2章 新しい仲間と自分を知る旅へ(1)
一か月後、ミリアとソユアの小屋に大魔法使いシルクが訪ねてきた。
「全く、弟子に仕返しをされたようなものだ。まさか、山の小屋に着くまでの道のりに魔法を使えないようにするとは」
「済まないな。ソユアの特訓のために魔法がかけてある。結界もあっただろう?あの子を守らなければならないんだ。現に、あの子にはあまり実戦経験が無い。戦う際に足がすくむと困る。本当は、とても強いのだが、本人は自覚していないようだからな。しかも、今ではやっと意識は戻ったものの、この状態を保てるかすら危うい状態だ。せめてもと思い、結界で守る事にした」
「そうか」
「可哀そうな子だ。老魔術師ハクストと戦える程の力はあるのだが。しかしまだ十四歳なんだし…」
「とにかくだ、私は、あの娘を気に入らない。が、一番弟子に頼まれたからな。サージュから、ソユアへ贈り物だ」
ソユアについて長く話しそうだと察したシルクは無理矢理に話を打ち切り、新しい話題を出す。
「サージュ様がソユアへ贈り物…か。サージュ様はソユアに魔法を教えてくださっていたな。わざわざシルクに言付けてくださるとは…ありがたい。これで、ソユアの旅も寂しくなくなるだろう。…シルク、ソユアの体調はあまり良くない。高熱があるんだ。たまに血も吐く。どうやら、《聖なる魔法》でもどうにもならないようだな。シルク、お前の力を借りたい。あの子の熱を見てやってくれ」
ミリアが真剣な表情で頼み込む。
「私は、お前をそんな偽善者に育て上げたつもりは無い…人に情をかけるような偽善者には、な。ミリア、お前を弟子にしたのはお前が心の底から戦いを好み、夜の世界に身を落とす者だと見たからだ。しかし、勇者レオンによって光を知らされたようだな」
シルクの目が紫色にギラリと光る。ミリアは視線を落とした。
「あいつは…私達を魔王の呪いから庇ってくれた。回復を担うメイアでさえも、何度も仲間達の回復をしてほとんどの聖力を使い果たしていたくらいだ。でも、レオンは自分の命を犠牲にしてでも私達を守ろうとしてくれた」
―当時、魔王討伐の旅に出たのは勇者レオン、戦士シリン、魔法使いミリア、僧侶メイアの四人だった。しかし、前衛であるシリンは足と腕を負傷して剣を振るう事すら叶わず、攻撃魔法を放っていたミリアも戦闘が長引くにつれ魔力を使い果たしていった。そして、それと共に魔法を放つ反動で起こる体への負担に耐えられず、弱っていった。回復に徹していたメイアも最も防御が弱く、何度か攻撃を仕掛けられて失明しかけた。もし仲間達が回復する時間を稼いでくれなかったら、その目は二度と元のようには治らなかっただろう。
ミリアはソユアのいる部屋の扉の取っ手をぎゅっと握り締めた。彼女の唇は、きゅっと結ばれている。
「ソユア、シルクが来たぞ。サージュ様からの言付けで、お前に渡したいものがあるそうだ」
ミリアとシルクが目を向けた先には、顔が蒼白くなり、やつれてしまった少女の姿があった。ソユアはふかふかとしたベッドに横になり、苦しそうに息をしている。
「ソユア、久しぶりだな」
「シルク様…。なぜここに…」
ソユアはうっすらと目を開け、シルクを見た。
「本当に、哀れな子供だな。まだこんなに弱いというのに、老魔術師ハクストに目を付けられたのか」
そう言ってシルクは巾着袋を取り出した。すると、その袋がもぞもぞと動き、小さな音を立てる。シルクが袋の中のものを取り出しながら言った。
「サージュが森で見つけたらしい。まあ、せいぜい頑張って育てる事だ。死なせたら承知しないから、というのがサージュからの伝言だ」
「はい。…この動物は?」
「あまり世には知られていない、伝説上の動物だ。私も連れている。ミリアにやろうと声を掛けたら、断られたがな。本当に、嫌みな奴だ。こいつは、ファータという種の動物だ。とても賢く、本能的に隠れ、人間に見つからないようにはしているのだが、こいつらは主人がいないと生きていけない。だから、私が認めた者だけにこいつらを授けている。サージュから頼まれて、私が許可を出した。まあ少しの間でも共に過ごせば、お前も心がほぐれていくだろう」
「ありがとうございます、シルク様。…サージュ様は、私の事を憶えていてくださったのですね」
よっぽど嬉しかったのか、ソユアの頬の血色が少し良くなった。
「名を付けてやれ。名付け親が、こいつらにとっての主人となる」
「分かりました…ではニンフという名はどうでしょう?」
「生意気な名だな。まあ、こいつは主人に従う。お前の好きにすれば良い。お前はどうだ?ミリア」
「うん、ニンフは自然などが擬人化された生き物だ。自然の素晴らしさ、力。自然の全てを表している。その子にぴったりの名前だと感じるよ」
シルクは呆れたようにはあ、とため息をつく。
「お前のソユアびいきにはつくづく呆れる。前に私の屋敷へ来た時も、ソユアの才能を褒めちぎっていたな…まあ、サージュもそうだったが」
一方、ソユアは自分のほっそりとした手の上に新しい友達ニンフをのせ、眺めている。ニンフはふわふわとしたクリーム色の毛に、水色のつぶらな瞳。可愛らしい姿をしていた。
「シルク様、この子は何を食べるのでしょうか?」
「ああ、主人の気だ。何もやらなくてもいい。だが、もしこの事が世に知れ渡れば、こいつらが絶滅していくと共に、人間に捕られてしまう。そうなれば、困った事になる」
「そうですか…。分かりました」
「そうだ。その動物にはそれぞれ特性がある。それぞれの個体に能力がある。お前の奴にはどんな能力があるんだかな。自分で見つけてみろ。いいな?」
シルクはソユアにニンフを与える時も、氷のように冷たい目でソユアを見つめていた。あくまでも、ソユアには孫弟子としてではなく、世界を救う魔法使いとして接しているようだった。
「シルク様、お聞きしたい事があるのですが…」
ソユアがニンフをぎゅっと抱きしめながら尋ねる。何だ、とシルクはソユアを見た。
「私…孤独の魔術師ディザイアの元で、“女神の加護を受けし者”だと言われたんです。それに、私の血を飲めば不老不死になれるとも…これは、どういう事なのですか」
ソユアは必死に尋ねているようだった。何度も悩んだ事だったのだろう。シルクは相変わらず表情を変えず、無言のままだ。
「シルク様!」
ソユアの目から、涙がこぼれる。
「私、ずっと心配だったんです。私自身が、何者なのか…人間の血を飲んだって、不老不死にはなりませんから。本当は、ミリア様と同じ、人間でありたいんです。一人だけ違うなんて、嫌…」
ソユアは俯いてしまった。ミリアは慌ててソユアの背中を撫でる。
「ソユア一人が違うわけじゃ、無いんだ。ソユアもれっきとした人間だよ」
「もう、隠すな、ミリア。初対面だったとはいえ、孤独の魔術師ディザイアにあそこまで言われているんだ、ソユアが困惑するのも無理はない。でも、これだけは言っておく」
シルクはじっとソユアを見据えた。ソユアも顔を上げ、一心にシルクを見つめている。
「今の私達には、何とも言えない。お前を求めている人物から、口止めをされている。自分の正体を知りたければ、自分で掴み取るんだな」
「それって、どういう事ですか」
ソユアは意味が分からない、という表情をしている。
「つまりは…教えてはやれないという事だ。確かにお前は、人間でもなければエルフでもない、特別な存在だ。その正体を今話しては、お前は使命を果たせない。もっと強くなれば、知る事が出来るだろう」
ミリアが少し詰まりながらも説明する。ソユアは腑に落ちていないような顔をしていたが、頷いた。
「分かりました。でも、あの、シルク様のお屋敷の女性は大丈夫なのですか」
ソユアはシルクに訊いた。どのような人物なのか、気になったのだろう。シルクは相変わらずツンとした声で答える。
「ミユの事か。あいつに変わりはない。ただただ愚痴をこぼしているぞ。とにかく、お前は眠っていろ」
シルクはソユアに魔法をかけた。ソユアは急に眠たそうに目を閉じ、寝入ってしまう。ソユアが完全に眠った事を確認すると、シルクは彼女の額に手を当て、解析を行った。
「呪いの一種だな。孤独の魔術師ディザイアの元へやった時、かけられたんだろう。ミリア、お前にとっては良い知らせだろうが、この呪いは即死性だな。それでも無事だったのは、ソユアの魔力が強大だったからだろう。しかし、こいつの命を貪っていくのには変わりはない。早めに対処しておかなければならないな」
シルクはそう言ってソユアの胸に手をかざす。
「《闇の力よ、魔法使いソユアの呪いを喰らえ》!」
途端に、シルクの手から闇の魔手が飛び出す。それはソユアの胸に入り込んだ。うっ、とソユアが呻き声を漏らす。彼女の顔は冷や汗が浮かび、あまりの苦しさに歪んでいた。やがて、魔手はスルスルとシルクの手に戻って行く。闇の魔手が胸から出て行く度に、ソユアの表情は晴れやかになっていった。
闇の魔手が消えたシルクの手には黒い波紋が浮かんでいた。彼女はそれをしばらくの間見つめ、やがて手をかざして消してしまった。
「この呪いはソユアの体から取り除かれ、私の体へと移った。私の寿命は永遠に近い。この呪いによって死ぬ事は無いだろう。解析して、解く事にするか。一か月くらいで解けるはずだ。時など、いくらでもある」
シルクは自身の手を見つめた。闇の波紋が消えた手は、いつもよりも血色が悪いように見える。
「そうだ、ミリア、お前にミユを頼みたい」
「ミユというのは、お前の弟子の事か?」
ミリアがソユアのそばに新鮮な果物や美しい花を置きながら尋ねる。
「ああ、あいつに魔法を教えてやってくれ。あいつは不真面目過ぎて困る」
シルクは困ったような表情を見せた。しかし、これも一瞬の事である。
「どれくらいの実力だ?」
「ソユアには劣る。あいつをここに連れてくる。ミユはソユアと同じぐらいの年だ。ソユアとはたいして変わらんだろう」
「いや、この事はソユアに任せよう。同じ年頃の女の子同士の方が楽しく出来て魔法も覚えやすいだろう。それに、ソユアは人に教えるのも上手い」
ミリアはソユアを見た。ソユアは魔法で眠っている。
「あの子供にあんな不真面目な奴をどうにか出来るのかが不安なのだが」
シルクはソユアを信じられないらしく、明らかに躊躇いを見せていた。
「ソユアは我慢強い子だ。匙を投げてしまうようだが、あの子の方が余程向いている気がする」
ミリアはあくまでも意見を変えようとはしない。シルクは疑うような目でミリアを見つめている。
「心配するな。どうせなら、旅の途中にでも教えてやれば良いじゃないか、ねえ、ソユア?」
睨み付けてくるシルクを手で制しながらミリアがソユアに訊いた。ソユアはいつの間にか、起きていたようである。
「え…ええ。多分…大丈夫だと思います」
ソユアは心配そうに頷いた。魔法を教える事については良いと思っているようだが、ミユの事をあまり良く言わないシルクの様子を見て不安になったのだろう、あまり顔が笑っていない。
「そうか。では、ミユを呼ぼう。魔法を教えるのは、ソユア、本当にお前で良いんだな?遠慮せず、正直に言っておいた方が良いぞ」
ソユアは少し躊躇いながらも頷いた。
「はい、シルク様」
「少しの間、待っておけ」
シルクはそう言うと、杖を自分の前へ傾け、言い放った。
「我が弟子ミユよ、我の元へ現れるが良い!」
すると、シルクの手に光が走り、手がかざされた先に少女が現れた。




