智の蔵での問答
「ふぅん、成程ね、それが昨日言ってた調べてほしいものって訳か」
街に幾らでもある廃ビルの一角、その中の一つで、ラッセルが僕から包みを受け取った。恐らく昨日も馬鹿騒ぎをしていたのだろう、彼の周りには数えるのもおっくうな程酒瓶が転がり、数人のチンピラが鼾をかいてる。
その部屋の真ん中にあるバネの飛び出たソファに寝っ転がったまま、ラッセルがつまらなそうに資料を見た。
「そ、街の中の人は駄目だよ? 見つかると偉い事になるからね、一応連続殺人犯の犯人の可能性が高いんだから、囮付きで外部をよろしく」
体を起こし、「ふぅん」とラッセルがつまらなそうに呟く。
魔術師ギルドの一職員に過ぎない筈のラッセルの裏の顔、そのうち一つがこれ、非合法の情報屋である。町の中どころか、外にも結構コネクションを持っているらしく、その情報は早くて正確。実の所、色々な意味で僕たちの事務所としても多いにお世話になっている人物である。まぁ、人格的にはクソなんだけど。
「連続殺人犯がらみ……か、んじゃあ安くしといてやろう、どれくらい出せる?」
「先日入ったばかりだからそれなりに、と、そっちにも被害が?」
彼の助力の見返りは基本、彼の気分で決まる。しかしその中でも絶対に変わらない決まりがあり、その中の一つが『彼のグループの為になる事は大幅値引き』だ。
利害が一致したら利用しやすくなるこのシステムもあり、しがらみの多いこの町では、僕含めて彼を真っ先に頼る人間は多い。
「そ、まだウチのは殺られて無ぇ。だがまぁ被害者の中にゃあニアミスしてるのも居るし、早く終わるにこした事は無ぇからな。夜の街もロクに歩けないなんてアホみたいじゃねぇか」
「夜の廃ビルで酒盛りしてる人が言う事なのかい、それ? ……まぁいいや、安く済むなら安く済むで助かるから良いね、よろしく頼むよ」
「了解、ま、任せときな」
よし。これで用事は一つ終了だ。
「ああ、あともう一つ、町中で起きてる連続殺人事件の資料も欲しいんだけど、ある?」
僕の問いかけに、ラッセルが唇を吊り上げる。
「いや、ギルドにある分とほとんど変わらねぇな。お前なら閲覧許可は出るだろうし、ちょっと寄ってみたらどうだ?」
「そうだね。どうせギルドでも調べ物はする予定だけど……どうせギルドで解ることなら、ここで教えてくれよ。僕としても、第三者の視点での意見が欲しいしね」
僕も笑顔で答える。ラッセルが顎をしゃくった。
「はいよ、商談成立。んじゃあ確認と行こうか」
その瞬間、周りで鼾をかいていた筈のチンピラ達が一斉に立ち上がり、一糸乱れぬ動作で携帯をテーブルに並べる。どう見たって訓練された動きだ。
「素人集団……ね?」
僕の言葉を無視して、ラッセルが机の上に広がった携帯端末十機分程の巨大な立体地図に次々とチェックを入れていく。
「死体が見つかったのは今の所市都内十三か所、警察は一向に進展の無い捜査にてんてこ舞いだし、街の中じゃあ巻き込まれたくない奴とかが仕事休んだり、そもそも警察が深夜の外出を刺し止めたりとかで静かなモンだな」
ま、それでも電車は終電まで動いてるし、コンビニはしっかり二十四時間営業中、昨日の事件じゃないけれどファミリーレストランにも毎日利用者がしっかり居る。
君子危うきに近寄らず……と言う言葉もあるけど、社会の流れに人間は逆らえない。自分が死んでいない以上、人間の危機感なんてこんな物なのだろう。
『物騒だから気を付けて』という言葉が無力だと知るのは、きっと言われた自分が死ぬ直前か、大切な誰かの死体を見たときのどっちかなんだろう。
「場所はバラバラ、大抵は見つからない様に廃ビルの中とか、空き部屋とか……酷い所だと三件目のテキルトってヤツの事件と七件目のトゥクルタって奴の事件かな、それぞれ妻と息子が自宅内にて惨殺死体で発見、残りの家族も行方不明……家の中から腐臭がして漸く近所の住人が警察を入れたんだと」
発見が早くても誰が助かるわけでもない。むしろ首を突っ込んで巻き込まれる人間が出ないだけよかった。
……理屈でそう蓋をしてしまうのは簡単だけど、それでも惨殺されて腐るままで放置なんて、哀れだとしか言いようがない。
「救われないね、きっと家族も無事じゃないだろうに……あ、もしかして行方不明も視野に入れると被害者がさらに増える?」
「ここ最近の行方不明者を入れると被害者は倍以上になるな……もっとも、この町が煮えてるのはいつもの事だし、行方不明なんて数えていけばキリが無ぇけどさ」
「まったくだね、家出捜査は事務所の仕事の実に三割を占めてるし」
この街において、家出の半分は危ない人や魔術師絡みの事件に巻き込まれるから、大抵は警察や探偵よりもこっちに御鉢が回ってくる。『家出捜査は街のゴミ掃除の口実だ』って警察が堂々僕たちに言ってた位には行方不明事件に巻き込まれが多いのが実状だ。
「ま、そう言う事、気になるなら後でリストでも送っとくさ。で、場所をどう見る?」
言われて、地図上のマーキングされた場所を見る。そこかしこに点在する赤い点は、ビルの屋上から路地裏までてんでバラバラだ。
「これだけじゃ何ともねぇ……現場の遺留品とかって何か聞いてない?」
「サツ入ったしあんまり儲けにならなそうだからギルドに入ってる以上の情報は調べて無ぇな、別料金で探りいれるか?」
「いや、今無いならこっちでギルドに回される分で良いさ、それよりも成るべく早めに解析結果を出して欲しいかな」
「ははっ、柄にも無く焦ってんじゃねぇか? 渡りを付けるのも結果を届けるのも俺たちだけど調べるのはこっちじゃ無ぇぞ」
「ま、そうなんだけどね」
顎を指でさすり、もう一度地図に視線を写す。この広大すぎる街の中で、たった十三個の点だけでは、何も解らないも同然だ。
「参考までに聞いてみよう、何に見える、ラッセル」
答えには期待していない。唯の戯言を言って脳を動かす。
「論外、そんなの幾らでも解釈できる、星座と同じだ。お前さ、その当てがあってここに来たんじゃないのか?」
予想通りの答えだ。だからこそ僕も用意してた答えを返す。
「無い訳じゃあ無いね、まぁそっちは僕の管轄だし。ま、これだけは言える事として、まだ増えるよ、死体」
僕の言葉に、ラッセルが眉を顰める。
「その理由は?」
「現状で出てる情報を整理して、犯人と思わしき目星が出てる。僕の知ってる犯人だったら『無駄な事』はやっても『無意味な事』は絶対にしない。コレが無作為な点でしかない時点で『まだ終わらない』と宣言している様なものだからね」
あえて『僕らでは解らない事を終わらせた』という可能性については考えない。
僕の言葉に、ふぅんと気の乗らなそうな声を上げるラッセル。
とにかく僕の方ではこれで用事が終わったので、ここから立ち去るとしよう。
「じゃあ、情報ありがとうね、僕はこれで失礼するよ」
「ん、くたばるなよ」
どうだろう? その言葉には素直に頷く事が出来ない僕がいる。なので手だけで答えをしめし、そのまま廃ビルを後にした。
もう一つ行かなければならない場所として、僕は魔術師ギルドに顔を出した。
今日はそれほど面倒な要件で顔を出した訳じゃ無いので、このまま直接受付に行く。
神様がたまに僕に微笑んでくれたのか、受付に居たのはギルドの癒し担当マスコット、ノインちゃんだった。
「あれ? おはよーございます。ケイさんが賞金首の報告意外にギルドに顔を出すなんて珍しいですね?」
きょとんとした顔でノインちゃんが首をかしげた。左目を隠しているショートヘアが首の動きに一瞬遅れて揺れる。
「まぁ、ここには顔を見るとぶん殴りたくなる奴が多いからね、具体的に言うとラッセルとかラッセルとかラッセルとかフィオナとかフィオナとかフィオナとか」
僕の言葉にノインちゃんが苦笑。
「あは、ははは……ラッセル先輩はともかくとして、フィオナさんは立派な魔術師じゃないですか? 何かあったんですか?」
ごく自然に自分の直属の上司を切り捨てるノインちゃん。素敵である。
「まぁ……功績だけなら立派だけど、正直同年代の筈なのに境遇の差が切なすぎて直視できない」
年収の差とか、所属する事務所の規模とか、人類にはどうしようもない溝と言う物が確かに存在するのである。
『巨大剣使い』フィオナ・ディアマントと僕達は、何だかんだで共闘させられることが多い。
街最大の事務所に所属するホープと、街最小の事務所の僕が組むと言うのは、なかなかにシュールかつ不思議な光景と覚えられていて、結構噂にもなっている。
まぁ、『フィオナが事務所内で出世したくて、便利な駒として僕達をヘッドハンティングしたい』だとか『どうせ外から戦力を補給するなら安い所、それも強くてこき使える所がいい』とかいう悲しすぎる現実がその噂の真相なのだが。
というか、実力なら僕だってフィオナに負けてないと思うんだけど、何で腕前相当の仕事と同僚が来ないのだろう?
「まぁとにかく、そういう人が多いからしょうがないね、ちなみにノインちゃんは殴りたくは無いけど、押し倒したくなるからやっぱりそう言う意味でもここには顔を出せないかな」
「うわわわわわっ、何言ってるんですかー!? 冗談でもそう言うのは止めて下さいよー!」
両手で真っ赤になった顔を押さえてノインちゃんが抗議する。その反応が楽しまれていると本人はまだ気が付かないのかな? や、永遠に気が付かないんだろうね。
「う~ん、押し倒すのは確かに冗談なんだけど、でもそれを抜きにしてもノインちゃんはカワイイと思うけどね」
「だ~か~ら~、そういう冗談は禁止ですっ! ボクなんかからかってもしようが無いじゃないですかっ!」
う~ん、今までからかいすぎたかな? ノインちゃんが可愛いと言うのは結構本気なんだけど。
というか彼女はそろそろ自分の胸に揺れている二つの凶器の存在と、魔術師たちを癒しているほんわか笑顔に秘められたパワーに気付くべきである。
「まったくもうっ! それで、御用件はなんですか? ケイさん」
少しの間頬を膨らませていたノインちゃんだったが、すぐに笑顔に戻って要件を確認してくる。話が真面目になったので、僕も表情を引き締めて仕事の話を切り出した。
「ああ、書庫を開けて欲しい。悪魔関係と亜空間形術式、それと異世界関係の専門書が欲しい、魔道書も含むから許可の申請をよろしく」
僕の言葉に、特に表情を変える事無く頷いて端末を操作する。
「了解しました、では書庫の申請と準備をしますので少々お待ち下さい」
ぺこりとこちらに頭を下げるノインちゃんに、会釈で答えた。
受付のやり取りから二時間くらい後に、だだっ広い書庫の中で本に埋もれる僕が居た。
「悪魔召喚の術式はやっぱり儀式と触媒、一番楽なのは生贄が必要……か」
分厚い悪魔関係の書物から目を放して、一人で呟く。
まるで危ない人みたいに見えるかもしれないけど、こうした方が頭の中がすっきりとまとまるのでついやってしまう。
「あ、ノインちゃん、悪いんだけど例の連続殺人の現場状況と死体の状況の記録くれない?」
傍らで新しい本を運んできたノインちゃんに声をかける。ノインちゃんが頷いて、本を傍らに置いてからカウンター近くの端末に向かう。
ノインちゃんの検索作業中に、もう一度魔道書に目を向け召喚の術と印を確認する。生贄と魔法陣を再確認。
地図の線を結んで見るけど……
「駄目だね、コレは」
幾つも、いくつでも再現出来てしまう。術式は複雑な幾何学模様を描いている物が多く、線が全く無い点だけの状態では、どんな魔法陣も完成はしない。
まぁ元々期待していた訳でもないし、これはもうこれだけで良いだろう。
「あ、これ、事件現場の情報です」
ノインちゃんが情報出力用のモニターを手渡してくる。ギルドはこの手の事件の解決も仕事の内なので、ある程度ギルドの信用さえあれば個人でも警察からギルドに回された情報の閲覧ができる。
とはいえ、信用が重要な為余所者はまず無理だし、所属期間が長くても信用審査は厳しい、普段の所素行不良者や普通程度の仕事しかできない人間はまず信用されない。
例えば僕は(ラッセルの口利きもあって)受付を通して申請すれば閲覧できるけど、一緒に事務所を構えてるサボり魔かつお気楽の権化みたいなイリスは一人では閲覧許可が絶対に下りない……といった具合だ。
端末を操作して流してみると、出るわ出るわ、現場情報や、どのような証拠があり、ギルドへの解析以来とその発見場所などのチェックと共に、吐き気を催す真っ赤な画像が羅列している。
「うわ……これは酷いね」
呟いた僕に、ノインちゃんが目を伏せる。彼女の仕事はデータを検索して呼び出した端末を渡すだけなので直接この画像を見た訳ではないけど、僕の言葉と事件の話から中身を想像したんだろう。
「ごめんねノインちゃん、詳しく内部の様子を見たいから端末の内容をこの部屋に立体投影するよ? 見たくないなら休憩して外に行くか、音声は無いからしばらくお昼寝してて」
本当だったら資料持ち出しを回避するため、ノインちゃんを部屋から追い出すのは禁止なんだけど、やることがやることだし、ここで警戒されるほど信用が無いと思いたくないので確認を取っておく。
「あ、ありがとうございます……では、失礼して」
ノインちゃんがこちらに一礼して、顔を伏せる。どうやら流石に外をうろうろする勇気は無いらしく、お昼寝を選んだようだ。
僕は僕で端末を立体に切り替えて拡大、テーブルの上に縮小された部屋の壁が出現する。
血まみれの部屋の中から、発見された物についてのデータを拡大したり、ギルドの専門家の見解などを子細にチェックする。
「魔法円が幾つか発見……いずれも異世界召喚系統だが、部分部分のみで召喚を行う用途としては不完全……同一犯である可能性は濃厚だが、魔術関連の知識の程はさほど高く無い可能性があり、か」
更に端末を操作、僅かな血痕でできた印や、遺留品を逐一調べていく。
「こんなに沢山人を殺して、魔法陣もたくさん書いてるのに不完全なんですか? 魔法陣自体はあってるんですよね?」
僕の耳元に声が届く、顔を上げるとノインちゃんは突っ伏したままだ、どうやら眠くは無いらしい。
声をかけられて放っておくのも悪い気がするので、答えるとしよう。
「うん、そうだな……解りやすく……魔法を学校の勉強に例えよう。最終的な数式の合計が出てくる悪魔、で、僕が悪魔を召喚しようと思ったら、数字の合計を悪魔の数字に合わせなければいけない」
立体化した現場の様子を一旦スリープしてから、ノインちゃんに顔を上げる様に促す。ノインちゃんが多少警戒しながら顔を上げた所で、同じ端末の電卓を起動してノインちゃんに示す。
表示されているのは+8、-2、×3、÷4だ。
「この数字は何ですか?」
「これは一礼、こう言う数字と記号が魔法陣だと思ってね? で、コレがくっついて……そうだね、例えば解が4になる様に組み合わせると、悪魔『4』を召喚できる」
僕の指がタッチパネルを滑り、「4」の字を表示する。
「ふむふむ」
それを見たノインちゃんが頷いた。その表情は真剣そのもので右目はキラキラと輝いてた。
「で、当然悪魔を呼ぼうと思ったら悪魔の数字をしっかり確認して、膨大な数と式をそこにそろえなきゃいけない。
今の例で言うのなら六桁とか七桁の数字を作る為の数式だと思ってくれれば良いかな。あ、ちなみに使える数字と記号にも制限があるよ? これが生贄と現場に残されている魔法円だね」
「ななけた……凄いんですね、悪魔召喚」
ほへ~、とノインちゃんが肩を落とす。
僕の口から、微笑ましさ半分、苦笑半分の笑みが思わずこぼれた。
「凄くなきゃ大変だよ。断言できるけどもう少し簡単に呼べたらこの星、戦争に使われた悪魔に乗っ取られてるしね」
「そう……ですよね、悪魔の軍事転用とその被害、甚大でしたからね」
魔術師に関わる一般常識、魔法史の一ページを思い出してノインちゃんが何処か悲しそうな顔をする。
「召喚に使われる略式魔法陣が禁呪指定されるまでは『何かあったら召喚しとけ』っていう雰囲気だったからねぇ……。
特に人間同士の戦争で悪魔ぶつけるのは周りの国に対する倫理とかも含めてアレだったけど、近くに巣を張った強力な魔物の類に異世界人を召喚して、時間稼ぎの生贄兼様子見としてぶつけるのは常套手段だったし。
この時代に一体何人異世界の少年少女が『貴方は選ばれた勇者です』の唄い文句で粗悪な剣一本持たされて投げ出されたか」
文字通りの逃げ場無し、当時の勇者諸君には心から同情する。まぁ、ごくたまに本物が混じってて魔物を輪切りにしてたりするけど。
「おっと、話が脱線したね、今回の事件の何が変かというと、この答えを呼び出す為に必要な式がばらばらで、どこに何を呼び出さなきゃいけないものか固定できないんだ」
「はえ? つまりどういう事です?」
「うん、簡単に言うとね、計算式の途中にいきなり『この時代に起きた事件を答えよ』とか『以下の文を帝国語訳せよ』とか、全然違う問題が入ってる様な感じ。一つ一つ見れば要素として間違ってないんだけど、組み合わせようが無い位に致命的にちぐはぐなのさ」
「成程、だからギルドの魔術師さん達は『式そのものは知ってるけど使い方を知らない半人前』の可能性を疑ってるんですね」
ノインちゃんが腕を組んで、『なるほどなるほど』と何度も頷く。僕は一方で、別の悪魔関係の本を読みながら口を開いた。
「それだけじゃない、しっかりとした魔法を行う大事な理由がもう一つある」
「ふええっ? まだあるんですかっ! そろそろ私の頭はパンク寸前なんですけどっ……」
「あれ、そう? じゃあ止めとこうか? どうせ悪魔召喚についてなんて雑談なんだしね」
こっちとしてもあんまり雑談に時間を取られるのも何だし、ぶっちゃけて興味の無い蘊蓄ほどつまらない物もこの世にないしね。
だけどノインちゃんはすぐに手を振った。
「いいえ、そう言われたら気になっちゃいますんで続きをお願いします! ええ、是非」
どうやら興味はあるらしい。僕としてもこうやって他人に何かを説明するのは嫌いじゃ無いので続けようかな。
「はいはい、じゃあ続きね……術式をしっかりいじる理由は簡単だよ、例えばノインちゃん、キミが突然上司……いや、猿に呼び出されたと仮定してくれ」
顎に指をあててから、ノインちゃんが渋い顔。
「文脈のせいで一瞬お猿さんになったラッセル先輩が出てきました」
「良いんじゃない? 彼、猿みたいな物だし」
結構素で出ちゃった一言だったけど、当のノインちゃんは結構困った顔をしてる。
「あ、あのー、流石に酷いんじゃないでしょうか? それ……まぁいいや、それで、それがどうかしたんですか? ケイさん」
「そのお猿さんが言いました『貴女には私には無い魔法の知識がある。向こうに私達の嫌いなボスザルが居るからその知識で捕まえてそのまま殺してくれ』さて、キミならどうするかな? ノインちゃん」
あまりに突拍子もない質問に、ノインちゃんが顎に人差し指を当てて少しだけ思考に没入。
「へ……そうですねぇ……理由も知らずにお猿さんを殺すのは嫌ですからお話を聞きます」
「どうやら聞いてくれないね、それどころかどこからか棒を持ってきて君をひっぱたこうと暴れ始めたよ?」
「うわわっ! それはちょっと怖いですね。でもお猿さんなら抵抗できないでしょうから、ちょっとした拘束魔法を……あ!」
ノインちゃんが口元を押さえる。どうやら気が付いたみたいだね。
「そう、悪魔を使役するのが難しい。『人間より強く』無ければわざわざ生贄を使って呼び出す必要も無いしね、記録に残るほとんどの悪魔は単純に強大なやつか、よっぽど厄介な能力を持ってるんだよ……でも、そう言う存在だったら簡単に反抗されてしまう可能性が高いんだよ」
「そう言えばそうですよね……あれ? じゃあ何で悪魔って人間に使役されているんですか?」
「それが召喚陣が複雑になるもう一つの理由さ、実の所、この世界に召喚されている悪魔のほとんどは、完全な形では無く、一種の分身みたいな形でこっちの世界に来てるんだよ。
で、その分身の出来栄えは呼び出す側のこっちの材料と、呼び出すときの魔法円で決まってくる。
要するにさ、わざと『不完全』な状態で呼び出しておくことで、『完全に戻りたい』もしくは『こちらの世界で行動を起こすのに十分な能力が欲しい』とかそういう理由があると言うのなら、契約に従え、といった具合に交渉を挟む事ができる……と言う訳だ」
「成程……だから悪魔と言ったら契約なんですね。あれ、でもこれ、悪魔さん一方的に損してません」
当然の疑問だね、だからすぐに答えを返す。
「そうでもないよ、この契約は悪魔の方にも『より少ないコストで他の世界にちょっかいをかけられる』っていう利点を生み出したんだ。
本来の世界でどうだか知らないけど、異世界で強いんならそちらでは好き勝手ができるから、賭けではあるけど利点も大きい。その中で自らの中で不用と思われる機能の情報を切り捨てれば、より簡単に他の次元に行くことができると聞けば利用しない手は無い、と言う事さ。
そうして別の世界に渡ってしまえば、後は適当に自分の能力を売って、この世界の人間から魔力と生物の構成情報を借りてそれを基に身体の足りない部分を再構築すれば良い。
……解りやすく言うとネットゲームかな? 召喚に応じるっていうのは、コストが低い変わりに行動に制限のある無課金版のようなものだと考えてくれれば解りやすいと思うよ。
だからこそ連中は結構こっちの世界で『肉体』や『完全復活』みたいな、いわゆる『完全版』を求めるのさ」
しまった、思っていた以上に長い説明になってしまった。ノインちゃん、頭から煙を出しながら「ほえ~」とか「ほへ~」とか言ってるけど、大丈夫かな?
「はえ~、なるほど、で、今回はそれは無い? と」
「ああ、だからこのままだと、もし召喚に成功したとしても、自分の思う通りに操るなんて不可能だろうね……
『呼ぶ』ことしか考えてない当たり、いかにも素人臭いと言えば臭いんだけど、この手の素人は普通いろんな所に普及してる『契約』と『召喚』がワンセットになってるの以外は習得できないだろうし、本当、不思議な犯人だよ」
「はい~、頭がこんがらがりましたけど、何とか理解ができましたっ!」
理解がいったのだろう、ノインちゃんがぐっと拳を握る。彼女は彼女で納得したようなので、これならもう一つの理由を説明する必要はないだろう。これ以上話が脱線するのもどうかと思うしね。
「……よし、解った所で作業を」
「あれ? 所で、見つかったのって魔法円って言ってましたよね? 魔法陣と違うんですか?」
と、そこに気が付くとは、話を切り上げようと思ってたんだけど、どうやらもう少し雑談に興じる必要があるみたいだね。
「魔法円は魔法陣を構成する要素の一つだよ。魔法円と魔法円を結んで、効果を発揮できるように互いを繋いだのが魔法陣なんだ。つまり、この現場にはちぐはぐで大量の魔法円が残されていたくせに、それらを繋いで魔法陣として機能させる魔法線が存在しないのさ」
「はえ~っ、勉強になります。つまり、いろんな国の調味料や調理器具を沢山用意してあったのに、肝心な食材が何も無かったから犯人はお料理初心者……てことですねっ!」
ぽん、とノインちゃんが手を打った。当たらずとも遠からずと言ったところなので、僕も顎を引いて肯定する。
「まぁそんな所かな、じゃ、納得行ったら作業を再開するけど、大丈夫かな?」
「あ、はい、解りましたぁ」
もう一度ノインちゃんが顔を伏せた所で作業を再開する。やっぱり魔法円の欠片や式が幾つかあるだけでそれを効果的に使う為の魔法線が無い、要するに、陣といて完成していない。
「じゃあ何で、悪魔が召喚された?」
これで悪魔が召喚される訳が無い、適当に並べるだけで召喚が成功する程、異世界は近い世界では無い。
これで召喚出来ては行けない筈なんだけど、現実は召喚された悪魔が居る。
「ギルドの見解は『悪魔召喚陣事態は用意されていた為、偶然による召喚』ねぇ……馬鹿言っちゃいけない、君たちはそれっぽい事言ってればお金貰ってるから良いんだろうけど、こっちは結果を出さなきゃいけないんだ、もう少し中身のある事を言って欲しいものだね」
犯人一味と思われる少女が、僕らと戦闘を自発的に行って追い詰められた瞬間に、偶然にも悪魔を召喚してしまった……と言う事らしい、こんな適当な事を抜かしてる奴が僕らの給料の四割以上をハネているとか、人を舐めているとしか思えない。
「どのようにして、どんな手段で悪魔を召喚したのか、それのヒントを出して欲しいものだね、本当」
とはいえ、どれほど睨んだ所で答えは出ない。そもそも僕に出来るのは解析結果を閲覧する事だけなので、解析した連中が何も解らなかった以上、僕が睨んだ所で何も解らない。
仕方が無いけど、今日はここで諦める事にしよう。
「はい、これどうぞ」
端末を切って大きく伸びをした所で、暖かい珈琲が差しいれられた、顔を上げると、ノインちゃんが笑っている。
「おや? 何時の間に?」
「ふふふ……実を言うとですね、さっきからケイさんが作業に夢中になってる隙に、ちょっと休憩を貰って淹れてきちゃいました」
あ~あ、彼女、やっちゃった。
とりあえず、何かあると拙いので、珈琲だけは受け取っておくとしよう。
「ありがとうノインちゃん、あと、僕から一つ訂正だ」
「はぇ? 何ですか?」
おっと、今ここで珈琲を飲むのは自殺行為だね、テーブルの淵にカップを置いて、本を片づけ始めつつ言葉をつづけよう。
「何時の間にっていうのは、君の後ろで凄い怖い顔をしている司書のタカダさんに言った言葉だよ」
「え?」
ノインちゃんの頬が恐怖にひきつる。右眉と唇の端がひくひくと痙攣し、そのままゆっくり、ゆっくりと振り向く。とうぜん僕は嘘なんか言わない、その先には、びしりと指で『飲食禁止』の張り紙をさした死所……じゃなかった、司書のタカダさんが居る訳で。
「は! はうああああ~~! ち、違うんですタカダさん! こ……これはちょっと! あ、やめ、らめえええええええええええええええええええええええええええええええええ!」
ノインちゃんを何処かへ引きずっていくタカダさんに「本はこっちで片付けますよ」とジェスチャーで伝えて本を纏める、最後にノインちゃんの形見のカップ(ギルド備品)を片手にギルドの書庫を後にする。
事態は泣きたくなるほど進展していないけれども、まぁ仕方が無い。珈琲を一口飲み込んで気持ちを切り替え、次の場所へ向かうとしよう。




