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宍道湖にとける  作者: 麻倉トコ
14/25

第三章 3


「おはよう」


 朝、登校したとき、智明に声をかけると、教室がざわついた。


「え、あ、お、おおはよう……」


 小さな声で帰ってきたあいさつに満足して、席に着く。

え、なにあれ? なんで葛西ちゃん橘菌に話しかけてんの? 罰ゲームじゃね? 誰か知ってる? さあ?

 周囲の噂話は聞こえないふりをして、頬づえをつく。

 小さな社会が揺らいだ。

 波に、波紋をつくったのは、私だ。


「二人でペア作れー」


 体育の時間そう呼びかけた先生に、生徒がぞろぞろ動き出す。案の定余っていた智明に声をかけた。


「智明、一緒にやろ」


 周囲がぎょっとした目で私たちを見る。


「え、えっと、莉央ちゃん。でも、男子と女子は別でペア組むんじゃ……」

「男子も女子も奇数だから、私たちがペアになったらちょうどいいじゃん」

「で、でも、」


 口をもごもごさせる、智明を無視して、背中をくっつける。

 え、今智明って呼んだ? 葛西ちゃんが? 智明って誰? バッカお前、橘菌の名前だろ。

 作り出した波紋が波打つ。

 私はそれを無視する。

 給食の時間も、私が智明の席に給食を置いた。


「り、莉央ちゃん、」

「なに?」

「いいよ。こんなことしなくて……。莉央ちゃんまで給食運んでもらえなくなるよ……? いた!」


 デコピンすると、智明が額をおさえる。


「いいよ。そしたら、私の分は、あんたが運んでよ」

「え、で、でも……」


 群れからはじかれた子羊を助けるほど、私は優しくない。


 でも。


 友だちなら、別だった。

 いま、莉央ちゃんて呼んだ? え、橘菌って葛西ちゃんのこと、名前で呼んでんの? きっも。

 波が、あらぶってきている。近づくと、水浸しになりそうだった。


「葛西ちゃんちょっといい?」


 掃除の時間、智明の席を運んで、終礼後、案の定、女子のグループに呼び出された。

 なにか、怒っているような雰囲気をかもしだした女子たちに囲まれて、圧をかけられる。女子の代表が一歩前に出て、固く結んでいた口を開いた。


「どういうつもり?」

「なにが?」


 白々しく、退屈そうなポーズをとると、女の子の眉がつりあがった。


「橘と! ペア組んだり! 挨拶したり!」

「別に? 普通のことじゃない? クラスメイトとして」

「まさかデキてんの?」


 その一言で小さな悲鳴が輪に広がった、

 やだあ、まじ? きも。ええ、ほんとなの? 橘菌だよ? ないでしょ

 心底面倒くさくて、ため息がでる。


「なんですぐ色恋沙汰にしたがるかな……。友だちだよ。友だちだから、友だちとして、接してるだけ」

「……なにそれ、きっも」


 リーダーの女子が吐き捨てるようにそう言って、輪が解散した。




 葛西、はぁと、橘。

 次の日、登校すると、熱愛報道! と書かれた黒板に私たちの名前と相合傘があった。

 私は無視して智明の席まで歩くと、「おはよう」と声をかけた。


「り、莉央ちゃん、ごめ、僕のせいで……いた!」


 デコピンが当たって、智明が額をおさえる。


「おはようって言ってるんだから、まずはおはようでしょう」

「あ、お、おはよう」

「うん、それで?」

「ぼ、僕のせいで、莉央ちゃんまで、馬鹿に、されて……」

「いいの」


 ヒューヒュー、朝からお盛んですね!

 通りがかった男子がそう声をかけた。

 智明がびくついて、肩を落とす。


「智明」


 智明が顔をあげる。


「いいの。本当に。私の大事なものは、そんなところにはないの。智明だってそうでしょう?」


 智明がはっとしたように、真剣な顔つきになってそれから、うなずいて笑った。


「ありがとう、莉央ちゃん」


私たちの大事なものはこんなちっぽけな社会じゃない。




 それから、私は智明に人目を気にせず話しかけるようになった。智明の給食は私が運んだし、私の給食は智明が運んでくれた。

 別に、クラスからハブられようが怖くはなかった。女子のグループに混ざって談笑しているよりも、席に座って本を読んでいる方が私には合っていた。ときどき、面白い本があると、メモをして智明に共有した。

 私と智明がダメージを受けていないことを、クラスメイト達は歯がゆく思っているようだった。そんなのも、別にどうでもよかった。


 おい! おとこ女! お前、橘菌と、放課後コソコソ教室で会ってるんだろ!

 あいびきかよ、きっも。


 男子に呼び止められて、声をかけられても、無視した。私が智明と放課後しゃべっているところを見たのだろうか。暇なやつら。くだらない。

 私は再び本に視線を落とした。

 男子が無視されて怒っている気配がしたけど、どうでもよかった。


「智明、これであってる……?」

「うん、完璧だよ、莉央ちゃん」


 はじめは描いているところをただ見るだけだった私だが、ふと、自分もやってみたくなって、智明に道具を借りて、描いてみた。でも、智明みたいにサラサラ描けるわけもなく。できあがった、落書きにしか見えない原稿用紙に落胆する私に、智明が言ったのだ。


「トーンと、ベタなら、覚えればすぐできると思うよ。僕のマンガ、手伝ってみる?」


 トーンとは、白黒の原稿に色を付ける作業で、ベタは真っ黒な面を塗る作業だった。

 なるほど。漫画は白と黒でできているから、色も、白と黒で表現するのだ。

 この作業が、慣れると案外楽しかった。

 夢中で、トーンシールをカッターで切っていると、


 ガラガラ。


 教室のドアが、開いた。


「わ、ふたりでいるって本当なんだ……」


 そこには目立たないグループに所属する、女子二人が立っていた。


「……なに?」


 瞳に好奇心がにじんでいるのがうかがえて、とがった声がでた。


「え、いや、その、なにしてるのかなって……」


 女子二人が近づいてくる。

 とっさに、原稿を手で隠した。が、遅かった。


「なにこれマンガ?」

「え、ふたりが描いたの?」


 智明と顔を見合わせる。


「え、えっと、僕が、絵を描いて、莉央ちゃんに塗ってもらう作業をしてもらってるんだ」


 智明がたどたどしく説明する。

 女子の一人が、原稿を一枚つまみあげる。


「え! すごい! これ橘くんが描いたの? すごくうまいんだね!」

「えっとお、あ、ありがとう……」


 智明がたどたどしく答える。

 女子二人が顔を見合わせる。

 ひとりが、切りだ出した。


「あ、あのね! わたしたち、橘くんが、その、いじめ……みたいなのされてるの、本当はよくないって、思ってたの」

「だから?」


 再びとがった声を出した私に視線が集まる。


「え、いや、だから、葛西さんと仲良くなってよかったって思って……」

「そうだね。自分たちは仲良くしたくないんだもんね」


 本当に、悪かったと思うなら、みんながいるときに声をかければいい。放課後、私たちがふたりきりになるところを見計らって声をかけてきたふたりは、教室の奴らと一緒だと思った。


「え、えっと、そういうわけじゃ、」

「用がないなら帰ってくれる?」


 私のわかりやすく不機嫌な声に二人は顔を見合わせて、すごすごと教室のドアを閉めた。




 翌日、黒板の落書きが更新されていた。

 速報! 放課後の教室で密会! 葛西と橘! 葛西は女子二人に嫉妬! 目指せ、マンガ家!

 ちっと舌打ちが漏れた。ほら、同じだった。

 私はつかつかと歩いて、黒板の落書きを消した。目指せ、マンガ家! のところは力がこもった。智明は本当にマンガ家になるのに、それを馬鹿にされたのが悔しかった。

 放課後、今度は誰も入ってこれないように中から鍵を閉めた。もっと、噂になるかもしれないけれど、マンガを描くのを邪魔されるのだけは避けなければいけなかった。

 デメ太とデメ子に餌をやる。パクパクと二匹の金魚の口が動いて気泡が水面にあがる。


「昨日はびっくりしたね」


 智明の前に座ると、彼が言った。


「でも、褒められて、ちょっと、嬉しかったや」

「はあ?」


 あきれた声が出る。あの女子二人はクラスの奴らに告げ口したというのに。


「あんなの、火事になった家をわざわざ見に来る野次馬と一緒じゃない。いじめがよくないなんて、口では言ってるけど、ただの良心の呵責。気持ち悪い」


 吐き捨てるように言った私に智明が苦笑いする。


「でも、ぼくは、それでも、話しかけに来てくれて嬉しかったな」

「……あんたは善人すぎるから、将来詐欺とかに気をつけなさいよ」

「あはは」


 曖昧に笑う智明をにらむ。このごろ、私がきつい顔をしても、本位じゃないと、わかったらしく、彼はいちいち怖がらなくなった。


「あと三ページだね」


 智明の手元を覗きこみながら言う。応募規定枚数まで、あと三ページだった。


「うん」

「まあ、まだ八月まで時間あるけど、夏休みになったら、教室使えないから、七月までに完成させなきゃ」

「そうだね、がんばろう」


 智明の声が真剣身を帯びる。季節は梅雨に近づこうとしていた。



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