていた。

 なぜ、先生は見ているのに注意しないのだろう。舌打ちが漏れる。

 周りの女子がびくついたように私を見た。自分たちへの怒りに見えたらしかった。

 あほらし。

 授業とか、教室とか、クラスメイトとか、全部全部、あほらしい。

 智明見る。

 彼は額に汗を浮かべて、周りが笑っているのにもかかわらず、一生懸命ボールを追っていた。その姿だけが、くだらない社会に負けない彼の生き方に見えて、眩しくて、目を細めた。

 私は、ときどき、彼が、すごく、羨ましく思える。

 そんなこと、智明には言えないけれど。




 休み時間になって、ちょうど持ってきた小説を読み終えてしまったので、智明の席に行く。このごろ、彼とは堂々と会話するようになっていた。周りの生徒たちが遠巻きに私たちを観察していたけれど、私には気にならなかった。


「莉央ちゃん、なんの小説読んでたの?」

「えっと、江戸川乱歩の『Ⅾ坂の殺人事件』てやつ」

「江戸川乱歩って『少年探偵団』書いた人だよね? 面白い?」

「面白かったよ、貸そうか?」

「いいの?」


 智明の顔が嬉しそうにほころぶ。このごろ、彼は周りに生徒がいても、怯えずに話してくれるようになった。遠巻きにクラスメイト達の視線を感じる。でも、私たちは気にしない。私たちの大事なものはそんなところにはないのだ。


 ……本当に?


 疑問符が浮かんで、必死に打ち消す。

 智明には、マンガがある。でも、私には。

 私には、なにがあるのだろう。

 もしかして、なにも。

 そう思うと、急に怖くなって、視界が揺れる。


「……莉央ちゃん?」

「あ、え、なに?」

「いや、内容聞こうと思ったんだけど、……大丈夫? いた!」


 デコピンすると、智明が涙目で額をおさえる。


「大丈夫だよ。ばーか」


 全然、大丈夫だ。たぶん、きっと。



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