敬具
昔から夏が好きだった。
世の中には嫌いな人のほうが多いだろうけど、僕は汗をかくとか虫が多いなどの理由で夏を拒絶したくない。
どこまでも伸びる積乱雲、畦道。青空を映し出す田んぼ、冷たい汗をかいたラムネ壜。
夕暮れ時の焼けたコンクリートが熱を失っていくこの匂い。
確かに夏は不便で涼しくなって欲しいなと昔はずっと思ったりもしていた。
けど、僕はいつしかこのちょっとした夏の一部に触れるだけで、夏って暑くてもいいかなと思えるようになっていた。
僕はいま、友人に来いと言われた河川敷までの道のりを途中コンビニで買った煙草と罐ビールが入ったレジ袋を片手にぶら下げながら歩いている。ひぐらしの鳴き声が心地いい。
近くの小学校からは塩素の匂いが鼻をつんと刺激し、古民家から聴こえてくる風鈴の唄い声は夏がまだ終わっていないことを知らせてくれた。
家からそう遠くない場所に位置しているため家にあるぼろいママチャリを使えば一瞬で着くのだが、陽が沈み切る前のこの景色があまりにも綺麗で無性に歩きたくなったのだ。
罐ビールがぬるくなっていくのをお構いなしに、誘蛾灯に沿って石を蹴りながらゆっくりと歩みを進める。
目的地へと続く階段を上り高架橋を抜けると、法面に腰を下ろしたそいつは向こう岸を眺めていた。
「おい。」
僕は声をかける。
「お、やっと着いたか。家近いのにおせぇよ。」
「悪い悪い。ほら、これ頼まれたやつ。」
レジ袋に入っている罐ビールを取り出し、それを目の前のそいつに放る。
「ったく。て、おい。ぬるくなってんじゃねぇかよ。」
「買ってきてやっただけありがたいと思え。」
友人は不機嫌そうにそれを開け、喉に流し込む。
「ぬるくなったビールほど不味いものはこの世に存在しないな。」
「じゃあ寄越せ。俺が飲む。」
「断る。」
そう言って再びそいつを流し込んだ。
僕の隣に座るこいつ。彼は大学に入ってから知り合った仲で、一年の春に同じ授業を取っていたところ知り合った。
たまたま隣の席になり授業が退屈で教授の悪口を言い合ったり、大学に対する不満を話しているうちに仲良くなった。
こいつとはよくこうやってここの河川敷に集まっては日が暮れるまで水切りをしたり、夜通し酒を飲んだり、彼の運転するオートバイのタンデムに跨って海へ行き、ただボーっと過ごし何もせずに帰る。
時にはバッティングセンターにある時代遅れのコインゲームで一日中遊んで、喫煙所でチェーンスモークして時間をつぶしたりと、とにかくくだらないことばかりやるそんな仲だった。
お互いくだらないことを好む人種だが、彼はそこそこスペックが高い。会話術も心得ており、筋肉質で上背もあってかなり顔もいいためモテる。授業はよくサボるため成績は良くないが、うちの大学へ通っている時点で優秀と言っていいだろう。本人曰く単位も今のところ問題ないらしい。入学当初から寄ってくる女性が彼の周りにはいたが、本人が言うには年上以外には興味がないそうだ。
「ふぅ、それで」
友人は一息つくと
「サボりか?」
「は?」
彼は煙草に火をつけもう一度話し始める。
「お前って案外滅多に休まねぇからさ、まぁなんとなくって感じだ。」
「なんだそれ。悪いけど普通に具合悪かったんだよ。」
「なるほどねぇ~」
そんな感じでこいつは僕をからかい、紫煙を燻らせ呑気に口笛を吹き始める。
そして僕も隣に腰を下ろし、罐ビールの蓋を開けて飲み始める。ぬるい。
その後、雑談をして煙草を吸い時間を流していく。
遊んでいた小学生の声はもう聞こえない。
すると友人が
「なぁ」
「ん?」
「なんかあったろ?」
「…。なんだよ…。」
「いや、これでなんもなかったら恥ずかしいけどな。でも、お前はいつも死にかけの目をしているが今日のは完全に死んでいる。まるでゾンビだ。」
『ゾンビ』
あながち間違えではないかもしれない。なにせ一度本当に死んでここにいるんだから。
にしてもこいつの観察眼には目を見張る。友人といえど一年ちょっとの付き合いにも関わらずかなり核心をついたところまで言及してくるんだからな。まぁ俺がそれほどわかりやすい雰囲気を醸し出していたってのもあると思うが。
「話しても笑うなよ。」
「おう」
「彼女と一週間後に別れる。」
「マジ?お前から切り出すのか?」
「いや、向こうから。」
「は?予告型破局?」
「なんだそれ。とにかく僕は彼女と一週間後の夜に別れるんだ。」
「向こうからそう宣言されたのか?」
「いや、何も。詳しく言うと僕は既に一週間後の夜に彼女と別れた僕だ。今お前の目の前にいる僕は別れた日から一週間前の僕だな。まぁお前から見たらただいつもより目が死に切っている僕だろうけど。」
「…。お前どっか打ったろ。」
「『#re****』って知ってるか?」
僕は友人の声を無視して話を進める。
「聞いたことないな。」
僕は友人に『#re****』について知り、それを実行に移した経緯を話した。その間彼は黙って話を聞いていた。
「とまぁこんな感じだ。だからお前の目の前にいる僕は一週間後、事を終えてきた僕だ。一度死んだね。こんな話信じてくれないだろうけど。」
彼が何も言わないので目を向けると黙って俯いていた。表情は窺えない。
「どうした?」
ついに頭がおかしくなったと思って呆れているのだろうか。無理もない。そう思っていると彼は急に
「あっはははははは!」
声を上げて笑い出した。気狂いみたいに。
「笑うなよって言ったじゃんか…。」
「はー、悪い悪い。あまりに真剣にそんなこと話すもんでな。」
「やっぱり信じてもらえないよな。」
「いやぁ、信じるよ。こんなクソみたいな世界だ。そんな話が1つや2つあったっていいと思うぜ。それに俺は嘘か嘘じゃないか臭いでわかっちまう。」
彼はふざけた様子で言った。
「レオンのノーマンかよ。まぁ、お前に話して正解だったな。」
「それでそれでどうだ、いっぺん死んでみた感想は。死はセックスより気持ちいいって言うもんな。」
「なんだそれ。まぁ実を言うとよく覚えていない。死ぬ時も上手く急所を狙えたのか一瞬だった。でも死んでから初日の今日の朝は自分で手をかけた頸動脈に違和感を感じてそれで起きた。」
「なるほどなぁ。そもそもなんであの子は別れようって思ったんだ?てか、死ぬときって誰かに連絡やったか?」
「なんで別れを切り出されたたかは正直今もわかってない。なんか自分を責めてる言い方はしていた気がするけど、まぁ俺に何かしら非があっても隠してくれたんだろう。彼女なりの配慮で。あと悪い、そんな余裕はなかった。」
「ひでぇやつだなまったく。」
「ほんとそれな。」
そしてお互い吹き出した。すると彼から
「でも1つ気になることがあるな。」
「ん?」
「それを決行する奴って『絶望の淵』に立ってることが大事になってくるんだろ?例えば、借金まみれになって地位も名誉も家族も全部失ったやつがそれをやるとしたら、『あの時さえ間違えなければ。』、『あの時まで戻れたら。』そう願って、自分のやり直しがいくらでもきく時まで戻るわけだ。でも、似たような過ちを繰り返したら?幸せを願った筈なのに想像と違うものだったら?『絶望の淵』に立っていたら?俺はその仕組み、自分がこれからの人生を幸福に生きていける確信を見つけられるまでが1つだと思っている。自分が自決したその時までに。すなわち、それまで幾度となく繰り返される。」
「お、おい。怖いこと言うなよ。」
「まぁ、これはあくまで俺の考察で妄想だからな。そんな気にすんな。」
「でも、僕は決行するとき中学生の頃を願った筈なのになんでよりによって一週間前なんだ…。」
「さぁ。そこからが一番最適解を見つけるのにいいってことじゃねぇの?」
「よくも友人が困っているのに呑気にと…。」
「はいはいこの話終わり。なぁ、花火やろうぜ。」
「は?」
「夏と言えば花火だろ。ほら」
そういえばここへ来た時から気になっていたが、こいつの隣にはデカい袋と青いバケツがあった。そこからよく親戚や友達とかと集まってやる色んな種類の手持ち花火が入っているやつを取り出した。
「なにが悲しくて男二人で花火しなきゃなんないんだよ。」
彼はウキウキした表情で
「そんなこと言わずにやるぞ。ほら準備準備。」
僕らは高水敷に降りる。
□□□
色とりどりの花火が夏の空気、夜空と調和していてとても綺麗だった。そして、締めの線香花火を始める前、彼はこんなことを言い始める。
「俺さ、花火嫌いなんだよな。」
「じゃあなんでやってんだよ。さっき打ち上げのやつやったとき楽しそうだったろ。」
「ククッ、まぁな。花火って俺が高校生の時住んでたとこだと夏休みの終わりにやるんだよ。もちろんみんな毎年楽しみにしてて、出店とか彼女の浴衣姿だとかしばらく顔を見てなかった友人に会えたりみたいなイベントがあって、そんなとこは俺も楽しみにしてた。」
「うん。」
「でもさ、フィナーレが近づいてくると何かもう少しで掴めそうだったものとか、何か寂しい気持ちが心の中に残るんだ。それが何なのかはわからない。でも俺はそんな気持ちになるのがすごい嫌いだった。手紙も敬具が近づいてくると寂しい気持ちにたまになったりするのと同じさ。」
「なるほどな。」
彼が話し終わると、僕らは線香花火にひをつけた。辺りは真っ暗なため、小さな小さな太陽が浮かんでいるみたいでとても綺麗だ。
僕のが先に落ちて、その後彼のも落ちる。片付けが終わったあと、僕らは残りの煙草を吸い始める。
「あ、そうだ。最後にひとついいか。」
「どうぞ。」
彼は紫煙を吐き出し、続ける。
「花束ってどう思う?」
「…綺麗だなって思うよ。」
「だよな。それが普通に思うことだろう。」
「うん。」
「でもさ、花束って地面に命を張った花たちを摘んで、それをひとつにしてできたものだろ?」
「まぁそうだな。」
「花束は本来あるべき場所から奪うことで価値を形成する。これって強盗となんの違いがあるんだろうな。」
「…。」
僕は半分以下になった煙草を咥えながら黙って話を聞く。
「俺がいた中学校ってさ、バスケが結構強かったんだよ。それこそ県でもトップに食い込むくらい。そん中で俺の友達は初心者ながらも必死に食らいついて、スタメン勝ち取るくらいまで成長していった。」
「うん。」
「でもいきなり転校生がやってきてさ、バスケ部に入ったんだよ。因みにそいつもバスケはほとんどやったことがなかったらしい。でもそいつセンスがよくてな、部員のプレーを見てどんどんいいとこだけ吸収していった。そこまではいいんだ。その吸収したもんをさらにいいものにしちまうんだからな。驚いたよ。そしてギリギリ食らいついていた俺の友達はレギュラーから外され、意気消沈してそのまま引退を迎えた。勝負の世界だからしょうがないとかそいつの努力だろとか言われるかもしんないけど、きっと俺の友達の目からそいつは『強盗』にしか見えなかっただろうね。結局この世にある美しいものとか強さを持つものって、奪うことでしか成り立たないのかなって思ったよ。」
「そうか…。」
「はい、以上俺の好きな歌の考察を交えた薄っぺらい話でした~。」
そうして彼は笑いながら立ち上がり、夜空を見上げた。
「今日はお開きにしよう。明日は来るだろ?」
「あぁ行くよ。」
「じゃ、俺の考えが当たらないことを願って明日から彼女と頑張れよ。」
「うん頑張るよ。」
「じゃあな。」
彼は僕の帰る道とは逆の方に歩みを進める。最後の一本に火をつけ、来た時同様、石を蹴りながらゆっくり帰る。虫除けをし忘れて身体中が痒かった。