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宍道湖にとける  作者: 麻倉トコ
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第四章 2


 夕飯は、すき焼きだった。三人それぞれお風呂を済ませて、鍋を前にして座る。

 他の家がどうなのかは知らないが、須賀家のすき焼きは最初に牛肉を焼く。それも、とびきりいい霜降りの肉。じゅわー、という子気味いい音とともに、しょうゆと砂糖のあまじょっぱい匂いが広がる。


「はい、莉央ちゃん」


 はじめの肉が私の皿に入って「やったあ」と歓声をあげる。今朝、ばあちゃんと「きたがき」に行って買ってきたとびきりいい肉だ。

 生卵にくぐらせて、口をいっぱいに開けて頬張る。

 じゅわ、じゅわと噛みしめるたび、牛肉のうまみが口の中に広がる。


「はい、次かな子ちゃん。最後がばあちゃん」


 母さんの皿に肉が入れられて、続けてばあちゃんの皿にも肉が入った。

 全員で肉を咀嚼する。

 おいしいって、不思議だ。沈んでいた気持ちをそれだけで浮上させてしまう。

 じゅわ、じゅわ。

 広がった肉汁に頬をおさえる。

 みると、母さんも、頬を上気させて牛肉を頬張っていた。




 夕食を済ませて、皿洗いを手伝って、いつものように宿題を広げる。でもすぐに、しまった、と思った。母さんが眉をしかめたからだ。


「莉央、あんた、今の学校の宿題やってるの? 結局転校したくないの?」

「……」


 俯いて、無言を貫き通す。


「ねえ、言ってくれないと、分からないじゃない。莉央はどうしたいの?」


 ばあちゃんは洗面所で歯磨きをしている。

 私が、どうしたいか。


「莉央?」

「……歯磨きする」


 そう言って、鉛筆を筆箱にしまってワークを閉じて立ち上がった。


「ちょっと、莉央⁉」


 母さんの言葉を無視して、洗面所にいたばあちゃんに抱きつく。優しくて、温かいにおいを肺いっぱいに吸いこむ。


「莉央ちゃん、どげんしたかね? 急に抱きつかれたら、ばあちゃんびっくりすーが?」

「……今日、ばあちゃんと寝たい」


 ばあちゃんの顔を見ずに抱きしめる腕に力をこめた。


「毎日一緒にねちょーがね。おかしな子だね」


 ばあちゃんが笑った気配がしてやっと腕の力を抜いた。

 ばあちゃんは大口を開けてがははと笑っていた。


 ザー。

 カーテンを開けて降りしきる雨を見る。昨日よりも、酷い雨だった。


 ぴちゃんぴちゃんぴちゃんぴちゃん。


 植木鉢を雨が激しくたたいている。


「莉央ちゃん、おはよう」


 いつものように新聞を広げているばあちゃんの隣りに座って一杯の水をちびちび飲む。

 外の景色は雨によって遮断されている。こんなんで大丈夫だろうか。明日はじいちゃんのお墓参りに行くのに。

 たっぷりの朝食を胃に詰め込んで、ラジオ体操をして、ばあちゃんと並んでテレビを見ていたころに、眠そうな母さんが起きてきた。実家での、朝の母さんはいつもとびきり眠そうだ。わが家では、誰よりも早く起きるというのに。ここでは気が緩むのだろうか。


「おはよう、かな子ちゃん」


 ばあちゃんににこにことした笑顔を向けられて、母さんが目をこすりながら「おはようお母さん」と返していた。それから、「おはよう、莉央」と少し硬い声で言われて、私も「おはよう」と返した。


「莉央、いつ起きたの? もう朝ごはん食べたの? このご飯は誰の?」


 母さんが母さんように置かれたたっぷりの朝食を指さしながら言う。


「……それ、母さんのだよ。六時に起きた」


 答えた私に母さんが目を瞬かせる。


「……あんた、そんな早起きしてるの?」

「うん」

「ここで寝ちょったら、眩しくて、いやでも起き―わね~?」


 ばあちゃんがテレビから視線を外して私を見る。


「お花の水やりはしばらくいらないね。ばあちゃん」


 ばあちゃんに向かって笑顔を返した私に母さんが驚いたように目を瞬いた。




 お昼ご飯は、ばあちゃんが、焼きそばを作ってくれた。母さんは朝ごはんが遅かったから。と食べなかった。

 目の前に砂糖とミルクたっぷりのコーヒーを淹れたコーヒーカップが置かれる。

 午後四時。今日も、お茶の時間が来ていた。

 ばあちゃんが真ん中にさまざまな種類のかりんとうが乗った皿を出す。今日のお茶菓子はかりんとうらしい。


「さ、食べるだわ」


 ばあちゃんに促されて、かりんとうに手をのばす。

 黒糖かりんとうが舌の上で溶けて歯で噛むと、ざくざく音を立てる。

 今日も、正面に母さん。右斜め前にばあちゃんが座っていた。


「莉央」


 コーヒーカップに手を伸ばした時に、空気が揺れた。

 母さんが湿り気をはらんだ声で私を呼ぶ。どこか、緊張しているようだった。


「莉央、莉央がもし、この土地の方が合っているっていうなら、おばあちゃんとくらしてもいいのよ。転校だって、府内で考えなきゃいけないわけじゃない。引っ越せばいい。莉央がどうしたいのか、知りたいのよ」


 優しい、を意識した声色だった。

 転校。

 引っ越し。

 この土地の方が合っているっていうなら。

 全部、全部、分からなかった。だって、考えないようにしてきたのだから。


「……わからない」


 かぼそい声で答えた。


「なにがわからないの?」


 母さんが、努めて優しい声できく。学校とか、もう、考えたくないのに。思い出してくる。ぎゅっと、手を握りこんで、黙りこくっていると母さんがしびれを切らしたように立ち上がった。


「こっちの方が訳が分からないわよ! 急に学校に行かなくなるし! 外にも出ないなんて!」


 ぎゅっと目をつむってかなきりごえに耐える。耳がキリキリした。


「ねえ、なにが理由なの⁉ なにがあったの⁉ なんでなにも言わないの⁉」


 啖呵を切った母さんが肩で息をして、はー、はー、と息を整えた。

 なにか、いやな、予感が、した。


「あんたを信用して聞かなかったけどね……」


 空気がにじむ。にじんだ空気が肺を圧迫して苦しい。

 母さんの目がギラギラ光って見えた。


「……あんた、金魚殺したって本当?」


 キーーーーーン。


 耳鳴りがした。

 喉の奥が熱くなる。


「私は……」


 ふつふつと冷めていた怒りが沸騰し出す。


「私はやってない……!」


 ガン、と椅子を倒して家を飛び出した。後ろから声が聞こえた気がしたけど、酷い耳鳴りのせいでわからなかった。

 エレベーターで一階まで下りて、植え込みに向かった。ばあちゃんと、シソをつんだ場所。外に出ると、一気にずぶぬれになった。ザー。雨が身体を叩きつける。

 植え込みまで歩く。

 はっと、息をつめた。


「……なんで……」


 シソは、すべて枯れてしまっていた。枯れたシソは雨を含んで頼りなく、地面にへたりこんでいる。


「なんで……、なんで……」


 すごく理不尽な気がして涙が出てきた。

 枯れたシソをつむ。

 ヘドロのようになったシソは、香りもしない。


「なんで……、なんで!」


 つんだシソを地面に叩きつけようとすると、雨が、やんだ。


「莉央ちゃん」


 ばあちゃんが、私に傘を差しだしてくれていた。


「ばあちゃん……」


 その顔を見ると、気が緩んで、わっと涙が出てきた。

 濡れるのもかまわず、ばあちゃんが片手に傘を持って抱きしめてくれる。


「赤ジソは七月が過ぎると枯れちゃうんだわ。早いが? よしよし、かわいそうに。こんなに濡れて」

「ばあちゃん……、ばあちゃん……」


 ばあちゃんが濡れるのが分かったけれど、厚意に甘えて抱きついた。


「ばあちゃん、私……」


 私は、


「友だちに、裏切られたの……」


 また、キーーーーーンと耳鳴りが響いた。


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