4章 夜の世界の住人(2)
「何でしょうか?」
ソユアはシリンに訊いた。シリンはほっとしたように息をつく。
「聞いてくれるのね。それじゃ、話す事にしようかしら。この村はね、元々、町ではなかったの。《聖なる水》を守る村だったのよ。でもある日、住んでいた村が滅びて飢えた人々が訪ねてきた。その人達は貧乏で食べる物が無いから、助けて欲しいと言うのよ。無論の事、私達は助けてあげた。でも、一、二か月程経った時の事よ。《聖なる水》が無くなってしまっていたの。その後、町の人達が使っていた事が分かったわ。村の人達は怒った。当然の事なのかもしれないわね。まるで、助けてあげたという恩を仇で返すようなものだから。《聖なる水》が無いと、私達《水の精なる民》は生きていけないのよ…。でも、町の人達はこう言った。もう町と村は一緒になってしまったのだから使っても良いだろう、とね。村の人達は怒ったのよ。だから、怒りで心が澄んでいなくて、水を清められない。どうか、ソユア、あなたにやってもらえないかしら。あなたも《水の精なる民》なのだから…」
「…源流に行けば良いのですね。分かりました。ミユ様、メグ様、メーデル様。行きましょうか」
ソユアは伯母のシリンから頼まれた事と自分が《水の精なる民》である事から他人事とも思わず、快く引き受けた。《精なる民》とは、この光の世界の自然を司る女神達に仕えた“精霊”の子孫であると言われている。“精霊”達は女神に仕えていたものの、魔障によりその力を奪われてしまい、女神の元を離れざるを得なかったと、今に伝えられている。全部で五つの《精なる民》がおり、それぞれが火、水、風、大地、空の力を持っているのである。この力は、魔障に奪い取られずに残ったものだったようである。はたから見れば《精なる民》は優れた能力を持つ人々であるものの、彼らは自らの能力により創り出される“自然”が無くては生きてゆけない。例えば、《水の精なる民》。彼らは水の加護を得ており、水を清めて《聖なる水》とし、自在に操る能力を持つ。しかし、《水の精なる民》達は《聖なる水》が無ければ命が尽きてしまう。水の加護が無ければ生きられないのである。元々は水の“精霊”だったが魔障に力を奪われた状態で、今の力を保てている事も、人としての命を授かっている事も水の加護を受けているからだと言われているが、定かではない。
「う、うん…」
三人は、ソユアが《水の精なる民》である事に驚いている様子だった。メーデルはソユアが女戦士シリンの姪である事は直前に聞いていたものの、《水の精なる民》だったという事は予想していなかったのである。ソユア以外は、話について行けていない。だが、困惑しながらも皆、椅子から立ち上がり、源流へ向かう事にした。そして女戦士シリンに見送られて町を出、源流への道をたどり始める。
「ねえ、源流はどこなの?っていうか、ソユアもここの村の出身だったの?」
ミユは何でもかんでも疑問に思うタイプで、先程の話への質問をソユアにぶつける。もちろんこれは、メグやメーデルも不思議に思っていた事だった。
「いいえ、母がこの村の出身なのです。伯母様も」
「でも、驚いたなあ。ソユアが女戦士シリンの姪だっただなんて」
「もしかしたら、ソユア以外の私達の中にも凄い民族とか、地位とかの人間もいるんじゃないの?」
ミユが面白そうに頭の後ろで手を組んで言う。
「さあ…私も知りません」
「そっか…。まあ、良いか。そんな事知らなくても。少なくとも、私がとても高い地位とか、神秘的な民族の一人ではない事は確かだね」
ミユが気を落としながら言った。メーデルは、ソユアをじっと横目で見ていた。
四人が歩き始めてから二時間程経った頃―
「源流が見えてきましたよ。ほら、あそこです」
ソユアが指す場所には木々が丸く覆い、その中央には小さな泉が見えた。とは言っても、かなり遠い。
「しかし、厄介な事に源流の前の洞窟の中には魔物がいるのです。昔、村の人々が連れて来たんですよ。多分悪気は無かっただろうとは思うのですが…。《聖なる水》を奪い取ろうという者が来ても追い返せるようにしたかったのでしょうね。でも魔物は、《聖なる水》を使って自らを強くしたのです。そして、ある時は源流からただの普通の水しか送られてきていない時期もあったのだそうで…。しかも、魔物は《聖なる水》を自分の所有物であると思い込み始めたようなのです。でも、源流へ行くには避ける事が出来ない道ですから。行きましょうか」
四人は、再び歩き出した。洞窟の中はひんやりとして肌寒く、氷が散らばっている箇所もあった。
「あれ…よく見るとこの氷、人の形だわ」
辺りを見回しながら歩いていたメグが立ち止まって一つの大きな氷を指差し、ぶるぶると震えながら言った。
「まさか…人が凍っているのじゃないわよね?本当に…人じゃないのよね?」
メグは確認するように仲間達を順に見つめる。自分の考えを否定して欲しいのである。しかし、ソユアは首を振った。
「いえ、《魔法解析》の結果、この氷は人となっています。魔物に、凍らされたのでしょう…」
ソユアがより詳しく解析しようと氷に触ろうとした瞬間、洞窟の奥から老人の声が響いてきた。
「おやめなされ。その氷達に触るとあんた方も凍ってしまわれますぞ」
ソユア達がはっと振り返ると、老人が少し離れた所に立っている。
「わしはここに訪ねて来た中でただ一人生き残った者じゃよ」
(完全に、魔力も気配も、感じなかった。しかも、目が笑っていない。人間と考えるなら不自然…)
四人は一瞬で、老人が人でない“魔物”である事を悟った。
「つまり、魔物をお倒しになったという事ですか?……いいえ、そのような事は無いのでしょう。何故なら、あなたがその魔物ですから」
ソユアが杖を振り上げた。杖から一本の光の線が飛び出す。その光は老人の胸に当たり―包み込んだ。光に包み込まれた魔物は、不気味に笑いながら言う。
『私の正体が分かったのか…。これまでは誰にも分からなかったというのに…』
「こいつは、変化に生涯を費やしてきた魔物だな。よっぽどの強者だ。いや、それ程に多くの《聖なる水》を飲んで強くなったのか?」
そう言ってメーデルが魔物に触ろうとすると、魔物が叫んだ。
『触るな!人間共!お前達は穢れた存在だ!我らを倒せば、英雄だ何だと言って名誉を得る。なぜ、そのような事を望む?』
「私達は、名誉を望んではいません。望んでいるのは、人々の安心できるような世界にする事のみ。だから…」
ソユアは杖を振り上げ、唱えた。
「《我、火の精なる民。人類を導きし光を守る民。出でよ、我らの敵を倒す光よ。かの魔物に光を当てよ。さすれば敵は、聖なる水の効果を無くす》」
すると、メグが叫んだ。三人共、驚いている。
「ソユア!あなた、《火の精なる民》だったの?」
「そのような事よりも、魔物が!」
魔物は、光の中激しくうごめいていた。そして、本当の姿をソユア達に見せた。…それは〝虚無〟だった。何も姿は見えず、ただ魔物の生気が感じられるのみ。
「この魔物は…変化をやり過ぎたんだ…。自分の本当の姿が分からなくなっている。弱っている今なら、倒せるかもしれない」
「魔法を放ちますね。源流に用があるのは私なのですから」
ソユアはそう言って、飛び上がった。そのまま、彼女は唱える。
「水の相手は火。水の近くにいる魔物は火で倒す事が出来ます。《燃え盛る火炎の魔法》!」
ソユアの杖の先から、ボオッと炎が噴き出した。炎は魔物を包み込む。
「メーデル様、早く!」
「分かった。剣の使い手の実力を見せてやるとするか。《烈火斬》!」
メーデルは素早く飛び上がった。洞窟の天井を蹴って一気に魔物に接近する。火の力を纏った彼女の剣は、魔物に向かって振り下ろされる。
「《魔結界》」
ミユが魔物の足元に結界を創り出した。
「ミユ、あんたの結界、借りるわよ!僧侶の《攻撃魔法》は少ないけれど、これでなら大きなダメージを与えられるわ!《結界内魔法炎ノ舞》!」
結界の中が燃え盛った。結界内から感じる魔力が弱っていくのが感じられる。
「確実に、弱ってるね。次は、私の番だよ。…《闇の渦の魔法》!」
ミユの魔法が、とどめとなった。魔物の生気はだんだんと弱く、細くなっていき、ついに、消えてしまった。
「魔物が…消えた…。私達、勝ったんだ!」
「あれ?人が奥にいるのが見えますよ」
ソユアが奥を指差す。ミユ、メグ、メーデルは洞窟の奥の方を見た。ソユアの言う通り、小柄な女性がソユア達を見つめていた。




