6章 時を越えて(5)
「な、何とか、封じ込め……!」
だが、《聖結界》の中で僧侶メイアの姿をした魔物は背中から膨れ上がるように大きくなっていき、結界の壁に圧力をかけている。
「これじゃ、《聖結界》が割れてしまう…」
「バリィィン!」
《聖結界》の壁は耐え切れず、砕け散ってしまった。勢い付いて飛んで来た破片がメグの顔や腕をかする。ローブに真っ赤な血が滲んだ。
『愚か者よ、我がその程度の魔法で封じ込められるかと思うたか?我はお前が思うよりも強い。お前の仲間はどこにいる?…見る限り、お前は魔王様の敵、勇者一行の仲間に似ているな。僧侶メイアか。つまり、お前達を倒すという事は我の強さを世に知らしめる事を意味するのだ。世の全ての魔物が我の前で跪き、頭を垂れるだろう。何者も、我には逆らえぬ!』
(《聖結界》を張ってもすぐに壊して攻撃をしてくる…《結界内魔法》すら撃てない。じゃあ、私が使える《攻撃魔法》を撃てばいい!)
メグはすっと杖を構える。
(《回復魔法》に使う聖力向けの杖だから上手くいくか分からないけれど。多くの魔力を使うから本当はやりたくなかったのよね)
「《刃の魔法》!」
メグの杖の先から、「ビュオオオオ!」と風のような刃が出て、空気を斬ってゆく。それは二つに分かれ、四つに分かれ…だんだんと小さくなるが、切り裂いた空気と一つになるのかいつの間にか元の大きさの刃が並んでいく。それは魔物に近付く毎に舞うように動き始め、魔物の体を何度も、何度も繰り返し切り裂いていた。
『おのれ小娘ェェェェ!許さぬ、我を傷付けたなどォォォ!』
切り裂かれながらも魔物は巨大な手をメグへ向けて振り下ろす。すでに、僧侶メイアの姿の欠片も無い。だが水の魔物とあって、ダメージを受けにくいようである。
(やっぱり、私の魔法なんかじゃこの魔物に傷を付ける事すら…)
メグはその時、ある事に気付いた。
(魔物の目が…開いていない)
「《刃の魔法》で目を…」
メグが呟くと、その場所に魔物の水が降ってきた。
(この魔物は、おそらく相手の魔力を感じる事が出来ない。音で…私の居場所を探しているんだわ)
メグは口を手で塞ぎ、音を立てないように動く。
『どこだァァァァァァ!』
魔物が振り回した腕から水が飛び散り、メグの腕に付着する。それはローブに染み込み、メグの腕に触れた。どこか、じっとりと皮膚に纏わり付き、広がっていく。まるで、乾くという言葉を知らないように、ほんの少しの水が広範囲の皮膚を傷めた。
「うっ!」
メグの小さな呻き声を聞いてか、魔物が見えない目を彼女に向けた。
『そこにいるのか…小娘ェェェ!』
「嫌…!」
メグは怖くなり、ぎゅっと目を瞑る。
(お願い、殺さないで…!)
魔物が水を投げる音が聞こえた。しかし、メグには水が体に当たった感覚も、体が濡れた感覚すらも無い。
(え……?)
メグはゆっくりと目を開いた。目の前を、淡い緑色の髪が揺れているのが見える。
「ソユア…!」
「大丈夫でしたか?」
ソユアが《防御魔法》で魔物の攻撃を防ぎながら振り返り、メグに尋ねた。メグは震えながらコクコク、と何度も頷く。
「では、逃げてください。ここは私達に任せてもらえれば大丈夫ですよ」
「私もここにいるわ。回復役だもの」
メグは、恐怖でガクガクと震える足を抑えながら立ち上がる。足に力が入らない。
「いいえ、怪我をなさっているでしょう。無理は禁物ですよ」
ソユアはあくまでもメグを逃がそうとしているらしい。
『新しい獲物が増えたか…良かろう、皆殺しにしてくれるわ!』
新しい声が聞こえた事により、魔物もメグの仲間が加勢してきた事に気が付いたようである。ソユアめがけて、水の弾丸を飛ばしてくる。が、それはことごとくソユアの《防御魔法》に阻まれ、《防御魔法》の壁を伝っていった。それは地面の草や土に触れ、腐らせてしまう。
「いっけー!《氷の魔法》!」
魔物の後ろから、声がした。青く鋭い光が辺りを包んだかと思うと、地上に出ている魔物の水が、ピキピキと固まっていくのが見える。
「ミユ!」
メグが驚いて叫んだ。ミユはソユア達の反対側に、一人で宙に浮かんでいる。
『な…あ…あ…』
魔物は凍り付いていく口を懸命に動かし、何かを言おうとした。だが、言葉にならない。
「もう…これは必要ないですね」
ソユアはそう言って《防御魔法》を解く。そしてテントの方を見た。メーデルが立ち、剣を構えている。二人は頷き合った。
「《風の魔法》」
ソユアの後ろから飛び出した強風は、魔物の周りで吹き荒れた。それはだんだんと魔物の氷を削ってゆく―魔物の体が少しずつ小さくなっていった。メーデルが走り出て、剣で激しく魔物を斬りつけた。と、その時。衝撃を受けてミユの魔法が解けてしまったのか、魔物の体は解け、再び水に戻った。
「……」
身の危険を感じたメーデルは後ろへ飛び、ソユアの隣へ降り立つ。
「メーデル様は、メグ様を連れてお逃げください」
ソユアがじっと魔物を見つめながら言う。
「ここはミユ様と私だけで切り抜けられますよ」
「しかし…」
魔物がミユの方を向き、水の玉を投げ飛ばした。ミユは魔法で撥ね返そうとするが、ソユアが叫ぶ。
「ミユ様!その水は触れたものを腐らせます!浴びてはなりません!」
ミユが魔法を使う直前に、その言葉は届いた。ミユは一瞬ばつの悪そうな顔をしたが、体内の魔力の流れを《防御魔法》のものに切り替える。
「ったく、めんどくさい事をするね。《防御魔法》!」
ミユの目の前に、赤色に輝く《防御魔法》の壁が張られた。
(魔物があちら側に集中した事によって、こちらが身軽になりましたね…)
「メーデル様、今です。テントに戻られましたら、メグ様の手当てをしておいてくださね」
ソユアがメーデルの耳元でささやく。メーデルは渋々ながらも頷いた。ソユアが一瞬だけ《防御魔法》を解いた。そのうちにメグを背負ったメーデルが外に走り出て、テントへ向かう。
「…これで、守るべき対象もおられなくなりましたね。本気で、戦わなくては」
ミユがメーデル達がいなくなった事に気付き、ソユアに向かってウインクをした。
(好きなようにしてくれても良いよ、私《防御魔法》を張ってるから)
という意味である。
ソユアは頷き、再び《防御魔法》を解いた。杖を構え直し、ゆっくりと目を閉じる。
「《闇花乱舞の魔法》」
ソユアの後ろから、そよそよと風が吹き始める。それはあるものを運んで来た。闇のように暗い色をした、無数の花弁達である。
花弁達はゆっくりと魔物に近付いてゆく。それはやがて魔物の水の中に吸い込まれ、透明な水の中に黒いもやがあるように残った。が、まるで魔物に力を吸収されでもしたかのように一瞬で消えてしまう。
「ソユアの魔法が…消えた…」
《防御魔法》で自分の身を守りながらソユアの魔法の一部始終を見ていたミユが呟く。だが、魔法が消えたソユアは落ち込む事も焦る事も無く、ただじっと魔物を見つめていた。
『この程度か、小娘よ。やはり我が力の一部となって我の思い描く理想郷を創り出すのがせいぜいの栄光となるのだろう』
魔物がソユアの方を向き、言い放った。ソユアは何も言わず、じっと魔物を見つめている。
『事実を言われ、言葉も出ないのか?人間の小娘が魔王様を倒そうなどと、戯けた事を言って、優越感にでも浸っているつもりなのか』
(…酷いよ。ソユアだって、頑張ってるのに。あいつはソユアの苦労も知らないで…)
「そうですね。確かに、優越感に浸っているのかもしれません」
ソユアが口を開いた。魔物はにやりと笑い、ソユアへ手を差し出す。
『この手に触れさえすれば、貴様は我の力の一つとなろう。貴様が賢明ならば、この道が最善のものである事は分かるだろう』
ソユアはその手に触れようとするように、自分の腕を上げた。彼女の手は魔物の手に、だんだんと近付いてゆく―。




