4章 夜の世界の住人(4)
ソユア達が源流の水を清め終え、シリンの元へ帰った頃―老魔術師ハクストの城内
『《水の精なる民》共の源流から、魔物の魔力が消えた。生力もだ。…死んだか』
老魔術師ハクストが不気味に笑いながら言った。
『まあ、良いわ。所詮在り来たりの魔物だからな』
彼はいち早くソユア達が魔物を倒した事を察知したらしかった。
『叔父上、貴方は何をしようとしている?何故、この地を、この光の世界を恐怖で支配しようとする…。貴方程の魔術師なら、かの地を手に入れた方が良いだろう』
近くに立っていた孤独の魔術師ディザイアが尋ねた。老魔術師ハクストは大きな目をぎょろりと動かし、孤独の魔術師ディザイアを見据えた。
『お前が知らぬでも良い事はある。…お前のような者には決して分からぬ事よ』
そして老魔術師ハクストは笑みを浮かべる。恐ろしい、残酷な笑みだった。
(昔から、この老人が苦手だった。この老人の事など、いくら俺が強くなろうとも理解出来ないのだと、ずっと思っていた)
『今でさえも、理解出来るとは思えない…』
孤独の魔術師ディザイアは俯き、呟く。
『儂の事など、理解しようと思わんでも良い。儂と比べてお前に欠けておるものは、あまりにも多すぎる』
『ディザイア殿、ハクスト様は貴方様の叔父上です。敬語をお使いになる方が適切だと思いますが』
近くに控えていたクレイン将軍が孤独の魔術師ディザイアの態度に耐えられなくなったのか、ディザイアに言った。クレイン将軍は、老魔術師ハクストに対して忠誠を誓っているのである。自分の主人を軽く見られる事には我慢ならないらしい。
『良い、クレイン。儂は気にしていない』
老魔術師ハクストがクレイン将軍をたしなめる。
『申し訳ありません、ハクスト様』
クレイン将軍は老魔術師ハクストに一礼をした。少しの間、沈黙が続く。
『ディザイア、大魔法使いシルクの勧めでソユアという名の小娘と会ったようではないか』
老魔術師ハクストは突然孤独の魔術師ディザイアを見、言った。
『源流の魔物を殺したのは、ソユアという名の魔法使いと、その仲間のようだな。お前が会った小娘では無かろうな?』
孤独の魔術師ディザイアは何も言わない。いや、何も言えないのである。老魔術師ハクストと孤独の魔術師ディザイア、実力を比べても、かなりの差がある。そもそもの事、取り巻く空気が違うのである。孤独の魔術師ディザイアですら、老魔術師ハクストの周りにいると息が詰まる。
『何故、殺さなかった?』
老魔術師ハクストがこの言葉を言った時、孤独の魔術師ディザイアは彼の空気に圧倒された。―怒っている。
孤独の魔術師ディザイアは直感的にそう感じたのである。最悪、自分が殺されるのだろうと思った。
『それは…』
やっと口を開いたが、やはり何も言えない。老魔術師ハクストはじっと孤独の魔術師ディザイアを見つめていたが、やがて言った。
『仕方があるまい。次に何か事をしくじれば、命は無いものと思え。クレイン、ザキリアを向かわせる。ソユアとやらを殺してくるよう、言いつけよ』
『ですが、たかが子供のために、将軍の一人を向かわせるなど…兵達で良いのでは?』
クレイン将軍が反論したが、老魔術師ハクストは譲らず、再び言った。
『ザキリアを向かわせよ。元より、あの女に将軍の器など無いわ』
『捨て駒になさるおつもりですか』
老魔術師ハクストは笑った。
『その通りよ。元より、メーデル暗殺者と戦った時でさえ押されていた。メーデル暗殺者はまだ当時、ほんの子供であったというのに。あの程度の子供に負けるようじゃ、将軍など百年早いわ。集めた魔法使い共から搾り取った魔力で体や魔法を強化させていて、あの力なのだからな。早く、ザキリアに知らせて来い。小娘共は時の塔へ向かうようだ。場所は後で伝えると言っておけ』
『御意』
クレイン将軍は一礼をし、部屋を出て行った。老魔術師ハクストと孤独の魔術師ディザイアが残される。
『そろそろ帰るが良い、ディザイア。どうやら、顔色が悪いようだが』
老魔術師ハクストが孤独の魔術師ディザイアを見つめながら言った。孤独の魔術師ディザイアは頷き、部屋を出て行く。扉が閉められた時、老魔術師ハクストは呟いた。
『時の塔…か。これはまた、厄介な事よ。あの小娘が水の女神の手を借りてしまえば、儂がこれまで積み上げてきたものも全て台無しになってしまうのか』
しかし、老魔術師ハクストはにやりと笑う。
『これでこそ、真の戦というものだ。魔法使いソユアとは、生死をかけて戦う事になるだろう。…必ず、見つけ出さねばならない。何を犠牲にしようとも厭わぬ。この光に隠れた地を、探し出さなければ…。あの者のためにもな』
老魔術師ハクストは再び、不気味な笑みを浮かべた。
孤独の魔術師ディザイアは老魔術師ハクストの城内にある回廊を歩いている。外はすでに夜になっていた。風は無いが、ひんやりとしている。大理石で造られた回廊に、足音だけが響いていた。
『魔法使いソユア…か』
孤独の魔術師ディザイアの頭の中に、ソユアが城に訪れた時の事が思い浮かぶ。自分の事をじっと睨み付け、敵意を向けていた少女。彼女は、十四歳の子供だとは思えない程に強い意志を持った目をしていた。
(闇の三大魔術師の一人である俺にあのような目を向けてきたのは、あの女が初めてか)
孤独の魔術師ディザイアに向けられる目は、そのほとんどが強い恐れだった。何しろ、対処する魔法すら存在しない《無限空間創造魔法》を操り、邪魔者は全て排除してしまうような男である。そばに仕える者達でさえ、始終彼の機嫌を取っているのであった。孤独の魔術師ディザイアは、周りが、まるで自分を生き物でない何かだと思ってビクビクしているような、何の面白みも無い生活に飽き飽きしていた。唯一、叔父である老魔術師ハクストには恐れの目を向けられなかった。むしろ、あの目は軽蔑なのだと言っても良いだろう。いつも孤独の魔術師ディザイアを認めようともしなかった。闇の三大魔術師の一人になる事が出来たのも、もう一人の闇の三大魔術師、鏡の魔術師シトレアの尽力があったからだった。一人が抜けて長くから空席になっていた闇の三大魔術師の席に、彼女が据えてくれた。
『…生き残れよ、魔法使いソユア』
孤独の魔術師ディザイアは天井を見つめながら呟いた。
『もう一度、あの目を見てみたい』
真っ暗闇の空の中、星達が瞬いている。辺りの闇は、孤独の魔術師ディザイアすらも吸い込んでしまいそうだった。




