外側の傷、内側の傷
僕の好きな小説の一文を抜粋するなら、
『それは世界から色が一つ失われてしまうのと同じくらい、致命的な損失に思えた。』
それくらい僕にとって、彼女を失ったということは人生において大きな欠けだった。そして、その人生は今終わりを告げようとしている。
彼女と過ごした一年ちょっとの間は、間違いなく潤いを持っていたと言えるだろう。
遊園地や動物園、ショッピングや映画館で流行りの映画を観に行くような世間一般のカップルがよくやるデートももちろんしてきた。
けど僕は、ビデオ屋で借りてきた古い海外ドラマ、歪んだ恋愛もの、誰が観るのかわからないB級作品をひとしきり観終わっては、あーだのこーだの感想を言い合ったり、お互い無言で本を読み耽ることで、世界に僕たち以外誰も干渉してこない気分に浸れるあの時間を過ごしたり、休日には逃避行をするように適当な電車に乗って目的地を決めず、知らない場所で降りて知らない町を二人歩くことが普段の彼女からは見えない誰も知らない一面を見ているようでとても楽しかった。
今となっては彼女が本気で楽しんでくれていたかは定かではないが。
『#re****』を決行しようと思う。成功しても失敗しても構わない。
今の僕にはこの状態で生きていける勇気がないのだ。
確率がどうであれ、これをする以外に状況を打開できる方法が浮かばないし、考えている余裕もなかった。
因みに身内には何も伝えていない。親不孝だと心の底から思った。
準備をする為に身体を動かす。動いていない状態が長く続いたので立ち眩みがした。
それに胃に固形物を何も入れてなかったため、空腹を越えて気持ち悪い。冷房にずっと当たっていたこともあって気が付くと唇が震えていた。
やっとの思いで台所に着いて刃渡15㎝程の包丁を手に取る。数日前の夜に鍋の具材を切ったため、まな板の上にそのまま置いてあった。
よろめきながらリビングへと足を運ぶ。テーブルの上には数日前の鍋が置いてあり、ちょうど日に当たっていたため変な臭いを放っていた。
僕は彼女が当時座っていた場所に腰を下ろす。部屋の中は冷房が効き過ぎてて寒かった。外の世界との対比が起きているかのように。
彼女は別れるときこう言っていた。
「あなたとこれから先一緒に過ごして、あなたに我慢させてしまうことだらけになる。幸せになれる未来が見えない。」
それを言ったとき彼女は悲しそうであったと同時に苦しそうだった。彼女は僕が何かを言う前に出て行ってしまい、今に至る。
なんで最後に自分が悪いみたいな言い方をしていったのだろう。
僕にも絶対非があったはずだ。最後まで言わなかったのは彼女なりの優しさ故なんだろうか。
思えばいつもそうだった。いや、自分もそうなのかもしれない。お互い相手は悪くなく、自分のせいだって決めつけていた。それが積もり積もってしまったのかもしれない。
考えるのをやめ、包丁を横向きにして目の前に置く。スマホのSNSを開いて自分が戻りたい時がいつなのかを考える。
「そうだ、中学生にしよう。僕にとってあの頃が一番充実していたと思うし、大事な選択も色々やり直せる。あそこからやり直して彼女と出会わない、忘れられる世界線を創るんだ。」
そう独り言を発し、中学校の入学式を思い出しながら『#re****』で今日の日付を打ち込み投稿する。スマホを床に置き、僕は包丁を持った。
深呼吸、心臓は不思議と加速していない。結果がどうなろうと受け入れよう。
最高な人生だった。
---僕は頸動脈に手をかける。