第四章 1
ぴちゃん。……ぴちゃん。
窓の外で、上から伝ってきた雨がベランダに並んだ植木鉢にあたって跳ねている。
ぴちゃん。……ぴちゃん。
「莉央ちゃん、もう行くだよ」
椅子にだらしなくもたれかかって、ぼうっとそれを眺めていると、横から声をかけられた。
「うん、ばあちゃん」
ばあちゃんがにこにこといつもの毒気のない顔で笑う。
だるい身体を起こして、ばあちゃんについて外に出る。今日は日傘じゃなくて、雨傘が必要だった。助手席に乗り込むと、車が発進する。
細かく動くワイパーが、車の窓に着いた雨水をよける。
やがて、松江駅について、傘を広げる。
ボッボッと傘が雨を受け止める音が反響する。
駅構内について傘を閉じると、改札の向こうに見知った顔が立っていた。
「母さん……」
ばあちゃんが母さんに向かってぶんぶんと手を振る。私は手を振る気にはなれなくて傘の先からしずくが垂れて、水たまりができているのに目をやった。
「お母さん、莉央、久しぶり」
改札を出た母さんが歩いてくる。ばあちゃんが「よう来たねえ」と手を広げている。
「……ひさしぶり」
私はやっぱり、母さんと目を合わせる気にならなくて、傘の先に目を落とした。
お盆は雨続きの天気となるでしょう。そう言ったニュースキャスタ―さんの言葉通り、今日は朝から雨が降っていた。帰省する人や、旅行に来る方は残念ですね。キャスターさんはそう続けていた。まさに。そう。大きなスーツケースを引いた母さんに小さくため息が漏れる。八月も三週目、お盆が母さんを連れてやってきた。
家に着いてすぐ、ばあちゃんが、クーラーをつけて、いつも通り、コーヒーを淹れた。
「わ! 朝汐だ!」
机の真ん中に置かれた和菓子に思わず、歓声をあげる。
「ふふふ、かな子が好きだが?」
にこにこ笑ったばあちゃんが母さんに目配せする。それから、朝汐を一人ずつ分けてくれた。朝汐はつくね芋でできた皮に上品な甘さのあんこが包まれているお饅頭のような和菓子だ。
正面に座った母さんの表情を盗み見る。母さんが朝汐が好きだなんて、知らなかった。
ばあちゃんが母さんの隣りに腰をおろして、いつものお茶の時間が始まる。
ぴちゃん。……ぴちゃん。
雨はまだ止んでいない。相変わらず、雨粒が植木鉢にあたって跳ねている。
ぴちゃん。……ぴちゃん。
「それで、莉央は本当に外に出れてるの?」
静寂をやぶるように、お母さんの固い声がリビングに響いた。
私は黙って、朝汐を食べる。大げさ過ぎない甘みが口の中で溶ける。
「莉央ちゃんはばあちゃんと毎日ドライブしとるが?」
黙り込んだ私にばあちゃんが「ね?」とかわいらしく小首をかしげて、私を覗きこむ。私は朝汐を飲み込みながらうなずいた。
「ここでは出れるのに、どうしてあっちでは出れないのよ」
母さんがため息を吐く。私が不登校になってから、母さんはずっと機嫌が悪い。
私は黙って、朝汐を食べ進める。ミルクと砂糖たっぷりのコーヒーを飲むと、舌がびりびりした。
「ねえ、莉央。今の学校にはもう行かないのよね? 転校するってことでいいの?」
「……わからない」
「わからないってなに? そもそもなんで行きたくないのよ」
本当に、わからないのだ。どうすればいいか。でも、もう学校に行く元気は使い果たしてしまった。朝汐を食べ終えて母さんの手元に視線を落とす。母さんは、朝汐に口をつけてさえいなかった。あ、せっかくばあちゃんが用意してくれたのにな……。
ばん!
ぼうっと、包装紙に包まれたままの朝汐を見ていると母さんが机をたたいた。
「莉央、聞いてるの? 返事くらいしなさい!」
私はやっと、顔をあげて母さんの顔を見た。
細い眉がつりあがっている。
「まあまあ、落ち着くだわ。コーヒーが冷めるが? 来たばっかりでそんなに問い詰めなさんな」
ばあちゃんが母さんをなだめるようにコーヒーを勧める。
母さんが、また、ため息をついて、コーヒーに口をつけた。ばあちゃんが母さんのために用意した朝汐は結局、包装紙をはがされることはなかった。